211. 倒幕への足音
作中時間ではまだ「元亀」のままです
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俺たちは京屋敷を後にして、岐阜城へ帰ってきた。
堅苦しい朝廷でのあれそれも何とか終えて、いよいよ年号は元亀から天正へと変わる。また書類のテンプレートを直さなければならないが、前もって分かっていたので前回よりはマシだ。有能な文官たちも育ちつつあるし、近江国も少しずつ落ち着きを取り戻している。
いい城は、しっかりとした縄張りから。
小牧山城と同じように、長秀に総奉行を任せることにした。今回も山をまるごと使う大規模な城郭とする予定だ。大きな天守と本丸を中心に、城塞都市を作る。主だった家臣たちの武家屋敷を城壁内に収めなければならないので、入念な築城計画が必要だ。
何度も言うが、戦をするための城じゃない。
数年かけて準備をして、着実に進めていきたいと考えている。幕府を潰すより、ずっと有意義な思考だ。もちろん安土城の知識なんて持っていないが、天守に住むという長年の夢が実現できそうなので、俺はとっても機嫌がいい。
一益が安土山の地図を作ってくれたので、息子たちと眺めているところだ。
「やっぱり天守はど真ん中、この辺りだな! 五階建てくらいにして、全方位から景色を眺められるようにする」
「でしたら、琵琶湖沿岸まで廓を広げましょう。防衛面でも役に立つはずです」
「船から物見櫓の合図を視認できるか確かめねばな。位置取りは重要だ」
「うーん、この辺りかな?」
「ふむ」
信忠が扇子で示し、賦秀が腕組をしつつ地図を覗き込む。
真面目に話し合っている様子は実に微笑ましい。小牧山城の原案は俺が考えたと聞いて、今度は自分たちも関わりたいと言ってきたのである。
城は男の浪漫だ。夢いっぱい詰め込んで何が悪い。
そんな俺の理想を分かってくれたのだと思っていたのに、奴らは「虎之口がどうの」「伏兵の配置が」「鉄砲隊の隠し窓は」と軍事面ばかり追求する。
「戦のための城じゃねえって言ってんだろ!」
「戦術的拠点には変わりない」
「敵に『攻めにくい』と思わせるのも兵法の一つですよ、父上」
「うぐぐ」
我が子の笑顔が眩しい。
どうやら曹操が造営した「銅雀台」と「安土城」を重ねているらしい。ノリで魔王を自称しちゃった俺と、三国時代の英雄を同列にしちゃいかんと思う。いや、後世では織田信長って超有名人すぎる歴史上の人物なんだが。
尻がむずむずしてきた頃、慌ただしい足音が割り込んできた。
「殿!」
「どうした、五郎左。何があった?」
長秀には安土計画の総奉行を任命したばかりだ。
前々から話していた野望を実現するとあって、信盛をはじめとする側近連中の気合も十分である。各方面へ手配をせねばと、大いにはりきっていた。
「お喜びください。
「アンノウン?」
「殿が褒めておられた観音寺城の石垣を積んだ職人たちのことです」
「お、おう。そんなこともあったな!」
かなり昔から石工が存在しているわりに、石の加工技術はそんなに高くない。
ダイヤモンド研磨剤や高圧力の水なんてものがあるわけもなく、何か月もかけて地道に削っていくのだ。だから大量の石を必要とする石垣は、自然石のまま使うことが多い。石垣に使える石をたくさん集めること、無駄なく積み上げることが石垣職人の技術力だ。
まじまじと石垣を眺めたのは、六角軍を追い出した後である。
もう、随分と昔のように思える。観音寺城の城下町を見たいと言っていた頃は、まだ六角氏とやり合うなんて想像もしていなかった。楽市楽座のシステムは尾張国から周辺諸国へと広まりつつある。
(奇妙丸って、あの時の新婚旅行で仕込んだのかもなあ)
戻ってきてすぐに色々あって、たくさんの子供に恵まれた。
あと一人くらい、と思わなくもない。於次丸やお藤も他の子と同じように良縁で結ばれ、いつかは子宝にも恵まれることだろう。子供は何人いても可愛い。何があっても守り通したいと、強く思う。
みんな揃って家族団欒。これ大事、すごく大事。
「仏師も心当たりがありますゆえ、期待してお待ちください」
「ブッシ……? ああ、物資か。総奉行だからって、何でもやらなくていいからな? ちゃんと分担して、不満が出ないようにするんだぞ」
「心得ております」
米五郎左はいつでも頼もしい。
俺への報告だけで帰るのかと思いきや、息子たちに捕まっていた。あれやこれやと無理難題をぶつけられ、難しい顔で唸っている。信忠と賦秀にしてみれば、築城に直接関わった経験者だ。言いたいことも聞きたいことも山ほどあるのだろう。
二人の相手を暫く任せることにして、俺は長煙管に手を伸ばした。
「……なるほど、妙案ですな。角度調整が可能な設置型の大筒ならば、既に試作品がございます。移動が難しいので放置されていたものですが、こういう使い方ならば」
「戦うための城じゃねえって言ってんだろ!! 城から砲撃してどーすんだっ」
「あくまで威嚇ですよ、父上」
当たるわけないじゃないですか、と爽やかに笑う馬鹿息子。
「単なる鉄の大玉ぞ。よほど運が悪くない限り、死なぬ」
大砲はまだまだ命中精度が低い。火薬の爆発で飛ばす弾には火薬を詰めない。
だから大丈夫、なんて保証がどこにあるのか。俺が頭を抱えている間に、子供たちの秘密基地よろしく隠し通路や仕掛け扉の話まで進んでいく。緊急時に扉を素早く封鎖するため、上から木製格子を落下させるらしい。
落下させる前は、その格子から覗いて狙い撃ちする。
信忠が考えるネタは、どうしてゲリラ戦っぽいのが多いのか。こいつに戦術を仕込んだのは半兵衛と利治である。舅殿こと蝮の道三が、草葉の陰で大笑いしている気がした。
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ふと思い立って、佐和山城に顔を出すことにした。
石田三成に過ぎたるものと謳われた城だが、当の本人はまだまだ子供である。もう一つの「過ぎたるもの」島左近との初対面もまだで、秀吉の小姓として下積み期間中だ。最近になって、元服を迎えた親族の子供たちを長浜城へ招いたと聞く。
俺が懇意にしている刀鍛冶の息子も、武士を目指すらしい。
どうせなら清忠の後を継いでほしかったが、決意は固いというのだから仕方ない。それでも職人の血は流れているらしく、築城術に興味を示しているようだ。織田塾で専門知識を学び、安土計画にも加わる気満々である。
息子たちをはじめとする若い奴らが結集すれば、どんなことが起きるのか。
「楽しみだなあ」
「わらわも、とってもたのしみなのじゃ!」
俺、ノブナガ。佐和山城の物見櫓なう。
琵琶湖を一望できる高い場所といったら、ここしかなかった。安土計画について賦秀が言っていたことが気になった、というのもある。広い琵琶湖のどこへでも合図を送れるようになったら、何日もかけて街道を駆ける必要がなくなる。
(対岸は無理でも広範囲を網羅できれば、あるいは)
早速、一益に人材を探させよう。
高い所に城を作っても、二階以上の建築物があっても、生活空間は一階に限られる。階段じゃなくて板張りの坂にすればいいのかもしれないが、勾配が急すぎると登るのが大変だ。階段は裾を引っかけやすい。ましてや、梯子は両手足が自由に動かせないと無理である。
しかし隣には、豪奢な着物の小さなお姫様。
丸い顔はゆで卵のようであり、大事に育てられてきたのがよく分かる。どこかで見たような面影をまじまじと見つめ、俺は顎を撫でつつ首を傾げた。
「…………えっと、どちらさま?」
「ひどいぞ、おじうえ。わらわは茶々なのじゃ。このかおをわすれたとはいわせぬ!」
「おお、よく伸びる」
「にゃー!!」
猫のように威嚇されてしまった。
ぺちぺちと頬を叩いてみせるので触れと言われたのかと思ったのに。手を離した途端に逃げられてしまった。気の強そうな顔つきだが、美女の卵には違いない。これで淑やかさを身につければなんて考えていたら、もう一人いることに気付いた。
お姫様は、申し訳なさそうに眉尻を下げる少年の背に隠れている。
こっちは見覚えがあった。まだあどけない顔をしている割に、背が高い。ひょっとして血筋だろうか。あと数年で追い抜かれる予感がする。
「もしかして、まんぷく丸か?」
「はい、万福丸です。信長様、ご無沙汰しております」
「大きくなったなあ。あの泣きべそかいてたチビッ子が」
「な!?」
ぱっと顔を赤らめる万福丸の後ろで、お姫様の目がいきいきと輝く。
「にゃはは。おじうえがこわくて、なきべそかいたのじゃな!」
「ち、違いますよ。茶々さま、私は泣いておりません…………たぶん」
「たぶん、ときこえたぞ。うそはよくないのじゃ」
「嘘ではありません。その、とても緊張していたことは覚えているのですが」
「おじうえはいだいだから、トーゼンなのじゃ!」
うん、このやり取りも見覚えがある。
お市と源五郎だ。お市は浅井に嫁ぎ、源五郎も長益と名を改めてからは遠い記憶となっていた光景だった。万福丸は嫡男だが側室の子で、茶々は正室の子だ。お市にはそういう差別をするなと言い聞かせたが、浅井家ではそういう人間がいなかったのだろう。
そして何故か、メッチャ慕われている俺。
(おじうえ、かあ)
そういえば、呼ばれたことがない。
弟たちにも子供が生まれているはずなのに、まだ会ったことがないのだ。赤ん坊だった茶々には会っているが、満足に話せない相手に期待はできなかった。
「おじうえ?」
「いけません、茶々さま。こういう時は、邪魔をしてはならぬと言われていたでしょう」
「だって、きになるのじゃ!」
「しーっ、ですよ。大人しくしてくださると、約束したではないですか」
「きーにーなーるのーじゃー……むぎゅ」
じたばたし始めた子供の頬を掴んだ。小さいから片手で両の頬を潰せてしまう。
実にやわらかい。つきたて餅のようだ。もっと品種改良して、もちもち感にあふれた餅を作りたい。コメはまだまだ美味しくなれるはずだ。歴史改変? 大いなる何かによる修正? そんなことより、豊かな食事情だ。美味いメシは、明日の活力になる。
我らが故郷・尾張が修羅の国から不思議の国になったくらいだ。
食の力は、あらゆる力を凌駕する。
「この時代の琵琶湖は主要道であり、天然の生け簀でもあるんだよなあ。船、船か。尼子と九鬼を動かせば何とか」
「あの、信長様。そろそろ、茶々さまをお放しください……」
「あ、スマン」
あまりのもちもち触感に、もみもみしながら旅立っていた。
軽く謝りながら手を離そうとしたのに、何故か両手で捕まえられる。頬ほどじゃあないが、小さな手ももちもちで柔らかい。近江国はまだ発展途上と聞いている。まともに年貢もとれないと聞いてから、まだ数年程度だ。
茶々は近江国を統治する長政の娘。大切にされるべき存在だが、贅沢に慣れると貧しさに堪えられなくなる。豊かな食事は、国が潤ってこそだ。
「わらわはキズモノにされてしまったのじゃ。もはや、おじうえにめとってもらうしかないの」
「娶りません。誰だ、そんな言葉を教えたやつ」
すると二人の子供は、きょとんとした。
「ははうえじゃ」
「お市さまは信長様の実の妹ゆえ、側室に迎えられなかったと聞いています。父上のところへ輿入れしたのは、それだけ信長様の信頼が厚い証左であると」
ひどい眩暈がした。が、体がフラつくのを根性で耐えきった。
弟たちは皆、俺に全てを捧げた。ひいては織田のため、国のためになると信じて、その才能を開花させた。織田家の飛躍は、あいつらがいてこそだ。
可愛い、可愛い俺の妹。
お市、お前までが同じことを考えていたのか。
長政の隣で幸せそうに笑っていたのは、嘘でも演技でもないと信じている。しかし思い返せば、浅井家へ嫁ぐことが決まる直前から様子がおかしかった。
『お義姉さまばかり、ずるいわ!』
小さな頃は、俺の嫁になるのだと言っていた。
それが無理だと分かってからは、帰蝶や弟たちに不満をぶつけていた。慕われている自覚はあったし、目に入れても痛くない存在だ。浅井家はいずれ滅ぼす相手だと思っていたから、嫁がせるのは本当に嫌だった。
いつの間にか外堀が埋まっていて、いつの間にか長政は義弟になっていた。
お市が嫁いでいったことで、やはり歴史は変えられないと思った。浅井家の滅亡が正確に、いつ頃だったのかは思い出せない。味方だと思っていたら裏切られて、敵になったから徹底的に潰した。
北近江は美濃国境と接している。放置することはできない。
(まさか)
お市は文字通り、織田・浅井同盟の要だ。
今まで何度も絶妙なタイミングで長政が現れたのも、お市の仕業だったとしたら? 弟たちと同じように、彼女も織田の為に全てを捧げようとしているのだとしたら?
信長は、俺だ。俺が、ノブナガだ。
(それなら、お市は死なずに済むかもしれない)
お市が勝家と共に自刃して果てたのは、本能寺の変以降の話だ。
そして長政が健在だから二度目の結婚はない。少なくとも俺が許さない。近江国が織田領となり、浅井家は織田家臣に名を連ねることになった。そしてお市は出戻りすることなく、織田家に戻ってきたのだ。素晴らしい。
もっと早く長政の臣従を認めてやればよかった。
今の浅井家があるのは、お市が頑張った成果でもある。
「織田家の血、侮りがたし! さすが俺の妹!!」
「のう、まんぷく丸。おじうえは、ひとりでおはなしするのがじょうずじゃな」
「そうですね、茶々さま」
「…………」
独り言は誰もいない時専用だと、改めて思った。
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茶々は万福丸が背負って梯子を登り、降りる時はノブナガが背負いました
※廓...城のかこい。外周りを囲んだ土壁
※仏師...仏像を造る職人
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