第3話 死神に生かされた自分

 雑に入れられた衣類を大きな旅行用鞄に放り込み、自動ドアから一歩足を踏み出す。

 「お世話になりました」

 「身体に異常があればすぐにお越しください」

 もう見慣れたおじさん先生は、俺の奇妙な回復をずっと研究しようとしていた。人間の進化だなんのうるさかった。

 今日は退院だって言うのに、誰も迎えに来てくれないことだけが気がかりだが。まあ、入院期間は1週間、危険な状態だったのは事実だけど、心配されるような怪我でもなかった。

 あの死神は病室を去ってから、1度も現れなかった。死神なんて現れない方が良いに決まってる。それなのに、俺は彼女の去り際のなんとも言葉では表現できないような目が忘れられなかった。


 「テヒョンさん!」

 ふと名前を呼ばれ、顔を上げると病院の前の大きな公道にルイがいた。彼は、赤色のSUVの助手席の窓から顔を出し、俺を手招きした。赤い車に見覚えのあった俺は、運転席に誰が乗っているのかすぐに検討が着いた。

 「迎えに来てくれたのか?」

 車に駆け寄る。恐る恐る運転席に顔を覗かせると、ものすごく怒った顔がかわいい俺の婚約者が腕を組んでこちらを睨み付けた。


 「ソア、わざわざ迎えに来てくれたんだ」

 何事もないように彼女に笑顔を向けるけど、彼女の怒った顔に変化はなかった。

 「えっと、一旦乗ってください」

 気まずい雰囲気に耐えられなくなったルイが、車に乗るように促し、心臓を少しバクバクさせながら彼女の車に乗った。


 しばらく走ったところで、ルイは勤務のため職場である基地で降りた。

 「じゃあ、テヒョンさん今日は休んでくださいね」

明日からの勤務になっていた俺は、今日はひとまず休暇を取る形になった。

 バンッとルイがドアを閉めて、笑顔で手を振りながら基地に入っていく。そんな彼のキラキラな笑顔とは反対に、ソアと2人で取り残された車内は地獄のような沈黙であった。

 彼女は確実に怒っていた。理由は明らかだ。

 「…その、ごめん」

 「簡単に謝らないでよ」

 「いつ帰国したの?」

 「今日の朝」

 ソアは仕事の関係でアメリカにいた。俺が戦場に行くことも、死にかけたことも、彼女には何も言わなかった。

 「死んでたらどうするの?残された私はどうやって悲しめばよかったの?」

今回ばかりはいつもの喧嘩のような軽いものではない。

 「俺は死なないよ」

 「私は彼女なのに、あなたが危険な状態で入院してたことを、退院する日に知ったのよ?意味分からないよ」

 「本当にごめん」

 「婚約者なら隠しごとしないで」

 「約束する。心配させたくなかったから、ごめん」

 バックミラーから運転する彼女の目元が見える。目は潤んでいて、今にも泣きそうだ。


 『パク・ソア』

 彼女と知り合ったのは偶然みたいなものだった。俺が中佐になる任命式の会場が彼女の父親が経営する会社の所有地で、そこで出会った。かれこれ付き合って3年になる。怒りっぽくて、時々わがままだけど、彼女は愛情深く、いつも隣で笑ってくれる太陽のような存在だ。ソアがアメリカに行くと聞いて、帰ってきたら結婚しようと約束していた。


 「ルイがいなかったら、私あなたがこんなになってたの知らなかったんだからね。今度、彼に何かおごってあげてよね」

 「ルイが連絡したのか、」

 「そうよ?一緒に病院に迎えに行かないかって電話で言われたときは、寝ぼけてるのかと思ったけど」

 「あいつならやりかねないからな」

 「笑い事じゃないんだから」

 

 数分車を走らせて、自分の家に着いた。基地にいた期間と入院期間を含めると2週間ぶりの自分の家。新しいし、綺麗だけど、ソアはもっと良い部屋を探せってうるさい。6つの部屋の2階建て、俺は1階の一番左の部屋を借りていた。

 「結婚したらこのアパートの何倍もおっきい家に住ませるんだからね」

 「俺は狭い家が好きなの」

 「どうして?」

 「狭い方がその、お前との距離も近くなるだろ」

 「そんなこと言っても、許さないんだからね!!」

そう言いつつも、彼女は顔を赤らめていた。

 「照れてるじゃん」

 「うるさい」

照れ隠しで、部屋のドアを開けて慌てて中に入って行った。


 彼女に続いて部屋に入ろうとするが、一つ気になることがあった。どこからだろう、何か視線を感じる気がした。周りを見渡すが、誰もいない。気のせいだと言い聞かせ、部屋に入った。


 彼女と家でまったり。いつぶりだろう、こんなに二人でゆっくり過ごしたのは。軍人の俺は休みが多いわけではない。それに、父親の会社を継ぐために世界中を飛び回るようになってしまった彼女と時間を合わせて、一日中一緒にいることなんて出来なくなった。

 ソアが作る不器用な料理は、見かけは不格好だけど味は悪くなかった。軍人の俺からすれば毎日、簡単な料理でお腹を満たしていたから、手料理自体が高級料理と同じくらいあがめられるべき存在のよう。

 

 「おいしい?」

 「お前が作るのは何でも上手い」

相変わらず不格好なハンバーグを口に運ぶ。

 「ねえ、撃たれたときどんなかんじだった?」

 「痛かった。すごくね」

 「死際ってやっぱり、なんか見えるわけ?」

 「え?」

 ソアからの素朴な質問だったけれど、俺にとっては『死神』を思い出させるようなことだった。

 「ほら、走馬灯とか見えるって言うじゃん。私との思い出とかさ?」

 「ああ、それが不思議なものがみえたんだよね」

 「不思議なものって?神様とか天使とか?」

 「そいつは自分のことを死を導く者とか言ってて」

 「…死神ってこと?」

 「よくは分からない。はっきり見えたんだよね」

 「大きい釜みたいなの持ってた?」

 「釜?」

彼女はきっと、一般的に描かれる死神のイラストを想像しているんだろう。

 「普通の人間って感じだった。黒いロングコートみたいなのは来てたけど」

 「意外と普通なんだ。何か話した?」

 「ただ、迎えに来たとか言ってた」

 「死神が?じゃあ、本当に死ぬところだったじゃん!!」

少し涙を浮かべて、うるうるとした目で俺を見ていた。

 「うーん。でも、おかしいのが、彼女俺を助けたらしい」

 「どうして?」

 「よく分からない」

 「死神、女の人だったんだ」

 「え、あ、そう」

 突っ込むとこそこじゃなくないかと思いながらも、彼女は死神が女だったことに嫉妬した。そこもまたかわいいと思いつつも、すね始めた彼女を慰めた。



 「じゃあ、私帰るね」

 「泊まらないの?」

荷物をまとめて、玄関に向かう彼女。

 「緊急で帰国したから、会社のミーティング呼ばれてるの、明日」

 「そうか、悪いな」

 少しヒールのあるブーツを慣れた手つきで履く。長い髪の毛を耳に掛けて、玄関のドアを開く。

 「無事で良かったよ、本当に」

 玄関先でくるっと振り返り、ぷっくりした柔らかい唇を俺の唇に重ねた。彼女からキスをしてくれることは滅多にないこと。無性に愛しくなって、彼女を抱きしめずにはいられなかった。


 「息できないよ」

笑いながらも抱きしめ返してくれる彼女が更に愛しく感じた。

 「結婚したら、もっと一緒にいられるから」

 「約束だよ」

ゆっくりと体を離すと、

 「おやすみ」

また赤い車の方へ歩いていった。


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