213. 帰ってきた父と子の生存戦略

 そろそろお藤に顔を忘れられそうなので、俺は岐阜城へ帰ることにした。

 真新しい街道の出来栄えをチェックがてら、のんびりと道程をゆく。関所がないおかげでスムーズに進めるようになった代わりに、峠茶屋をちょくちょく見かける。そこで足を休める旅人が俺たちを見て、椅子から転げ落ちる勢いで平伏するのは……まあ仕方ない。

(さすがの俺も、四十を越えて貫禄が出てきたか? はっはっは)

 馬の上で胡坐をかき、上機嫌で扇子をひらめかせた。

 軍事演習とは名ばかりの、本格的な戦支度をしていることは少しずつ噂として広めている。俺としてはあくまで「軍事演習」だが、結果的に倒幕へと至る計画だ。周りの奴らには好きなように解釈させておけばいい。

「……んっ、あれ? もしかしなくても、軍事演習が信忠の初陣になっちゃうのか」

 奇妙丸として参戦した戦はひとつもない。

 裏でコソコソしていた件は当然ながらノーカウントだ。とはいえ、武家の子として二十歳間近まで戦に出ていないのは、さすがにおかしいか。妙な噂の一つや二つ湧いてくるわけだ。有象無象にかかずらっている暇はないので無視してきたが。

「せっかくの初陣だし、華を持たせてやりたいな……」

 今までは大っぴらに褒めてやることができなかったから、余計にそう思う。

 我が子を溺愛するあまりに特別扱いしているんじゃなくて、信忠が優秀なのだと知らしめなければならない。因縁ある武田との全面戦争ならデビュー戦に相応しい気もするが、信玄が死んで間もない時期に攻め込むのは気が引ける。

 それに近江国内外の状況が、まだ落ち着いていない。

 甲斐信濃を織田領とした場合、ほぼ間違いなく軍神が攻めてくる。越後に向かった慶次が戻ってくる前に戦いとなったら、後で何を言われるか分かったもんじゃない。そもそも戦いになったら、家族団らんの時間が大幅に削られる。

 西に公方様、北に軍神、東も軍神ときどき北条。

 東北勢の情報もちらほら入ってきているが、さしあたって問題視するほどの状況にはなっていない。できれば早めに仲良くなって、軍神の足止め要員を頼みたいところだが。

「そういえば、後十年早く生まれていればって言ってた奴がいたな」

「誰のことですか?」

「ん? ああ、伊達政宗って言って……なんだ、奇妙丸か」

「信忠です。父上が馬上でご機嫌だと聞いて、様子を見に来たんですよ。お藤は今が可愛い盛りですからね」

「娘はいくつでも可愛い」

 すくすく成長し、あっという間に嫁いでしまう。

 息子も可愛くないわけがないが、信忠のように生意気な口を叩くようになると軽くイラッとする時もある。分かっている。ただの嫉妬だ。出来がいい奴に反感を抱くのは、ダメ人間の証拠だろう。こればかりは死んでも変わらない。

 俺は人払いをしてから、信忠と並んで馬を歩かせた。

「伊達といえば最近、最上義光なる者が勢いを増しているそうですよ。妹が伊達家に嫁いだので、義理の兄弟で争っていることになりますね」

「よく知ってんな」

「西国平定が終われば、いずれ東にも目を向けなければなりませんから」

 にこにこーとイイ笑顔で信忠。

 武田、と言わない辺りが小憎らしい。俺はツッコミしないからな。ちょうど武田や上杉への抑えとして、東北勢のことを考えていたのだ。内輪揉めしているなら、別のところに誘いをかけた方がいいかもしれない。

「ちょうどいいので、最上に鉄砲を数百売りました」

「はあ!?」

「これからの時代は飛び道具ですよ、父上。離れた場所から相手を狙い撃つことができれば、戦術が大きく変わります。戦を早く終わらせることもできる。織田我らが日ノ本に、新しい戦を広めるのです」

「信忠」

 名を呼んで手招きすれば、素直に馬を寄せてきた。

 不思議そうな顔が近づくので、その脳天に拳を叩き込む。

「痛いです!」

「人殺しの道具を楽しそうに語るんじゃねえよ」

「鉄砲を戦に使い始めたのは父上じゃないですか」

「俺じゃねえ。織田家で最初に鉄砲の有用性に気付いたのは親父殿、お前の祖父だ。今では大筒に短筒、抱え筒、バリスタもどきも開発しているな。お前が言うまでもなく、そう遠くない未来に戦における戦術の中心となるだろう」

 鉄砲や大砲の恐ろしいところは、精密射撃を絶対条件としないことだ。

 耳を劈く破裂音で、馬も人も驚かせることができる。絶大な破壊力で、人力では不可能なことを可能にしてしまう。武芸が苦手な俺でも、女子供でも扱えてしまう。

「戦で人を殺すのは当たり前だ、なんて思うな。戦で人が死ぬのは仕方ない、なんて考えるな。人は資源だ。時間と金は有限だ。戦は、無駄遣いの極みだ。だから、早く終わらせるんだ」

「父上は戦が嫌いなんですか?」

 嫌いだ。大嫌いだ。

 大きな声で断言できれば、いくらかスッとしただろうか。そんなわけないと分かっているからこそ、苦々しく吐くしかない。

「好きも嫌いもねえよ。避けられないから戦うしかない。戦う以上は、負けられない。できるだけ死人を減らすしかない。戦で勝てば儲かるなんて、まやかしだ」

「でも父上は、武田や上杉と戦う気なんですよね。それに、公方様とも」

「ああ。それが、乱世の倣いだ」

 軍事演習と銘打っているが、事実上の将軍追放劇だ。

 馬鹿公方が光秀を追い出した茶番とは、規模が違う。

 ぐだぐだやっている畿内から旧勢力を一掃し、実質的な織田領とする。西国平定まで視野に入れるつもりはないが、関白に登り詰める秀吉の後押しになるだろう。最終的には家康が天下統一、日本全国を幕府の影響域に含むことが目標だ。時代の大河はそう簡単に変わらないが、ちょっとくらい早めるくらい可能だと思いたい。

 だって早く楽隠居したいし!

 このままだと信忠が軍神並みの戦好きになってしまう。親父殿も戦好きだった可能性があるので、遺伝かもしれないのだ。せっかく豊かになった土地が昔のようになってしまったら困る。老後は、帰蝶や孫たちと美味しいものを食べて暮らすと決めているのだ。

 そのためには南蛮貿易も何とかしたい。

 九州まで安全に航海するには、西側との交渉が不可欠。そして東北勢は軍神や北条家への抑えも当然あるが、まだ見ぬ食べ物への期待もある。伊達政宗は本物の美食家だ。幼いうちに知り合っておけば、美味い料理をたくさん生み出してくれるかもしれない。

 慶次はいいよな、あちこち歩き回れて羨ましい。

 って、公方様と同じことを呟きそうになった。

「……父上」

「なんだ」

「真面目な話をしているんですよね」

「そうだな」

「なんで老後の話になっているんですか。伊達政宗って誰ですか」

 おっと、また洩れていたか。まあいいや。

「幼少時の病で片目を失ってな。独眼竜とも呼ばれている。刀の鍔を再利用したカッコイイ眼帯がトレードマークだ」

「知りませんよ、誰ですか!」

織田うちとは違ったスタイルの傾奇者で、伊達者の語源となったとも言われているな。それと創作料理が得意だ」

「なんですかその偏った情報は!」

 隣の信忠くんがやかましい。

 後世では織田信長に次ぐほどの超有名人だったのだ。ネタの真偽を問わないなら、一晩中語れるくらいのエピソードがある。三英傑に数えられる秀吉や家康も言わずもがな。前世の記憶なんて結構忘れていると思っていたが、案外思い出せるもんだ。

 伊達政宗が気になるのは、話せば分かる相手だと思うからだ。

 生母の義姫は最上義光の妹だったはずなので、伊達家に梵天丸という子供が生まれていれば確定だ。ついでに信濃国の真田さんちも探しているんだが、それらしい奴がいない。成長してから、あの家康をビビらせる猛将に育つのだ。赤ん坊でもいいから見てみたい。

 伊達以外だと、佐竹に蘆名や南部もいるか。

 アポ取りたくても上手くやらないと警戒されるからなあ。

「そういえば奇妙丸、武藤何某って奴に助けてもらったんだったな」

「信忠です。喜兵衛殿でしたら、武田家の重臣として信玄も頼りにしていたそうですよ。兄の信綱が真田家を継いだので、武藤家の養子に入ったみたいですね」

「真田キタコレ!!」

 知っている名前があると、テンション上がるなー。

 だが真田幸村の父は信綱じゃなかったはずなので、祖父だろうか。伊達政宗同様にまだ幼いか、生まれていない可能性が出てきてしまった。下手に介入すると家康を脱糞させられない。真田丸の逸話は好きなので、武田のことは長篠の戦まで放っておくことにしよう。

「奇妙丸、真田家についてコッソリ調べようとか考えるなよ」

「信忠です、どうしてですか。父上が気にかける者は大成すると分かっているんですから、今のうちにツバつけておいて損はないですよ」

「筒井家の島左近みたいにか?」

 松永弾正に気に入られた彼は今、大和国で忙殺されている。

 将来は石田三成のナンバー2になるはずなのに、出会う兆しもない。秀吉からは、それらしい子供を見つけたと報告を受けたばかりだ。腹を冷やすから食べないと言った干し柿をたらふく食べさせて好物にしてやろう。

 美濃特産品の一つである蜂屋柿は、蜂蜜禁止令が出たお市の好物だ。

 干し柿にすれば旬が過ぎても食べられる。蜂屋繋がりで般若介に命じて、大規模な果樹園を作らせた。朝廷にも献上した経歴を持つ上等な柿だ。不味いとは言わせない。


**********


 信忠を話し相手に岐阜城へ帰還した俺、ノブナガ。

 まさかの絶体絶命の危機に陥っていた。可愛い娘と一緒に風呂へ入ろうとしたら、お冬が俺の前に立ち塞がったのである。

「お藤を返せ!」

「いやなの」

「やーの」

「父上! しっかりしてください、父上!!」

 致命傷を受けて倒れ込んだ俺を激しく揺さぶる息子。

 台詞こそかなり切実っぽいが、めっちゃ笑っているだろ。心の目でしっかり見えているんだからな。賦秀もニヤニヤしやがって。こいつらは労りという言葉を知らんのか。

「父上、お藤を返してほしかったら医療班」

「だめだ」

「最後まで言ってない……」

「だ、だめだ。危険が危ないから駄目だ!」

 しょんぼりと肩を落としたお冬が視界の端に映り込み、更なるダメージを受ける。

 だが、こればかりは許可できない。今までが大丈夫だったから、なんていう言い訳は通用しないのだ。後方で支援するだけだから安全、なんていう保証はない。

 正面きって戦いながら、後方から別動隊で襲い掛かるのも立派な戦術だ。

 俺が認めないと分かっていたから、彼女は強硬手段をとることにしたのだろう。しばらく見ないうちに大きくなった末娘をあやしながら、お藤は悲しそうに呟く。

「母上もいいって言ってくれたのに」

「お濃が?」

 まさか、そんなはずは。

 思わず信忠を振り返れば、青い顔で首を振っていった。動揺しすぎて両手も一緒にブンブン振っている。となれば、あやしいのは義息の方か。

「何平然としてんだ、忠三郎。お冬が心配じゃないのか」

「狙われると分かっているなら、いくらでも防ぎようがある」

 鬼だ、鬼がいる。

 ドヤ顔で「万難を排す」と言ってのけた賦秀が怖い。医療班が必要だという話をしてから一ヶ月も経っていない。誰かが岐阜城に報せて、奥様戦隊の耳に入れたのだ。帰蝶がGoサインを出したというのなら、俺に否やはない。

 ああ、分かった。俺を説得するのが、お冬に課した最後の条件だ。

 ある程度は自由に動けた頃と違って、蒲生家の嫁になったお冬は行動制限がある。今まで見たいに俺の目を盗んで動き回れば、蒲生家にも傷がつく。

「……医療班のメンバーにアテはあるのか」

「みんなで特訓したの。子供は怪我が多いから、たくさん練習できたの。我ら白衣の天使、奥様戦隊公認ナイチンゲール部隊なの」

「名前長いな採用!!」

「父上は本当に、娘に甘いですよね」

「フッ。この結果は最初から分かっていた」

 後ろで何やら言っているが無視だ無視。

 あっという間に上機嫌になったお冬からお藤を受け取り、あむあむと指を齧られながら話を聞いた。医療班に組み込む予定のメンバーはほぼ十代。奥様戦隊から体力に自信のある若い嫁たちと、蘭丸以下小姓見習いが候補として選ばれていた。

 甲賀衆から何人かが護衛についてくれるらしい。

 それとお五徳の直虎ジャンヌ様自慢をきっかけに、女たちの護身術鍛錬が流行っているようだ。男たちが不在の城を守るのは女たちの役目である。自分たちにできることはあるはずだ、とあれこれ知恵を出し合った結果、三の丸がカラクリ屋敷になっていた。

 知らないうちにアトラクションが増えていた件。

 甲賀衆監修の本格的なやつだった。これは長利も一枚噛んでいるな。

(医療班の初陣が軍事演習なら危険度も低いか)

 俺は色々諦めることにした。

「お冬、まず医療班には必要な物資の配給を担当してもらう。柑橘水と握り飯だ」

「はい」

「治療で必要な物資は力自慢に任せろ。道具類は個別に所持していても構わないが、移動中は危ないので荷駄隊に預けておくこと」

「えー」

「従えないなら参加は無しだ」

「ちゃんと預けるの! 徹底するの!」

「よろしい。応急手当で重要なのは、止血と化膿止めだ。具体的には」

「布を巻く、薬を塗るの二つなの。傷口は最初にしっかり洗うこと。道具はいつも清潔にしておくこと。薬は貴重なので、分量を守ること」

 指折り数えながら、お冬が一つずつ挙げていく。

 思ったよりも本格的な勉強をしていたようだ。ナイチンゲールの話は寝物語に聞かせたやつなので、医学知識は詳しそうな者を探したのかもしれない。思い当たる節がなくもないが、帰蝶があいつを頼ることは絶対にない。

「お前たちが担当するのは、あくまで軽い怪我だ。重傷者は専門家に任せろ」

「えー」

「従えないなら」

「わ、わかったの」

 急いで頷くお冬に苦笑する。

 見た目はすっかり淑女らしくなったものの、中身はお転婆な子供のままだ。お冬とお五徳は生まれてくる腹を間違えたと笑ったこともあるが、この行動力は奈江譲りである。

「奇妙丸、包帯と手拭いの手配を頼む。子供が持ち運べる手桶も人数分だ」

「信忠です。包帯と手拭いはどれくらい必要ですか?」

「とにかくたくさんだ」

「たくさんいるの」

「たくさんだぞ、勘九郎」

「はいはい」

 翌日からは何故か、俺が医療班の特訓指導することになった。

 託児所を担当する者以外の奥様戦隊メンバーもしれっと参加していたが、手早くできる応急処置は覚えていて損はない。日に日に野次馬が増えていって、ついに見学席が設けられたのは知らない話だ。娯楽がないから仕方ないんだよな、うん。

 塗り薬は信包が用意してくれた。

 小さめの印籠に、可愛らしい鈴と色違いの房がついている。何種類かの痛み止めの丸薬もあるというので、それについても説明しなければならなくなった。これ、応急手当だよな?

 なんというか、兵たちの訓練よりも疲れた。

 帰蝶とお冬がサポートしてくれなかったら、医療班の実現はなかったかもしれない。





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顔面偏差値が高すぎる医療班

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