236. 安土城と真宗王国
一気に子供率爆上がりな岐阜城で子供と遊べないとか、一体何の拷問だ。
ひとしきり俺との再会を堪能したお市は、昨日から帰蝶にべったりくっついている。甘えっ子気質は三児の母になっても変わらないらしい。二人の赤ん坊は乳母に預けて、お茶々はお初やお藤、於次丸をお供に城内探検を満喫中。
「……くそう、羨ましい。俺も混ざりたい」
「自分の子供に嫉妬しないでください。見苦しい」
「唐突に辛辣だな、奇妙丸。武田と講和条約結んだの怒ってんのか」
「信忠です。このやりとり、もう何度目ですか」
「忘れたな」
全く、とぼやきながらも付き合ってくれる息子が可愛い。
わざとじゃないんだ。慣れた呼び名からウッカリ呼んでしまうだけで、信行と同じやり取りをしているなあと嬉しくなんてなってない。
ふと気づいて、微笑ましそうな顔をじろりと睨む。
「長政、岐阜へ来た本当の理由はなんだ?」
「さすがは義兄上。私の考えなど、全てお見通しでしたね」
「世辞はいい。北近江で何かあったのか?」
いつぞやの夢が、まだ尾を引いている。
もし長政が本当に俺へ刃を向けるつもりなら、こうして会おうとはしない。文での報告で済む話なら、とっくに何かしら送りつけてきているはずだ。わざわざお市と娘たちを連れてくる辺り、まだ幼かった万福丸を人質に寄越してきた頃を思い出す。
「北近江というよりも、越前です。義景殿からは?」
「特にはないな。五郎左もいるし、何かあれば――」
俺に言ってくるはずだ。
そう続けようとして、気付いた。文がないのは良い便りだからって、ほとんど何も寄越してこないのはかえって異常だ。万事こともなし、の文言を「状況が安定している」と解釈していたが、その「状況」がどんなものなのかを正確に報告してきたか。
今、越前には顕如がいる。
越中と越前には浄土真宗の信者が多く、一向一揆の気配もあった。
奴に言わせると一向宗と真宗教団を一緒くたにされたくないらしいが、どう違うのかは他宗派の俺に分かるはずもなく。総本山の宗主さまがいれば皆大人しくなるだろうと、そういう安易な考えがあったのは否定しない。
実際、大人しくなったのだ。少なくとも、ここ数年は何も起きていない。
「えーと、顕如が越前に向かったのはあれだろ。三好三人衆ボコった後、で」
「父上、お忘れですか。本願寺の宗主は加賀一向衆への抑えとして向かったのであって、越前国ではありませんよ。それも私たちが元服の儀を行った年です」
「おお、そうだったそうだった。じゃあ、元号が変わる前だな」
「……去年の夏に変わったばかりですけど」
ツッコミは切れ味ばつぐんだ。
息子に滅多切りされている間、何が楽しいのか長政はにこにこしている。何でもポジティブ変換しちまう奴には親子のじゃれ合いに見えているのだろう。
「それで長政、越前がどうした」
「義兄上が蟹をご所望だとお聞きしたので、それならば視察は冬になるだろうと。でしたら私も同行できますね、とお伝えしたくて」
「文で十分だろ!」
「お市と娘たちが義姉上に直接お祝いを言いたいということなので、せっかくなら家族旅行もいいかと思いました」
「そっちが本音か!」
相変わらず嫁と娘たちに弱いらしい。
一人でお留守番している万福丸には、銘入りの刀を贈ってやろう。いずれは賦秀たちと共に信忠を支えていくことになる。熱血系が多い浅井家臣をまとめるのは大変かもしれないが、なんとか頑張ってほしいと思う。
「上杉家による越中併呑の際、隣国である加賀へ多くの一向宗が流れたらしいとか。おそらくは宗主の庇護を求めてのことでしょう。越前国でも、一向宗とおぼしき民の集団移動が確認されております」
「一向宗が加賀国に集まってる、っていうことか?」
「事態は深刻ですよ、父上」
信忠が顔をしかめる。
俺もちょっと、頭が痛くなってきた。信長が鎮圧に向かったのは越前一向一揆なのか、加賀一向一揆なのかどっちなんだ。まだ記憶が鮮明だった頃に、全部書き出しておくんだったと悔やんでも遅い。
浄土真宗の門徒は、尾張国にも結構いる。
それはやはり、俺と顕如が友好関係にあると知っているからだ。南近江や長島から流れてきた民もいる。土地を耕して管理できれば所有権も認められるので、入国者の制限はない。色々と都合がいいから戸籍謄本の徹底は施策に含めていなかったんだが、今後は考え直した方がいいかもしれない。
統治者が浄土真宗の門徒を「一向宗」と呼ぶのは、彼らが過激派だからだ。
ぶっちゃけると経典が同じなために、過激じゃない方との区別がつかない。普段は大人しくしていても、じわじわ怒りと憎悪をためて爆発させる。いつ蜂起されるか分からない上に、どこに潜んでいるのかも正確に把握できない。かといって、あやしい地域を一網打尽にすれば領民の反感を買う。世間の評判も悪くなる。
こめかみを揉みつつ、長政に問う。
「今、加賀国を治めているのは誰だ」
「本願寺です」
「聞こえなかった。もう一回」
「本願寺顕如です」
「一体何やってんだァ、あの筋肉達磨!!」
ちゃぶ台ならぬ脇息を勢いよく引っ繰り返した。
いつぞやと同じように襖へ飛んでいった辺りで、小姓がキャッチしていた。褒めてほしそうな顔で駆け寄ってくる様子が、フリスビーで遊ぶ犬と重なる。利家といい、織田信長は犬に縁があるらしい。
とりあえず頭を撫でつつ、金平糖を一粒放り込んでやった。
そうしている間も長政の昔話が続く。
どうやら加賀国は、随分前から領主の圧政に苦しんでいたようだ。
今から百年ほど前、文明年間に本願寺蓮如という坊主が親鸞上人の子孫であることを掲げ、北陸一帯の浄土真宗をまとめた。ここまではいい。その後が問題だった。守護家のゴタゴタに介入した挙句に、裏切られて越中へ逃亡。それから国人衆に誘われて争乱に参加したことから、次第に加賀国の実権を握るようになった。加賀国内外の一揆煽動にも関わっていたようで、さすがに見過ごせなくなった本願寺中央も鎮圧に乗り出している。顕如が言っていたのはそのことだ。
時は移ろい、天文年間から尾山御坊を拠点に活動を展開。
義景や軍神とも何度かやり合っている。過去に起きた越中国での戦乱では、なんと上杉家――当時はまだ長尾家を名乗っていた――の当主が討ち死にしている。越中併呑は軍神の悲願だったとも言えるだろう。
「あー、言われてみると義景もなんか……一向宗のこと、言ってた気が」
「父上」
「ボケるには早いって言いたいんだろ。分かってる。そんな目で見るな」
「そういうわけですので義兄上、さくっと安土城つくりましょう!」
「どうしてそうなった!?」
「え? 安土の方が近いからですよ」
長政のキョトン顔が無性にムカついたので脇息を投げた。避けられた。
また一つ、小姓の口に消えていく金平糖。そろそろ補充したいな。いつも直接会ってガラス瓶ごともらっているから、堺か京に行かなくては。長期滞在している宣教師のものじゃない南蛮船が来ている可能性もあるし、西国方面で色々と気になることは多い。
(かといって、ここで城を留守にするのはな。また何か起きそうで怖い)
そう考えると長政の言葉は筋が通っている。
安土城に住めば、北と西への移動時間が格段に減るのだ。そもそも岐阜城は信忠のものなので、いい加減に返してやらなければならない。住み慣れた城を離れるのは寂しいものだが、俺のように居城をころころ変える武将はあまりいない。
領土拡大を狙っても、居城は動かさないのが通常だ。
「んー。縄張りはできてるから、石垣の完成を急がせるか」
「そうですね! 屋敷の敷地も確保したいですし」
「貴様、それが狙いか」
文のやり取りだと後回しにされるかもしれないから直談判を狙ったな!?
こいつ、どさくさ紛れで直接捻じ込む気だ。
「いつも義兄上のお傍にいなければ、肝心な時にお役に立てないではありませんか。譜代家臣の武家屋敷より立派なものをと高望みはしませんのでご安心ください。ああ、それから小谷城と安土城を繋ぐ道の整備も進めましょう」
「お市が喜びそうだな。採用」
「ありがとうございます」
越前に向かうのは冬だ。これは揺るがない。
喪が明けるまで待つなら、新年の宴の後になる。人員を増やして、お互いに競わせれば何とか間に合うかもしれない。問題の天守閣に関しては妥協したくないので、俺がつきっきりで現場監督する予定だ。
(どいつもこいつも天守に住むなんてアタマオカシイ、って顔しやがって)
こちとら常識破りは十八番の大うつけ様だぞ。
「長政殿、越前の状況は落ち着いていると聞いています。一向宗が隣国の加賀へ流れていったのであれば、危惧するようなことはないのではありませんか? それに本願寺宗主は父上の既知です。朝倉殿も織田に臣従している以上、何も問題はないと思いますが」
「問題なのはそこじゃないんだ、勘九郎殿」
「信忠です。……と、言いますと?」
「宗主である本願寺顕如殿には、三条の姫君が嫁いでおられる。顕如殿と直接話をさせていただいたことがあるが、熱き信念を抱く気概のある方だ。身分、気質、お立場ともに統治者として文句のつけようがない。だが顕如殿を一向宗の……あいや、真宗教団の宗主ということを認められない者がいる、ということだ」
「なるほど」
なるほど、分からん。
神妙な顔で頷く信忠には悪いが、さっぱり理解できん。
時は乱世、群雄割拠の時代だ。下克上が当たり前の昨今、坊主が一国の主やっているのが面白くないっていう、その理屈が分からない。さっきは反射的にツッコミしてしまったが、他に統治者がいないのなら顕如が代わりを務めるのはごく自然な流れだろう。
今の尾山御坊は、顕如の居城だ。
城があって、主がいる。民はそれに従っている。過激派だって、さすがに宗主様の言うことには従うだろう。徒に煽動していた馬鹿どもは、とっくに粛清されているはずだ。そのために顕如が摂津国を出て、加賀国へ向かったのだから。
『状況は安定している』
確かに、その通りだ。長秀は嘘を言っていない。
しかし一向宗と因縁ある上杉家が越中併呑した今、加賀国は微妙なカンジか。軍神と一戦交えるまで考えに及ばなければいいが、ゴタゴタしているらしい能登国も気になる。
安土城の完成を急がせ、越前国へ。
それが今後の指針になりそうだ。
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佐久間盛政率いる織田軍(前田利家という説もある)が尾山御坊を陥落させるまでが、加賀一向一揆(蓮如の頃から、ほぼ百年経っているので百年王国とも云う)
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