212. 対策は万全に

 茶々と万福丸は、長政が連れてきたらしい。

 まだ幼いお初、そして身重のお市は小谷城で留守番だ。とはいえ、織田の女はフットワークが軽い。脱走防止のために見張りもつけてきたというから、長政もだんだん分かってきたらしい。次こそは男児をという声も多いようだ。元気な子を産んでくれれば、という言葉に俺も頷く。

「浅井三姉妹でもいいと思うぞ。美人に育つのは確定しているしな」

「それは、いつもの予言でございますか?」

「おじうえは、みらいもみとおすのじゃ!」

 子供たちのキラキラビームが刺さる。

「……奇妙丸。連れていけ」

「勘九郎です。…………いつになったら呼んでくれるんだ」

 おーい、聞こえてるぞ。

 ブツブツ文句を言いながらも茶々を抱え、万福丸の手を引いて部屋を辞する。大好きな伯母の血を引くからなのか、茶々のことは可愛いらしい。万福丸には余計なことを吹き込まずに、仲良くしてくれれば何でもいい。幼少時から弟妹の面倒を見てきた信忠だ。小さい子の扱いには慣れている。

 さて長政が佐和山城に来ているのは、ちゃんと理由があった。

「右衛門督が降伏したか」

「はっ。羽柴殿、柴田殿のお手を借りることになりましたが……ようやく」

 最後の一言に、万感の思いが詰まっている気がする。

 これで六角義治は浅井家家臣となり、長政の下克上が成った。いや、その前に浅井家は事実上の織田家臣になっているから下剋上にならないのか? どっちも信長が潰す予定だったことを考えると、多少落ち着かない気もするが仕方ない。可愛い妹を未亡人にはしたくないし、朝倉家と義景も今後の織田のために必要な存在となりつつある。

 いつか、シワ寄せは来るだろう。それが少し、怖い。

「長かったな」

「申し訳ございませぬ」

「いや、責めているわけじゃない。むしろ、上手くやったと褒めているつもりだぞ」

「あ、ありがたき幸せ! 家臣として、義弟として恥じぬ働きをできるよう、今後はより一層精進いたしますっ」

 畳に額をこすりつける勢いで平伏する長政を見やり、生温い気持ちになった。

 うん、どうしてこうなった。

 下座に控える賦秀は、当然とばかりにふんぞり返っている。信忠と並んで俺の後継たる位置を確保しつつあった。賦秀のステータスはかなり高いので、その気になれば信忠を傀儡化できる。お冬の親衛隊もかなりの精鋭であるらしい。

(六角氏の末路は、織田家の末路かもなあ。くわばらくわばら)

 六角残党は一向宗とも結びついて、かなり面倒なことになっていた。

 立て篭もる寺ごと焼き討ちするなり何なりすれば早く片付くが、どうしても遺恨は残る。負の連鎖は断ち切るのが難しいのだ。そのことは誰よりも、俺自身がよく分かっている。

「これで近江国は」

「これで安心して義兄上の居城をつくることができますね!」

「ん?」

 あれ、長政に安土計画のことを話したっけ。

 安土山は近江国内にある。北近江はもともと浅井家のものだが、南近江は六角氏の支配下にあった。そして浅井家は六角氏の家臣だった。だから近江国は長政に任せると言ったのだ。

(なのに安土城建てちまったら、織田家直轄地になっちまうじゃねえか!!)

 ちなみに秀吉も、近江国内に自分の城を持つ。

 琵琶湖沿岸部の今浜と呼ばれていた地域から、信長の一文字を拝借して長浜城。ちなみに俺に一言も断りなくやらかしたので、勝家からぶん殴られていた。その勝家がいるのは長浜城から琵琶湖沿いに南下した先、八幡にある長光寺城だ。

 名前ごときで、と言い出したらキリがないので省く。

「長政」

「はい、義兄上!」

「近江国はお前に任せると言った。その言葉を違えるつもりはないぞ」

 秀吉と勝家は、長政のサポート要員として配置したのだ。

 更に俺の城が加わったら、織田の本拠地が美濃国から近江国へ移動してしまう。大粛清で反抗的な奴らがいなくなったとはいえ、凡庸な主君は嫌だと長政を担ぎ出した経歴がある。血気盛んな浅井家臣たちを大人しくさせるためにも、長政の存在は必要だ。

 内心冷や汗ダラダラ流す俺には気づかず、義弟殿は輝く笑顔で頷いた。

「もちろんです。義兄上に幼い頃から従ってきた側近の皆様はともかく、後からやってきた蒲生家に大きな顔などさせませぬ」

「ほお」

 長政の挑発に、賦秀が口角を上げる。

 側近の皆様は(俺のせいで)多忙を極めているため、ここにいるのは賦秀と小姓たちだけだ。安土計画と軍事演習を同時進行させることになったからだが、築城に関してはゆっくりでいいと言った。はずだ。たぶん。

 それにしても、俺を挟んで睨み合うイケメン二人。両手に華。全く嬉しくない。

「ヤメテー、ワタシのために喧嘩しないでー」

「織田の父に免じて、ここは矛を収めてやろう」

「義兄上の温情に感謝するのだな!」

 おいやめろ。普通にスルーされるより恥ずかしい。

 無言で立ち上がり、二人ともハリセンでぶっ叩いてやった。

「何故私まで……」

「ちっとも話が進まんだろっ。六角残党を何とかできたから、次の一手を打つぞ」

「心得ている。例の軍事演習だな」

「義兄上! その軍事演習にあたっては、甥の小法師をお連れください。京極家は元は近江守護であり、公方様とも繋がりがございます」

「ん? 小法師はまだ十だろ」

「年が明けて十二になりました。此度のことを受け、高吉は出家して小法師に家督を譲る心算でございます。初陣に義兄上御自ら率いる軍勢に加わるのは、末代までの誉れと存じます」

 京極高吉のことは覚えている。

 おっかねえ姉ちゃん(長政の姉)にケツ叩かれて、半泣きで謁見願いに出てきた優男だ。守護職につく家はだいたい公家か、公家に近い家柄と相場が決まっている。それが浅井家に仕えるようになった経緯は乱世の倣いということにしておこう。

 出家を決断したのは妻(と実家)に睨まれたか、精神的に耐えられなくなったのか。それにしたって、元服もしていない子供を戦場に出すのは気が引ける。

 って高吉も、長政にとっては義兄だろ。呼び捨てでいいのか。

「織田の父よ、何を躊躇う。我が妻は、単身で戦場を駆け抜けたぞ」

「単身じゃねえから! ちゃんとお供いたから!! ……つーか、お冬のおかげで六角氏の防衛線を切り崩せたようなもんだからなあ。だが、小法師は普通の子供だろ」

「ご安心ください。四つの時より密かに織田塾に通わせておりましたので、座学は完璧でございます。武芸は少々不安が残りますが、そこは実践あるのみかと」

「公家と平民混ぜるな危険」

 ちゃんとした家庭教師をつけられるはずなのに、何故に織田塾。

 いや、ツッコミするだけ無駄か。基本構想を出したのは俺だが、弟や側近たちが面白がって色々やらかしたせいで相当おかしなことになっている。一言で表すなら、小中高一貫校みたいな感じだ。しかも公立で学費がめっちゃ安い。

 美濃尾張では、とりあえず織田塾初等科に入るのが一般的になりつつあるらしい。

 最近は周辺国からも入学希望者が増えているとの報告もあった。京極の子供はその中に含まれていたのだろう。外部入学はだいたい金持ちだから、学費も割高設定しているのに減らないんだよな。保護者気取りの大人にウロウロされたくないから、一人だけ残して地元へ帰ってもらっている。

 あれ? これって、ほぼ人質なのでは。

「義兄上、悩みごとですか?」

 長政の声で我に返る。

 もしもそうだったとしても、織田家の影響力がどんどん拡大していくのは史実通りだ。戦火を広げて武力征服するよりマシだと思うことにしよう。

 外の子よりも、うちの子たちだ。

 お藤と於次丸以外の三男二女が大人の仲間入りしたとはいえ、長男の信忠を含めて全員が十代。他家に嫁いだお五徳はともかく、具豊と信孝が大人しくしている保証はない。特に心配なのがお冬だ。

 あの子がふらっと前線まで出てこないように、何か対策が必要だ。

「後方支援部隊でもやらせてみるか? 衛生兵とか」

 この時代の医学は遅れている。というのは元現代人としての感覚だ。

 南蛮渡来、または唐伝来の医療知識があるにもかかわらず、一般的に浸透しているのは民間医療が主体のあやしい方法ばかりだ。織田家の歯磨き習慣だって、はちみつや甘味の食べ過ぎて虫歯になったから広まった。

 人間、痛い目に遭わなければ学習しないのである。

「自力で動けなければ置いていくしかあるまい」

「ふん。少しでも犠牲を減らしたい、という義兄上の優しさが分からぬと見える」

「ほう? 備前殿には妙案があるようだな。話してみろ」

「うぐっ。そ、それは」

「ないのなら差し出口をするな。話が進まぬ」

「ふん」

 賦秀に言い負かされ、長政が真っ赤な顔で押し黙った。

 おい、こっち見んな。

 とりあえずドヤ顔がムカつくから口を挟んでおくか。

「兵を使い捨てる奴はお冬に嫌われるぞ」

「お市もそう言っていました!」

「む。ならば聞こう、織田の父よ」

 だからなんで、そんなに偉そうなんだよ。

 めちゃくちゃ上から目線で話すから、長政がすごい顔で賦秀を睨んでいる。織田家の婿として張り合うのは俺のいない時にしてほしい。

「そうだな、医療班とでも名付けるか。軽傷なら応急処置だけでも何とかなるだろう。重傷者は専用の天幕を用意して、治療に専念させるんだ。荷駄隊とは別に、独立した部隊として構成する。後方から狙う敵の警戒に、護衛も必要だな」

「織田の父よ、医療班はそれほどの価値があるものなのか?」

「お冬が怪我してもいいのか?」

「うむ。護衛は任せよ」

「いや、お前は前に出とけ。それと、……本番は夏になりそうなんだよな。柑橘水の改良もしてみるか」

「織田の柑橘水ですね! 桶狭間の大勝利に貢献したという」

「あれか。はちみつを一滴足すと、格段に美味くなる」

「バカタレ。そんな贅沢品を全兵士に渡せるか! そのレシピをもっと詳しく」

「甘味蔵の主に聞け」

 なんと、レシピの作者は長利だった。

 いつの間に甘味蔵なんて作ったのかは知らないが、ときどき信包と一緒になって新製品開発に勤しんでいる。俺が坊主嫌いなのもあって長らく手を出さなかった漢方にも、徐々に進出しつつあるらしい。この案はあいつらにも話してみるか。

 医療班は戦だけじゃなく、平時でも必要とされるべき部隊だ。

 土地開発に必要なのは男手だが、女たちは子供を産み育てる重要な役目がある。そして機織り物や食事関係も女たちの方が有利。戦死者が減れば孤児も減るし、土地が潤えば餓死者も減る。

 そもそも桶狭間の戦いが起きたのも、尾張国の豊かさに目を付けられたから。

 自国が潤えば、領土侵略しようなんて思わない。はずだ。

(俺は別に天下統一したいわけじゃなくて、子供たちに安定した未来を与えたいだけだもんな。皆が笑って暮らせる世であれば、喧嘩しようなんて思わないわけだし)

 長利は俺の親衛隊(鉄砲)も兼任している。

 同じく親衛隊(長槍)を率いていた信治の後釜には、信忠が収まった。これは俺が指示したわけじゃなく、信治の仕事を引き継ぐ流れでそうなったらしい。賦秀は蒲生隊ごと信忠に従った。佐久間や森の息子たちはまだ自分の部隊を持っていない。

 だが、そう遠くないうちに親衛隊から信忠軍団が誕生するような気がした。






********************

ノブナガ親衛隊こと直属部隊:織田信忠(長槍隊) 織田長利(鉄砲隊)

これにお試しで後方支援部隊(医療班)が追加されます。

信忠の側近である佐久間&森は「【挿話】その頃、奇妙丸は」に登場した子供たちです。これに滝川一益の子・一忠も加わったり、加わらなかったりします。

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