219. 将軍追放

 前回までのあらすじ。

 家臣の陰謀で裸の付き合いがある将軍様から救難信号を受け取り、朝廷を巻き込んでの大芝居を打った。正親町天皇には真相を伝えてあるから、きっと大丈夫。なんかこう、いいカンジに公家衆を宥めてくれると信じてる。

 そして俺、ノブナガ。打ち合わせ通りに宇治へ出てきた将軍と、いざ最終決戦。武士らしく一騎打ちで勝敗を決めてやった。もちろん負ける戦はしない主義はきっちり通した。

 織田軍は勝者として、堂々と槙島城へ入った。イマココ。

「いたい、とても」

 殴った方が痛いとか、本当に納得がいかない。

 城主の代わりに上座へ落ち着いた俺は、冷たい水に右手を浸している。腕には臭くない膏薬を塗った湿布を巻き、完全にくつろぎスタイルだ。

 殴られた方はちょっと顔が腫れた程度で済んでいた。納得がいかない。

 血まみれの顔? あれな、額に半月のような銃創ができただけだった。傷は浅いぞって言ったのは俺だが、本当に掠り傷だった。皮膚がごっそりもっていかれたせいで出血が多かったものの、適切な処置のおかげで本人はいたって元気だ。

 縛られた昭光ともども医療班による手当てを受けている。

 彼女たちは騎馬隊よりも先に渡河して、出番が来るまで待機していたそうな。完全包囲どころの話じゃない。既に、城は落ちていた。そして俺が騒いでいる間に、双方の怪我人を回収してくれていた。

「えーと……琵琶湖から船で強襲し、淀城を含めた槙島城の支城を全て落として? 京から出てきた馬鹿公方様の軍勢が渡河しやすいように、川を一時的に堰き止めて…………怪我人が出るまで待機してた、と」

「あの程度、尼子再興軍の敵ではない!」

 今回の功労者様が、なんか無駄に偉そうだ。

 鹿之助が騎馬隊に合流できたのは、幕府軍が虫の息になっていたから。昭光が最後の幕臣というのも当然で、残りはみんな降伏か戦死していたのだ。軍事演習だって言ったのに、勝手に腹を切った奴は知らん。残った家族のフォローはしなきゃならんが。

「俺たちが来るまで川を堰き止め、るわけにはいかねえか。十日は経ってたもんなあ。槙島城が水没しちまう」

「そう簡単に水没するものか!」

「簡単だぞ? 水の流れをちょっと変えればいいだけだからな」

 歴史を変えるより、ずっと簡単だ。

 というのは言葉に出さず、皮肉めいた笑みを浮かべる。そんな俺に何を思ったのか、昭光は悔しそうな顔で黙り込んだ。将軍暗殺疑惑で睨んでくるかと思ったが、案外大人しい。

「お濃、負傷者がどれくらいいるか分かるか?」

「両軍ともに数十人程度でしょう。重傷者も命に別状はなく、軽傷者は本日中に応急手当を終えます。足りない物資も、数日のうちに届きますわ」

「公方様は?」

「先生によれば、安静にしていれば問題ないと」

 淀みない報告を受け、鷹揚に頷く。

 さすがは俺の嫁。医療班の初陣もきっちり果たしてくれた。別室で控えているのが常だった彼女は今回、班長として傍にいてくれる。これはお仕事です、で説得されてくれた。俺プロデュースの白い制服が動き回っているところを見たかったが、次の楽しみにしておこう。

 話を戻すと、今回は「軍事演習」だったわけで。

「やっぱ、死傷者ゼロは無理だったなあ」

「その中に公方様がいなかっただけ、よかったと思うのだな!」

「なんで兄貴が胸張ってんだよ」

「ふん」

 いや、もっと胸を張れって言ってるんじゃないから。

 信広は俺の護衛SPのつもりらしい。畿内で二度も狙撃されたものだから、織田家中が異常にぴりぴりしている。後で分かったことだが、義昭を撃ったのは槙島城の足軽だった。捕縛しようとした時点で毒を飲んだため、真相は闇に葬られてしまった。その足軽は義昭を狙ったのか、俺を狙ったのか。誰かの指示を受けたのか、本人の意思だったのか。

 火縄銃はまだまだ高級品だが、兵装の一つとして当たり前になりつつある。

 俺が死ねば織田家の進軍は止まると思っている輩は多いから、義昭はとばっちりを受けたとも考えられる。頬の銃創は雑賀衆の威嚇射撃だったと、今は判明している。それほどの精密射撃ができる雑賀衆に、止まった的を外すような失策をするとは思えない。

 一騎打ちは予定通りだったが、完全にノーマークだった。

 将軍の座から引きずり下ろす予定だったとはいえ、仮にも足利宗家の現当主だ。周囲に関係者も多くいたにもかかわらず、狙撃を許した。そのことは大いに反省すべき点である。

(信忠と弟たちは、黒幕に心当たりあるみたいだが……。先入観に囚われると調査も偏りが出るし、ロクなことがないんだよな)

 こういうことが起きると、必ず疑われる奴がいる。

 もはや様式美となりつつあった。

 あれでも一応ただの人間であるわけだし、遠隔操作で人を操れるわけがないと何度言っても聞いてくれない。色々企んでいるだろうことは俺も感じているが、もう恐れるべき対象ではないと思い始めている。

 俺は一人じゃない。愛する家族と、大事な仲間がいる。

 それでいいじゃないかと、今は思う。

「公方様は一体、何をお考えになっていたのだろうか。……織田と組んで、十五代続いた将軍家に泥を塗ろうなどと」

 我々は騙された、などと力なく呟く。

 そんな昭光を見やり、信広がフッと鼻で笑った。

「戯言だな」

「な、なんだと!?」

「諸国に置いた守護職はもはや機能せず、幕府の権威は地に落ちた。誰一人として将軍の言うことなど聞こうとしない。時代は変わろうとしているのだ。お前たちは結局いつまでも古い価値観に囚われ、目に見える範囲のことしか考えていない。和睦の仲立ちをしたところで、一年も経たずにいがみ合う。誰にも敬われぬ武家の頭領など聞いて呆れるわ!」

「ぐうっ」

 珍しく信広が正論を吐いている。

 そして昭光は胸を抑えて倒れこんだ。すかさず現れた医療班が蹲る体を担架に載せて、どこかへと運んでいく。にわか仕込みと思えない鮮やかすぎる手際だった。

「幕府にも才ある者がいなかったわけじゃないんだよな。光秀とか、藤孝とか」

「二人とも織田家に臣従したぞ。三郎の方がいいと判断したのだ」

「光秀は違うだろ」

「お言葉ですが、今の私は信長様に心からの忠誠を誓っております」

「はいはい、わかったわかった」

 ひらひらと手を振れば、不満そうにしながらも後ろに控える金柑頭。

 それこそ義昭が銃撃されたことで誰よりも激怒しそうなものなのに、やけに冷静なところが気になっていた。細川様は顔に出ないタイプだが、光秀はすぐ噴火していたイメージがある。信忠に何やら吹き込まれたのは間違いないとして、この変わり様は違和感しかない。

 妻子ある立場で二度もクビを切られたくないのかもな。

 今回の『軍事演習』には貞勝の代理、財務担当として参加していた。

「そうだ、金柑頭。シジミは好きか」

「ご要望でしたら採ってまいりましょう」

「そうだな、頼む。鰻の蒲焼とシジミ汁を食えば、公方様の傷も早く癒えるだろう」

 今の宇治川にはちょっと入りたくないが、地産地消は大事だ。

 地元食材なら鮮度もいいし、戦った者たちへのねぎらいにもなる。個人的には鰻の骨酒や骨せんべいを作ってみたい。そして朝のシジミ汁。完璧だ。

「ところで金柑頭、琵琶湖のシジミも大層美味いと聞いた」

「新しい城は琵琶湖の東岸ですから、新鮮なシジミを毎日お届けできますね」

「うむ。それで西岸にも城を建てたいんだが、どう思う」

「近江国内を迅速に平定し、西の抑えになりますので優先すべき案件と存じます」

「よし、任せた。シジミもよろしくな」

「……は?」

 ぽかんと間抜け面を晒す光秀。久しぶりに見たな、これ。

 とっくに坂本城の話はしたつもりだったが、初耳だったようで悪いことをした。今の近江国には長政、秀吉、長秀がいる。遠くない未来に秀吉と長秀は城を移すことになるので、北の長政と連携できる有能な将が必要だった。

「坂本という地だ。三郎の期待に応えてみせよ」

 おい、それ俺の台詞。

 ドヤ顔でバカ兄貴が光秀の肩を叩く。

 ぷるぷる震えているのは怒りを抑えているからじゃないよな? 義昭のことでギリギリ我慢できていたのに、ひどい無茶ぶりされたと大噴火されてはたまらない。

 俺はバカ兄貴を引きずって、その場を後にした。


**********


 白い天幕の中は、独特の匂いが充満している。

 ふと山中の庵で会った信玄を思い出してしまったが、あの匂いに比べればマシな方だ。少なくともここにいる人間は、当分死にそうにない。

 ぼんやりと中空を眺めていた目がこちらを向き、突如キラキラと輝いた。

「おお、尾張守!」

「……元気そうだな」

「いっいま舌打ちしたか、舌打ちが聞こえたぞ」

「安静にしていろと言われてんだろ。大人しくしとけよ馬鹿公方」

「ば……っ」

 ぱくぱくと口を開閉していた義昭だったが、急に力を抜いて仰向けになった。

 痛み止めが効いているのだろう。具足を外しただけで白装束に着替えてもいない。病人ではなく戦での負傷者なのだから当たり前、と言われればその通りだ。

「尾張守、昭光の処遇はどうなる?」

「そうさな。征夷大将軍にお供が一人もいないとカッコつかねえから、このまま同行してもらうことになる。槙島城主じゃなくなる代わりに別の仕事を与えるから、少なくとも食いっぱぐれることはないぞ」

「そうか」

「狙撃の件は、なかったことにした。事実上お咎めなしだ」

「……っ、そうか」

 追い詰められても傍にいてくれた幕臣だ。

 義昭の狙撃を指示したとすれば、酷い裏切りだと言えるかもしれない。信じたいというのが正直な気持ちだろう。実行犯が死んだだけで調査は終わっていないとはいえ、面倒くさいことになると分かっていて明らかにする必要もない。

 こうして歴史は捏造されていくのだ。

 昭光の処遇にほっとした義昭だったが、何かに気付いた顔で眉を寄せた。

「待て、尾張守。さっきの言葉は何かおかしかった」

「どこが」

「私は負けたのだぞ。征夷大将軍の地位も返上」

「しません」

「し、しかし」

「返上しない。帝にも奏上した。お前はまだ将軍様。死ぬまで将軍様」

「何故だ、尾張守。幕府を潰すと言ってくれたではないか。尾張守と戦って、私が負ければ幕府は終わると……」

「公方様の気のせいじゃないですかねー」

 あ、でっかい耳クソがとれた。

 指先でぴんっと弾けば、小姓がすかさず懐紙で受ける。耳の穴ほじってる時点で用意したのだろう。相変わらず準備のいい事である。

「とりあえず、しばらくの間は大人しくしててくれ。落ち着いたら呼ぶから」

「其方が将軍職に就けばいい」

「ヤダ」

「織田幕府をひらくのだ、尾張守! 今までそうやって武家の時代は移ろい続けてきたのだぞ。私は其方が後を継いでくれると信じていたから――…っ」

「嫌だっつってんだろ」

 何度も言わせんな。

 思ったよりも冷ややかな声が出て、その場が静まり返った。

 お互いに側近連中を引きつれているわけじゃないからギャラリーも控えめ。さしずめ極秘会談の態であるが、俺が本当の意味で天下統一する気がないことは周知の事実だ。策士や軍師連中はそのことが不満でならないと知っている。実力があるのに実行しない。

 平穏平和を望んでおきながら、とんでもない我儘に見えるのだろう。

「幕府が機能してねえから、俺に助けを求めたんじゃねえのか。てめえはもっと広い視野で物事を見ることを覚えやがれ! 将軍ならっ」

「もう将軍はやめると決めたのだっ」

「却下だっつってんだろ! 官位の話を断り続けるのもしんどいんだぞ」

「ありがたい話ではないか。朝廷から官位をいただくのは、尾張守の功績が帝に認められたということだ。諸将も、其方に逆らおうと思わなくなるかも」

「なると思うか、兄貴」

「無理だな。むしろ三郎を倒せば、次の覇者になれると奮起するだろう」

 信広は不満層に鼻を鳴らす。

「だが中途半端なのは三郎もだぞ。分かっているのか? 天下はいらぬと言っておきながら、どんどん勢力を拡大している。織田家の影響力は留まるところを知らぬ」

「臣下もこう言っているではないか」

「ドヤ顔すんな、馬鹿公方。次の天下人はサルなの。もう決まってんの!」

 ドンガラガッシャンと、どこかで派手な音がした。

 はっと我に返るも時、既に遅し。まずい、久々にやらかした。

「猿の、天下?」

「……な、んだと?」

 目が点になっている義昭、ぷるぷる震えている信広。 

 俺がサルと呼んでいる相手は一人しかいない。そして信広の様子は、明智光秀が謀反人となって本能寺の変を引き起こすと言った時に似ている。思わず天幕内に信忠の姿を探したが、それらしい影は見つからない。派手な音を立てた奴もだ。

「三郎、少し外すぞ。兄は野暮用ができた」

「待て待て待て!! なんかよくわかんねえけど、やめろください!」

「安心しろ。織田家の障害になるものを排除してくるだけだ」

 俺、知ってる。これ、アカンやつ。

 だって信忠――当時はまだ奇妙丸――と同じこと言ってる。明智光秀が本能寺の変で織田信長と信忠を殺しちゃうから、その仇を取った羽柴秀吉が急速に勢力拡大していくのだ。本能寺の変があった時点で信忠に子がいなかったと思えないが、まだ幼かったのだろう。

 それでも勝家と秀吉がやり合っているので、簡単な道じゃなかったと思う。

 確か徳川軍とも交戦し、勝利を収めているはずだ。その頃には織田家中の味方を多く集めていたと考えられる。味方が利家だけじゃあ、戦国最強と渡り合える気がしない。

 天幕を出ていこうとするバカ兄貴にしがみついて、必死に押し留める。

「今のは言葉の綾! アヤ!! 口が滑っただけ!!」

「ほう? 口が滑った、とな。幕府を潰し、織田を潰す考えがあったということだな?」

「違うから!!」

 そこへ尾張守、と横から声がかかった。

 どこか羨ましそうな目線はさておき、公方様のお声掛けを無視するわけにはいかない。

「織田の猿はそれほど期待できる者なのか?」

「ん? ああ、領内の環境整備の最高責任者だからな。まだ目立った戦働きをしていないが、あいつのおかげで出生率も上がったし、疫病も抑えられて結果的に死亡率も減ったし、不作年のフォローもできるようになって、何よりも町が臭くなくなった」

「臭くない!」

「汚物は消毒だ!」

「消毒だ!」

 だんだんテンションが上がってきたところへ、見覚えのある美少女が現れた。

 すっと細められた目元は冷ややかで、血の繋がらない母の面影を思い出させる。

「父上、うるさいの。静かにするの」

「……ハイ」





********************

病室ではお静かに

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