【挿話】 三兄弟、集う

 外はまだ明るい時間だというのに、蝋燭の火が四隅を照らす。

 窓は一つもなく、木板の壁がぐるりと囲っていた。暗がりに浮かび上がる木目は、ところどころが人の顔のように見えて不気味だ。造られてまだ新しいはずなのに、じめじめと湿った空気が古い洞窟のそれを連想させた。

「……遅いな」

 そわそわと落ち着かなさげに膝を揺らし、男が呟く。

 肩幅広く、盛り上がった肉が耳の付け根まで達して四角張った頭を支えていた。月代を剃っておらず、米神から耳を半分ほど覆う黒髪はモサモサしている。いざ出陣ともなれば、左右に三連の銅環を通すのだ。本人曰く、六文銭の代わりらしい。

 本当は耳に通したかったのだが、半日程度で真っ赤に腫れ上がったので止めた。

 それでも諦めきれず、銅環の位置がピアスっぽく見えるようにモミアゲを伸ばした。モサモサ揺れて気になるのか、末妹の永姫にぐいぐい引っ張られるのが最近の悩みだ。

 まだ赤子だから仕方ない、と兄弟たちには慰められている。

 男の名は織田三介信雄。右大将・織田信長の次男坊である。織田姓を名乗っているが、北畠家の家督も継いだ。今は南伊勢の統治・管理を任されている。

「兄者、ちゃんと知らせたのかよ」

「当たり前だ。そんなことよりも、貧乏ゆすりをやめろ。鬱陶しい」

「これはな、兄者。鍛錬の一つ、すとれっちだ」

「ストレッチに貧乏ゆすりは存在しない」

 ふふんと顎をそらして言えば、冷ややかな目線が向けられた。

 信雄に比べれば細身で、女と見紛う顔立ちの兄・信忠。安土城完成と共に織田家の家督を継ぎ、日ノ本で最も影響力のある武将の一人となった。実質的な織田領は本州の半分ほどだが、信忠が統治を任されたのは美濃尾張の二国。父・信長は安土城へ移り、岐阜城を譲られた。尤も尾張国の統治は引き続き信興以下、叔父たちが担っている。

 つまり織田家の中心は今も、美濃尾張であるということだ。

 これは母方の祖父である斎藤道三の遺志だと聞いた。信雄たちが生まれる前の話をずっと覚えていて、必ず報いる義理堅さは武士として見習うべき心構えである。

「そもそも貧乏ゆすりってなんだよ。ウチは貧乏から程遠い……って、やあっと来たな」

 階段を慌ただしく駆け下りてくる音に、信雄はニッと笑った。

 赤提灯を手に息を切らせて現れたのは、信忠と信雄を足して半分で割ったような男だった。中肉中背で凡庸そうに見えるが、三兄弟の中で最もアツい男である。情に厚く、情熱家で、色々と重い。叔父たちと触れ合う時間が最も長く、機会も多かったせいか立派なファザコンに成長した。浄土真宗ならぬ浄土信長宗とかいう頭のおかしい宗派を生み出したのもコイツである。密かに生まれつつあったノブナガ教を習合し、仏教の一宗派としてそれらしくしたのだとかナントカ言っていた。

 信忠は頭が良すぎて何かおかしいし、信雄こそが常識人だと思っている。

 まだ幼い於次丸にはおかしな影響がないように、と願わずにはいられない。

「遅くなりまして申し訳ありません」

 提灯を脇に置いて、ぺこりと頭を下げる。

 その名は織田信孝、またの名を神戸信孝。織田家の三男坊にして北伊勢の統治を任されている……のだが、伊勢国の実質的な管理人は織田信包だったりする。しかし信包は、信長に万が一が起きた時のスペアだ。ほとんどの場合で戦に出ることを禁じられ、内政面での働きに徹している。

 戦(だけは)巧者の信広がいるので必要ないだけかもしれないが。

 信長の兄弟はそれぞれの得意な分野でもって、織田家を支えてきた。

 これからの時代は信雄たちが同じように、信忠を支えなければならない。というのは、幼い頃からウンザリするほど聞かされてきた。なんでもできる信忠の傍には義弟・氏郷をはじめとする有能な側近がいる。彼らの活躍が派手すぎるため、信雄の影は薄くなる一方だった。

 ここらで一発、名を上げたいと思うのは当然の心理だと思う。

「三七。兄者を待たせた罰として、理由を言え」

「双七丸の最終調整でちょっと問題が……あ、急ぐ必要はないって話でしたよね。尼子衆に国を与えるのはもう少し先にするって」

「ああ。父上は、猿により多くの戦果を重ねさせる腹積もりなんだ。尼子衆は父上に忠誠を誓っているけど、羽柴の参謀に両兵衛がついたからね。播州・備州の情勢がある程度見えてくるまでは動かさない方がいい」

 両兵衛の辺りで、信孝の表情がなくなった。

 今孔明と名高い竹中半兵衛、クロカンの愛称をいただく小寺官兵衛の二人のことをメチャクチャ嫌っているのだ。どちらも軍師として高い能力を持ちながら、信長に従わなかった稀有な者たちである。信忠に言わせれば「半兵衛は違う」らしいのだが、その頃は伊勢国から出られなかった信雄たちには知るべくもないことである。

 半兵衛が信長の傍にいれば、斎藤道三は死ななかったかもしれない。

 官兵衛に至っては政務中に乱入して暴言を吐き、隠居を迫ったと言われている。隠居云々は重臣から止められていただけなので、決断を後押ししたというのが正しい。ああいう諫言ができる者は貴重だ。信長の片腕であった織田信純がいない今、せめて官兵衛くらいは傍に置いておけばいいのにと思わなくもない。

「波多野家のこともあるしな。で、ダブルセブンに問題って何だよ」

「そっちは爆弾正殿が片付けますよ。……それと、船の名は双七丸です」

「はいはい。で?」

「原因は判明しているので、時間と金があれば解決します。頭の中まで筋肉が詰まっている兄上に説明しても、お分かりになれないかと」

「んだとぅっ」

 思わず腰を浮かせかければ、信忠が「やめなさい」と一言。

 この場所で騒ぐのは得策じゃない。わざわざ側近や護衛まで排した密談の席だ。案内が来たのは半月前のことだが、信雄だってここまで辿り着くのに少々苦労した。騒ぎに気付いたやつらが大集合したら面倒くさいことになる。

 渋々座り直せば信孝が竹筒に口をつけていた。

「柑橘の香りがする。おれにも一口」

「お断りします」

「……三介」

「ちっ。鉄甲船の事なら俺も聞いてる。急ぎじゃないが、秋までにはって話だったろ。兄者が密かに毛利家とやり取りしてるって聞いたら、話が違うって騒ぎそうだもんな。あの鹿頭」

「村上水軍がまだ健在だからね。瀬戸内は後回しでいいと思う。尼子衆……というよりも勝久殿は今、活版印刷で忙しいから大丈夫さ」

 そう、活版印刷。

 織田領の識字率が急上昇した理由でもある。

 木版印刷を独占してきた五山から再三文句を言われているらしいが、ウチの印刷技術はとっくに木版を卒業している。そっちの真似をしているんじゃないし、技を盗んだわけでもなく、南蛮渡来の全く違う系統だと説明してある。頭の固い坊主どもは当然全く納得していないが、知ったことじゃあない。

「ああ、カラー印刷ですか」

「親父殿のぽろりか……っと」

 信孝が睨んでくるので、信雄はわざとらしく手で口を覆った。

 織田家が短期間で急成長を遂げたのは、間違いなく信長の功績だ。尾張国に有能な人材が多く集まっていたからこそだ。そして同じことをやれと言われても無理だ、と信雄は言いたい。そこまで期待されていないのは分かっていても、周囲からの重圧プレッシャーはなくならない。

「染色法について議案をまとめるように言われてたんですけど、叔父上たちも好き放題やり過ぎじゃないですか? まだ父上が隠居宣言してから一月しか経ってないんですよ。なんでもこっちに投げてきて、仕事が溜まる一方です」

「ああ、うん。仕事……仕事、ね。そこは私も何とかしてみるよ……」

 信孝の愚痴を聞いていた信忠が若干煤けている。

 ここで信雄は賢く黙っておく。内政が嫌いなのは兄弟共通の思いかもしれない。うかつに口を挟めば、こっちにお株が回ってくるのは明白。

 輪投げにサッカーに遊びまくっていた少年時代が懐かしい。

 家督相続した途端に大量の仕事が舞い込んでくるなんて、誰が想像できる? さすがに信忠は元服後から内政面での教育が始まっていたらしい。礼儀作法も濃姫から再教育されたという。正五位下に叙された際には、その貴公子ぶりに京女たちもこぞって見惚れたとか。

 正室を迎えたのに、娘をあてがおうとする公家衆が殺到したとか。

 茶道の大家として名を知られた織田有楽斎こと長益がいたおかげで、とりあえず何とかなったらしい。確か殺到した公家衆の中に「今川氏真」がいたはずだと思い出す。

「兄者よ」

「うん?」

「氏真は蹴鞠がしたくて、わざわざ安土城まで足を運んだのか? 挨拶するだけなら京で話したんだから十分だろ」

「今日集まったのは、まさにそのことなんだ。どう思う、三七」

 話を振られた三男坊はひょいと肩をすくめる。

「まあ十中八九、徳川の差し金でしょうねえ。ここのところ失点続きですし。悪巧みが得意な方の本多にでも唆されたんじゃないですか?」

「私もそう思う。父上はその……そういう細かいところを気にされないから」

「なんだよ、蹴鞠は口実だってのか?」

 信雄は眉間に皺を寄せて唸った。

 蹴鞠は公家の遊びだが、サッカーは違う。ボールがあればどこでも遊べる。息が切れても走りまくって、ボールをめぐってぶつかり合って、最後は互いの奮闘を讃え合う。たとえ明日には刃を持って殺し合うとしてもボールを追いかけている間は別なのだ。

 織田家を武で支えると、信雄は誓っている。

 田楽狭間において、織田家は武によって今川家を下した。だが信長が蹴鞠やサッカーでの試合を提案したのは、そういった遺恨はここまでにしようという思い故ではないのか。

「口実だけど、本音でもあると思う」

「ホントかぁ?」

「三介兄上が方々でサッカー自慢するから対抗意識を持たれたんですよ。今では輪投げが女子の遊び、サッカーこそ男の遊戯と言われていますから」

「なんだよ、サッカーはすげえだろ」

 輪投げとサッカーで伊勢衆をまとめ上げたといっても過言ではない。

 信雄のおねだりに負ける形で、北畠の祖父がチーム監督になってくれたことが大きい。風変わりな軍事訓練として古参ジジイどもを巻き込み、結果的に団結力が増した。織田チームのメンバーには伊勢衆の何人かを入れる腹積もりだ。

「それに、おれは蹴鞠をばかにしたことはねえ!」

「相手もそう思ってくれているかどうかですよ」

「きっかけは今日での蹴鞠会だろうね。源五郎叔父の声かけがあったとはいえ、そこそこの面子が集まった。氏真殿……宋誾殿にはまだまだ今川家としての威光が残っていると考えたんじゃないかな」

「威光、なあ」

「源五郎叔父もお忙しい方ですから、代わりを務められると夢見たのでは? それに今川と織田の禍根がなくなったとなれば、北条もやり方を変えてくるでしょう。徳川としても、公家衆との繋がりができるのは損になりません」

「そんなわけだから、絶対に成功させなければならないんだ。分かるね、三介?」

「分かるけど分かりたくねえ」

「蹴鞠大会は父上の意向ですよ」

「サッカー王になるんだろう? できる限りの支援はするから、上手く盛り上げてほしいんだ。三介の嫌いな裏の事情は、こちらで何とかする」

「……そうですね。徳川殿には今一度、さしあげた方がよいかと」

 信孝が冷たく笑う。

 三方ヶ原でのことを未だに怒っているのだ。信長がわざわざ事前に忠告したにも関わらず、多数の死者を出して大敗した。織田方から援軍として従軍した者らも戦死した。信雄にしてみれば「仕方がなかった」部分も多々あると思うのだが、結果的に「忠告を無視」した形になった事自体が許せないらしい。

 それと井伊直虎の件だ。

 三兄弟は異なる腹から生まれたが、濃姫を母として敬い慕っている。信長が迎えた二人の側室は、濃姫が認めたうえで織田家に入ったのだ。そもそも信長は男女で差別しない。ヤル気があって、仕事ができるのなら身分出自年齢を問わない。

 一度は城主として認めた者を織田家の側室に、などと。

 濃姫はもちろん、信長が認めるはずがないのだ。当の本人は満更でもなかったらしいが、信長の人柄に直接触れたせいだと思っている。信雄たちの父は、天性の人たらしなのだ。

 噂によれば、正親町天皇すらも好意的な感情を抱いているという。

 事実上崩壊した室町幕府にかわって、織田家に「天下」を統治してほしいと考えている。右近衛大将に任ぜられて以降、そんな声がそこかしこで聞こえてくるのだ。子供時代からの付き合いがある徳川家康としては、心身穏やかではあるまい。

 信長が口を滑らせたことにより、織田家の次は羽柴家が台頭してくる。

 うかうかしていると徳川家は羽柴家の傘下に入ることになってしまう。源氏の末裔を気取る彼らが、元農民に膝を折ることを良しとするだろうか。信雄だって武士の意地がある。家康だってそうだろう。

「置いてけぼりをくわないための、氏真か」

「おそらくは、ね」

「それで。三介兄上に蹴鞠大会を一任したと聞いたのですが、大丈夫なのですか?」

「どういう意味だこらぁ!」

「蹴鞠とサッカーは違うんですよ、分かっておられますか?」

「分かってる。んで、どっちもやる。事前に告知するから、知らなかったなんて文句は言わせない。そしてサッカーを日ノ本中に広めてやるんだ! 目指せ全国大会!」

 うおおーっと盛り上がる横で、信忠が信孝に耳打ちしている。

「父上が、新しい儲け話を思いついたみたいなんだ」

「なるほど。収入源が確保できるのなら、問題ありませんね」

「団体と個人に分けて、人気投票みたいな要素も組み込むらしくて」

「……ああ、そういうことでしたか」

 造船は金食い虫だ。

 叔父たちから研究部門を引き継いだ信孝は、財政面に厳しかった。もしかしたら秀吉の弟に何か言われているのかもしれない。今の織田家は確かに、貧乏とは程遠い莫大な資産を抱えている。と同時に毎年巨額の支出で頭を悩ませている。

 代替わりして黒字が赤字になることを懸念する家臣も少なくない。

 だからこそ信雄がサッカー王になるのだ。サッカーで日ノ本を変えることができれば、バカらしくて戦なんてする必要がなくなる。戦以外でも活躍できる場があると分かれば、信雄に賛同してくれる者もきっと現れる。

 織田家は敵に容赦しないが、信長は敵とだって手を結ぶ。

 恩知らずの武田はともかく、上杉や毛利に本願寺だって信長の「友」だ。本来なら言葉が通じないはずの南蛮人も、信長を慕っている。その血を引く信雄が、やってやれないはずはない。

 昨日の敵は今日の味方だと、信雄は信じる。

「やってやる。やってやるぞ!!」

「三介うるさい」

「兄にむかって呼び捨てするか!?」

「だってうるさい。ここ、すごく音が反響するんですよ」

「天守閣の地下だからね。又十郎叔父上によれば、ここも甘味蔵にするらしいんだ。監視も厳重になるし、内緒話にはちょうどいいよね」

「またここに集まるってことですか。はあ、了解しました」

 ため息交じりに信孝が立ち上がったのを機に、それぞれ入口へ向かう。

 地上へ戻る階段に足をかけたところで、後方から声がかかった。

「信孝」

「はい?」

「桔梗殿は変わりないか」

「ええ、日々真面目に務めておられますよ。潔癖すぎるきらいがあると聞いていましたが、父上の近侍おためし期間を終えてからは『話しやすくなった』と。ああ……それと、猿殿が父上のお気に入りであることは気に入らないみたいですね。小姑のようだと蘭丸が言っておりました」

「おまゆう」

 お前が言うなの略だ。信雄お気に入りの単語である。

 蘭丸は森家の三男坊で、信孝と張り合えるくらいの信長信奉者だ。戦闘狂で名の知られた家柄のわりに、紅顔の美少年なので城女中たちにも人気が高い。信長の後をついて回る賢明な姿が、たいそう健気でかわいいらしい。

「兄者、桔梗殿って呼び方なんとかならねえのか。母上と聞き間違えそうだ」

「父上の真似をして、金柑と呼ぶわけにもいかないだろう?」

「金柑は体に良いですからね」

 なるほど、先に信孝を巻き込んだのか。

 信雄は若干面白くない感情を抱えつつ、それを吐き出さないだけの分別は持っていた。

 桔梗殿、金柑と呼ばれる男の名は明智十兵衛光秀。美濃出身の文官、将軍家に仕えていた頃は何かと信長に突っかかっていたことで知られている。今ではすっかり信長信奉者の仲間入りをした、と重臣たちから嫌味を言われる。心変わりが早い者は裏切りやすい。

 信忠が警戒するほどの相手、ということか。

 仲間外れは面白くないが、これから面白くなる予感がした。

「三介兄上、何を笑っているんですか」

「兄上は本当に、父上の真似っこが好きだよなあ。父上たちが集まっていた古寺はもうないから、仕方ねーのかもだけど」

「なっ、これは真似じゃないよ。たまたま、こういう場所があると知って」

「あーはいはい、そういうことにしておきますね」

「違うって!」

「だから、うるさいんですよ」

「やーい、怒られた」

 信雄が囃し立てれば、信忠は黙って肩をすくめる。

 その手がゆっくりと地下室の扉を閉めた。そして四隅の蝋燭は、静かに燃えていた。





********************

於次丸はまだ小さいので不参加。

お冬と氏郷には遠からず見つかりそう

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