237. 蘭奢待切捕らせらるるの事

 安土城計画は今のところ、順調に進んでいる。

 総責任者である丹羽長秀の指揮によって、観音寺城や多聞城に負けない素晴らしい石垣が完成した。各地の山々から集めてきた石を用いて、それぞれに競わせたらしい。かの穴太衆が積んだ石垣はさすがの圧巻というべきか。

 あちこちで異なる石垣の景色が見られるのも一興、というものだ。

(石の積み方って色々あるんだな……)

 昔の人々の知恵と技術は侮れない。

 だから本当にガラス精製技術の衰退が惜しまれてならない。

 製法を記した紙は正倉院にある、ということは山科卿から確認がとれている。だから何とかして中に入りたいんだが、やっぱり帝の許可がないとダメらしい。天皇家でもおいそれとは入れない秘蔵の宝物庫なので、本来はオネガイしても到底無理だとか何とか長ったらしい前置きしつつ、帝からの許可が下りた。

「……え、マジで?」

「まじです」

 神妙な顔で頷く光秀。

 マジと書いて真剣と読む辺りの会話は去年あたりに済ませている。信忠や側近たちが俺のウッカリ和製英語に順応してしまっていることに気付き、積極的に覚えようとしているそうだ。そのうちに俺語録が出来るかも? ははっ、まさかな。

「そんなご褒美くれなくても朝廷に逆らわないし、ちゃんと働くっつの」

「此度の話は信長様の方から願い出たことと聞いております。そのような物言いは不敬にあたるかと」

「これは高度な政治的駆け引きなのだよ、アケチ君」

「はあ」

「それに……家臣の官位贈与の件も通ったのはありがたいが、代表者一名の参列が必要とか聞いてない。俺の官位は勝手に贈ってきたんだし、朝廷からの使者殿が帝の代理人をつとめれば済む話だと思う」

「まあまあ、信長様。上洛が一度で済むと思えばよろしいのですよ」

「他人事だと思って気楽だな、藤孝。よし、金柑頭と二人で供を言いつける」

「かしこまりました」

「御意」

 恭しく頭を下げる細川様たちを見やり、こっそりと溜息を吐いた。

 ちょうどいいから、光秀の改姓も願い出るつもりだ。俺が勝手に呼んだだけでは愛称・通称扱いされるが、帝の認可がついてくるなら話は変わってくる。

 去年、東美濃の岩村城が落ちた遠因に城がある。同じ東美濃にある城とは無関係で、光秀は明智城の城主とどういう関係なのかは知らないが。細川様が「惟任姓」を勧めてきたので、これに乗っかることにしたのだ。

 姓(の音)が同じだからって、信純にイジメられたら可哀想だもんな。

(というか。惟任は官位だと思ってたが、違っていた件)

 困った時の「デアルカ」で通したものの、細川様には見抜かれていた気がする。

 前世の記憶云々は信忠と慶次にしか話していない。護衛として常時張りついている影たちは「何も知らない」ことになっているし、口の堅さを信用している。荒唐無稽すぎて賦秀でも信じないだろうから、話しても無駄だろうなとは思っている。

 信純には、早いうちに話してやらないと戻ってこない気がする。末の永姫についてもらう話は帰蝶から伝えて、了承はもらったそうだ。当人同士の顔合わせも済んでいる。

 が、頑なに俺と会おうとしない。

「はあ……」

「いかがされましたか?」

「なんでもない。安土にも寄っていくか。どこまで進んでいるか気になるし」

「先日もご覧になったばかりでしょうに」

「アケチうるさい」

 縄張りから築城するのは小牧山城以来なのだ。

 他は跡地から作り直すか、もともとあった城を増改築しているので、100%俺の城という実感が湧かない。住み慣れてしまえば馴染むとはいえ、小牧山城ほどの思い入れはなかった。

 その小牧山城は、吉乃の死後に廃城とした。

 対美濃戦線として役目を終えて、全ての機能を岐阜城に移したためというのは表向きの理由である。もう美濃尾張を戦火に巻き込まないと決めているので、戦のための城は必要ない。それに、吉乃が眠る地を騒がしくしたくなかった。

 毎年必ずとはいかなくとも、小牧山の桜はいつも美しく咲き誇る。

 稲葉山には摂津国の野田というところで見かけた藤棚に倣い、藤の庭を新しく作らせた。紫色の小さな花が連なる様は可憐だが、大きな棚に幾重もの蔓を這わせた姿は見る者を圧倒させる。あと、夏にはちょうどいい木陰になって涼しい。

「安土城にも何か植えるかな」

「本丸御殿の庭に相応しいものを探させましょう」

「うむ。三方面から眺められるやつがいいな」

「承知いたしました」

 細川様はセンスがいいからな。任せてしまおう。

 上機嫌で頷きつつ、落成記念に何かイベントでもやろうかと思いを馳せる。城郭における本丸は、城主の家だ。城そのものが家なんじゃなくて、自宅に職場がくっついているような感じだとイメージしてくれればいい。

 安土山の中腹には多くの武家屋敷が揃い、麓には城下町が広がる。

 頂上付近には本丸と二の丸を置くと決まっている。もちろん天主(天守閣)は山の一番高いところだ。この時代で一番高い建物は五重塔くらいなものだが、あれは人が住めないどころか上に登るのも一苦労だという。

(俺は天守に住みたいんだよ!)

 何度となく訴えた思いを、心の中でも繰り返す。

 現代で「城」と言ったら天守閣だった。城に訪れた多くの人々が最上階からの景色を眺めて、天下人気分を味わったのだ。それが錯覚だと、単なる勘違いだと知った俺の衝撃は大きい。前世の俺は城にロマンを感じていなかったが、それでもショックは大きかったのだ。

 鉄筋コンクリートの技術がない以上、高層ビルの構想は実現不可能。

 さすがの俺もそれを説明しろと言われても厳しい。今までの素敵発明は比較的単純なものだったから作ることができた。ビルもどきが完成しても、すぐに崩れたら意味がない。

 諸将がこぞって俺を指差し、プスクス笑うに違いない。

 天下人になりたくないくせに、天下人気分が味わえる天守閣を作りたいと騒いでいる俺は相当に矛盾しまくっている自覚はあった。でも作りたいんだから仕方ない。できるかもと思ってしまったら、もう挑戦するしかない。実際に作るのは頼もしい職人さんたちだが。

 飛鳥時代に五重塔ができたんだから、きっとできる!

(隠し絵とか家紋をこっそり仕込んでも楽しそうだよなあ)

 石畳や鬼瓦、伽藍の一部にちょこっとね。

 なんで伽藍が出てくるのかって話はもちろん、真っ当な理由がある。供養塔を管理する寺も、安土城の廓に含める予定なのだ。忙しすぎて墓参りできないからっていうのもあるが、外から来た人間にも参拝しやすくしたい。

 今の織田家は、数えきれない戦死者の上に立っている。

 天下統一しなくたって、俺がもうすぐ隠居するとしても、これは絶対に忘れちゃいけないことだ。安土城に立派な寺があれば、俺の死後もきちんと管理してくれる。

 そんなこんなで、心は安土に飛んだまま上洛した。

 正親町天皇との初対面は御簾越しだったが、ご尊顔を拝見したかったわけじゃあないので十分すぎる。窮屈な装束に身を包み、長ったらしい口上を聞いたり喋ったりして、めちゃくちゃ肩が凝った。これだから権力者は苦手なんだ。俺もそうだろっていうツッコミは却下な。

 謁見が終わった俺たちは、奈良の相国寺へ宿を移した。

 例の正倉院に収められた秘宝・蘭奢待の切り取りを行うためだ。

(中へ入ってヨシ、って特別許可も出たんだけどなー)

 正倉院には、許可を得た人しか入れないらしい。

 つまり、俺しか入れない。ガラスの製法は惜しいが、お宝まみれの中に単独特攻するほど肝が据わっていないのだ。せめて、せめて管理人の同行を求める!

 というのが通じなかったので、秘宝の方から来てもらうことになった。

 貴様、何様? 俺様、第六天の魔王様。

「お待たせいたしました」

 いよいよかと空気がわずかに張り詰める。

 蘭奢待が納められた長持が、数人の手によって広間に運ばれてきた。謁見の供に選んだ細川様や光秀以下、側近たちもずらりと並ぶ。時の権力者しか手にしたことのないお宝公開イベントに、めいっぱいギャラリーを集めてみました。

 というのは冗談で、今の織田家の力を誇示するための人員である。

 いや、俺が望んだわけじゃないからな?

 これが上洛したくない理由の一つである。江戸幕府の参勤交代は本当にウマイ政策だと思う。往復分でどれだけの資金が飛んでいくか。最近は上洛要請があると、商人たちの顔がほころぶ。楽市楽座で渋っていたくせに現金なものだ。

 道中で街道や宿場町の抜き打ち調査もするから、時間の無駄ではないが。

「ささ、信長様」

 どうぞ、と渡された短刀をまじまじと見つめる。

 これで切り取れということらしい。運んできた奴らも、織田家臣一同も、恭しく頭を垂れたままで大人しく控えている。顔を上げているのは俺だけだ。刃物(抜き身)を持っているのも俺だけであり、眼前には中が空洞の流木が、台の上に鎮座していた。

(ど、どんだけ取ればいいんだ!?)

 見た目は古い流木でも、正倉院の秘宝には違いない。

 実はただの流木なんですごめんねーって誰か言ってくれよ。どっきりカメラが仕込んであったりとか、しないか。この時代にそんなのがあったら、それこそビックリだ。

 ゆっくりと近づけば、ちょっと削った後がある。

(この跡と同じようにやれば、何とか怒られずに済む気がする)

 心臓はバクバク、冷や汗ダラダラ。

 無になるんだ、無心だ。

 ちょっとザックリいきすぎた気もするが、何とか一部を切り取ることに成功した。安堵の溜息を吐いていると、背中にたくさんの視線が突き刺さる。振り向いて香木の一片を皆の前に披露すれば、たちまち歓声が上がった。

 皆で俺を称える声に、引き攣った笑みで応える。

 色々な意味で俺メンタルがごっそり持っていかれた一日だった。





********************

ガラスの製法を丸暗記して、他人に教える自信がないビビリスト・ノブナガ


蘭奢待切り取りは信長が横暴な行いの末だとか、二つも取ったとか、後に家康も切り取り許可が出たとか、様々な情報が出ています。本編では「信長公記」にある記述を参考にさせていただきました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る