第8話 死がつきまとう
「テヒョン!起きて」
太陽の光が眩しくて、なかなか目が開けられない。
「んー、何だ、」
「デートよ。今日はデートに行くの」
目を開けると、ベッドに寝そべっている俺の肩を揺らすのは、ソアだった。冷え切った部屋、眩しすぎる太陽。まだ朝なんだろう。
約束のしていないデート。彼女に急かされながら、準備を済ませ、いつもの見慣れた赤い車を彼女が運転する。
「今度は俺が運転するよ」
「どうせ口だけでしょ」
デートは大抵、ソアが車を出す。休日は家から出ることはないし、勤務で家に帰らないことだってある。だから、俺は車を持っていない。彼女に運転させる彼氏ってどうなんだ?って周りからは言われるけど、ソアは気にしてないみたいだ。
「なんで急に、デートなんか」
「私、またアメリカに戻るの」
「ああ、そっか」
この前は、俺のせいで緊急帰国したから。彼女は、あと2週間は帰ってこない予定だった。
「素っ気ないね。また、しばらく会えないんだけど?」
「帰ってきたら、結婚するんだろ?心の準備には丁度良いじゃないか」
「最後の独身生活を満喫しなきゃね」
彼女は素直じゃない。本当は『結婚』という言葉に照れてるんだろうけど、いつも照れ隠しで思ってもないようなことを言うんだ。
「急だけど、明日発つの私」
「明日?じゃあ、俺が送ってく」
「お願いね。私の愛車の面倒見てやって」
「もちろん」
数十分車を走らせて着いたのは、最近オープンしたカフェだ。女性が好みそうなおしゃれな内装、インスタ映えしそうな料理やデザートが用意されている。
「ここ来たかったんだよね」
「軍人の俺が来そうにないところだな」
まだ時間が早いのか、カフェには出勤前のキャリアウーマンや、意識の高そうな学生がパソコンを広げて勉強をしていた。
「いらっしゃいませ」
「アメリカンコーヒー1つ、…テヒョンは?」
ソアに聞かれて、メニューに目を通すが、正直何が何だか分からない。
「彼女と同じのをひと、、」
注文しようと店員に目を向ける俺は、最後まで言い終わる前に固まった。
「アメリカンコーヒー2つでよろしいでしょうか?」
まただ。俺の目の前に今度は、カフェ店員の格好をした死神がいた。
「…テヒョン?」
開いた口が塞がらないとはこのことを言うのか。
「以上で、大丈夫です」
ソアが死神に返事をする。
「お会計630円です」
どこにでもいるカフェ店員のように笑顔で接する彼女。状況が理解できない俺と、固まる俺に呆れるソア。この状況こそ、カオスである。
「ごゆっくりどうぞ」
目を疑うように何度も彼女を見るが、ただニコニコと俺を見ていた。
レジから少し離れたソファ席に二人で腰を下ろす。俺はなるべくレジの方を見ないように、ソアだけを見た。
「…そんなに見られてたら、飲みずらいけど?」
「ごめん」
「あの店員さん、知り合い?」
「…え、なんで?」
「顔見た瞬間、固まってたよ?知り合い?」
「いやいや!初めて見たよ?」
誰が見たって、俺は動揺していただろう。
「じゃあ、なんでそんな動揺してるの?まさか、一目惚れでもした?」
飲んでいたコーヒーが変なところに入ってしまい、むせてしまった。
「ゴホッ、ゴホッ」
「ちょ、ちょっと!!」
ソアは慌てて鞄からハンカチを取り出した。
「もう、これで拭いて」
「変なこと言うからだろ」
「怪しい。それにしてもあの店員さん、綺麗な人だよね。アルバイトかしら」
「そうか?俺、年下には興味ないから」
「ならいいけど、あの子ずっとこっち見てるよ?」
「こっち?」
ソアに言われて、レジの方を見ようと振り返る。
「…」
死神がカフェのレジカウンターに肘をついて、こちらを見ていた。目が合うと、右手をひらひらさせて、手を振る。彼女のその姿になぜだかぞっとして、ゆっくりとソアの方に視線を戻す。
「あの子、あんたに手振ってるわけ?」
視線を戻した先のソアは、怒った顔で睨んでいた。
「ここ、出ようか」
これ以上、状況が悪化しないようにソアの手をつなぎお店を出た。
「俺が運転するよ」
ソアを慰めるわけじゃないけど、怒っている彼女に運転してもらうのは、さすがの俺でも気が引けた。
次に訪れたのは、映画館。彼女は、恋愛映画が大好きなのだ。普段は絶対に見ないけれど、彼女の機嫌を直してもらうため、一緒に見ることに。
「ここで待ってて、飲み物買ってくる」
近くのベンチに座らせて、人の列ができているフードショップへ。
「いらっしゃいませ」
「えっと、ポップコーンの、、」
顔を上げ、俺はまた開いた口が塞がらなかった。
「どうされました?お客様」
「どうされました、じゃないだろ」
何事もないように首をかしげる彼女は、紛れもなく俺の中で『死神』名前の存在だ。そう、死神がいた。
「何で行くところ全部に君がいるんだ?」
「気を引こうと思って」
「き、気を引く?」
彼女の口から出てきた言葉は思いがけないものだった。
「この前は医者だったし、さっきはカフェの店員、今は映画館の仕事か?どうなってるんだ、」
「暗示だよ。人間には理解できないようだけど」
「暗示もかけれるのか?何で俺にはかかってないんだ?いや、そんなことはいい。今日はもう俺の前に姿を見せないで?」
「どうして?」
「空気を読んでくれよ。彼女といるんだよ、恋人!君には分からないだろうけど…機嫌が悪いんだ彼女」
「あんたがわかりやすく反応するからでしょ。知らないふりでもしたら?」
「できるわけないだろ」
「なんで?」
「君が死神だから」
「…まさか、恐れてる?私のこと」
彼女は左の眉をピクッとさせて、小馬鹿にするように俺を見ていた。
「当たり前だろ。急に出てきて、気を引きたいなんて。もしかして、俺を殺すのか?」
そうとしか考えられない。笑いながら人を苦しめていた彼女が、急に気をひきたいだなんて。裏があるに決まってる。
「だから、殺さないって。助けてあげたのになんで恐れるの?」
「とにかく、今日はもう現れないでくれ!いいな!!」
後押しするように彼女を睨み付けて、その場を離れた。
「遅いよ…飲み物は?ポップコーンは?」
手ぶらで帰ってきた俺に彼女は、呆れていた。
「ほ、他の映画館行くぞ」
更に機嫌が悪くなるだろうが、俺は彼女の手をまた握って、映画館を後にした。
一体なぜ死神は、急にこんなことをするのか。不気味でたまらなかった。
次の日、俺は彼女の愛車の運転席に座った。隣には彼女のソア、向かう先は空港だった。昨日の機嫌はすっかり直った。けれど、少し元気はなかった。
「不安なことでもあるのか?」
「ううん、仕事に戻るだけだから」
「どうみたって元気がなさそうだけど?」
アメリカに戻るのが嫌なのか、何か思うことがあるのか。ソアは、少し口を閉じて、窓の外の景色を見た。
「ただ、ここに戻ってくると、あなたから離れるのが嫌になるだけ」
自分の気持ちに素直になるとき、俺の目を、顔を見てはくれない。彼女を方をみると、窓の反射に移る顔は照れくさそうだった。
しばらく車を走らせ、空港に着く。彼女のスーツケースを引き、搭乗口で手続きを済ませる。さっき買った餃子は、この空港の名物だ。大好物の餃子をもぐもぐと食べる彼女はやっぱり愛おしかった。
「はあ…しばらくこの餃子ともさよならか」
「アメリカにはないのか?餃子」
「あんまりないよね」
腕に付けた時計の針は、刻々と彼女が飛行機に乗る時刻に近づいた。
「最後の独身生活、楽しまなきゃ」
「楽しむ時間あるのか?仕事で忙しいだろ」
「ずっと、仕事だろうね」
「帰国後、すぐに結婚じゃなくてもいいんだよ?時間がいるなら」
彼女にはあまりプライベートの時間がなかった。大手企業の娘として、高校生の頃から会社のことを考えないといけない環境にいた彼女。結婚したら、一人の時間が無くなってしまうと考えると、かわいそうに思えてきたのだ。
「伸ばしたいの?テヒョンは」
質問を質問で返すのは、彼女の得意技だ。
「俺は今すぐにでも結婚したいけど?」
「私も」
彼女は、少し背伸びをして、キスをする。外ではこういうことを嫌うタイプの人なのに。
「…」
「行くね」
お互い素直な方ではないから、別れの言葉はいつもあっさりしている。華奢な体の彼女は、引きずるスーツケースが大きく見える。搭乗口に入って行く彼女をただ眺めた。
彼女の長い髪の毛が、ふわっと広がり、振り向いた顔は、子どものような笑顔。少し抑え気味にこちらに手を振った。
思わず笑顔がこぼれて、彼女に右手を挙げて手を振った。そして数十分後、彼女を乗せた飛行機はアメリカに飛び立った。
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