240. 軍神様がみてる

 冬はやっぱりカニである。

 しみじみと実感できたのは最初の十日ほどで、残りはほぼ仕事でした。定番の塩ゆでカニ、カニすき、焼きガニ、甲羅焼を一通り堪能して、新年を迎える前には帰ろうとしたら帰れなかった件について。

(北陸の冬をナメてた)

 よくもまあ、軍神はほいほい遠征に出向いていたものだ。

 美濃北部もかなりの豪雪地帯だが、インフラ整備が進んでいたおかげで街道の除雪作業も捗るようになっていたのを忘れていた。越前の沿岸部は潮風に晒されるが、これも尾張国南部に共通しているから驚かない。

 問題は山だ。

 目印にできるものが少なく、苦労して作った道は一刻足らずで消える。そうでなくても長旅に慣れていない子供連れでは危険すぎた。

 まあ、それでも一旦帰ったんだけどね。

 冬の味覚堪能している場合じゃなくなったから。

 そして俺の前には、畳に額をこすりつけんばかりに平伏する本願寺法主の姿があった。俺が越前国に滞在中と聞いて、すっ飛んできたらしい。入れ替わりに勝家と長秀が加賀国へ向かった。義景が救援物資をたっぷり持たせていたところを見ると、俺以外の皆が凡その事情を知っていたんだろう。

 ちなみに、最初は平伏していなかった。

 堂々と、いっそ不遜なくらいに「殴れ」と言ってきたので全力スルーした結果がこれである。以前の俺なら早々に折れて――そして殴った手の痛みに悶絶して――いただろうから、忍耐力や諸々の精神力が鍛えられた結果だろう。織田軍はチート揃いだが、癖も強い。うっかり胃痛キャラにならなかったのが不思議なくらいだ。

「すまぬ。結局、織田殿の手を借りることになってしまった」

「お互い様だ」

 気にするなとか、こっちにも非があるという言葉は飲み込んだ。

 早い段階で加賀国への介入を決めていれば、もっと救えた命はあったかもしれない。利家についていった盛政の報告によれば、想像を絶する酷さだったらしい。農民の農民による農民のための政治は、全くと言っていいほどに機能していなかった。詳しい実情を知らず、そういう感じかと把握していたつもりになっていた自分が恥ずかしい。

(しかも最低限の報告しか上がってこなかったのは、他の地域を優先したい側近連中の思惑があったしな。……忙しかったから後回しにした、なんて民には聞かせられない言い訳だ)

 そんなわけで俺主導の全力支援発動。

 雪道に大八車は使えないので、雪車そりを用意した。

 構造は単純だ。雪との接触部分を研磨しまくったら滑りがよすぎて馬が要らなくなったが、走り出したら止まれないという問題が浮上した。馬用かんじきも改良が進んでいるが、小型の雪車はほぼ人力で運ばれている。

 大量に余っていた油紙はむしろ足りなくなって、追加で作ることになった。

 雪が解けたら、越前で食べまくったカニの甲羅を田畑に撒く予定だ。甲殻類の殻は栄養価が高い。粉末状にして少しずつ撒いて、しっかり土と混ぜ合わせれば次第に馴染んでいくだろう。貧困であえいでいる民のことを思うと、カニ三昧な日々に罪悪感がなくもない。

 いやあ、麦芽糖の開発が間に合ってよかった。

 規模が規模だけに、炊き出しの手配にも時間がかかる。だが命は待ってくれない。雪の中で火を起こすのは容易じゃあない。さすがに蜂蜜飴を全ての民に配るわけにはいかず、さりとて手軽に栄養補給できそうなブツが大量に必要だった。

 というわけで麦芽飴。

 ビールが飲みたくて麦芽の話をしてみたら、何故か水飴が誕生していた。

 相変わらず俺の弟たちはチートだ。希少な蜂蜜と違って、大麦は十分な蓄えがある。蜂蜜ほど強烈な甘さがなく、丁寧に濾してアク取りしたおかげでキレイな宝石にも見える。食べ物に見えないかも、という心配は杞憂に終わった。

 利家は今後、加賀国全体の復興に向けて尽力することになる。

 知らなかったとはいえ、さすがに無茶振りしすぎたかと……少し反省している。

「顕如も手を貸してくれるんだろ?」

「無論。我らは石山本願寺に戻ることになるが、加賀の民を救わんとする前田殿の一助になりたいと思っておる。愚息にとっても、良い機会となろう」

「俺の影響下からの脱却を狙っていたと聞いたが」

「……そのことであるが」

 何やら居住まいを正す顕如に、嫌な予感がする。

「耶蘇教を正式に認めるという話は真か?」

「ねえよ」

「安土に教会を建てるという話は」

「ないっつの。建てる予定なのは菩提寺。真宗じゃないってだけで、仏教の寺なのは変わらねえよ。キリスト教に改宗した奴は、そっちに救いの道を見つけたってことだろ。施政者として人心掌握が重要なのは理解しているが、宗教観念まで縛るつもりはねえ」

「しかし」

「顕如、人間は弱い生き物だ。いつ来るか分からない救世よりも、目の前の幸福に手を伸ばしたくなる。今、辛いのを我慢すれば楽になる。それは修行でも何でもねえ。現実からの逃避。生きることへの諦めだ。死にたい、死にたいって思うことのどこに救いがあるんだよ」

 顕如には顕如なりの考えがある。

 だが顕如は心身ともに強い。だから弱者を救いたいと考えるし、積極的に行動できる。だが心と体のどっちかが弱かったり、どっちも弱かったりする人間に同じことはできない。顕如の教えをそのまま理解することも難しい。

 顕如は加賀国で、己の無力さを痛感したのだろう。

 そして息子の教如や坊官たちに任せてみたのだろう。浄土真宗の開祖と伝わる親鸞聖人だって、多くの弟子を抱えていたと聞く。そいつらが全員、親鸞聖人の教えた通りに忠実に生きられたかどうかは分からない。

 真宗教徒が爆発的に増えたのは、その教えが分かりやすいからだ。

 この時代には「死」が溢れ、それが当たり前になってしまっている。死ぬことを推奨する神や仏が本当にいるのなら、それは邪神か何かだろ。

「…………あ。神で思い出した」

「ぬ?」

「加賀国はこのまま、真宗を定着させようとは思ってる。一向宗として排除しちまったら、一揆の再発を招きかねないからな」

「織田殿は一向宗と真宗が異なるものと理解しているのだな」

「そりゃまあ……似たようなの、知ってるし」

 ふいと目を逸らす。

 仏教に限らず、過激派というモノはどこにでも存在する。

「そんでな。早々に加賀国の動乱を収めたかった理由の一つに、越後の軍神のことがあるんだ。上杉家――っつーか、長尾家?――の一族が、一揆衆に殺されたらしくってな。越中国でのゴタゴタは虎のおっさん――武田信玄のこと――が一枚噛んでて」

 まあ、そりゃもう何度も何度も何度も侵攻を繰り返していたと聞いた時には頭痛と眩暈を併発した。川中島かよ。執念深いにもほどがあるだろ。龍は蛇の上位互換だからか。ランクアップしたんなら、高尚なアレソレな上から目線で見逃してやれよ。

 っと、法主顕如様がみてる。じっと見てる。

「あー、ほれ……北陸の情勢が大きく変わったんで、能登の奴らがな。っていうか、家臣の一人の親戚の親戚が親父殿と繋がりがあって、別の家臣は越中の動乱にも関わってて。そんで、越中は上杉領になっただろ? じゃあ次は加賀か、能登かって」

「成程。かの地が戦火に巻き込まれるか」

「できれば避けたい」

 せっかく利家に加賀一国を与えたのだ。

 今までの貢献度を考えたら城の一つや二つじゃ足りないと思っていたし、前田家先代からの確執は完全に消えたわけじゃない。美濃尾張を守るために、周辺をきっちり固める必要があった。利家はあれで記憶力がバカみたいに優れているし、俺の考えをよく理解している。本家よりでかくなってしまったが、これからは加賀前田家を名乗ればいいい。

 能登を含めた周辺諸国にも上手く対応できるだろうと、そう思っていた。

(七尾城の戦いがあるの、忘れてた)

 軍神に勝家がコテンパンにされるやつだ。

 加賀国における七尾城の位置からして、上杉軍の猛攻が予想される。しかもこれ、どういう経緯で起きた戦なのかを全く思い出せない。

(勝家ほどの戦巧者なら、軍神に狙われても仕方ないんだが)

 戦狂いと噂される謙信だが、何もないのに戦を仕掛けたりはしない。

 必ずそこに理由がある。軍勢を動かすには、皆が納得するだけの大義名分が必要だ。つまりは宿敵信玄を喪った軍神が、魔王に矛先を向ける可能性。

 マジで勘弁してほしい。

「まさかと思うが織田殿、上杉を怒らせたのか?」

「してねえよ! 今……能登国の、畠山家臣が分裂しててな」

「織田と上杉にそれぞれ助けを求めた、と」

「ウン。巻き込み事故いくない」

「喝!!」

 突然の大音量に、思わず数センチ飛び上がった。

「助けを求める手を取らぬなど、織田殿らしくもないっ」

「加賀を戦火に巻き込むなって言った口で、焚きつけてくんじゃねえよ!! 勝っても負けても面倒なことになるに決まってんじゃねえかっ」

「戦をせずに加賀国を手中に収めたではないか」

「軍神相手に戦しないで終われるなら、どんな奇跡だよ!?」

「盟友なのであろう?」

「同盟は組んでない。あと……勅命で、武田と講和条約結んだ」

 顕如は沈黙した。俺は頭を抱えた。

 軍神・上杉謙信から宣戦布告の文が届いたのは、それから数日後のことだった。





********************

顕如は仏法僧としては高潔だったが、統治者の器ではなかったという認識です。民に混ざって汗水垂らすことはできたかもしれないが、坊官たちから全力で止められたとか何とか。

次男・顕尊(14)はもうすぐ出家します。

三男・准如はもうすぐ生まれます。


ノブナガ発明品「雪車」...丁寧に研磨したスキー板に大きな木箱を乗せたもの。通常は馬などに引かせる

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