209. 望まぬ臣従

 テレッテレー、明智十兵衛光秀が仲間になった!

(……ちくしょう、やっぱり避けられなかったか)

 べっしょりと顔を濡らした男から、そっと目を反らす。

 仕えるべき主君に大暴言を吐いた翌日、さも当たり前みたいな顔をした奴が近侍を勤めていたので、思わず茶をぶっかけてしまった。正確には朝の務めが一段落したから休憩しようと茶を所望したら、ちょうど奴が挨拶に来たので思わず噴いちまった。

 ああ、勿体ない。秋番茶もそろそろ終いだ。春摘みの内津茶が届く日が待ち遠しい。

 軽く現実逃避し始めた俺を、奴はまじまじと見つめてくる。

「随分と、お早いのですね」

「まず顔を拭け」

「お心遣い、かたじけのう存じます」

 放り投げた手拭いを丁寧に折り畳み、顔を拭く明智光秀。

 大した豹変ぶりだと言いたいところではあるが、相変わらず愛想の欠片もない。鋭い視線は矢の如し。ぶすぶす刺さって、地味に痛い。このおそろしく居心地の悪い沈黙は、手持ち無沙汰な俺に新しい茶が届くまで続いた。

 まずは香りを堪能し、ずずっと啜る。

「で? 何か用か、金柑頭」

「……。いえ、何なりとお申し付けください」

 金柑頭という呼び名はかなり、気に食わないらしい。

 今までと違うのは文句を飲み込み、言い返してきたことだ。

 あの茶番を真に受けて、仕えるべき主君を乗り換えるつもりらしい。少なくとも俺は受諾した覚えはないし、十年も経たずに裏切ると分かっている相手を抱え込むほど酔狂でもない。

「帰れ。ここにてめえの居場所はない」

「所領に戻れと仰るのであれば、そのようにいたします」

「……腹立たねえのかよ。あんな、一方的にクビ切られて」

「首は、ここにございますれば」

 真顔でひたひたと首筋を叩く。

 冗談が通じない。その目は相当怒っているくせに、俺へ当たり散らそうとしない。今までさんざんぶつけてきた不平不満を、主従関係になった途端に腹へ納める気だ。そんな臓腑が腐りそうな真似をされて、黙っている俺じゃなかった。

「公方様のところへ帰れって言ってんの。さては職務放棄か、ああ?」

「公方様は、あなたに仕えろとお命じになった。私はそれに従うのみです」

「大好きな公方様の不興を買ったので、二条城には戻れないんですって言えよ。あの程度のやり取りはザラにあったはずなんだがなあ。そういや、さすがに鬱陶しくなったって言ってたか。それはそれはご愁傷様」

「……貴様!!」

 光秀が思わず腰を上げかけ、途中で思い留まる。

 歯ぎしりせんばかりの形相でありながら、大人しく座り直すまで見届けた。その自制心には感心するしかない。激昂して殴りかかってくれば、適当な処罰を言い渡してやったものを。

 二度も同じ轍は踏まない、といったところか。

「貴様は、どうしてそうなんだ……っ」

「何が?」

「夜遅くまで起きているから何をしているかと思えば学問。朝は誰よりも早く、鍛錬に見回りに些事に渡る伝達までこなす。聞けば、とうに朝餉も終えたというではないか!」

「知らんのか、金柑頭。朝に食うから朝餉っていうんだぞ」

「その呼び名を止めていただきたいっ」

「何言ってんだ、金柑は体にいいぞ。蜂蜜との相性も最高だ」

 月代に剃った額がつるりんテカテカして、怒ると金柑そのものである。

 史実の信長がそう呼んでいたからっていうのもあるが、嫌いな奴に諱で呼ばれたくないだろうし。こいつにはハゲの呪いをかけていない。俺なりの褒め言葉だ。光秀がいたおかげで、義昭と将軍家がまともに機能していたと思っている。

「おまわりさんも頑張っているらしいな? 京の町の治安がよくなったって聞いたぞ」

「ああ、御廻り衆のことか。公方様が織田の抱える御庭番を参考にされたのだ。六条御所が襲撃を受けた際、馬廻り衆が周辺の警戒を担っていたことから端を発する。……あれも信長様の指示だったと後から聞いた。そして今の長は雨墨様だ」

「へえ」

 俺の身辺護衛を兼任する雨墨なら、御庭番の仕組みも理解している。

 ちょくちょくいなくなるなと思っていたが、京の町を守っていたらしい。雨墨も、なんだかんだで弟思いの兄ちゃんなのだ。会話こそ突き放した言い方が多いものの、立場的にはどうしようもない。足利義輝は暗殺され、もうこの世にはいないのだから。

「織田塾にも強い関心をお持ちになり、その資料を譲り受けたこともある」

「……あー、それが『家財を接収した』話になってんのか」

 将軍として教育されてきただろうに、織田塾の教科書なんて小中レベルだ。

 役に立つとは思えないのに、権力を使ってでも欲しかったらしい。直接言ってくれれば、と思わずにはいられない。そして義昭の手が届くくらいに、織田塾の門下生は京の町に浸透している事実も判明した。

 識字率を上げ、高い技術を広めるだけならいいが。

「不安だな。ちっとばかし、吉兵衛に調べさせるか」

「それでは私に任せていただきましょう」

「言葉遣いが戻ってんぞ」

「数日で戻ります」

「あっ、おい! ……行っちまったよ」

 まるで嵐のようだった。

 本当に織田家臣として仕える気があるのかどうか、しっかり確かめる暇もなかった。本当は嫌でたまらないくせに、命令だからと飲みこめるものだろうか。真面目そうな奴だし、我慢して色々溜め込んだ挙句に爆発させたオチも考えられる。

「とりあえず、側近扱いしなきゃ大丈夫だろ」

 適度に距離を置いておけば、光秀の思惑もそのうち分かる。

(そう思っていた時期もありました)

 奴は本当に数日程度で織田塾門下生の情報を集め、繋ぎもつけてきた。

 何をどう言いくるめたのか、京在住の門下生半数を一つにまとめ上げることに成功する。政治的手腕は将軍家に仕えてきた頃からの実証済みだ。京奉行として多忙を極める貞勝が才を認め、ついには織田家臣として正式に加わることになってしまった。

 朝廷からの使者がやってきたのは、そんなこんなで頭を抱えていた日のことだった。


**********


 山科卿が持ち込んだのは、正親町天皇御自らが喧嘩の仲裁をする話である。

「いや、誰と誰の喧嘩だよ」

「公方と織田尾張守の他にあるまいて」

 この野郎、告げ口しやがったな。

 ありのままを話すぜって、多少錯乱気味に語りだすやつでも帝相手に披露したんだろうか。そうなら見てみたかった。

「そういうことにしただけだろ! 改元の話はどこまで進んでんだよ。喧嘩仲裁する暇があったら、謁見の日程を何とかしてくれ。なんなら今すぐ乗り込んでってもいいんだぞ?」

「まあまあ、落ち着くがよい。其方らが仲違いしておると、こちらは安心するのだ。仲良く手を組んで圧力をかけてこられると、非常に困るのでな」

「なんでだよ。朝廷に圧力かけても、出てくるのは名誉職だけだろ。あ、俺は公家になるつもりはないから官位イラネ」

「……それが本心なのだろうがな。残念ながら、その主張は誰も信じぬ」

「なんでだよ!」

 思わず怒鳴れば、可哀想な子を見るような目を向けられた。

「其方も常々言っておるだろう。人はカネと権力が好きなのだと。与えられた官位なんぞより、もっと大きな権力が欲しいと野心を抱いているように見える」

「ばかなっ。将軍家の後ろ盾なんぞになったばかりに、余計な誤解が……!」

「それだけではないと思うが。まあ、よいか」

 朝廷乗っ取りなんて考えていないし、幕府を踏み台にできるわけがない。

 ああ、でも馬鹿公方様なら喜んで踏み台になりそう。

 今の織田家は、美濃尾張から畿内までの広範囲にわたる領域を管理下に収めている。信玄亡き今、武田家もかつての勢いはない。越後の上杉家との関係も悪くないし、徳川家は盟友だ。近江・越前・若狭はいわずもがな、伊勢国内も関税を排するなどして着実に変わりつつある。

 そして何よりも技術開発のおかげで、巨額の資金を抱えている。

(朝廷にも公家衆にも、結構お金貸してるんだよなあ)

 家宝を持ち込まれた時には鑑定もした上で、相応の金額を渡している。

 畿内の農地改革が進み、没収されたはずの寺領でも織田流農法の導入をせっつかれている状況だ。もういっそ割り切って、畿内を織田統治下に入れた方がいいのかもしれない。細川様や爆弾正もほぼ織田家臣と同列の扱いになっているし、働き詰めの長秀たちにも満足な報奨を与えられていない。

 各地に派遣されたまま戻ってこられない単身赴任状態だ。

「朝廷としては、幕府に足を引っ張ってもらいたいというわけか」

「父と子が争うのは今時珍しくもあるまい。師父と慕われておるのだろう?」

 しれっと義昭を子供扱いしているんだが。

 山科卿の身分的には問題ないのかもしれない。俺には大問題なので黙ってスルーしておこう。朝廷と幕府の関係も垣間見えてしまったが無視だ無視。

「ラブアンドピース。愛は地球を救う。平和が一番」

「其方の理念は理解しておるつもりだが、尾張守」

「んだよ」

「つい先日、三好と畠山が交戦したそうだが?」

「あー、それな」

 ざっくりとした内容は細川様から聞いた。

 この畠山は能登ではなく、紀伊の畠山だ。将軍家に近い畠山家に槍を向けて、無事で済ませられるはずもない。松永久通は謹慎、三好義継は蟄居とした。どちらも将軍家と長い因縁があるため、その動向には注意していたはずだった。爆弾正が尾張国に向かったのも、俺への弁明をするためということになっている。

 実際は違うということを、俺たちは知っている。

「佐久間の旗印もあったらしい。将軍家と織田家の前哨戦と、噂されておる」

「なるほど? ようやく落ち着きを取り戻しつつある畿内に、戦火を呼び込むド阿呆だと思われているんだな。よーくわかった」

 とても、よく分かった。義昭は義昭なりに考えていた、ということが。

 やっぱり余計なことを言うもんじゃないな。転生知識は今後、できる限り封印しておいた方がよさそうだ。和製英語はフロイスたちのおかげで、南蛮かぶれと受け止められている。

「火種があるから燃える。公方様にはお望み通り、退場してもらおうじゃねえか」

「それでよいのか、尾張守」

「ああ」

 織田信長が、室町幕府を潰した。

 それは後世に史実として伝わっているのだ。あの茶番は「もう無理」という意思表示だったのかもしれない。せっかく二条城を建てたのに、もう御所とは呼べなくなる。当然ながら、俺も二条城に住むつもりはない。

「これはいよいよ、安土城つくるしかねえな」

「戦のためではない、家族で暮らす城であったか? 其方らしい考え方よの」

「二条城も、御所襲撃を踏まえた対策をしているからな。安土城も防衛設備が全くない城とするのは難しいだろうが、人が住める天守は譲れん」

「おお、それはそれは。天下人の城と呼ばれよう」

「…………俺じゃねえよ。天下人は」

 そう呼ばれるべきは秀吉と、家康だ。

 西も東も残っている以上は天下を統一したなんて言えない。しかし曲がりなりにも室町幕府を潰すからには、東西への進軍を始めなければならないだろう。少なくとも北条家や毛利家が、織田家の天下を認めるとは思えない。

 九州や東北の雄にいたっては面識すらない。

(上杉の出方次第だが……慶次の奴が上手くやることを祈ろう。顕如の方も、そろそろ何か連絡を寄越してきてもおかしくない。動くのは、それからだ)

 俺は本能寺で、49歳で死ぬつもりはない。信忠も死なせない。

 光秀に関しては謀反を起こさせないのが一番だが、歴史の大きな流れが不変であることを俺は知っている。どうあっても避けられない運命があると知っている。

 それでも足掻くことは止めない。最後まで抗ってやる。



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