210. 天をも欺く大芝居
今日も今日とて朝早くから傍に控える明智十兵衛。
「ちょうどいいから、お前も参加させてやる。喜べ、金柑頭」
「…………は?」
たっぷり贅沢に時間を使ったあんぐり十兵衛。
驚きすぎて口を閉じるのを忘れている。というのも今しがた、俺がトンデモナイことを提案したからに他ならない。織田の者たちは俺の言動に慣れきっているせいもあって、なかなかに新鮮な反応だ。一人でニヤニヤ笑い始めたら「何か企んでいる」徴らしい。
それ、頭のオカシイやつだと思われてない? 俺、だいじょうぶ?
命の心配よりもケツの心配をしなければならないのに、頭の心配までしたくはない。いつの時代でもカネと権力を握っている者は魅力的に映るのだ。とはいっても、
急に泣き出したり、叫んだりしていた。
「ああ、なんだ。土地柄か」
声に出してみると、妙にしっくりきた。
「一人で納得しないでいただきたい!」
「わかった、俺が悪かったから喚くな。安土計画のことだよ。お前のことだから、噂程度には聞いているんだろ?」
すると光秀は急に大人しくなって、じっと俺を見つめた。
野郎に見つめられる趣味はないので、どうしようかと思っていたら視界の端にスッとハリセンが差し出された。紅顔の美少年、蘭丸である。
「……信長様」
「んだよ」
ハリセンをそっと押し戻しつつ応える。
「今、この時期に新たな城を築くということは、公方様への宣戦布告と受け取られても仕方なきことにございます。松永・三好が畠山を攻めてから間もありませぬ。帝の勅令を無視することにもなりましょう」
「戦のための城だと、誰が言った? ほんっとーに察しが悪いな、金柑頭」
「ぐっ」
悔しそうに声を詰まらせる光秀はあんまり悪くない。
コイツ揶揄うの、だんだん楽しくなってきたんだよなー。この際、謀反のことは横に置いておこう。魔王信長がお茶目さんなせいで、光秀が闇落ちしたんだったら仕方ない。後始末は有能な息子の信忠がやってくれるさ。
そもそも安土計画のことを、光秀にも話すように勧めたのは信忠だ。
せっかく織田家臣になったんだし、仲間外れは駄目だという。確かにその通り。謁見の日に、退室を命じられた光秀に付き添ったのは信忠だ。その時に仲良くなったのかもしれない。
殺られる前に殺る、と息巻くよりはマシだ。
「しかし近江国は浅井殿に任せると、そう仰っていたのではありませんか?」
「その情報は古いぞ、金柑頭」
「黙れ犬風情が!」
「おおう、やんのか
うん、小さい虎のことかな。微妙に褒め言葉っぽく聞こえる。
余計な単語を教えやがってと言いたげな成政の隣で、鬼瓦のような男が立ち上がった。利家の顎から腕を回して
光秀は呆気に取られている。
「
「あ、はい……」
「それで近江のことだがな。九郎が眠る地を他人に任せたくないだけだ。要するに俺の我儘だが、長政には納得してもらうしかない」
正しくは浅井家臣たちだが、長政が頑張ることなので意味は同じである。
近江騒動の辺りで、後に信長三大危機と呼ばれる撤退戦があったような気もするが。松永弾正が仕掛けた信長包囲網はとっくに崩壊している。お市と娘たちは長政と死に別れることもなく、朝倉義景も織田側に味方すると公言した。
畿内を含む広大な地域が親織田派勢力となったわけである。
「美濃から京まで遠すぎんだよ。中間地点に城があったら、道程が半分で済むだろ」
「! 経費の削減にもなりますね」
「近江国周辺はまだ戦火の爪痕が残っている。街道整備もこの際、一気に進めておきたい。道が広くないと、でかい荷物が運べない。物流が滞れば、遠方への伝達も遅れる」
「なるほど。美濃尾張が急速に発達したのは、主要な街道を整備したからなのですね。関所を減らし、数多の道標を設置したのも人民を思う故の施策! 国を守るためと称して悪路を重んじるは愚の極み。主要な街道の周辺は見晴らしも良く、兵を伏せることもできませぬ。賊も隠れることができないため、村の安全も確保できる。外への警戒をしなくていい分、各々の仕事に専念でき、より質の高い作物が得られる。尾張の民は平和ボケしていると影口を叩く者もおりますが、その平和の礎を築いたのは」
「ストップ。マテ、だ。いい加減ダマレ」
扇子で金柑デコを数回叩いて、強制終了させた。
可愛さあまって憎さ百倍の逆みたいなことが起きている。前世では当たり前だったことを、この時代で実現しようとしてみただけだ。俺の理解度・記憶力が心許なかったのもあって、叶わなかったことの方が多い。
同時に、やりすぎたとも思っている。
あれだけ歴史が変わることを恐れていたのに、文明の発展を大きくゆがませた。できるかなと思ったらほんとうにできちゃった、と笑っていられたのは昔の話だ。そのせいで今川義元に目をつけられ、虎のおっさんには色々やられて、軍神とは呑み友だ。畿内の狸共に白羽の矢を立てられて、すっかり中央政権に関わる身分になってしまった。
間接的にとはいえ、天皇直々の手紙が届く有り様だ。
それでも今更、引き下がれやしない。細川様の謀略で、義昭のことも見捨てられなくなっている。奴が一人で幕引きできないのなら、手を貸してやりたいと思っている。
ちらりと長秀に目配せする。瞬き一回。よし、ゴーサインが出た。
「金柑頭」
ちょいちょいと手招きすると、素直に寄ってくる。
さりげなく身を寄せてきた蘭丸は、松千代が引きずっていった。蘭丸の兄・勝三も好奇心旺盛すぎて甲斐国で捕まったことがあるらしい。まだ子供だから仕方ないね。
「これは機密事項なんだがな……。近々、大規模な軍事演習を計画している」
「軍事演習、でございますか」
俺がこそっと耳打ちすれば、光秀はぽそっと小声で応じた。
「大規模といいますと、信長様御自ら出向かれるので?」
「おう、対戦カードは足利家vs織田家だ。俺が出るなら、ば……公方様も出ないわけにはいかないだろうからな。ついでに民の避難訓練も兼ねるか」
戦をやる度に、戦争孤児やら難民が増えても困る。
それが世の常、人の業と流してしまうのは容易い。死ぬべき人間を生かす可能性はあるが、どうあっても大きな流れは変えられないと俺は知っている。要するに、だ。結果的に光秀が「謀反を起こした」ことになればいいのだ。
さーて、場所はどこがいいかなあ。
**********
「宇治がよろしいかと存じます」
相変わらず腹の底が読めない柔和な微笑みを浮かべ、細川様は言った。
すっかり忘れていたが、光秀と細川様は将軍家で繋がっている。今では主君と仰ぐ相手を
(先に釘刺しておくんだったなあ)
細川様の忠誠は疑っていない。
表舞台から降りたくて仕方ない義昭に、見切りをつけてしまったことも気付いている。だが、次に担ぐ神輿は織田家であると見定めていることが問題だ。うっかり織田幕府が爆誕しようものなら、信忠が二代目将軍になってしまう。俺も初代になんかなりたくない。
秀吉が関白になり、家康が徳川幕府をひらくのだ。
それ以外のルートは認めない。絶対にだ。
(そういえば光秀は、頑なに妻子のことを話さないんだよなあ)
戦国三大美女に数えられる細川ガラシャは洗礼名で、珠子という名前だったはずだ。
そう、彼女は明智家から細川家に嫁ぐ。細川様の、息子の嫁だ。どっちもまだ幼いが、雑談程度の婚約話が成立していてもおかしくない。
いや、美しさなら織田家も負けていないぞ。
お市も、その娘たちも美人揃いだ。マダムキラーな弟、いつの間にか親衛隊ができていた我が子たち。周りは皆、美形。俺だけが平凡、もやしっこ三郎。ちなみに自虐ネタとして使っていた「モヤシ」は、なんと薬扱いだった。道理で反応が鈍いわけである。
(暗所で大豆を育てるだけだし、水管理をしっかりやれば作れるかも?)
問題は腐りやすいことだが、育ったらすぐ食べるようにすればいいか。
必ず火を通すように徹底すれば、ある程度の食中毒は防げる。そして何よりも、料理のレパートリーが増える。モヤシは貧困の味方だ。早速、栽培計画を練らねば。
「信長様、全く聞いておられませんね?」
「……あ、あー、宇治川を渡るのは結構つらくないか」
川を挟んで両軍が睨み合うのは、よくある戦の光景だ。
宇治川は琵琶湖から大阪湾へ流れ込む大きな河川で、鰻がたくさんいる。いきなり二条城へ攻め込んでも軍事演習にならないので、ある程度の広さは必要だ。畿内は長らく戦火にさらされてきたので、復興が遅々として進まない。荒れ地だけならたくさんある。駐屯していた織田勢がいなくなると、途端にやる気をなくす地域もあるらしい。
「殿は槙島をご存知ですか? 宇治川が流れ込む巨椋池の北にある城なのですが」
「俺はあんな巨大な湖を、なんで池と呼んでるのか理解に苦しむ。中にいくつも浮き島ができていて、長島もビックリな状況じゃねえか」
「長島は複数の川が重なった結果、中洲ができているので巨椋池と異なります。……話を戻しますが、槙島城主真木島昭光は公方様から偏諱を受けた幕臣なのです」
「巻き込まない手はない、ってか」
頭だけを潰せばいいと思っている俺と、細川様の考えは違う。
軍事演習と見せかけて、畿内に残っている反織田勢力を潰す狙いがありそうだ。真木島は反織田派ではないが、将軍家に近しい幕臣である。まとめて排除できれば、日和見の国人衆や豪族たちも素直になる。
「宇治川と巨椋池に囲まれた天然の要害でございますれば、追い詰められた公方様が最後の砦として頼っても不思議ではありますまい。まずは二条城から出ていただき、槙島へと追い込みます。洛外の者たちは慣れておりますゆえ、こちらからの避難指示は必要ないでしょう」
「直しかけた町をぶっ壊すと言われてんのに、名案だなって俺が頷くと思ったか」
「戦に犠牲はつきものですよ、殿」
俺は答えず、目を眇める。
先の小競り合いに端を発する、織田家と将軍家の軍事演習という名の合戦絵図。自軍で兵士を鍛える訓練とは意味合いが違うのだ。というか俺のイメージしている軍事演習からして、この時代の常識とズレている可能性があるな? いや、今は誤解させたままの方が都合がいいかもしれない。
朝廷は、俺と義昭が仲良くすると困る。
義昭は、もう幕府の人間を抑えきれない。そもそも望んでいないのに担ぎ上げられた急造の神輿だ。俺が全力でバックアップに努めたとしても、既に屋台骨がぼっきり折れていた。義輝が暗殺された時点で、足利幕府は終わっていたのだ。
貴族位なんぞいらんという主張も、変に曲解されている節がある。
「こんだけ期待されたら、天下獲りにいくしかないよなあ」
「おお、ついにご決断なされましたか」
「……嬉しそうな顔してんじゃねえよ、狸が。義昭には隠居してもらうが、将軍家に繋がる勢力はいくらか削いでおく必要がある。それが終わったら、西か」
「東はいかがなさいますか?」
「雲が動くのを待つ」
顕如不在の本願寺勢も気になる。
石山付近に動きなしと報告を受けているが、将軍家とやり合うことになったら動くかもしれない。あくまで「軍事演習」と言い張っておく。ちっとも信じる気がない細川様には「天下獲り」と言っておく。
「軍団の再編が必要だ。次の結果如何で、調整することになるだろうな」
「御意」
「あ、それから佐和山の方に連絡頼む。安土計画、始動だ」
「皆も奮い立ちましょう」
上機嫌で去っていく細川様を見送り、一人になってから肘置きに寄りかかった。
ああ、緊張した。怖かった。ダメです認められませんなんて言われたら、どうしようかと思った。あそこで「天下獲り」と言わなければ、細川様は頷かなかった。平和的な話だと思い込んでいただろう光秀は憤慨するかもしれない。ああ、めんどくさい。
将軍家への忠誠心も完全に失ったとは思えない。
義昭を殺すと言えば、たちまちに不信感を募らせる。どうにも注目されているというか、値踏みされているというか、執拗に観察されている気がしてならない。
「信忠め……奴に一体、何を吹き込みやがった?」
泣き虫で素直な我が子が、すっかり腹黒に成長してしまった。父は悲しい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます