217. 宇治の河原にて

 所変わって俺、ノブナガ。

 京の街を南下していって五ケ庄の柳山に布陣した。

 馬鹿とナントヤラは……というが、高地に陣を張るのは戦の常道だ。宇治川の向こう側に、義昭たちがこもっているらしい槙島城が視認できる。なんだかんだで、あれから十日ほど経過した。この時代に梅雨明け宣言があるのかどうか知らないが、連日の雨で川が増水している。すぐ近くにある人気スポット鳳凰堂が水没しないか心配だ。

「宇治川って暴れ川だったんだなあ、知らんかった」

「ふん! 怖気づいたか、弟よ」

「渡河は難しそうだ、って言いたかっただけだ。つーか、なんでいるんだよ脳筋」

 二条城の守備はどうしたと聞いたら、勝家に任せてきたという。

 どうやら白旗を上げた公家のうち三淵何某は、細川様の異母兄にあたるらしい。複雑な家庭の事情は聞かないに越したことはない。細川様は淡々と報告してきたが、三淵は最後まで粘ったので勝家が説得したのだとか。

 話し合いだよな、うん。お公家さま相手に、拳で語り合ったりしてないよな。

 ちらっと隣へ視線をやれば、ちゃんと分かっているという顔に力強く頷いてくれた。あっ、これダメなやつだ。貞勝が上手くフォローしてくれるのを祈ろう。

「あちらは心配無用だ! それよりも今回、いつもの側近連中を連れてきていないというではないか。そして此度の戦は宇治川である。ならばこの兄が、お前の大好きな義経の話をしてやろうと思ってな!」

 好きだと言った覚えはない。が、信長は好きだったのかもしれない。

 荒れた海に突っ込んでみたり、坂から馬で駆け下りてみたり、戦上手というよりも戦馬鹿としか言いようのない男だが、間違いなく天才である。うちのバカ兄貴じゃなくて、源義経が。

(そういえば上皇エロジジイに嫁を奪われそうになったんだっけ。お濃が天皇家に召し上げられそうになったらキレる自信あるぞ。白拍子姿は似合いそうだし、得意な舞があるかどうか聞いてみようかな)

 よくよく考えたら男の踊りしか見たことがない。

 女歌舞伎はどうした。そうだ、出雲の阿国だ。もしいるなら京屋敷に呼んでみたい。舞を禁止されるくらいだから、相当ヤバかったに違いない。

 はっ、殺気!?

 俺は咄嗟に上半身を逸らした。スケートで、こういうの得意な選手いたよな。なんて考えている間に、拳がかすめていった。

「あっぶねーな! 何すんだ馬鹿兄貴」

「戦に集中しろ! 公方様が武士の意地を示さんという時に、腑抜けた顔を晒すな!」

「ああ、そうだったな」

 細川様の策で、義昭と一緒に風呂に浸かった話を思い出す。

 あの時は半分以上、冗談のつもりだった。織田信長がどうやって幕府を倒したのか、どうやって将軍の座から引きずり下ろしたのかを知らなかったから。何とかやってくれればいいと他人事みたいに考えていたし、ここまで関わることになるとは想像もしなかった。

「槙島は見ての通り、巨大な湖に浮かぶ島である」

「そうだな」

「水が引けば騎馬での渡河も可能だが、基本的には船で物資のやり取りをする。そして既に槙島城の包囲は、ほぼ終わっていると言っても過言ではない」

「へえ」

 義昭終わったな。

 他人事みたいな気分で相槌を打つと、再び風を切る音がした。

 俺はイナバウアーで避けた。戦に参加する気満々だったのか、信広はしっかりと具足を装着済みだ。素手でも威力がある拳に小手がついて、無事で済むわけがない。俺も武装しているが、顔はフリーだ。戦国武将は顔がイノチ。親父殿に殴られて、顔がめっちゃ腫れた青年時代を思い出してしまう。

 あの頃は若かったなー。色んな意味で。

「顔は止めろって言ってんだろっ」

「そんな体たらくで、勝てると思うのか!」

「いや、ほぼ勝ったも同然だって。俺、負ける戦はしない主義だし」

「勝算はあるようだが、大丈夫か? 平凡なりに鍛錬を怠っていないようだが」

「うっせ」

 俺が平凡でも、織田軍は精鋭揃いだからいいんだよ。

 そう言い返そうとしたら、ひょいと首根っこを掴まれた。魔王とかジパングの王とか呼ばれちゃう俺が、猫の子を摘まむみたいな扱いをされている。思いっきり暴れているのにびくともしない上に、足がぷらぷら揺られて威厳もへったくれもない。

「お、おいこら離せ馬鹿兄貴!!」

「……天は、お前にいくつの試練を与えるつもりなのだろうな」

「は?」

「公方様と友誼を深めていたのは知っている。情の深いお前には酷なことだと分かっている。代われるものなら代わってやりたい。だが三郎、お前こそが織田家当主なのだ。野心を持たぬ優しいお前が、ようやく天下取りに意欲を示したと聞いて私は……!」

 いや、天下目指してないし。

 結果的にそうなるかもしれないなーくらいの認識であって、すぐに別の奴に譲る予定だ。とか言わない方がいい気がした、今は。俺は空気が読める男である。

 そのまま猫の子状態で運ばれて、馬の背に落とされた。

 漆黒の具足で固めた親衛隊の中に、何故か鹿の角が混ざっている。鹿って肉食じゃないよな、草食動物だったよな。なんで殺る気満々なんだ。

「お待ちしておりました! 我ら騎馬隊、いつでも出陣できます」

「うむ! では、出陣!!」

「え? あ、待てよ。まだ宇治川は増水したままって…………おおいっ」

 鬨の声と共に、勇ましく騎馬隊が飛び出していく。

 俺のツッコミは誰も聞いていない。我、ノブナガぞ? お前こそが織田家当主って言ってたじゃねえか。なんで完全無視で、勝手に出陣してんだよ。

「待てって言ってんだろ。この戦の総大将は俺だぞ!」

「おお、三郎! 見よ、宇治川はこの通りだ。二手に分かれて渡ろうぞ」

「はあ!?」

「故事に倣い、どちらが早く渡河できるか競争だ」

「だから増水してて馬じゃ無理って……、ああもう!!」

 前もって指揮系統を分けておいたのだろう。

 信広が真っ先に川へ突撃していくと、槍を携えた騎馬隊の一部がこれに続いた。が、やっぱり苦戦している。馬の腹まで水位が上がってきているのだ。対岸へ近づきたくても水に足を取られて、じわじわと下流へ押されていく。

 その様子に焦れた鹿之助が馬を寄せてきた。

「信長様! 我らも参りましょうぞ」

「ああ、今ならいけるかもな」

 にやりと笑えば、一瞬怪訝そうな顔をする。

 だが尼子再興を悲願とする戦の申し子は川の様子を見て、すぐ気付いたようだ。

 同じようににやりと笑い、やや下流へと馬の首を向ける。河原から離れたところで止まったため、派手な水飛沫はここまで飛んでこない。今にも流されそうな友軍を助けるのは、巻き添えを喰らう危険があるからダメだ。

 俺が馬首を向ければ、残りの親衛隊も倣う。

「死にたくなければ、タイミングを合わせろよ! 宇治を一気に渡り切るっ」

「おおっ」

 俺たちは馬の腹を蹴り、勢いよく川へ飛び込んだ。

 信広達よりも下流を選んだのは、先に渡河を始めているおかげで疑似的な堰となって水位が下がっているからだ。さすがに川の中頃で勢いが削がれてしまうが、強引に渡れないことはない。顔にかかる飛沫を嫌がる馬を宥めつつ、俺は対岸の向こう側を睨んだ。

 こちらが動いたのを察してか、足軽隊が出てきている。

(……騎馬に歩兵ぶつけてどーすんだよ)

 馬房柵も見当たらない。

 ちらほらと見える小舟は、例の小早隊だろう。子を守る親のごとく、鉄甲船が一隻。これも友軍だとするなら、奴らは――。

「貴様らは完全に包囲されているゥ!!」

「ばっ」

 俺は慌てて川から飛び出した。

 もしかして紙メガホンの真似をしているつもりか? 信広は法螺貝を構え、それはそれは大音量で怒鳴っていた。あれだけ川の中で悪戦苦闘していたくせに、どうやって川から出てきたのだろう。とりあえず、ぶおんぶおん煩い。

「おい馬鹿やめろバカ兄貴!」

「潔く武器を捨て、投降せよォ!! 望む者にはこの私自ら、引導を渡してく」

「やめろって言ってんだろ!!!」

 すぱあぁん、と小気味良い音がした。

 ハリセンの一撃を受けて、信広の兜がズレる。違う、やったのは俺じゃない。小柄な鎧武者がこちらへ一礼して、素早く後方へ下がっていった。

 そろそろ全員が渡河を終える。

 奮闘虚しく流されていった者は、小早隊が助けてくれたようだ。川を逆流していたように見えたが、気のせいだろう。人馬の足から水が滴り落ちて、辺りは水浸しだ。降りた途端に滑って転びそうな予感がしたので、俺は仕方なく手綱を引き寄せた。

 愛馬は不満そうに鼻を鳴らしつつ、信広へと近づく。

「い、今のはなんだ……。頭ががんがんする」

「無駄に挑発してんじゃねえよ。って言っただろうが」

「敵を混乱させる手口ではなかったのか? もう我慢ならぬ、幕府を潰すと言ったそうではないか。だからこそ私は、お前のために」

「幕府は潰す。だが、戦はしねえ」

 増水した川、中洲にできた島、どれをとっても嫌な記憶しかない。

 舅殿を見捨てた。

 楠十郎と最後まで分かり合うことができなかった。

 三好残党を生きたまま汚泥に埋めた。

 後世に伝わる織田信長の戦歴に比べれば、生温い話かもしれない。残虐非道と非難される行動はしていない。なんとか回避してきた。お市たちは今も、長政と仲良く過ごしている。

「こんだけお膳立てされてよ……俺が、出ていかないわけにはいかねえだろ」

「三郎」

「あいつに、頼まれたんだ。助けてくれって、言われた気がしたんだ」

 右の拳を固めれば、ぎちぎちと音がした。

 織田信長に生まれ変わったのだと知ってから、色々なことをやってきた。歴史を変えようと足掻いてみたり、結局変わらない現実に絶望したり、未来を変えてしまったかもしれない恐怖に怯えたりもした。

 失うのは怖い。家族は愛おしい。

 頼られると弱いのは、きっと前世から変わらない。ノーと言えない日本人で何が悪い。権力が怖い。偉い奴らと会えば、とんでもなく緊張する。武芸は平凡、政治経済はおろか戦略にも詳しくない。前世知識があるから、ちょっとばかし賢く見えるだけだ。

 その知識だって穴ぼこだらけで、全然役に立たない。

「こんなに織田信長らしくない奴もいないだろ」

「何を言う。お前以外に三郎信長がいるものか」

「ああ、そうだ。俺が、ノブナガだ」

 信長らしくないから、信長らしく生きようと思うのは止めた。

「その法螺貝貸せ」

「なんだ、やっぱり開戦するのか」

「違え。メガホン代わりにするの。いいから貸せって」

 怪訝そうな信広から法螺貝を取り上げて、俺はすちゃっと構えた。

 さっきはさんざん馬鹿にしたが、他に道具がないから仕方ない。ハリセン兵がいるならメガホン兵もいるかもしれないが、探している時間が惜しい。城の前で立ち尽くす足軽兵が、いつ決死の特攻を始めるか分からない。

 すうっと息を吸い込んだ。

「……うぉれは! やっぱ止め。ウルサイわこれ」

 ぶおおんと鳴り始めた法螺貝を放り投げて、TAKE2。

「我は信長! 織田尾張守、三郎信長であるっ。征夷大将軍、足利義昭殿!! 貴殿と一騎打ちを願いたいっ」

 声を張ると、男にしてはやや高めのテノールになる。

 野郎どもの野太い声に比べると女子供みたいで恥ずかしいのだが仕方ない。俺の声はよく通ると評判だ。城の中まで響けとは願わない。声を聞いた奴が、義昭に伝えてくれればいい。そして義昭が出てきてくれたなら、あの日の約束を果たせる。

 冗談半分どころか本気の一欠片もなかった台詞を、現実にする。






********************

この後、格好良く前進しようとして馬に振り落とされて泥だらけになります

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