第2話

 私は消え去らないもの、変わらないもの、揺るぎないものを求めて街の発展に命を賭けてきた。その結果、ネヴァーマインドの街は発展して街の人々は敬意に満ちた眼差しで私のことを見るようになった。その視線を感じるたびに全身を肯定感が支配し、”死”を忘れることができた。なのに……。

 診療所の前に立つ。診療所からは苦悶の声が漏れ伝わってくる。今、診療所は全身が黒い痣だらけになった患者で溢れている。

 ”それ”は何の兆候もなく突然やってきた。一人の男が高熱を出して診療所に運び込まれた。男は昏睡し、全身が黒い痣だらけになって数日で死亡した。原因も分からぬまま街は同じ症状を訴える患者で溢れかえった。私は街の人々が苦しんで死んでいくのをただ見ていることした出来なかった。

 診療所からデラシネとなった者が運び込まれていく。

 「どうですか、貴方のしてきたことの結果がこれですよ」

 声がした方に体を向ける。診療所の建設に最後まで反対していた有力諸侯の一人、グラーフ侯がすぐ傍に立っていた。

 「何が、ですか?」

 ひどく声がかすれる。

 「この症状がどのように広がっていったか分かりますか?最初は一人の男、次に診療所で働く医師、その次が医師らの家族。診療所から症状が広がっていってもう追いかけることは不可能になっている」

 「そんな、馬鹿な……」

 「貴方が診療所を建てなければこんなことにはならなかった。それを忘れないでください」

 そう言い残してグラーフ侯が去っていく。

 私が、私の建てた診療所がこの惨劇を引き起こした?街の様子を伺う。”それ”が起こる前は私の街は活気で溢れていた。なのに今は死の街のように静まり返っている。

 「フッ」口から渇いた声が漏れる。一度漏れると止まることなく漏れ続ける。「フッフッフッフッフッ」

 どうですか、”大いなる存在”よ。懸命に、歯を喰いしばって積み上げてきたものを一瞬にしてぶち壊してみせた感想は?私は分かりました。分かってしまいましたよ。”それ”から逃れることは出来ない。だとすれば私が取るべき選択肢は一つだけだ。


 父様に連れられて街外れの小高い丘を訪れていた。丘からはネヴァーマインドの街を一望できた。

 「カート」街を眺めながら父様が話しかけてくる。「カートが将来目標とすべきことが何なのか分かるかい?」

 「ニルヴァーナに達することですか?」

 「ニルヴァーナ、か」父様の口調には微かに蔑みの色を帯びる。「カート、君はニルヴァーナに行って帰ってきた者に会ったことはあるかい?」

 「ありません」

 「私もない。街の人々も会ったことがある者はいないだろう。にも関わらず誰もが言ったことのない場所を目標へと設定する。不思議に思ったことはないかい?何故誰も行ったことのない場所を目標に設定出来るのかと」

 「父様はニルヴァーナを信じていないのですか?」

 「ああ、信じていない」

 「でも……」遠慮がちに口を開く。「おじい様は僕によく言っていました。ニルヴァーナこそが唯一の目標だと」

 おじい様は口癖のように僕に言った。カートよ、ニルヴァーナを目指せと。それこそが唯一の正しい道だと。

 「あの人にとってはそうなんだろう」

 今度はハッキリと蔑みが感じられた。

 「では、父様の目標は何なんですか?」

 「この街だ」街を指示して力強く告げる。「この街の発展こそが私の目標だ」

 「ネヴァー・マインドの街が、ですか?」

 「そうだ。人が歩くべく正しい道は唯一つ。自分に目的と意味を与えてくれるものに尽くすこと。そうすることによって、ドナルド・フェニックスという一人の男の人生に目的と意味が生まれる」

 そう力強く告げる父様の姿はとても眩しく見えた。

 「カート」父様が屈んで視線が交錯する。「私はニルヴァーナは現実を直視できない弱者の妄想に過ぎないと思っている。だが、私の父が間違っていて私が正しいと確信しているわけではない。これは賭けなんだよ、人生の賭けだ」

 「人生の賭け……」

 「私は抽象的観念から生まれる想いは、その想いを抱く者に多大な災いをもたらすと思っている。カートは私の父が領主として何をしていたか知っているかい?」

 首を横に振る。

 「朝と夕の散歩。街の人との雑談。それがニルヴァーナを信じていたあの人が領主として行っていたことだよ」

 「で、でも街の人たちと話して街の状況を確認することはいいことだと思います」

 おじい様の笑顔が脳裏に浮かんで、気付けば擁護していた。

 「状況を確認し、必要とあらば改善していたらね。あの人は話しを聞くだけで何もしなかった。あの人は領主としてすべきことを何もしなかった。何故か?ニルヴァーナに達することだけがあの人の目標だったからだ。この街にあの人の軌跡は何もない。領主としては空っぽの人生だ」

 「父様……」

 「ああ、すまない。父の悪口を聞かせたいわけではないんだ。私はニルヴァーナというあるか分からないものを目標とすべきではなく、街の発展という具体的なことを目標とした。つまり、街の発展に身を捧げることに賭けたわけだ。それこそが正しい道だと。そして、私はカートにも私の後を継ぐ者になって街の発展に賭けてほしいと思っている」

 領主として街の発展に身を捧げる。そこにはきっと多くの人の幸福があることだろう。

 「僕は、なれるかな、父様のように」

 恐る恐るした問いかけに父様ははっきりと教えてくれた。「もちろん」と。この日、僕の歩くべき道が決まった。


 一か月前、僕は”未来の領主さま”だった。でも今は……。

 「こんにちわ」

 「こん……」僕と認識すると今までの笑顔が一瞬にして強張る。「あっ、な、何かな?」

 母様のおつかいで訪れた街の雑貨屋。店主の目にははっきりと困惑が見て取れた。

 「牛乳を二瓶もらえますか?」

 「牛乳二瓶、ね」店主が店の奥に牛乳を取りに行く。「牛乳二瓶。十シリングね」

 カウンターに十シリングを置く。

 「十シリング。ちょうどだね」

 「ありがとうございます」

 一礼して牛乳を手に店を後にする。必要最低限のやり取りのみ。一か月前には当たり前のようにあった他愛のないやり取りはどこにもなくなってしまっていた。


 父様の死から一か月が経った。多くのデラシネを生み出した”黒死の誘い”の混乱も過ぎ去って街は前の姿を取り戻していた。たった一つのことを除いては……。

 牛乳を手に街を歩いていくと前方に楽しそうに談笑している二人の少年がいた。彼らは僕に気付くとぴたりと談笑を止めて視線を伏せた。

 一か月前、僕は”未来の領主さま”だった。でも今はエーテンダーの息子であり、触れてはいけない存在になっていた。街の人誰もが僕を避けるようになり、最低限のやり取りしか交わそうとしなかった。

 僕は変わらず僕なのに……。

 「元気?」

 意を決して二人に話しかける。二人の体がびくっと震えて「あっ、俺急用があったんだ」と言い残して一人が急に駆け出した。

 「あっ、おい待てよ」

 それを見てもう一人も慌てて後を追って一人取り残される。

 手を強く握りしめる。”事実”に気付いた時は困惑し、困惑は怒りを経て悲しみへと変わっていった。

 『なんで、ナンデ、何で!』

 父様の死の時と同じように頭の中は一つの言葉で埋め尽くされて、足は自然とある場所へと向かっていた。


 「僕って何なんでしょうか?」

 「うむ。それは中々深い問いじゃの」

 あの日と同じように突然訪れたにも関わらずノーブルさんとテオさんは温かく迎いいれてくれた。

 「どうぞ」

 テオさんが目の前のテーブルにドーナツで紅茶を差し出してくれる。

 「あっ、ありがとうございます」

 「どうしたしまして」

 笑顔で返答して後方へ下がる。一か月前には当たり前のようにあった他愛ない、温かいやり取り。

 「何でその問いがでてきたのかの?」

 「僕は物心ついた頃から周りの人たちにずっと言われてきました。『未来の領主さま』と」記憶を辿り、想いを探って言葉を紡いでいく。「最初は戸惑いました。僕は何か特別な能力を持っているわけでもないのに人々を導く自分の姿は想像出来ませんでした。でも、父様の姿を傍で見続けて考えが変わっていったんです。父様の仕事で街はよい方向に変わっていきました。いつからか父様に憧れ、父様のように、父様のような領主になりたいと思うようになりました」

 「ドナルドは立派だったからの」

 父様への称賛の言葉。街の人たちの父様への評価は変わってしまったけど、ここでは、ここだけは変わっていない。それがすごく嬉しかった。

 「はい、僕もそう思います。僕は大きくなったら領主となって父様のようにこの街をよくしていくんだ。領主となることはいつかは必ず訪れる出来事になっていました。でも、父様の死によって全て変わってしまった。僕が未来の領主だと思っている人は一人もいないでしょう。ずっとそう言われてきたのに……」

 「自分だと思っていたものが急になくなって自分の存在が分からなくなってしまった、というところかの」

 大きく首を縦に振る。

 「ふむ」ノーブルさんが目の前のドーナツへと手を伸ばす。目の前へと掲げてドーナツの穴越しに僕を見る。「カートに一つ質問しよう。ドーナツの穴はどこにあると思うかの?」

 「どこって……」ドーナツの中心部を指出して告げる。「そこにあるじゃないですか?」

 「そうじゃの。では、これならどうじゃ?」口を大きく開けたかと思うとドーナツを飲み込んでドーナツが消える。「ドーナツの穴はどこにいってしまったかの?」

 「ドーナツと一緒に消えてしまいました」

 「うむ。ドーナツがなくなればドーナツの穴も同時になくなってしまう。では、ドーナツの穴は存在しているといえるのかの?」

 「それは言えるんじゃないですか?ドーナツがある時は確かに示すことができるんですから」

 「なるほど。確かにドーナツがあればドーナツの穴は示すことが出来るの。我はいつからかドーナツを見る度にそなたらヒトのことが頭に浮かぶようになった」

 「ドーナツを見て僕らのことが頭に浮かぶんですか?」

 「では、ちょっとした実験をしてみるかの。テオさん」

 テオさんに目配せすると「かしこまりました」とテオさんがロープを手に僕に近づいてくる。

ロープで僕を椅子に縛り付けていく。

 「な、何を」

 「じっとしていてください」

 両手両足を椅子に縛り付けられて身動きが取れなくなる。

 「さて、準備が出来たようなので始めるとするかの。テオさん」

 「失礼致します」

 両目を塞がれる。

 「何するんですか?」

 返答はない。テオさんの手の感触だけの暗闇の世界。どれほど時間が経ったろうか?暗闇だけの世界に身を置いて変な想像が頭をもたげてくる。今、この世界には僕しかいないんじゃないかと。

 「……カート様」テオさんの言葉に胸をほっと撫でおろす。変な想像は変な想像でしかなかったようだ。「一つ質問が御座います」

 「何でしょうか?」

 「ノーブル様はいらっしゃいますか?」

 質問の意図が分からなかった。そんな事、目を塞がれている僕よりテオさんの方が分かるはずだろう。

 「いる、と思います」

 疑問に思いつつも答える。目の前から物音は聞こえてこなかったから変わらず椅子に座っていることだろう。僕とテオさんのこのやり取りをどんな表情で見つめているかは分からなかったけど……。

 「こんな想像をしたことはありませんか?カート様以外の全ての人がカート様の姿が見えなくなったり、カート様の声が聞こえなくなったとします。そうなっても、カート様はカート様でいられると思いますか?

 たくさんの人がいるのに誰も僕のことを認識しない世界。誰も僕のことを見ない。誰も僕の声を聞かない。そうしたら、僕はどうなるだろう?

 「僕は、僕だと思います」

 「本当にそう思いますか?」

 この一か月で僕という存在は大きく揺らいだ。前の僕なら胸を張って言えたんじゃないか。勿論、当然でしょと。でも今の僕には分からなかった。

 「……分かりません」

 「印象に残っている寓話がある」ノーブルさんの声。「両親を病気で失って孤児院に引き取られた三兄弟がいた。長男は普段は気さくに接してくれるものの、嫌なことがある度に三男に暴力を振るっており三男は生傷が絶えなかった。次男はただそれを冷たい目で見ているだけで弟などいないかのように振る舞っていた。

 長男が成人し、孤児院をでて都会に働きに出て行った。次男も成人して孤児院をでていった。三男も成人になり孤児院を出ていかなければならなくなった。兄たちを追って都会に向かった三男だったが、頼ったのは暴力を振るっていた長男とただそれを見ていた次男。どっちだったと思う?」

 暴力を振るった長男と見ていただけの次男なら考えるまでもなかった。

 「次男だと思います」

 「我もそう思った。絶えず暴力を振るわれて生傷が絶えなかったのにその元凶である長男を頼る人間などいないと。でも、三男が実際に頼ったのは次男ではなく長男だった。何でだと思うかの?」

 「分かりません。絶えず暴力を振るっていた長男を次男よりも頼りにする理由はないように思います」

 「そうよの。不思議に思った我は聞いてみた。『何で三男は次男ではなく長男を選んだのか』と。答えは長男は三男の存在を認めていたが、次男は存在を認めていないから、だそうじゃ」

 「存在自体は認めているかどうか……。三男にとっては暴力よりも無視の方が痛かったといいうことですか?」

 「そういうことよの」興味深そうに呟く。「我には理解出来ぬが、カートには三男の選択が理解できるかの?」

 父様が自死し、デラシネとなったことで僕は未来の領主さまから忌むべき、避けられる存在になった。そのことで”僕”という存在は大きく揺らぎ、自分という存在が何なのか分からなくなった。

 「分かる、気がします。僕も街の人々から避けられるようになって、自分という存在が分からなくなりましたから。存在は否定されるということはそれだけ痛いんだと思います」

 「ふむ」

 そうか。そういうことだったのか。ようやくノーブルさんとテオさんの行動の意図が分かった。

 「テオさん」

 「何でしょうか?」

 「さっきへの質問への回答を変更します。誰も僕の存在を認識しなくなったら、僕は僕ではいられなくなると思います」

 手が外されてぼやけた世界が形を取り戻していくと、ノーブルさんが満足そうな笑みを浮かべていた。

 「我がドーナツを見るとヒトのことが頭に浮かぶようになったという意味が分かったかの」

 「ドーナツを食べればドーナツの穴も消える。周りの人が消えれば一緒に僕という存在も消えたかのように感じられ、周りの人の認識が変われば自分の認識も影響を受ける」

 「そういうことよの」

 「その、ノーブルさんはそういう感覚はないんですか?誰からも認識されなかったら存在自体が揺らぐみたいな感覚は」

 「ないのう。他の存在から認識されようがされまいが我は我。いつだってクリムゾン・ノーブルじゃからの」

 他の存在に左右されない、揺るがない存在。今の僕にはとても羨ましく思えた。

 「この寓話を聞いた時に我は疑問に思った。クリムゾン・ノーブルは他の存在に左右されない。ヒトは他の存在に左右される。この差は何によるものかと。最初は皆目検討がつかなかった。だからヒトをじっと見てみることにした。そして、一つの仮定に辿り着いた。我はずっと我じゃ。でも、ヒトはずっとヒトではなかったんじゃ」

 何を言っているのか、全然分からなかった。

 「どういう意味ですか?」

 「カート。お主はもっと小さい頃、自分のことを何と呼んでおった?」

 「小さい頃ですか?憶えていないですが……」

 「我が見る限り、幼い子どもは自分のことを名前で呼ぶ。お主だったら『母様、カート掃除したくない』と。おそらく周りの人が自分のことを名前で呼ぶから自分もそれをならって呼ぶのであろう。だが視線が高くなってくると誰に教えられたわけでもないのに自分のこを名前で呼ばなくなり、『僕』や『私』といった言葉を使うようになる。何でそうなるか分かるかの?」

 「周りの人が自分のことをそう呼んでいるからですか?」

 「そうよの。そして恐らくそれがクリムゾン・ノーブルとヒトの差なんじゃと思う。クリムゾン・ノーブルである我はずっと我じゃ。我はこの世に現出した時から今の姿で、クリムゾン・ノーブルは変化しないようじゃからの。でもお主らヒトは違う」

 「どんどん変わっていって、それに合わせて見るものも変わっていく。最初は自分のことしから見えていなかったものが自分を取り巻くものが見えるようになってくる」

 「クリムゾン・ノーブルという個体とヒトという群体。そういう性質だから群れるのか、群れるようになったからそういう性質を得るようになったのかは分からぬがヒトは周りに強い影響を受ける。その力がそのヒトを形づくっていく。ゆえにその強い力がなくなるとドーナツ穴のように自分が消えてしまったかのように感じられる。今のそなたのようにな」

 「周りは僕のことをカートと呼ぶ。だから僕は自分のことをカートと呼ぶ。周りのことが見えるようになってくると大人は自分のことを『僕』や『私』と呼んでいることに気付く。だから自分のことを『僕』と呼ぶようになる。周りの人は僕のことを未来の領主さまと認識する。だから僕も自分のことを未来の領主なんだと思うようになる。そして急に周りから未来の領主と思われなくなって自分のことが分からなくなってしまった」

 「うむ。ここで最初にそなたが発した問いに答えよう。カート・フェニックスは何者か?かって未来の領主と目されていた人物で、今はエーテンダーの子で忌み嫌われるべき存在。残酷な物言いだとは思うが、この街の人間にとってはそれが真実であろう

 一瞬、息が止まった。深く息を吐き出す。ノーブルさんの言葉でハッキリと今自分が置かれている状況が理解できたが、納得は出来そうになかった。

 「…何で、ですかね」

 心の奥底から沸き起こってくる切実な問いかけ。

 「何がじゃ?」

 「何で未来の領主さまと敬まわれていた僕が忌み嫌われなくちゃいけないんですかね?」

 「そう言いたい気持ちは分かる。恐らく古来より多くのヒトが自分の力ではどうしようもない災厄が身に降りかかった時に思ったであろう。何でと。何でこうなったのかと。だがの……」

 「父様が!」一度溢れだした激情は止まらない。「父様があんなことをしなければこんなことにはならなかったのに!」

 想いをぶちまけた後には後悔しか残らなかった。

 「カート」色のない声。ノーブルさんの反応を見るのが怖くて視線を伏せる。「カート、顔をあげよ」

 怖くて顔をあげることが出来ない。

 「カート」

 再度促されて渋々顔をあげる。ノーブルさんの小さな手が頬を包む。

 「そなたの気持ちはよく分かる。だが、同時に分かってほしい。そなたの父、ドナルドもそう思っていたかもしれないということを」

 「父様が、何を思っていたって?」

 「そなたと同じようにどうしようもない『何で?』という問いを抱えていたかもしれないということじゃ」

 「父様は、死にたくて死んだ……そうでしょ?」

 「違う!」手に力が込められる。「ドナルドが何故自ら死を選んだのかは我には分からぬ。ただ一つだけハッキリと言えることがある。死にたいというのと、このような生き方、このようなあり方は嫌だというのは決定的に違うということを」

 「父様は、死にたかったんじゃないですか?」

 「違う!」

 「父様は、僕と母様を捨てたんじゃないんですか?」

 「断じて違う!」

 「そう、ですか」

 涙が頬を伝う。ノーブルさんの手が優しく涙を拭う。

 「自死という選択肢しかないと思ってしまったんじゃろう。ドナルドが抱えていたものから逃れるためにな。ドナルドの抱えていたものが何なのか分からぬ以上間違っていると断定することは出来ずが、それでもなお他の選択肢を選んでもしかったがの。苦しかったかもしれぬが、ドナルドは決して一人ではなかったんじゃから」

 慈愛に満ちた声が胸にしみ込んでいく。

 「自死以外の選択肢……」

 「そうじゃ。ヒトは周りの環境から強い影響を受けるがゆえに環境が変われば新しい環境に応じた新たな選択肢を考えなければならぬ。それこそがそなたのすべきことじゃ」

 「新しい、選択肢……」

 「その選択肢の先に新たなそなたがいる」

 未来の領主だった僕は死んで、何者でもなくなった僕。何者でもない僕が目指す新しい僕、か。

 「ありがとうございます。進むべき道が見えたような気がします」

 「それはよかった。若人にアドバイスを贈るのは年寄りの務めじゃからの。迷ったらいつでもくるといい。話しにつき合うぐらいならいつでも出来るからの」

 「はい。では今日はこれで失礼します」

 一礼して、少し軽くなった気持ちで屋敷を後にした。


 街の広場のベンチに腰を下ろして行き交う人々を眺める。商品を運ぶ商人、買い物をする親子連れ、無邪気に駆け回る同世代の子供たち。誰もが何かしらの”目的”を持って行動している。商人は仕事のため、親子連れは生活のため、子供たちは自らの欲求を満たすため……前の僕は彼らと同じだった。以前の、父様が亡くなる前の僕は少しでも時間が出来れば街に出かけてはどうすればこの街をもっとよく出来るのかと頭をフル回転させていた。”未来の領主さま”という目的を果たすために。でもその目的はなくなってしまった。古い僕に古い目的があったように、新しい僕には新しい目的がなければならない。

 目的、か。

 ぽつりと口に出す。前の僕には当たり前にあって、今の僕にはなくなってしまったもの。なくなったら探す。さもそれが当然のように。でも何で僕は当然のように新しい目的を探そうとしているんだろうか?眠くなったら眠る。お腹が減ったら食べる。何故か?そうしないと上手く活動することが出来なくなってしまうから。じゃあ、目的は?目的がないとヒトは上手く活動することが出来なくなってしまうんだろうか?心のどこかで僕はそれを知っているから自然と新しい目的を探しているんだろうか?

 今まで想像したことがないことに対して考えを巡らせていると幼なじみのクリスの姿があった。クリスの父親は石工であり、クリスもその手伝いをしているはずだった。疑問に思って話しかけてみようと腰を浮かしかけるも、街の人々の接し方が頭をよぎって腰が止まる。が、クリスなら大丈夫だろうと気を取り直してクリスに近づいていって声をかける。

 「クリス!」

 声をかけてきた人物が僕があると認識すると、戸惑いが顔中に広がっていく。

 「あ、あの僕は……」

 「話があるからきて!」有無を言わさずクリスの手を取って人気のない裏路地に引っ張っていく。「ここならいいでしょ?」

 クリスは忙しなく視線を動かして周りに人がいないかを伺っている。人がいないことを確認してようやく視線をこちらに向ける。

 「話しって何?」

 「何してるのかと思って……。この時間は叔父さんの手伝いしてる時間じゃないの?」

 クリスがバツが悪そうに視線を反らす。

 「そ、そうだけど……」

 「だから、何かあったのかと思ってさ」

 しばらく無言で地面を見つめていたが、ぽつりと呟く。

 「俺、言ったんだ。親父に俺は石工になるつもりはないって」

 「えっ……」

 ニルヴァーナの街では子供は親の仕事を継ぐのが当たり前と思われていた。

 「どうして?」

 顔を上げて息を吐く。

 「憶えているか?一緒に親父の仕事をしている様子を見に行ったことを」

 「うん」

 街の人たちがどんな風に仕事しているのかを知りたくて叔父さんに頼み込んで仕事をしている様子を見せてもらったことがあった。

 「手際よく石を別のものに変えていく様子はまるで魔法を見ているみたいだった!」

 あの日の感動が蘇ってきて自然と口調に熱がこもる。

 「未来の領主さまに……って、ゴメン」

 気まずそうに口をつむぐ。

 「いいよ、気にしなくて。話し、続けて」

 「あ、ああ。カートに褒められて気をよくしたのか、親父色々と意気揚々と喋っただろ?三人のレンガ職人の話しとかさ」

 「その話しはよく憶えてる。嫌々レンガ積みをしている職人と家族を養うためにレンガ積みをしている職人と歴史に残る偉大な大聖堂をつくるためにレンガ積みをしている職人の話しだよね?」

 「ああ。で、親父の得意気な顔は言外に言っていたわけだ。『私の今している仕事は貴方のお父様と同じくらい意義のあるものなんですよ』ってな。カートはその話しに感動して目輝かせていたわけだけど、俺も実は心動かされていたわけだ。親父からは直接的な石工の技術ばかりで、そういった話し聞いたことなかったからな」

 「あの話しはすごく感動的だったからね」

 「俺は小さい頃から母親からアンタは大きくなったら父さんの後を継いで石工になるんだよと言われて育ったから石工になるんだと思ってた。嫌なわけじゃなかったけど、ワクワクすることでもなかった。でも、三人のレンガ職人の話しを聞いて少し心境が変わったんだ。石工になった自分の姿を想像して少しワクワクするようになったんだ」

 「僕も、未来の自分の姿を想像してワクワクすることはあったよ」

 「そっか」同情の眼差し。「で、親父の仕事の手伝いにも熱が入るようになったわけだけど、すぐ前は感じることのなかった違和感を覚えるようになった」

 「違和感?」

 「ああ。仕事を終えて家に帰ると決まって始まるわけだ。親父の仕事の愚痴が。やれ腰が痛いだの、やれ手はひび割れて汚れるばっかりだの。そして、最後に俺はあと何年石工をしなくちゃいけないんだって、己の運命を嘆くわけだ」

 「それって嫌々レンガ職人をしている職人と同じなんじゃ……」

 「俺もそう思った。あの時の得意気な顔は何だったんよってな」自嘲気味笑う。「前は全く気にならなかったけど、三人のレンガ職人の話しを聞いてからは気に触ってしょうがなかった。最初は聞き流してたわけだけど、毎日毎日繰り返されるのにうんざりしてとうとう言ったわけだ。『俺とカートの前で得意気に三人のレンガ職人の話しをした親父は何で仕事が終わった後に愚痴ばかり言うんだ』って」

 「叔父さんは何て?」

 「親父は全く悪びれずに言ったよ。あれは建て前だってな」

 「そんな……」

 あの日の感動、あの日の熱量が汚されたような気がした。

 「俺は重ねて聞いた」クリスは冷たい声で話しを続ける。「親父は三人のレンガ職人でいったらその職人なんだよって。親父は今の俺を見れば分かるだろと言ったよ」

 「それで石工を目指すのを辞めたの?」

 「ああ。親父の答えを聞いた瞬間にそんな気持ちは綺麗さっぱりなくなっていた。不思議なもんだよな。今までと同じ出来事が繰り返されただけなのに、感じ方が全く違ってくるんだから」

 「……新しい自分」

 「えっ?」

 「ある人に言われたんだ。人は周りの環境から影響を受けて新しい自分へと変わっていく。同じ出来事でも感じ方が違うのはカートが新しい自分へと変わっていったからだと思う」

 「なるほどね。今までとは違う新しい自分、か」

 「クリスはこれからどうするの?」

 「さあな」手を頭の後ろで組んで空を眺める。「ずっと石工になるもんだと思ってたから、石工になるのやめますってもすぐ次がでてくるわけでもないしな。まあ、今すぐ何かを決めなきゃいけないわけでもないから、のんびり探すさ」

 「僕と同じだね」

 クリスがはっとした風に僕を見る。

 「そっか、そうだよな」

 口を開きかけて止める。気まずそうに視線を彷徨わせた後に意を決したのか口を開く。

 「その、親父さんのこと大変だったよな。それと……」勢いよく頭を下げる。「そんな大変な時に何もしてやれなくて、それどころか話しかけれれて迷惑そうにして本当にゴメン!」

 「そ、そんないいよ。気にしてないから」

 「本っ当にゴメン!」

 「いいって本当に。頭上げて、ね?」

 恐る恐るクリスが頭をあげる。

 「許して、くれるか?」

 「当たり前だよ」

 その一言でぱっと笑顔が輝く。何度も見てきた底抜けに明るい笑顔。

 「よかったー、絶対に許さないなんて言われたらどうしようかと思った」

 「そんな事言うわけないじゃん。幼なじみなんだから」

 「で、その家の方はどうなんだ?」

 「元通りとはいかないけど、落ち着きはしたかな」

 「そっか。カートはこの先どうするつもり?」

 「僕もずっと領主になるものだと思っていたから、それがなくなってどうしようって感じなんだよね。今はクリスと一緒で焦らず探すしかないって思ってるところ」

 「そっか。見つかるといいな」

 「お互いにね」

 「じゃあ、俺はそろそろ家帰るわ」

 「うん。またね」

 「ああ。困ったことがあったら何でも言ってくれよ。出来る限り力になるから」

 「うん、ありがとう」

 遠ざかっていくクリスの背中をじっと見つめる。この世界で一人だと思っていたけど、一人じゃなかった。それを実感できるようになったことがすごく嬉しかった。

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