234. 金は天下の回り物

 俺が岐阜城へ帰還するのを待っていたかのように、朝廷からお手紙が来た。

「ああん? 武田と仲直りしろだぁ?」

 思わず署名を確認する。今上帝のご尊名がある。

 お手紙公方は西国旅行を満喫中だ。ときどき届く旅日記のような文を読んでいると、あのお馬鹿様に俺がハメられたような気がしてならない。部下は言うこと聞いてくれないし、勝手に色々やってお飾り将軍になっているのも飽きたから、京を脱出する手助けをしてくれ……なんて、言われていたら即お断りしていた。

(あー、イライラする)

 今は城から出たくないのだ。帰蝶がいつ産気づくか分からないから。

 赤ん坊は、女の腹の中で十月十日過ごすというが、実際にきっちり期間満了して生まれてきた子供は一人もいない。少なくとも俺の子供は全員、十ヶ月経たずに生まれてきた。三人産んでもケロリとしていた奈江と違って、帰蝶は約20年ぶりの出産だ。現代感覚でいくと、信忠は一年早い成人式を迎えたことになる。

 この時代ではかなり遅い方だが。しかも弟と同日まとめて元服だった。

 元服が遅れた大半の理由は本人にある。俺は悪くない。元服しなけりゃ家督継ぐこともないってんで、都合が良かったとは少ししか思ってない。いやまあ、それなりに。

「おい、金柑頭。代替案を考えろ」

「勅命に従わないおつもりですか!?」

 この直球なツッコミ、久々だな。

 長篠の戦いに参加していた光秀は、評定を終えたその足で京へ向かった。貞勝たちへの状況報告もあるが、インフラ整備や熱田神社の改修やらで金が要る。今の勘定方は小一郎が取り仕切っているので、念のためというやつだ。

 そして昨日、光秀が岐阜城に戻ってきた。

 大事なオハナシがあるので、そろそろ禁中に来ないかと天皇からの招待状つきで。これを断ったら不敬罪ハラキリ確定。俺はまだ死にたくない。

「この三郎信長。帝の覚えめでたく恐悦至極ではあるが、無位無官の身ゆえに」

「先日、正四位下弾正大弼しょうしいげだんじょうだいひつの位をいただいたとお聞きしておりますが」

「俺ぁ知らん。もらった覚えねーし」

 弾正台とは、昔の律令制における監察・警察機関のようなものだ。

 ただ単に「弾正」と呼べば、弾正台の職員ということになるらしい。現代風に言えば「おまわりさん」である。天皇の次くらいに偉い左大臣以下の逮捕権限を持っていたが、裁判権などは刑部省や各宮司の管轄なのであんまり活躍しかった。後に検非違使ができて、次第に有名無実となった官位だ。唐名で「霜台」といい、爆弾正は朝廷関係者にそう呼ばれている。

 織田家うちも歴代当主は「弾正忠」を名乗っていた。

 尾張国守護代の更に下で三奉行の一つだったので、ご先祖様が朝廷から任命された云々という逸話はないと思われる。本当にあったかどうかは別としても、弾正大弼と弾正忠は地位が全然違う。間に弾正ナンタラがいくつか入る、はずだ。

 数字が入るやつは「正」と「従」があって「上」と「下」がつく。

 文字通りの上下関係を、これで明確化しているわけだ。俺には関係ない話だぞ。地位が高くなったら、その分だけ責任が増える。ふさわしい振る舞いとやらを求められる。前世はボンクラな平民、今世でも尾張国の田舎者だった俺には無理難題。

「そうだ、隠居しよう」

「信長様!! 代替案ですね、分かりましたっ」

 光秀が悲鳴のように叫んだ。

 最初から素直にそう言えばいいのに、相変わらずの真面目君である。織田家に仕官した以上は、身も心も染まるくらいの覚悟でいてもらわねば困るのだよアケチ君。とか何とかどうでもいいことを考えながら、ナイスアイディアが生まれるのを待つ。

 なんだかんだで光秀は頭がいい。妙案が出てくるかもしれない。

 頬杖をついて、テカる頭頂部を眺めること数分。

「そういえば、熱田神社の修繕を計画されておられるとか」

「俺がな」

 予算の確認が必要な案件の一つでもあるので、鷹揚に頷く。

 織田信長と熱田神宮の関係は深い。地元の神社というのもあるが、戦勝祈願するなら熱田神宮と決めている。今はまだ「熱田神社」だが、もう神宮でいいんじゃないかと思っている。だって紛らわしいし。

 長篠の戦いに向かう際にも立ち寄ったのだ。

 浜松城までの道中であったので一泊したら、想像以上にボロくて驚いた。前に訪れた時はこんなんじゃなかっただろうと聞いたら、お金がなくて修繕できないと言う。だったら俺が出す、と言った。日頃お世話になっている神様にお礼するのは当たり前のことだ。

「熱田神社の修繕がどうした」

「禁中も、かなり老朽化が進んでいるそうです。場所によっては床の底が抜けたり、雨漏りもしているとか」

「ないわー。今上帝のお住まいだぞ。皇居だぞ? なんで、そんなことになってんだよ。権威ガタ落ちじゃねえか」

「じ、実際に見たわけではないので何とも。で、ですが、信長様が修繕費を出すとなれば帝も大いに喜ばれるのでは」

「やだ」

 ぷいっと横を向く。

 なんで朝廷に恩を売らねばならんのじゃ。絶対嫌だ。金の無心か嫌味しか言わない白塗りオバケどもは、穴の開いた廊下で無様にコケてしまえ。

「十兵衛ならと思った俺が馬鹿だった」

「……っ、申し訳ございません」

「まあまあ、信長様。十兵衛の言うことも一理あると思いますよ」

「藤孝はコイツの味方すんのか」

「私はいつでも、信長様の御為に心身を捧げ尽す所存でございます」

「おべっかはいい。長い講釈もいらん。簡潔に話せ」

「禁中の修復、公家衆の本領回復は必要かと存じます」

「その根拠は?」

 増えてんじゃねえか。

 ますます不機嫌になる俺に、細川様は読めない笑みを深める。

「徳政を発すれば、おのずと信長様の評価が上がります。謙虚もすぎると卑屈なもの。それに……京に滞在中の信長様に会えぬ不満を、別の所へぶつけられては困りますでしょう?」

「うへえ」

 だから公家は嫌いなんだ。

 プライドばっかり高くて、口が達者で、偉ぶることしか知らない。山科卿みたいな公家もいるんだと分かっていても、嫌悪感が募る。そして細川様の言いたいことも理解できた。俺がなんとかしてやりてえと動いているのは織田領内のことに限る。

「外のことまで手が回るか馬鹿。自分たちのことは自分たちでやれよ。金がないなら融通利かせてやるから、直接頼んでこい」

「そのお願いに参上したくとも、信長様が全くお会いにならないのであれば、公家の方々に不満が募っていくのも致し方ないことかと」

「……俺のせいか?」

「そうですね」

 無言で脇息に突っ伏した。

 背後でなんか慌てているが、ちょっと放っておいてほしい。

 畿内を含めた織田領および直轄地のことは文句を言われる筋合いはない。自分の治める国を豊かにするのは間違っちゃいない。誰だってやっていることだ。洛中・洛外の荒廃ぶりは酷すぎたから修復を優先させた。今じゃあ店も増えて、商人たちの行き来も頻繁になり、逃げだした民も戻ってきたと聞く。

 二条城はともかく、皇居に近づくわけないだろ。用がないんだから。

「公家にも朝廷にも何度か献金したよな。それでも足りんの?」

「ええ、そのようです」

「応仁の乱以降、その困窮ぶりは目を覆うばかりでございます。献金はそのまま借金返済に充てられたようですね。義昭様もお心を痛めておられました」

「…………、よきにはからえ」

「かしこまりました」

 ひらりと手を振れば、二人が揃って頭を垂れる。

 想定外の、かなりな出費になってしまうが仕方ない。昔と違って悪い噂を流されても平気、なんて笑っていられない。俺が隠居した途端、信忠が周りから攻められまくったら嫌だ。楽隠居というのは、領内が平穏無事だから思うまま満喫できるのである。

(元就の気持ちが分かるなー。せめて自分が生きてる間に、自国の安寧を確保しときたい。子供が可愛いなら、これは絶対条件)

 結局は楽隠居できなかった元就が、我が身のように思えてならない。

 信忠はデキる子なんだが、妙に自己評価が低い。それでいてヤル気を出すと、仲間を巻き込んで大いにやらかしてくれる。あれ? どっかで聞いた話だな。

「あ、そうだ!」

「何か思いつかれましたか?」

 退室しようとしていた細川様が、いそいそと座り直す。

「恩を売るにしても、勅命を断る形になるのはまずいだろ。俺の官位はいいから、代わりに家臣たちの官位を与えてくれって言えばいいんじゃね?」

 無位無官では禁中に入る資格がない。

 つまり今上帝からの召還(断れないやつ)を受けても、俺しか入れない。細川様や爆弾正は同行できるかもしれないが、二人とも古参の家臣じゃあない。それに俺の代理人を立てるにしても、ある程度の身分は必要だ。つまり官位は必要。

「あー、それから山科卿に『何でもいいから御礼の品考えておけ』って言われてたんだったか。どうしよ。正倉院の入場券一択なんだが。なんか普通じゃない、珍しいものがいいな。藤孝は何か知らないか? そんじょそこらの人間が、望んでも手に入らないような激レアのお宝」

「確かに正倉院は数多の秘宝が納められておりますが」

「ああ、ちょっと言ってみただけだ。忘れてくれ」

 何か言いたげな細川様は軽く会釈をして、今度こそ退室していった。

 統治者たるもの、臣下への褒賞を忘れてはならない。これは俺も常々心がけていることなので、正親町天皇が気にしているという話は分からなくもないのだ。本当に秘蔵のお宝をもらっても、盗難被害が心配すぎて夜も眠れなくなる。俺は本心から何もいらないと思っているが、周囲への示しがつかない。

(どうせなら一生分の褒美に値するような、とにかくスゲーお宝一つで手を打ってくれないかなーとか。……ないよなあ、さすがに天皇家でも)

 噂が噂を呼んで、朝廷との不仲説なんかが湧いてきても困る。

 ちょっと義昭と口論しただけで、幕府と織田家が対立しているなんていう噂が流れたこともあるくらいだ。誰がそれを流した、どこから流れた、というのは重要じゃない。問題にしなくていいとは言わないが、火のない所に煙は立たない。

 この時代にゴシップ誌がなくてよかった。

 美濃尾張で試験的に扱っている瓦版モドキも、今は大々的に広げない方がいいのかもしれない。情報戦略にも使えるし、自由に書かせた方が面白いっちゃあ面白いんだが。自由=何してもいいっていうことではない。難しい問題だ。

 そろそろ儲けることも考えないと、印刷事業が赤字になる。

「……庶民が小銭で何でも買えるようになればなあ、って永楽通宝を量産する話のこと忘れてた。信忠にやらせるか?」

 どうせ資金援助するなら、銭の流通も広めていく。

 銅銭に慣れていけば、銀貨金貨が出てきても混乱は抑えられるだろう。小判まで作ってしまうと時代先取りになるし、金山の徹底管理ができていない今はまだ無理だ。

(甲斐国を探らせるか……? 確か虎のおっさん、金貨作ってたよな)

 実物を手に入れないことには、金貨の話もできない。

 御坊丸の安否確認を目的として、甲賀衆を送り込んでみよう。信玄亡き後の忍び集団が機能しているかどうかも分かるし、どんな情報だって無駄にはならない。

「正親町天皇直々の仲裁、受けるか」

 戦に勝ったのはこちらだ。

 和議の場は甲斐国の国境に設定する。人員を送り込みやすいし、交渉次第で有利な条件を引き出すことができる。それで年単位の猶予を担保したなら、他の土地にも集中できる。もし武田家が先に動いた場合、今上帝のご意志に背いたとして糾弾する。それは織田家にとって、悪いことではない。

 交渉の場には誰を向かわせようか?

 信純が適任だが、頼んでも断られる。信直を岩村城主に据えた挙句に、さっさと尾張に帰って隠居してしまった。あれからすぐに小木村へ向かったと聞いた時には肝を冷やしたが、信直を連れていったらしいので暗殺目的じゃなかったのだろう。

 俺が抱える因縁まで次代に丸投げするつもりはないんだが。

 今は、何を言っても聞いてもらえない気がする。

「はぁ……」

「信長様、戦にかまけて愛妾にでも逃げられましたか?」

 脇息に凭れて溜息を吐いたところで、細川様がとんでもない爆弾を落とした。

 思わず跳ね起きる。帰蝶に聞かれたら、とんでもないことになるぞ。

「そんな事実はない! どこ情報だそれは!?」

「はて、おかしいですな」

「兵部殿。井伊殿のことでしたら、信長様からお断りしたそうですよ」

「いえ、私が小耳に挟んだのは出雲の」

「藤孝っ」

「ああ、そうでした。逃げられたのは藤左信純殿でしたね」

「うぐぐ」

 逃げられたわけじゃないが、尾張国へ逃亡済みなので何も言えない。

 せめて岩村城にいてくれたら甲斐信濃の対策に巻き込めたのに。奴はもちろん、そのことも理解した上で平穏な尾張国を選んだのだ。おつやの菩提を弔うためだと言われたら、無理に引き戻せない。

「あの……、よろしいですか」

「なんだ金柑頭」

「和議のことでお悩みでしたら、若様にお任せするのはどうでしょう。世代的にも諏訪四郎殿と釣り合いが取れますし、少しずつ政務を委譲していけば現場の混乱も抑えられるかと」

「採用」

 おずおずと挙手した光秀が、俺の一言でぱあっと顔を明るくする。

 順調に懐かれている気がする。なんか複雑だ。この好感度がいつか反転して憎悪に変わるんだろうか。いや、謀反はしてもいい。事件の日付は当然覚えていないが、いずれ起きると分かっている方が安心する。

 俺と信忠が生き延びれば、勝ちだ。

 本能寺は炎上確定なので、今回の献金は多めにしておこう。





********************

蘭奢待のことを信長がどこで知ったのかっていう疑問が残る…。というよりも蘭奢待が、どういう経緯で正倉院に納められたのかが気になる


※脇息...ノブナガ愛用の肘置きがランクアップした!

※永楽通宝...銅銭。今の織田領内で金貨・銀貨の流通はない

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