221. 勇者カンクロー、魔王に挑む

 岐阜城に戻ってきてから半月が経過した。

 年号は天正、季節は夏、青銅の風鈴が涼やかな音を立てる昼下がり。

「ガラス製はまだ諦めてないが、これはこれでいいもんだな」

 団扇をぱたぱたやりつつ、縁側でまったりする俺。

「あー……、きんきんに冷えたビールが欲しい」

 ワインよりもビール。ぬるいエールじゃなくてビール。蒸留酒じゃなくて発泡酒。

 南蛮貿易を積極的に行っている一因として、日本にはない飲食物を積極的に取り入れたい気持ちが大いにある。作物は土地に根付かせて、加工品はレシピを盗む。最初から大歓迎しまくったおかげで、人のいい宣教師たちは何でも教えてくれる。

 ついでに日本人嫁もらって根付いちゃってもいいのよ。

「ビールは麦でつくるから、やってやれんことはないはずなんだよなあ。麦芽糖ができるのに、なんでビールが生まれない。くそっ、何が足りないんだ」

 知識不足に苦悩して幾星霜。

 戦国時代に転生して数十年。

 どうせなら剣と魔法のファンタジーな世界に転生したかったと思わずにはいられない。チートいらないから、冷却魔法がほしい。あと時間短縮。乾燥・熟成させると美味くなるものは意外に多い。あるいは各種漬け物。砂糖漬けはとんでもなく高級品になるが、蜂蜜漬けは比較的安価に抑えることができるようになった。そして果実酒の研究はまだまだ続く。

 甘い酒は女性陣に人気がある。

「ビール、ビールが飲みたい。ラガーってなんだ。ビールの別名か?」

 ビール酵母の前に、パン酵母らしきものなら作れた。

 柑橘水の姉妹品として研究中の、近江林檎を使った果実水の失敗作だ。ちなみに最初のやつは発酵させすぎて林檎ワインになってしまった。二回目の試作品は林檎ジュースでも試してみて、アップルソーダもどきを堪能した。どちらもなかなか美味かった。

 いや、違う。俺はビールが飲みたいんだ。

 久々のシュワシュワに感動して樽一杯飲んでしまったが、ビールが飲みたいんだ。

「あっ、まおー発見!」

「まおーさま!」

「は?」

 どこから湧いてきたのか、双子がいる。

 四歳くらいの男児だ。お揃いの着物に、お揃いの紐で髪を結っている。

 人を指差しちゃいけません、と教わらなかったのだろうか。団扇を置いて口を開きかけた時、双子の片割れが背負っている幼女に気付いた。

「お藤!」

 思わず腰を浮かせかければ、まんまるの目をきょとんとさせる愛娘。

 昼寝していたところを連れてこられたのかもしれない。誘拐犯にしては幼すぎるし、今の岐阜城はこれまでになく子供率が高いのだ。行儀見習いと称して、側近たちの子供も城内に放逐されている。そのため、城で働く者たち全員に「叱る権利」を許していた。

 間違っていること、危ないことを教えるのは大人の義務だ。

「あっ、まおーが怒った」

「逃げましょう」

「うん、逃げよう」

「こらまてガキども!!」

 きゃあきゃあと、声変わりする前の少年らしい甲高い音が響く。

 意外に足が早い。城内を知り尽くしていると言わんばかりに駆け回るり、俺は息を切らせて追いかけるハメになった。首にしがみついているだけのお藤が落っこちやしないかとハラハラする。本人は楽しいらしく、ご機嫌で足をパタパタさせているから余計に怖い。

「つか、てめえら! 走るなとは言わんから、背中のを置いてけ」

「やー」

「お、お藤いぃっ」

 ぷいっと顔を逸らす仕草は母親譲りで大変可愛らしい。

 だが俺よりも、そっちのクソガキどもの方がいいと言われたのが辛すぎた。思わず崩れ落ちれば、走るのを止めた双子(?)が揃って見下ろしてくる。

「言った通りでしょ。父上は女好き」

「言った通りでした」

「聞こえてんぞ於次丸、石松丸!」

 誰情報だと怒鳴れば、双子(?)は顔を見合わせる。

 あ、なんか嫌な予感。

「勘九郎兄上」

「若様」

「……。おのれ、きみょおまるううぅ!!」

「いつまでも幼名で呼ばないでくださいと、いつも言っているでしょうっ」

 思わず叫べば、すぐ近くの襖が勢い良く開かれた。

 面倒見の良い嫡男様は弟妹をとても可愛がっているし、よく懐かれている。幼いながらも団結力を発揮して、俺の出陣阻止を狙ったのもいい思い出だ。ちっとも褒められないことに、奴が弟妹を使う時は大抵の場合で「自分の為」だったりする。

 仁王立ちしている信忠の後ろに、従者よろしく賦秀が控えている。

 いつも一緒ね仲良しさん、と揶揄ってやる余裕はなかった。

「今回は何が目的だこのバカ息子おっ」

「猿めに織田家を継がせると聞きました。いくら私が後継として不甲斐ないからといって、そんな妄言を公の場で口になさるとは……気でも狂われましたか」

「いや、何言ってんだ。織田家の後継はお前だろ?」

「そうです私のはずで…………、え?」

「それー。まおーをやっつけろー」

「し、失礼します。えいっ」

「えい、えい」

 足元で双子(?)+αが何やら頑張っている。うん、可愛い。

 それはさておき、しばらく顔を見せなかったと思ったらコレである。

 うちの長男様は帰蝶譲りの知性を持っているくせに、思い込みの激しいところが玉に瑕だ。賦秀が義弟として軌道修正してやればいいものを、面白そうだからと便乗する。影に徹しているらしい滝川の息子はともかく、佐久間の息子はそろそろ胃に穴が開くらしい。

 まだ若いのに胃薬が手放せないとか大丈夫か。

「とりあえず場所を移そう。ついてこい、バカ息子」

 ちなみに双子(?)+αは足にしがみついて離れなかったので、そのまま歩いていくことにした。これも鍛錬、命の重みを忘れないための鍛錬なのだ。


**********


 というわけで疲労困憊中の俺、ノブナガ。

「もう疲れたから、近いうちに家督譲る。ってなわけで、後宜しく」

「はあ!? 少しくらい説明してください。秀吉が次の天下人だと言った理由についても、まだ説明していただいておりません」

「早耳だな。お冬に聞いたのか?」

「父上、もう国中に広まっています」

「千里を駆けるっていうしな」

「父上!!」

「ぎゃあぎゃあ喚くな。当主たるもの、どっしりと構えてこそだぞ。賦秀を見てみろ。俺が何言っても、平然としてるじゃねえか」

「慣れているからな。織田の父は突然よく分からないことを言い出す。そして、それが何の根拠もない妄言・奇行である場合は殆どない」

 うん、ちっとも褒められた気がしない。

 思わずへの字になる俺を見やり、賦秀はふふんと鼻で笑った。

「猿が天下人になるのなら、いずれはそうなるのだろう」

「忠三!?」

「あやつは織田の父と同じように野心を抱かぬまま、一兵卒からのし上がった。運も実力の内だ。一族の者が重用されていることに不満を抱く輩も少なくないが、織田の父は才ある者こそ積極的に使う。無能な凡愚の遠吠えなど、聞くに値しない」

「それはっ。でも、そのせいで於次丸が命を狙われたんだ」

「ちょっと待て。それ初耳」

 俺は聞いてねえぞ、そんなこと。

 思わず隣を見やれば、ぴゃっと首を竦める於次丸。その背に庇っているのは石松丸だ。血が繋がらないのにそっくりな外見のせいで、おねねが俺のお手つき疑惑まで浮上している。同時期に生まれたから、一緒くたにしていたのが思わぬ余波を生んでいた。

(まあ、本当に似ているんだよな。遺伝子の不思議ってやつか)

 石松丸は、秀吉とおねねの子だ。これは間違いない。

 秀吉は女好きというよりも惚れっぽい上に、美女に弱いだけだ。賦秀のように眉目秀麗なイケメンなら話は違ったかもしれないが、ひょうきんな猿顔では色恋沙汰にはならない。それでも人誑しには違いなく、女よりも男にモテている。

 おねねは姐御肌なので、羽柴夫婦を慕う舎弟は増える一方だ。

 於次丸は、生母であるお奈江が出家してしまったから羽柴家に預けたような形になっている。他の子供たちのように帰蝶が世話をすることも考えたのだが、何かと忙しくて手が回らない状況だった。織田家臣の奥方衆を取りまとめたり、俺の片腕として相談役になってくれたり、他国へ散った弟妹達の連絡役を務めたりと、働きすぎなくらい働いてくれている。

「一応聞いておきますが、父上。おねねとは何もないのですよね?」

「あるわけないだろ。何かと相談に乗ってやることは多いが、それはねねに限ったことじゃねえぞ。まあ、内容が内容だけに人払いすることもあるが……」

「それだな」

「それですね」

「二人で納得するな! 石松丸は俺の子じゃない。秀吉と、おねねの子だ。俺の落胤だから、秀吉が……今後の織田家を引っ張っていくなんてことを、俺が考えるわけねえだろ」

「本当は分かっているんでしょう、父上?」

 憐れみを含んだ眼差しで信忠が溜息を吐く。

 それを見ていた於次丸が真似をして、更にお藤が真似をして頭から畳に突っ込んで一回転していた。慌てて石松丸が助けに入り、満面の笑顔フラッシュを受けている。惚れたら殺すぞ。

「考えるわけねえ、を信じない愚か者がいるということが問題なんですよ」

「よし、やっぱり家督譲るわ。後宜しく」

「どうしてそうなるんですかっ」

「跡継ぎたかったんだろ? もっと喜べよ。そして忙殺されろ」

「嫌です。丸投げするのは家臣だけにしてください」

「ほんっと雑事嫌いだな、お前。それで当主が務まると思うなよ? 国のトップ、王様ってのは総合管理職なの。やりたいことがあるなら、やるべきことを全部片づけてからにしろ。少なくとも俺はそうやってきた。俺とお濃の子なんだから、やればデキる」

「そうそう! 兄上はやればできる子」

「できゆ」

「於次丸、お藤」

「その辺の凡人と変わらぬなら、そもそも義兄として認めていない。いい加減、自覚するのだな。勘九郎、お前は第六天魔王ではない。織田の父は、織田の父。お前は、お前だ」

「…………忠三……」

 じわっと滲んできたものを堪えるように、信忠は何度も瞬きをした。

 ぱらぱらと散った雫は、見なかったことにした方がいいのだろう。俺たち以上に、俺の子供たちは兄弟仲がいい。帰蝶だけでなく、吉乃やお奈江のことも母親として慕ってくれている。今後は側室を迎える予定もないので、子が増えることもないだろう。

「でかくなっても、泣き虫なのは変わらんなあ」

「気付かないふりしてくれたんじゃないんですかっ」

「あ、悪い。つい、うっかり」

「父上!!」

 むきになって腰を浮かせかける我が子は、若干顔が赤い。

「魔王退治した勇者を称え、歓迎のハグだ。いけ、ちびっこども」

「うわっ」

 双子(?)+αに突撃される信忠を横目に、賦秀が鋭い視線をこちらへ向ける。

 正直言って、こっちの方がよほど王様っぽいと思っているのは秘密だ。生意気なだけだった子供が、不遜な態度をとるようになっても不思議と腹が立たない。参謀キャラでもないし、勇者のライバル的な立ち位置の万能キャラという感じだ。女性票をごっそりもっていく系な。お冬に一筋というか、ベタ惚れな辺りもポイントが高いらしい。ちなみに、そっちは岐阜城下の世論調査結果。

 噂話や井戸端アンケートは案外、役に立つ。

「本当に隠居するつもりか、織田の父よ」

「いや、とりあえず家督譲るだけだ。雑事を含めて、当主としての仕事は徐々に移行していく。でないと現場が混乱する」

「もう既に、色々とやらされていますが」

「ぶん殴られてえか」

「すみません」

 肩を落とす信忠を、よしよしと撫でるお藤。なんかデジャヴュ。

 ちょくちょく留守にするため、岐阜城の全権はほぼ信忠に移行しつつある。帰蝶がフォローしてくれている部分は、松姫に引き継ぐことになるだろう。これと並行して、信忠につけている子供たちにも権限を与えなければならない。

 親衛隊から独立し、信忠軍団とする。

 毛利家が素直に出雲国を明け渡してくれたら、本格的に西国へ目を向けられる。東国はかの有名な伊達政宗の動きが気になるものの、まずは北条家に注意しなければならない。今孔明をして「よく分からない」と言わしめる現当主が何を考えているのか。

 実子がいなくても姉の子がいる上杉家へ、養子縁組させたことも気になる。

 家康のところへ身を寄せている今川氏真の妻、早川殿は氏政の妹だ。しかも信忠のところにいる太郎こと武田義信の離縁した妻も、氏政の妹である。同盟関係の強化が目的だと分かっていても近親婚だらけで眩暈がする。

(北条家も、家族の絆を大事にすると聞いてる。厄介な相手には違いない)

 織田と仲良くできればいいが、あちらにその気がなければ戦になる。

 将来的には家康が統治することになる関東のことは、家康に万事任せておきたい。きっとなんか上手く、いい感じにまとめてくれるに違いない。俺はそう信じている。

 この時代、関東の特産品ってなんだろうな。ネギか。

 焼きネギもいいが、やっぱり鍋だな。柔らかくて食べやすく、魚の臭みもとれて、諸々のダシを吸ったネギ鍋は一石三鳥の価値がある。

「いや、それよりもカニが食いたい」

「かに?」

「そろそろ越前の状況も落ち着くだろうから、顕如を迎えに行こうかな。越中は上杉に渡しておけばいいだろ。謙信のやつ、さんざん介入して虎のおっさんと取り合ってたみたいだからな。おっさんがいない今、武田が海を求めるなら――…」

「地盤を固めていない隙を狙わせるつもりか? 越後の軍神に挑む気概が、あの若造にあるとは思えんがな」

 若造言うな。お前も若造だろ。

 とは声に出してツッコミできないチキンハートな俺。ちらっと思わなかったわけじゃない下心を指摘されて、うっかり二の句が継げない。

「だ、だが、徳川の結束も固いぞ。ちょっと前ならいざしらず、今は隙がないだろ」

「北条と手を組み、氏真にも働きかける。これからの時期に戦をするなら、雪で退路が断たれる心配もしなければならん。攻めるなら南だ」

「そうか! 父上は今、毛利家との交渉に入ろうとしている。出雲国のことで西へ目を向けている間なら、徳川家は織田の援軍を期待できない」

「長曾我部は土佐統一を成し遂げたが、四国統一までは時間がかかるだろう。これを毛利家が黙って見ているとも考えにくい。予定通りに同盟を組む腹積もりであるなら、どちらに利があるのかをよくよく考える必要がある」

 よーく考えよー。お金は大事だよー。

 突如浮かんだ合唱は片隅に追いやって、真面目に考えてみよう。要約すると現時点で、三方面への対処が求められている。

 北陸、関東、そして西の中国・四国地方の三つだ。

 俺は北へ行きたい。夏が終われば秋だ。秋は忙しすぎて死ぬので、冬はのんびりしたい。鍋がいい。越前ガニが食べたい。石松丸・於次丸が狙われているのなら、俺と一緒に行動していればいい。ついでに秀吉も連れ回せば、不満を持つ奴らを炙りだすこともできるだろう。

 そして関東の問題は、なかなか厄介だ。

 相良油田は大事、とても大事。もしもアレを北条家が嗅ぎつけたのだとしたら一大事だ。ここは慎重に動かねばならない。家康は戦国最強がついているから大丈夫だと思いたいが、あれは基本的に戦闘特化だ。参謀はたぶん、まだ越前にいる。いい加減、仲直りしろよ。

 というわけで。

「信忠」

「はい、父上」

「じゃんけん、ぽん」

「あっ」

 俺がチョキで、信忠はパーだった。

 じゃんけんは頭脳戦である。単純に見えて奥が深い。そして子供たち全員に教えているので、いきなり仕掛けられても反応する。そして何故か、信忠はパーを出す確率が高かった。じゃんけんは「最初はグー」で始まるもの、と教えたせいかもしれない。

「よし。東は任せた。俺は北へ行く」

 ぽんぽんと肩を叩いて、俺は立ち上がる。

 足元ではいつの間に集まってきていたのか、お藤たちが「かに」と騒いでいた。美味しいものに目がないのはいいことだ。前世でも食べられなかったズワイガニを味わえるかと思えば、秋のデスマーチも乗り切れる気がする。

 この時の俺は忘れていた。

 あと数年で、歴史に刻まれた大きな戦が始まるということを――。





********************

そんなことより越前ガニが食べたい

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