これを不幸と呼ばないで
真鍋仰
第1話 奴隷になる
「あんたなんて、産まなければよかった」
目が覚めた。ぼんやりとした視界にはまだ暗い空が広がっている。何年も使い古した布切れがいつもならば体すべてを覆っているが、どうやら今日は違うらしい。
寒いな、と思った。肌を貫くような冷たさが時折、風という形でやってくる。
寝覚めが悪いことはいつもだが、こんな時間に目を覚ますのは珍しい。
レイエット・ストーンズは小柄な体躯を布切れで覆うようにしながら立ち上がった。ランタンに火をともし、その熱で凍えたての先を温める。
場所は公道の脇。中央大陸でもっとも大きいとされている国の国境付近だった。衛兵の見回りや国を訪れる行商人などがいてもおかしくない場所だったが、今は彼ひとりきりだった。
「わたしとしてはどうにも。助けが欲しいところなのですが」
そういえどもそれに反応するものはない。
路銀も底をつきかけ、食料も乏しく、動き回る気力もなくなりかけていた。
要約すれば、絶体絶命である。
「まあ、死ぬのはいいんですけれど、」
と、続けようとして。
ごっ、という音とともにレイエット・ストーンズは意識を失った。
見るからに汚らしい風体の男は目覚め一番にこんなことをのたまった。
「嬢ちゃん、今日からおまえさんは奴隷だ」
「わたしは男です」
レイエット・ストーンズは状況を理解できぬまま、反射的にそう返した。女にみられること、それが彼の最大のコンプレックスだったからである。
「男? まあいい。奴隷になることには変わりないからな」
「まったくよくありません。ところで、ここはどこですか」
男は目を丸くした。少し胡乱げな目でレイエットを見つめた後、少し考えこんで。
「ご貴族さまの生まれか」
「いいえ」
「なんだ。たいそう落ち着いているからこういう体験が多いのかと思ってな」
「あいにくと不幸な体質でして。何回かさらわれたこともあります。会話ができるだけましというものです」
男は少し困惑しつつも。
「まあ、安心しろよ。奴隷っつてもちゃんと働けば飯は食えるし寝床ももらえる。あんな場所を寝床にしているよりはましだろ」
「野宿するならあのあたりが一番だと思ったのですが」
「本当に変わっているな、おまえ。普通は町に入って宿を借りるもんだろ。昔よりもここらの宿代は安くなってるぜ」
いや、と男は続けた。
「こんな話をしている場合じゃねぇな。おまえ、名前は?」
「わたしをさらった人に名乗るというのもおかしいですが。レイエット・ストーンズです。レイと呼んでもらって構いません」
いつもならば握手のために右手を差し出していたが、両腕は体の後ろで縛られていた。
「調子狂うなぁ。俺はゲイド。人さらいが仕事だ。よろしくというのは少々おかしいが、よろしくなレイくん」
さもありなん。
レイエット・ストーンズの次の不幸は奴隷というものらしい。
中央大陸最大の国、ホースエイドでは奴隷という制度を設けている。奴隷と言ってもその扱いはある程度人権を守られた範ちゅうらしい。
たとえば、借金におぼれ、返すことができなくなった人を、衣食住を提供する代わりに過酷な労働を与える。そして、借金返済が完了すれば奴隷ではなくなる。
といったように、ある意味では奴隷というのはその国では一般的なものだった。
無論、奴隷落ちというのはどうしようもなく汚らわしいとされているようだったが。
「奴隷っていうのは、どんな国でも嫌われてる。最悪も最悪。どうしようもなく救いがなくて。どうしようもないほどにくずなシステムだ」
「でも、きみは人さらいでしょう」
「そうだよ。楽しいし、稼ぎもいい。だからやっている。俺がくずなことは否定しようがないさ。でもな、奴隷はよくないと思ってるんだぜ」
「まったく説得力がありませんがね」
「そりゃな」
ゲイドはそれ以上何も言わなかった。言ってほしい気持ちがあったが、レイエットはそれを問うことはできなかった。
「そら、着いたぞ」
問題なく門を通り抜け、しばらく歩いた先は大きな館だった。大きな国だから端のほう町なんてそこまでだろうと考えていたレイエットだったが、そんな考えが吹き飛ぶほどに大きな館だった。
きれいな柵で土地が囲まれており、入り口には数人の兵士が立っていた。館までの道は舗装されており、その左右は花々が生けられた庭が広がっている。
館自体も壮観で、門構えなどさぞ名のあるお方の住まいだと思わせる風格が確かにそこにあった。
「ここはここらの大地主であり、奴隷商でもあるお方の屋敷なんだぜ」
「説明ありがとう。すごいね。とても立派だ」
「これから売られるやつが口にする言葉だとは思えないね」
「わたしに値段なんてつかないからね。ゲイドには悪いけど、そういった理由でわたしは奴隷にはならない。というかなれないよ。いままで黙っていてごめんね」
何を言っているんだ、というような表情をしたゲイドだったが、門番の兵士に促され、レイエットとともに屋敷へと足を進めた。
「どうしてこうなった」
レイエット・ストーンズは考える。考える。何度も頭をまわして考える。
しかし、答えは思い浮かばなかった。
その答えを探して、隣の身なりのいい男の顔を見る。
「どうしたんだい、わが愛らしい君」
「わたしは男だよ」
「知っているとも」
「わたしは無価値だよ」
「いいや。うるわしく愛らしい、わが愛そのものだとも」
きらりと光るような笑顔。なによりもその男は顔がいい。端整な顔立ちと、身なりの良い服装。さぞ女に好かれる顔立ちだろうに。
レイエットは考える。どうしてこうなった、と。
これを不幸と呼ばないで 真鍋仰 @manabe-kou
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