218. 第六天魔王vsお手紙公方
一度でいいから、やってみたかった一騎打ち。
その場のノリと勢いで、つまりは深く考えずにやっちまった反動か。馬上で怒鳴ったのが気に障ったのか、はたまた無意識に緊張してしまっていたのか。
「ぶべっ」
俺の体はずるりと落ちて、泥にまみれていた。
「……何をやっているのだ、三郎」
「うるへ」
呆れかえった信広のツッコミはさておき、皆の視線が痛い。
やめろ、かわいそうな子を見るような目を向けるな。俺を振り落としてくれた愛馬は素知らぬ顔で、その辺の土を掘り起こしている。何度となく戦場を駆け抜けてきた軍馬が、怒鳴り声くらいでビビるわけがない。
(蹄で土いじりして、誤魔化してるつもりかよ)
顔についた泥を拭おうとしたら、籠手も泥だらけだった。
この際だから、全部脱いでしまえ。と、泥まみれでも黒光りする具足を外していく。ガチャガチャと音をさせていたら、似たような音がだんだん近づいてくる。
馬鹿公方様が来たようだ。お供をたくさん連れて。
なんとなく後回しにしていた兜を小姓に預けていると、何故か嬉しそうな顔でこちらへ駆け寄ろうとする馬鹿公方様。そして当然ながら、お供Aに引き留められていた。
「尾張守!」
「おやめください、公方様。彼奴めの策やもしれませぬっ」
「離せ、昭光! 尾張守はそんな男ではないと言ったであろう」
「この期に及んでまだそのようなことを……! 二条城を追われた御身をよくよくご覧なさいませ。そもそも公方様自らが御出陣になる切っ掛けは、この男の傲慢さと横暴な仕打ちでございましょうっ」
ぎゃあぎゃあと喧しい。くんずほぐれつの取っ組み合いは普通に見苦しい。
俺は首の後ろを掻きつつ、未だ馬上にある信広を見やった。
「昭光って、槙島城主の?」
「そうだろうな。公方様の名をいただいた者は少なくないが……、己の保身だけで動く日和見の幕臣ではなさそうだ」
「同感。おお、睨んでる睨んでる」
本気で、義昭の身を案じているのだろう。
そうでなければ、なりふり構わず力づくで止めたりしない。とうとう後ろから羽交い締めにされた義昭がじたばた暴れ出した。そのまま体力消耗して疲労困憊で戦う気も失せました、ってことになってくれないかなあとか少ししか考えていない。元仏法僧とはいえ、剣豪将軍義輝の弟である。元々のポテンシャルに加えて、この日のために極秘特訓していてもおかしくない。
(本能寺の変までは、死なないと思ってるけど。死なないだけで、死ぬほど痛い目に遭うのは嫌なんだよなー)
真木島昭光は、俺と同じように薄い髭を揃えた地味系城主だ。
しっかり武装しているので着痩せするタイプかもしれないが、大して筋肉質には見えない。若作りでなければ、義昭よりも年下だろう。マッチョもイケメンも見慣れている俺としては、ジミーズ同士仲良くしたい。めっちゃ睨んでくるので、ちょっと無理かなあとも思っている。
さて、どうしたものか。
最後の幕臣かもしれない槙島城主がついてきたのは、おそらく俺が騎馬隊を引き連れているからだ。城の外へ出ていた足軽兵、義昭を含めた十数騎では幕府軍なんて呼べない。まだお互いに距離があるとはいえ、一駆けで粉砕できてしまう。
だって義昭と昭光、どっちも馬から降りてるし。
主張を譲らぬ、一方的な言い合いばかりで決着がつきそうにない。無視しても、まとめて倒しても、織田軍の評判が地に落ちる。昭光がそれを狙っているのだとしたら、厄介な話だ。同時に「真の忠臣」とは呼べなくなるが。
「このままでは埒が明かない。信長様、俺が往こう」
「鹿之助?」
「任せろ。こういうのは得意だ」
ニヤッと笑う鹿之助。
あらやだイケメン。敬語じゃなくなっているが今は許す(面倒だから)。堂々たる鹿頭を見せつけながら、ゆっくりと馬を進めていくのを見守った。
「槙島城主、真木島昭光殿とお見受けいたす!」
「……貴殿の名は」
「尼子義久様が一の家臣、山中鹿之助幸盛」
「尼子、だと? 毛利家に滅ぼされたと聞いているが」
あ、地雷踏んだ。
俺が慌てて耳を庇った直後、ブチ切れた鹿之助の絶叫が響き渡った。
「黙れぇ! 滅びてなどいぬぁあい!!」
馬上で器用に地団駄を踏んでいる。馬がちょっと迷惑そうだ。
そうかと思えば腰の刀を抜き放つなり、馬の上から昭光へと飛びかかった。完全に目がイッちゃっている。神に苦難の道を祈願していたドMのくせに、雌伏の時は長すぎたのか。
キシャーとかキエーとか叫びながらの一撃を、昭光が何とか受ける。
「公方様、お下がりください!」
「あ、昭光っ」
後方へ突き飛ばされてフラついた義昭と、目が合う。
とっさに腰の刀へ手を伸ばしたのは、きっと同時だった。何かを堪えるように歯を食いしばる将軍を迎える俺は、どんな表情を浮かべていたのだろう。完全武装の相手に刀一本で立ち向かうのは、ちょっと早まったかもしれない。
「負けるなよ、三郎」
俺の心を見透かしたかのように、信広が言った。
すぐ近くで激しくやり合う音が聞こえてくる。キレた鹿之助とやり合える程度には強いらしい、真木島昭光という男は。追い詰められた義昭が頼るであろう相手だけはある。天然の要害にこもるだけの城主ではなかった。
(鹿之助が大したことない、っていうオチもあるけどなー)
出雲国でも戦っているところを見たわけじゃないし、史実と事実は異なる場合がある。
どちらかといえば、ステータス・知将扱いだった気もする。織田軍には文武両道を地でいく奴らが多すぎるので、頭脳派だから剣術はダメダメという定義も使えない。どっちも平凡な俺に言わせてもらえば、どっちかが秀でているだけで十分すぎるほどだが。
義昭と数合ほど打ち合い、眉を寄せた。
(もしかして、手加減されてる?)
素直すぎる太刀筋だから読みやすいし、あまり体重が乗っていないので捌きやすい。最初から負ける気でいるのだとしたら侮辱されたと怒るところだが、義昭はとても真面目にやっているように見える。
「尾張守は、強いな。さすがだ」
「俺は普通だぞ」
「ずっと、この日を夢見ていた」
「将軍なのにか」
「私は、お前になりたかった! お前が、私に夢を与えた!!」
上段から振り下ろす刀を、正面から受けた。
難なく横へ振り払えば、今度は手数の多さで攻めてくる。剣術もへったくれもない。日本刀で、とにかく殴りつけるみたいな猛攻をひたすら受ける。繰り出される刃の全てに、奴の思いがこもっていた。ギラギラと焼き付くような視線を、俺は知っている。
ああ。前にも、こんなことがあったっけな。
義昭は俺を憎んでいるわけじゃない。俺たちは似ている、という言葉に偽りはない。似ているから、義昭にも俺と同じようなことができると思い込んでいたのかもしれない。織田家がでかくなったのは、俺が頑張ったからじゃない。織田の家臣たちが、民がすごいからだ。俺がすごいわけじゃない。
義昭はいつも俺に好意的だった。羨ましがっていた。
その想いに、心に、ちゃんと向き合ったことは一度でもあっただろうか。鬱陶しいと思うばかりで、義昭の抱えている悩みや問題について真面目に考えたことがあっただろうか。臣下として接するなら、俺の頼れる側近たちみたいに「主君のために何かできること」を考えるべきだったんじゃないか。
「いきなり将軍なんぞに担ぎ上げられた私を、将軍として生かしたのはお前だ。尾張守! お前が私を将軍にした! その引き際までも示した上で……!」
そんなことを言った覚えはない。
と、反論する余裕なんかなかった。自己嫌悪で潰れそうだ。振り下ろされる刃に両断されたくなる。織田信長がここで死ぬわけがないと知っているし、日々の鍛錬が勝手に回避行動をとる。着物のあちこちが切れて、端がひらひらする。俺の切っ先が義昭の頬を掠めて、うっすらと赤い筋ができた。殺意がないだけで、俺たちが振り回しているのは真剣だ。
斬られれば血が出るし、斬られた場所が悪ければ死ぬ。
「お、尾張守いぃ……っ」
受けて流すばかりの俺にしびれを切らしたのか、義昭が鍔迫り合いに持ち込んできた。
ぜえぜえと息を切らせながら、真っ赤な顔を寄せてくる。大の男が、仮にも将軍位に就いた者が、今にも泣きそうな情けない面を晒して恥ずかしくないのか。
野郎にくっつかれる趣味はない。だから殴った。
ガァ……ン!
それは聞き慣れた音だった。今一番、聞きたくない音だった。
その時の俺には、全てがスローモーションに見えていた。義昭が何か言おうとしている。鳩が豆鉄砲を食ったような顔に赤い河が流れる。
俺は反射的に義昭へ飛びかかり、重なり合うように倒れ込んだ。
しばらく待つが、二発目はない。種子島は単発銃。狙撃犯は一人ということか?
「三郎!!」
「公方様!!」
「今撃った奴は誰だ!!」
捕らえろ、と誰かが叫んでいる。
義昭の顔は血まみれで、真っ赤だった。
それなのに息は浅く、目の焦点が合っていないように思える。震える手が彷徨うので思わず捕まえたら、力いっぱい握りしめられた。溺れるものは藁をも掴むという。俺なんかの手で繋ぎ止められるなら、いくらでも握りしめればいい。
「お、わりもり……」
「喋るな。こういうこともあろうかと、医療班を連れてきた。大丈夫だ。傷は浅い。貴様は死なない。大丈夫だ」
「ふ、ふ……そんな、顔も、するのだな」
「喋るなって言ってんだろ! 殴って黙らせるぞっ」
死に目に会えなかった者たちの顔が次々と浮かんでは、脳裏から消えていった。
誰もが俺の手からすり抜けていく。今、この瞬間にも。
ふざけるな。感じたことのない激しい怒りが体中から噴き出す。
室町幕府は足利義昭を最後に倒れる。織田信長と対立したことがきっかけだったと記憶しているが、信長は幕府存続に積極的だったとも聞く。この時代にはまだ幕府という権力が必要だ。そう考えていたのだろう。
「ふざけるな! 幕府が倒れても、貴様の存在は必要なんだ……!」
急成長する織田勢力に対抗する旗印として、時代の抑止力として。
それに何よりも、歴史を変えないために。
家督を継ぐ前からぼんやりとあった恐怖と怒りが、ようやく形となった気がした。俺は死にたくない。長生きしたい。だが、それ以上に絶対譲れないものがある。
俺はもう一度、帰蝶に逢いたい。
この時代の歴史が大きく変わったら、俺の前世も大きく変わるかもしれない。俺の知らない現代で、俺は生まれないかもしれない。違う俺になるかもしれない。
そんなのは嫌だ。そんなのは絶対、認められない。
「お、尾張守」
震える声で呼ばれ、現実に引き戻される。
「わ、私は……必要、か?」
「必要だ!」
「そう、か」
義昭はほっとしたように、笑った。
そしてゆっくりと、目を閉じた。
********************
いつか誰かに額の向こう傷をつけてやろうと、虎視眈々狙っていた時期もありました…
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