【挿話】 奇妙丸、天下取りへの意欲を示す
長い大名行列の最後尾が岐阜城を出たのを見届けてから、信忠は本丸へ戻った。
今日は私用で使えるようになった部屋の一つに、客を招いているのだ。
二年前に元服して以降、濃姫や松姫のいる二の丸から移ってきた。聞くところによれば、この岐阜城は信忠が城主になることを、父・信長は随分前から決めていたらしい。というよりも美濃国は帰蝶の実子であり、斎藤道三の孫にあたる信忠こそ相応しいと考えていた。
「龍興も蝮の孫なのに」
「いいえ、私は今の生活が性に合っておりますので」
柔らかな微笑みを浮かべる男は年を重ねて、仄かな色気が漂うようになった。
信長に稲葉山を追われて落ち延びた後にどういうわけか、信長の弟・長益に匿われていたと聞く。色々あって織田家臣となり、今は美濃長島城主として忙しく働く日々だ。
早い段階で治水工事に力を入れたおかげで、洪水被害もほとんどない。
水稲以外にも茶に豆、綿栽培が積極的に行われている。特産品の一つである茶渋染めは、長島に立ち寄った時に信長が気に入った品と言われ、落ち着いた色味が茶人たちにも好評だとか。岐阜城では茶殻で炊いた飯が供される日がある。これも内津や長島産の茶葉だ。
美食家と名高い信長が、普段は粗食を貫いているという話はあまり知られていない。
『贅沢に舌が慣れると根っこから腐る』
真面目な顔でそう脅すものだから、幼い信忠は震えあがったものだ。
女たちがよく好む蜂蜜も、信忠には甘すぎる。信長は砂糖の普及も視野に入れているらしいが、それこそ甘いものの食べ過ぎで虫歯になるのではないだろうか。歯が虫に食われると、引っこ抜くしかない。砂糖を広めると同時に歯磨き習慣を徹底させ、衛生面の向上を目指しているのではないかと信忠は睨んでいる。
父は一石二鳥、三鳥の策を講じるのが得意だ。
常識に囚われない自由な発想は、織田家に仕える策士たちも舌を巻く。それなのに本人は自分の功績として認めたがらない。そこが信忠には不満だった。
「龍興、君は父と戦ったことがあるよね? 今は岐阜城と呼ばれている、この城を取り戻したいと思ったことはないのかな」
「そんな、滅相もない!」
たちまち青くなって震え始めた。
織田家臣にはときどき、こういう反応をする者がいる。
信長は敵対する者に容赦しないが、降伏してきた者には甘い。側近が止める間もなく、あっさりと臣従を許してしまう。それでまた裏切られたどうするのかという話になるのだが、その時はその時だと信長は笑う。
事実、あれこれ好き放題やっている松永久秀を咎めたことは一切ない。
あんな黒い噂の絶えない男を重用する気持ちなんて、信忠には理解できない。当主の器にはそういう寛容さも必要なのだと思おうとしても、ぬぐえない不信感が募る。
(そもそも父上は、やることなすこと矛盾してばかりだ)
富国強兵は領土拡大の前段階に過ぎない。
民の平穏と幸福を願うなら、さっさと天下統一してしまえばいい。今の織田家の勢いがあれば不可能ではないと思っているし、号令一つで織田の全軍を動かすことができる。織田家臣の誰が、信長の天下統一に異を唱えるというのか。
信忠に当主としての器を問うなら、信長こそ天下人としての自覚を持つべきだ。
その資格があるのなら、天下取りに動くのが乱世を生きる者の務めではないのか。
(だったら自分が、と思ったんだけど)
一番の問題は信忠だけの味方が少ないことだ。
次期当主として命令しても、信長が「否」と断じたら誰も従ってくれない。信忠だって、無理矢理に言うことを聞かせたいわけではないのだ。できれば信長よりも、信忠の為に尽力してほしいと願っているだけで。
「ううん、だめか。従兄の龍興が岐阜城に入って美濃国を治めてくれたら、もっと自由に動けると思ったのに」
「お役に立てず、申し訳ありません」
「あまり龍興殿をいじめるものじゃないよ」
「じゃあ、利治叔父上が」
「ごめん無理」
最後まで言わせてくれなかった。
やや早口で遮ってきた辺り、本当にやりたくないのだろう。
城主の仕事も、国を治めることも、政務という名の雑務が大半を占める。毎日毎日机にかじりついていても終わらない書類地獄だ。信長はどうしてホイホイ城の外に出られるのかと思ったら、処理速度が尋常ではなかった。よほどのことがない限り、基本的に翌日へ回さない。
コツがあるのだと本人は言うが、教えてくれる素振りは全くない。
(たぶん、これこれこういうものだって教えられるものじゃないんだろうな。父上は感覚で生きているから)
考え事をしている時は話しかけるなと、昔からよくよく言われてきた。
だから信長はいつも長考するのだと思っていたが、実際は違っていた。仕事を割り振る時はほとんど悩まない。最初から決められていたかのように、どんどん投げていく。家臣たちが異論を唱えようものなら封殺、するのではなくて言い分を聞いた上で理由を述べ、最終的には納得させてしまう。
月例会議はほとんど家臣たちの討論会だ。信長は眺めているだけ。
ときどき意見を求められても「であるか」「是非もなし」「よきに計らえ」で終わる。やる気がないと思っていたが、実際は違っていた。彼らの実態、日々の働きは全て書類として信長へ報告されている。
全体を把握しているから、あれこれ言う必要がないだけだ。
(一緒に仕事をして、ようやく分かった。私は、父のようにはできない。経験の差だと言われてしまえばそれまでだけど)
純粋に、悔しいと思う。
だが帰蝶に当主の妻としての務めを学んでいる松姫の姿を見て、心を入れ替えた。岩村城が奪われたことに端を発する長篠の戦いにて、勝頼の有り様を見ても強く思った。
信忠は、織田信長になれない。
父に認められたいと願うなら、背を追いかけているだけではダメだ。信忠にしかできないことを、信長にはできなかったことをやり遂げなければ――。
「というわけで、天下取りを目指そうと思う」
「わ、私はそろそろ長島に帰らなければ」
「まあまあ、龍興。最後まで聞いていってよ。従兄なんだからさ」
「ひいっ」
中座しようとした龍興を笑顔で引き留めれば、長可と忠正が両肩を掴む。
二人とも笑っているが、精悍な顔つきのせいで妙な迫力がある。玄以は「今日も空が青い」などと呟き、信栄はそっと胃の辺りを抑えた。
そして賦秀は楽しげに
「織田の父が不可能と断じていたそうだが?」
「違うよ、忠三。今の織田には無理だと言っただけ。つまりは『無理』だと思われる条件を何とかすれば、可能性が出てくると思うんだ」
信長が未来からの転生者だということは、誰にも話していない。
側近たちも知らないようなので、傳役の死は信長にとって大きな心の傷になったのだろう。それでも信忠に話したのは、信忠のことを認めたからではない。あと十年も経たないうちに、信忠が死ぬからだ。
慶次はたぶん、殺しても死ななさそうだからだろう。きっと。
そして一瞬だけ疑ってしまった。不甲斐ない嫡男など死んでもいいから秘事を打ち明けたのかと。死ぬつもりはないとキッパリ言ってのけた父の目を見て、そんな自分を恥じた。信長は家族思いで子煩悩だということは、美濃尾張では子供でも知っているというのに。
(明智十兵衛は順調に染まりつつあるからいいとして、問題は信純殿かな)
理由は分からないが、信長と喧嘩して尾張国に引っ込んでしまったのだ。
生まれたばかりの末妹の後見人になる話は承諾したらしいので、織田家から離脱する心配はしなくていいと思う。早めに仲直りしてほしいのだが、信純と親しい人間が信長以外にほとんどいないのである。義理の息子である信直には荷が重いと断られた。
信純は織田家の参謀であり、信長の右腕だ。
林兄弟の傀儡になりかけていた叔父・信行を救い、今川義元を討つ奇策を考案し、美濃国を信長に与え、武田家との同盟を結び、近江に伊勢、そして畿内を手中に収めさせた。
「若様は本当に、天下取りへ動くつもりですかな?」
玄以が静かな声で問うてくる。
利治や信栄たちも、信忠をじっと見つめていた。義弟の賦秀はどこか面白がっている風で、一人だけニヤニヤしている。誰が信忠にとっての「右腕」になるかどうかは、まだ分からない。賦秀の家は主君に首輪をかけた挙句、織田家に寝返った過去を持つ。
信忠の器に不満があれば、同じようなことが起きてもおかしくない。
「私が織田家当主となったら、『天下布武』の旗印を譲っていただこうと思っている」
「おお、あの旗を……!」
「かっけーよな、あれ。誰が書いたか知らねーけど」
「信長様じゃないの?」
「そりゃそうか」
納得顔で頷き合う勝三と忠正は知らない。
信忠は引きつりそうになる顔を何とか耐えた。あれを書いたのは、信長の『師』だった坊主だ。そして信純が復讐相手として見定めているかもしれない男だ。尾張国には信長の弟たちがいて、それぞれの対象を監視している。
今はまだ抑えられているが、信長と信純の不仲が広まると不味いことになる。
だから信忠が矢面に立とうと思ったのだ。
織田の参謀・信純が表舞台から去ったのは信長が隠居するからであり、これからは世代交代が一気に進むことになる。弱体化ではない。織田家から日ノ本に、新しい風を届けるのだ。
「天下統一と唱えるのは容易いが、実現は困難だと分かっている。父上には織田家に足りないものが明確に見えているのだろう。未熟さゆえか、私にはまだ見えない。でも、だからこそ! やってみる価値はある。父上が壮健であられる、今しかないんだ」
本能寺が炎上するまで、あと十年もない。
明智光秀におかしな動きがあれば、すぐさま動けるようにしている。それでも不測の事態は起きるかもしれない。信長に言わせると「歴史の大河はそう簡単に流れを変えない」らしい。
信忠は死にたくない。
父が常日頃から語る「楽隠居の夢」は、信忠にとっても一つの理想形だ。この乱世において、平穏な日々ほど貴重なものはない。自分たちだけがいる箱庭で、平和で穏やかな日々を過ごすだけじゃ足りない。何物にも脅かされない日々を掴みとるには、もはや天下統一しかない。
猿が天下人になるのなら、なればいい。
それで平穏な日々が訪れるのならばいい。
でも信忠は何もせずに「楽隠居の夢」を叶えようなんて思っていない。生きのびるためには何でもすると、父から秘密を打ち明けられた日に誓ったのだ。
「父上が尾張国統一に向けて動き出したのも、ちょうどこの頃だと聞いている。……それに、私こそが織田家当主であると、皆から認められたいんだ」
内側から崩れれば、外から攻められる。
武田家がいい例だ。勝頼がどうしたいのかは分からなくても、今の武田家がひどく脆い状態にあるは分かる。信長は武田家を潰すと宣言したし、信忠もそれに異を唱えない。かつて太郎義信は、実父・武田信玄に駿河攻めを思い留まるように進言した。この辺りの詳しい話は聞かせてもらえなかったが、義信が謀反を起こす遠因になったのは確かだ。
信長は皆に甘い。
それはもう大量の仕事を投げていくが、信長自身も膨大な仕事量をこなしている。民や家臣を武力・権力で叩き伏せることなく、細々としたことまで心を砕く。だから皆は率先して信長についていく。
だが信長の死後は分からない。信忠についてきてくれる者は僅かだ。
信栄に家督を譲った佐久間信盛を含めた側近たちも、信長の隠居に倣う心算だと伝え聞く。重鎮たちを欠いた織田家は脆い。武田家の二の舞になるのは絶対避けなければならない。
玄以はまた問う。
「若様は当主として認められたいから、天下取りを目指すのですか?」
「……そう、だけど。違う。私は見たいんだ、父上が言っていた理想を。皆が笑って暮らせる時代を、この目で見てみたい。それにね、私の手で成せなくてもいい。天下泰平の世の礎になれるのなら、道半ばで死んでも構わない」
「若様!?」
勝蔵たちが動揺し、声を上げる。
本能寺の変で死ぬのは信長と信忠だと聞いている。彼らはきっと信忠が死んだ後も、乱世で戦い続けたのだと思う。できれば一緒に、どこまでも駆け続けたい。いつまでも恋仲の夫婦みたいな両親のように、松姫と仲良く老いていきたい。
楽隠居の夢はいいものだ。
しかし、それ以上に信忠は『天下布武』に惹かれる。父の判断はいつでも正しい。それでも信忠は夢を見てしまう。織田の武があれば、何でもできる気がする。最近はよく近江で駆け回った日々を思い出す。
あの無茶苦茶な騒ぎが、どうしようもなく楽しかった。
やはり信忠も「うつけの子」なのだろう。
「玄以。もし、私が道を外れたら……正しきところへ導いてほしい」
「もちろんです、若様。そのために、わたくしがいるのですから」
「ありがとう」
怖くないと言えば嘘になる。
尊敬する父が「無理」と何度も繰り返したことをやろうというのだ。しかし織田領を今後も守っていくために、諸国とのやり取りは避けて通れない。まずは対話で理解を求める。それでダメなら、戦ってでも意を通す。
信長と家康のように、信忠と手を取り合える人はきっといるはずだ。
「皆、聞いてくれ。私の天下取りはまず、甲斐信濃を手に入れることから始めたい」
信忠の宣言に、賦秀が面白そうな顔をして頷く。
「確かに、東は我らに任されている。だが、どう動く?」
「ハイハイハイ、俺が突っ込んで落とす!」
「何を!?」
「高遠城」
「お前は馬鹿か!! どこの世に、敵の本拠地から狙う奴がいるっ」
「ここにいる。地図もある」
「まさか、あの時に作ったのか!?」
「おう」
「信栄、落ち着いて。長可も、突撃するのは高遠城への道を拓いてからにしよう。あれから何年も経っているし、地図の確認もしなきゃね」
「さすが若様。そうこなくちゃあなっ」
嬉しそうな長可の隣で、信栄が胃を押さえている。
無謀な突撃と言わせないために、あらゆる策を講じればいいだけだ。信忠にはそれができると分かっているから、利治たちも止めない。それぞれに語り出すのは、如何に「道を拓いて」高遠城へ至るか。
多くの重鎮を失い、最強を誇る騎馬軍団も敗北した。
それでも武田家は大きな領土を持つ戦国大名には変わりない。ただ侵攻して、滅ぼすだけではダメだ。あの地には様々な利があることを信忠は知っている。
「できれば喜兵衛殿に繋ぎをとりたいんだけど、良い案はないかな」
「喜兵衛……若様、もしかして」
勘の良い信栄が顔色を変え、その反応で利治たちも誰のことか気付いたらしい。甲斐脱出時にいなかった玄以だけは、怪訝そうに首を傾げている。
「若様、真田の者とどこでお知り合いに?」
「太郎殿の……いや、私たちが道に迷っていたところを助けてもらったんだ。お礼をしたくても、あれから全然連絡が取れなくてね」
「ふむ」
「若様のお気持ちは分からなくもないが、彼の者との接触は信長様から止められているんじゃなかったかな。いくら東を任されたとはいえ、勝手なことはしない方がいい」
「でもね、利治。私は喜兵衛殿が、東の島左近だと思っているんだ」
父が特に気にかける男は、才知あふれる者だ。それは間違いない。
一般的に知られている名前と微妙に異なることがあるので、前世の記憶が関係しているのだろうと信忠は推測している。信長は「真田」に反応した。武藤喜兵衛ではなく、真田何某という男を信長が知っている。
前田慶次を越後に向かわせたのも、信長の知る「誰か」に会わせるためだ。
もしかしたら「ダテマサムネ」という者のように、まだ幼いのかもしれない。まだ生まれていない可能性もある。だが信忠は一つの確信を得ていた。
「玄以殿は、真田の者について何かご存じなのですね」
「信直殿を餌に、織田家臣に引き入れようと考えておられるのなら反対いたしますよ」
「……そんなことはしない」
「若様」
玄以にじっと見つめられて、信忠は思わず目を反らした。
間違った道を進むようならば止めてくれと言った傍から、これである。迂闊なことは言うものじゃないなと反省しつつも、武藤喜兵衛との再会を望む気持ちは強くなる一方だ。信長が知り、玄以が知る「真田家」が仕える武田家は潰すべき相手だ。
できれば、武田家滅亡に殉じてほしくない。
「玄以。私には、一人でも多くの味方が必要なんだ。喜兵衛殿に主君を裏切れと言いたいわけじゃない。そんな恩を仇で返すような真似はしない。ただ……もう一度会って、話がしたいだけなんだ」
直接話した上で、武田家に殉じると言われたなら諦める。
河原の石を飛び越えるみたいに、ほいほいと主君を乗り換えるような者は信用できない。主君ではなく、家に仕える者は別だ。世代交代する度に顔ぶれがごっそり入れ替わるようでは、いつか変化に耐えられなくなる。
「ねえ、玄以? 考えてみてくれ。私は四郎勝頼を生かすつもりはない。だから甲斐国を治める者が必要なんだ。松姫の子は徳栄軒の孫になるわけだし、男児であれば高遠城の主に据えてもいいんじゃないかな」
「あーそっか。若様も、蝮の孫だもんな」
「信長様の真似。いや、模倣するんですね。素晴らしい考えだと思います。それなら武藤殿、真田の者も説得できるかもしれません」
勝蔵が頷き、忠正が感心したように解説するのを聞いて、信忠は恥ずかしくなった。
信長のようになりたいと常々思っているが、甲斐信濃の件に関しては父の真似をしたかったわけじゃない。良い思いつきだという気持ちが急にしぼんでいく。
しかし今更違うなんて言えない。
何やら考え込んでいる玄以のお墨付きをもらえれば、信長の許しをもらえるかもしれない。武田家との戦いで甲斐信濃を荒廃させては意味がない。生き残った国人衆だって織田家に反発するだろう。戦で消える命は、できるだけ減らしたい。
(強力な武器があれば早く戦が終わる。それはすごくいいことだと、思っていたんだ)
信忠の傲慢さを、父は叱責した。
将軍追放の後、岐阜城へ帰る道中のことだ。
信長は戦で勝っても喜ばない。勝つのが当たり前だからじゃない。戦では多くの死傷者が出る。それも当たり前のことだが、信長は戦で失われた命を悼む。今川義元との戦い、桶狭間決戦から名簿が作られるようになった。
『名を惜しむな、命を惜しめ。貴様らの名は、信長が覚えている』
反物のごとき長さの名簿を掲げ、信長はそう宣言したそうだ。
戦の度に新しく書き上げるので相当な量になっている。信忠は一度も見たことはないが、信長は長持から取り出して眺めていることがあるという。重臣から末端兵に至るまで、その数は軽く万を超える。
強い武器で、戦を終わらせる。
味方の損害は少なく抑えられて、敵に甚大な被害を与えられる。それはすごくいいことだと思っていた。でも信長は違う。味方の名前は、書いて覚えられる。でも敵の名前は、末端兵までは覚えられない。どこにも綴られていないから。
若い頃の信長は、信忠の祖父・信秀を嫌っていたそうだ。
戦好きの無駄金使いと罵ったらしい。日ノ本の各地に普及しつつある火縄銃はまだまだ高価であり、織田家で開発した武器はもちろん膨大な資金を注ぎ込んでいる。信秀の代よりも支出額は大きいが、収入も桁違いに大きい。
戦嫌いとも言われる信長は、信忠の影に亡き信秀を重ねたのかもしれない。
「天下に武を布く。今の時代には、これが合っていると思う。どうしても戦わなければならないから、父上は戦をする。何度も戦をしたくないから、必ず勝てる戦をする。だったら私は、武田との戦も……次で最後にしたい」
父の真似かもしれない。信長の模倣かもしれない。
いつまでも親の背を追う幼子のようだと笑われてもいい。武田家との戦いは、信忠にとっても大きな意味がある。亡き信玄のため、信直のため、松姫のため、そしていつか生まれてくる我が子のために、どうあっても負けられない。
「武田を滅ぼせば、上杉や北条が黙っていない。このことも踏まえた上で、策を練りたい。皆、私に力を貸してほしい。織田家の次代のために」
静かな声に、その場にいた全員が頭を垂れた。
こうして信忠は天下取りへの第一歩を踏み出すのだった。
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