238. その覚悟のない者だけが石を投げよ
天正二年、秋――。
俺は二条城にて、播州・若州の諸将らの挨拶を受けていた。
若州、若狭国の武田氏の本流である安芸国の武田氏は、毛利元就によって滅ぼされた。そして甲斐国の武田氏は俺が滅ぼすと宣言したのもあって、慌ててご機嫌伺いにきたのだろう。播磨国の浦上は直家絡みだろうし、赤松は追放将軍の縁者、別所は秀吉との因縁がある。
深々と頭を垂れる面子を一瞥し、内心で舌打ちをする。
(くそっ、直家め。タイミングを図ってやがったな)
奈良から京へ戻ってきたのは、全くの偶然である。
朝廷から再度の呼び出しがあったので、相国寺から二条城へ移ってきたのだ。京屋敷は只今改修中で、将軍不在のままにしておくのも勿体ないからと二条城で泊まることになった。やっぱり周りに示しがつかないから官位授けるねとか何とか言われて、正四位下参議へ昇進。めでたく公家への仲間入りである。弾正大弼になってから数か月しか経っていない。秀吉もびっくりのスピード出世である。全然嬉しくない。
(将軍不在の今、俺に官位があるとイロイロ便利なのは分かるが。……くそお)
アリガタク承った俺に追い打ちをかける形で、岐阜城の信忠から報せが届いた。
武田軍が懲りもせずに東美濃の国境を脅かしてきたので、適当に追っ払ったという。岩村城には信直が詰めていて、周囲に睨みを利かせている。それでもちょっかいを出してきたのは、信忠がわざと防衛ラインの隙を見せたから。
『この程度の罠に嵌まるとは、若虎も相当焦っているようです』
若虎とは勝頼のことだろう。
軽く嘲弄しているように見えて、信忠なりに彼を評価していたのだと分かる。そして甲斐・信濃の国人衆は、徹底抗戦と降伏論で二分しているらしい。故郷を離れて死ぬまでこき使われるなら、武士らしく戦って死んだ方がマシだという主張に首を傾げた。
いや、働かないとダメだろ。
敗戦の将が降伏後に異動させられるのは、その領地の状況にもよる。仲良すぎて密かに謀反を計画されても困るし、引き続き圧政で苦しめられるのもいただけない。領主の異動は支配者が変わったことを一番理解しやすく、民の反発を招きやすい。
だから基本的に異動させない。
別の仕事を与えて、長期出張させることはあるが。
さて眼前の奴らの腹積もりはどっちにあるだろうなと顎を撫でる。
「播州は長らく戦乱が続き、民は疲弊し、土地が痩せていると聞く。信長に臣従の意を示すということは、織田のやり方に従うということでよいか?」
「もちろんでございます」
「美濃尾張の豊かさは三国一と聞いております」
「それだけではありません! たった数年で畿内の状況を改善されたとか。田畑が美しいと感じたのは初めてでございます」
頑張ったのは、うちの側近たちと領民だけどな。
まだ稲田が金色に輝くには早いとはいえ、たわわに実った稲の穂が風に揺れる様は壮観だっただろう。人や馬の糞尿も貴重な肥料になる。火薬の材料である
道を整備すれば、多くの人々が使う。小石や小枝、木っ端に落ち葉も貴重な材料だ。民は、これらを拾って集めて小銭にする。俺たちは何もしなくても色々な素材が集まる。うーん、エコって素晴らしい。
「いやいや、他にも――」
その後も織田賛辞は延々続いた。
満足したらしいオッサン連中が帰った後、ぐったりと脇息に凭れかかる。一生分の褒め言葉を聞いた気分だ。他国の者からの視点は貴重だというのに、若干盛られている気がしてならない。とりあえず織田の技術を熱烈に希望しているのは伝わった。
「意外だねえ。あの程度の美辞麗句は聞き慣れていると思ったのだけど」
「ぬかせ」
俺がじろりと睨んでも、どこ吹く風の直家だ。
やたらガン見してくる鉄面皮は黒田孝高。
近いうちに担当者を派遣すると言ったら、どうぞお使いくださいと二人を残していったのだ。それぞれの主君である
「随分嫌われてんな」
「さすがに自覚はあるよ。誰かさんと違って」
くつくつと笑いながら言えば、直家は軽く肩を竦める。
成り上がるには運と実力が必要だ。下克上するなら謀反を起こすのが手っ取り早いが、後始末が大変だ。爆弾正や直家のやり方は回りくどいが、領民への影響を抑えられる。傀儡政治は人形が糸を切る危険性を常に孕んでいる。
「んで、そっちがクロカン」
「小寺官兵衛」
「…………」
「彼の父君である職隆殿は小寺家の養女をいただいて、小寺姓を名乗ることを許されているんだよ。だから
「で、あるか」
直家が代わりに説明しているのに無反応の男を見やる。
双方の身分差を考えれば、ここで口を開かないのは当然かもしれない。奴の主君である小寺家は赤松の分家だが、その赤松家は将軍追放のあおりを受けて地位がグラついている。そこを播磨攻めの口実にされてはたまらないと考えたのだろう。俺との謁見中も、赤松家の現当主殿はやたらと小寺政職を気にしていた。
「異様に怯えていたように見えたのは気のせいか?」
「うーん、そうだねえ。もうすぐ出雲国が織田領になるっていう話はしたかな。というよりも、それしかしていないけれど」
俺は思わず半眼になる。
毛利家からの返答はまだだ。信忠をはじめとする家中の者には「返事があるまで待て」と言い含めている。まずは越前ガニ、もとい越前国と隣接する加賀国の状況を確認しないことには西へ集中できない。東は信忠が意欲を見せているものの、上杉・北条が未だに沈黙しているのが不気味でならなかった。
「生温い」
「あ?」
「人生五十年と謳うなら、決断は迅速に行え。神速を誇る織田軍が聞いて呆れる」
この時代だからか、眼光鋭く睨みつけてくる男は多い。
武家の嗜みとして鍛錬を欠かさないから、体つきもがっしりしている。中には俺のように、生まれつき細身タイプもいるにはいるが。軍師として伝わる黒田孝隆はいかついタイプだった。端正な顔立ちなだけに、表情がなさすぎて怖い。
(なんだか、サイボーグ吉兵衛の鋼鉄版みたいな感じだな)
新時代の到来である。ロケットパンチはいいものだ。
と軽く現実逃避したところで、俺はゆるゆると時間をかけて溜めた息を吐いた。大した情報通だと褒めてやるべきかどうかを、ちょっとだけ悩んでしまった。身内の部分に誰が入るのかはともかく、今の俺に友達と呼べるものはほとんどいない。信純は去っていったし、暗にボッチ野郎って揶揄われてんのかな。
「俺を怒らせても何も出ねえぞ」
「……チッ」
「舌打ちすんな! これでも決断の早さと判断力には定評があるんだぞ」
「才ある者を見抜き、使い倒す能は認める」
「直家。俺は褒められてるのか? 褒め言葉なのか、これも?」
「あはは……」
「能ある者を使う才があり、運気を引き寄せる星の下に生まれながら、己の弱き心を理由に知識を出し惜しみする者は、嫌いだ」
「直家」
「こういうの、信長様の周りにはいなかっただろう?」
確かにそうだ。
俺を睨みつけながら、はっきり「嫌いだ」と言う奴はいなかった。だから直家はこいつを連れてきたんだろうし、こいつもズケズケ言いやがる。怒らせるつもりというよりも、激怒してもおかしくないと分かっていながら、正直な感想を述べているようだ。
「貴様は天下に最も近い。だが天下人になれば世界を滅ぼしうる存在だ」
「ほう」
世界を滅ぼすとは大きく出たものである。
それを望んでいる男の存在をクロカンが知るはずもないが、後世に名を残す名軍師の慧眼をもってしても俺は天下人に相応しくないらしい。怒るどころか納得してしまう。息子の信忠ならまだしも、俺に天下人が務まるとは思えない。
だが直家は違ったようだ。
「君ね、前もそう言っていたけれど。信長様ほど民を想うお方はいないよ?」
「だからこそだ。これまでの価値観を破壊し、戦の概念を塗り替え、商人たちの中にあった垣根を取り払った。異国の文化にも造詣が深いと聞く。古き考えを捨て、新しき風に乗ろうと考える者も多い。大きな変化は嵐と同じだ。全てを薙ぎ払い、押し流していくだろう」
「そして何も残らない、と。そこまで見えているくせに『さっさと事を起こせ』と言うのは矛盾しているようだが?」
「貴様がやると分かっていれば、いくらでも対策ができる。既に変化の波が来ているのだ。怖気づくだけ時間の無駄だ」
こいつ、後始末は任せろと言っている。
愛想ないくせに甲斐性はあるとか、男前すぎるだろ。
「やだイケメン……!」
思わずきゅんとしてしまった俺を見て、直家が軽く引いていた。
なんだよ、男色なんて珍しくもないだろうに。俺はノンケだから、そもそもクロカン相手にそのケを起こしたりしない。新しい扉を開くくらいなら、見境なしの女好きでいい。
「だが、欲しいな」
「信長様ならそう言うと思ったよ」
「……何の話だ」
分かっているくせに、クロカンだけが不機嫌そうである。
優秀な人材を求めているのは俺だけじゃない。混迷を極める乱世だからこそ、才ある者を手元に置いておきたい。そいつに寝首を掻かれるんじゃないかと怯える奴には勿体ない。
「直家」
「何かな?」
「条件付きで、織田家の臣従を認める」
「えっ」
大げさに肩を揺らすので、脇息を抱えたまま目を眇めた。
直家がクロカンを連れてきたのは、織田家に引き入れるためだろう。しかし手土産にしては豪華すぎたな。勿体ないから、前倒しで秀吉のところに向かわせる。
雉と犬と猿はいるから、クロカンが桃太郎枠だな。
近い将来、西国の鬼とでも戦ってもらおう。
「何を驚く、宇喜多の。貴様が熱烈に望んでいただろ」
「それは、そうだけれど。条件の方になんだか嫌な予感がするよ」
「そこの鉄面皮と手を組んで播州一帯の」
「承知した」
「制圧を、命じる。以上だ」
「ああもう、分かったよ。将来的に毛利家ともやり合うことになるけれど、その辺りは当然考えてあるんだろうね」
俺はむっすりと沈黙したまま、答えなかった。
今のは単なるノリでぶちかましたのであり、この先はノープランだなんて……怖くて言えるはずもなかった。
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ノブナガをほぼ正しく認識できているクロカンと、毎回驚かされているせいで深読みしすぎて過大評価している謀聖と、後は任せろなんて言われたことなくて浮かれているノブナガと
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