207. 子として、次代として
俺は西へ、慶次は東へ。
示し合わせたわけでもないのに、同日の出立となった。
それなりに格好つけた俺たちと違い、慶次と神保何某はいたって軽装だ。織田の使者としての風格がどーたらと恒興が文句をつけていたが、越後国内の状況も常に変化している。情報がどこまで信用できるか分からない。奇しくも
軍神とまで謳われた謙信は、領主としてはどうなんだろう。
「前世が毘沙門天とか凄すぎだろ。俺なんか平凡な一般人だぞ」
比較対象がとんでもなさすぎて僻む気も起きない。
それはさておき、越後の現状は今後の織田家にも関わってくる。
ウロ覚えの前世知識について、俺はどんな些細なことでも確認を怠らないようにしている。単なる記憶違いならいい。後世に伝わる内容が、実際とチョット違っていてもいい。特に俺、ノブナガに関する様々なエピソードは有志による創作だ。
この物語はフィクションです。
「っていうか、本当に死因は梅毒なのか? 女好きには見えなかったし、先日会った時は殺しても死なん感じだったぞ」
気に入った相手にはすぐ手を出す信玄に激怒していた辺り、そっち系は純なのではないかと疑っている。女に興味はなくても、美少年に一途っていう可能性もなくはない。
急性アルコール中毒という線もあやしい。
依存症かもしれないが、強い酒を水のごとく飲み干す奴が酒で死ぬとかありえない。
暗殺説の方が現実味も帯びてくる反面、織田家が黒幕として疑われたら面倒だ。謙信没後の上杉家は改易されたりして、ぱっとしなかったはず。優れた人材がいたことは確かだ。旨い地酒があるなら、米作りはしっかりできている。
(まあ、そこまで詳しく探ってこいとは言わんが)
今回の標的は「直江状の人」である。
まだケツの青いガキだろうがなんだろうが知ったことか。俺の知る慶次も、秀吉に負けず劣らずの人誑しだからな。上手くやってくれるに違いない、と思っている。ダメなら仕方ない。そのまま慶次と神保が上杉家に残っても、こっちには優秀な人材が揃っている。
一筋縄ではいかなさそうな元坊主も手に入ったことだし。
「父上、入ってもよろしいですか」
「おう」
部屋の向こうで息子の影が差し、俺は思考を中断した。
あれから何事もなく、翌日には京入りを果たせそうかという晩のこと。月が雲隠れをしてしまったので、蝋燭の灯で聖書を読んでいた。ポルトガル語を学ぶためだ。
「……熱心ですね。異国の言葉なんて話せなくてもいいじゃないですか」
「通訳がきっちり仕事してくれるとは限らんだろ。あとはまあ、直接話せる方が相手の好感度も稼げる」
「通訳なら、丹波の内藤飛騨守はいかがですか? 真面目で誠実な切支丹だそうですよ」
丹波国には松永弾正の弟、内藤宗勝がいる。
飛騨守は宗勝の次男らしい。そういえば後継を兄弟のどっちにするかで揉めていると長秀が言っていたな。今はまだ異教徒弾圧の風潮は弱いが、切支丹を主君として仰ぐことに家臣たちは抵抗を感じないのだろうか。
「んー、爆弾正に話してみるか」
「内藤飛騨守はフロイスと誼を通じているそうですし、フロイスに話せばいいのでは?」
「筋の通し方を間違えると後が面倒なんだよ。お前も次期当主なんだから覚えておけ。小さな不満が積み重なって謀反になるんだからな」
「肝に銘じます」
信忠は神妙な顔で頷く。
父上に言われたくないって反抗してくるかと思いきや、意外に素直で驚いた。本能寺の変が起きる前には家督を譲り、信忠が当主になっていたはず。それでも明智光秀が織田信長を狙った理由はおそらく、信長を殺せば『天下布武』が止まると考えたのだろう。
京都では、将軍が狙われる事件が二度も起きた。
三度目はないようにと警戒を強めている。いくら将軍家の覚えめでたきアケチ君でも、私兵を動かせば目立ってしまう。織田家中で明智光秀が高く評価されていて、織田信長がめちゃくちゃ嫌われていて、更にそこそこ地位のある内通者がいないと謀反は不可能だ。
真面目なアケチ君は謀略とか苦手そうだしなあ。
内通者を何とかできれば、本能寺の変は防げると思う。洛中の治安維持は、将来の俺を守るためでもあった。六条御所襲撃後に設置した御廻り衆は、将軍直轄の兵として認められつつある。ぼや騒ぎの対応が高評価だったらしい。堺でも見廻隊をつくる話が出ているようだ。
「父上は改宗しないんですか?」
「いきなりどうした」
「聖書でしたっけ。もう二冊目じゃないですか。それと、お冬に十字の首飾りを贈ったと聞きましたよ。そのせいで忠三まで耶蘇教に興味を持ち始めているんです」
「いいことじゃねえか」
「宣教師と親しくしすぎれば、商人たちに睨まれます。西国では多くの民が奴隷として連れていかれたと聞きます。フロイスが悪人だと言いませんが、宣教師は好きになれません」
「言葉が通じないから仕方ないな」
信忠は幼い頃から、俺のナンチャッテ和製英語を聞いて育った。
弟たちも似たような感じで、英語っぽい発音はだいたい聞き取れる。ポルトガル語と英語の違いは、言語として理解しないと分からないものだ。それでも少なくない数の宣教師や南蛮商人が出入りしている日本は、外敵に対してゆるい。
明貿易も足元を見られて、あんまり対等じゃない。
実質的な中国の属国扱いにされていても驚かないんだが、太閤秀吉はよくもまあ朝鮮出兵なんか思いついたものだ。いや、もしかして独立国としてアピールしたかったのか? それにしたってリスクがでかすぎる。朝鮮出兵がなければ、天下分け目の戦いで家康に負けなかったかもと言われているくらいだ。
その頃には秀吉も死んでいるんだが。
俺が関ヶ原の戦いをリアルタイム観戦するなら、森じいくらい長生きしないと無理だな。せっかく戦国時代に転生したんだから、できるだけ有名武将たちに会ってみたい。そういえば島左近はいるのに、石田三成がいないな? まだ生まれていないんだろうか。佐吉っていう子供と会ったことがないか秀吉に聞いてみよう。
「父上、父上!」
「おう、どうした」
「どうしたじゃありませんよ。急にぼーっとして、何を考えていたんですか」
「老後の生活をちょっと、な」
「まだ隠居させませんからね!」
信忠はデスクワークが苦手らしい。
出木杉君なので、やればできなくはないのだ。本人にヤル気が足りないだけで。それと俺の処理速度と比べてしまって、余計にヤル気が削げるんだとか。同じ量を同じだけやれと言っているわけじゃないし、いくらでも方法はあるだろうに。俺が遠くない未来に隠居するのは確定しているんだから、早く諦めればいいものを。
「人間、諦めも肝心だぞ?」
「父上が何でも一人でやれちゃうからいけないんですよ。なんですか、あの仕事量は。テンプレートがなければ、今の数倍以上の時間がかかってますよ。それと、勘定方の勤務体制も早急に見直すべきです」
「お前がやれ」
「は、はあぁ!?」
「嫡男なんだし、次期当主だし、元服したんだから大丈夫だ。最終的な認可は俺が出す。っていうか、先に出しておくから好きにやってみろ。イケイケ☆ゴーゴー」
「……父上」
我が子の顔に、びきっと青筋が立つ。
茶化したから怒ったのだろうか。今の織田領はかつての広さと段違いだ。必然的に仕事量も増えるし、政務の拘束時間も増える。だから天下なんか取りたくなかったのに、このまま放っておくと次代に平穏が訪れないから頑張るしかなくなった。
「王は君臨すれども統治せず」
「父上?」
「聞け。海の向こうの話だ。外国から招かれた王は言葉が通じないため、議会に全部お任せしようと考えた。家臣団に信任したといえば聞こえはいいが、その家臣どもがキッチリ仕事してくれるなら何も問題はない。だが人間はいつまでも清廉ではいられない。金と権力を持てば、いつか腐る」
信行に言われた通りだ。
俺は他人を信用できない。有能な部下たちですら、俺のためだと言って勝手な行動をする。厄介ごとは丸投げだ何だと言っているが、それで後悔したことも数えきれない。俺は結局、中途半端なんだ。何度覚悟を決めても足りない。肥大化していく織田家はもう止められない。
行くところまで行くしかない。
そして秀吉、家康にバトンを渡すのだ。その先のことは知ったことか。
「信忠、お前が忙しいのは知っている。九郎の仕事を引き継いだんだろ。俺の知らないところで弟たちは、それぞれの仕事を俺の息子たちに教えているそうだな」
茶筅丸こと具豊には諜報と研究を。
三七こと信孝には水軍と流通を。
お冬は帰蝶の補佐として新たに学んでいるところらしい。奈江や吉乃が担当していた分野をまとめて引き継ぐのは簡単な事じゃない。それでも彼女は弱音を吐かずに頑張っている。
俺が何も言わなくても、何も指示しなくても、家族は前を向いて歩いていく。
側近たちもそうだ。俺の意を汲んで、それぞれ動いてくれている。だから俺は、こんな俺でもなんとかやっていけている。
「お前に同じことをやれとは言わん。お前がやりたいことをやればいいんだ。お前はお前に従ってくれる仲間を求めて必死になっているようだが、今いる仲間も大事にしろ」
「はい」
「人は数だ。数は力だ。それでも絆は時に、数より強い。努力は、お前を裏切らない。九郎の人脈はお前を助けるだろう。上手く使え。腐らせるな」
「はい、父上」
「そして俺に楽隠居させろ」
「は? 嫌ですけど?」
何言ってんだっていう顔された。息子が冷たい。
**********
予定通りに京屋敷へ入ったので、方々へ挨拶の使者を出す。
着いたよ、と逐一報告しなければならないのは面倒で仕方ない。それなりに交流がある相手はもちろん、滞在中に会う予定がある公家衆にも手土産やら何やらと煩わしい作法がある。こちとら第六天魔王様じゃとオールスルーを決め込んでもいいのだが、各方面の情報収集も兼ねているので手が抜けない。もちろん、俺自身が全てに応対するわけじゃないんだが。
当日から、お返しとばかりに色々な人や物が届くのも慣れた。
「織田の父よ」
「あのな、忠三郎」
「何か」
「再三言っているが、その呼び方はどうにかなんねえのか!」
「お冬が怒るのでな」
嬉しそうに言うんじゃねえよ、抜刀したくなるだろ。
剣術の腕前はもちろん、賦秀の方が上だ。たった数年で、あっという間に上達した。こいつと切磋琢磨する相手がお冬と信忠、というのも微妙な話だ。このご時世、武家の女が武芸を嗜むこと自体は寛容である。ただし織田家の女は嗜むどころじゃない。実戦に対応できる方向で日々鍛えている。
お五徳は弓、お冬は短刀の二刀流を習得した。
鷹狩に興じる夫を助けるために弓を覚えたらしいので、徳川家には定期的に良質な鰻を送るように依頼した。まだ鰻以外で特産品にできるもんが育っていないというが、豆でも綿花でもいいんだぞ。美味い飯は心を豊かにするし、清潔な衣類は見目好くする。
「それはそうと、織田の父よ。勘九郎に何を話した」
「んー? 当主の心得みたいな感じのナニカ」
「それを私にも話すのだ」
「なんでだよ」
「私も次期当主である」
ドヤ顔で言うな。ムカつくから。
蒲生家を継ぐことは確定しているから間違っていない。間違っていないが、この会話だと織田家を継ぐ可能性を示唆していると勘違いされそうだ。
「蒲生家のことは蒲生家の者に聞けよ。爺さんまだ元気だろ」
「既に聞いた。そして今、私は織田の父に聞いている」
「論より証拠。百聞は一見に如かず。どうしても知りたきゃ見て学べ」
「なるほど、一理ある」
何やら考える顔になった賦秀を見やり、随分大きくなったなんていう今更な感想を抱いた。初めて会った時はちんまいガキンチョだったのに、縦にも横にもでかくなりやがって。
(そういえば、奇妙丸は兄弟の中で一番背が低いな。全体的に線が細いし)
次男・具豊はがっしり体型、三男・信孝はひょろりと背が高い。
次女・お冬は最近とみに女らしくなり、母・奈江とよく似たむっちり体型になりつつある。俺が育てた娘であって、賦秀が育てたわけじゃない。そこんとこは間違えないように。いや、誰に言ってんだかな。
ぽりぽりと顎を掻いていたら、半眼の
「よう、おひさ」
「まともに挨拶もできないのですか、貴方は」
「お前に言われたくねえよ。いつから、そこに突っ立ってたんだ」
「勘九郎の話をしていた辺りだな」
「気付いてたんなら言えよ、忠三郎!」
頭一つ分はでかい娘婿に怒鳴っても、どこ吹く風だ。
光秀との付き合いも長くなってきたから、顔パスでここまでやってきたのだろう。織田屋敷まで来た用件は分かっている。将軍様との謁見が決まったから、日程を報せに来たのだ。
「公方様の伝言役なんか、他の奴にやらせろよ……」
「貴方を師父と慕う義昭様のご意向です」
「あー」
冗談だと思ったらマジだった件。
何かを察したらしい賦秀が、生温い視線を向けてくる。
やめろ、こっち見んな。俺は何もやっていないったらやっていない。勝手に懐かれたんだ。細川&松永が裏で糸を引いていて、外堀埋める感じで親交を深めることになっただけ。俺は奴のことなんか、何とも思っていない。
(足利兄弟で距離詰めてくんなよ、権力なんか大嫌いだー!!)
と、吠えたところで事態は何も変わらない。
「んで? アポ取れたんなら、俺たちはいつ行けばいいんだ」
「また分からない言葉を……! んんっ。佳き日に、とのことです」
「じゃあ、今から行くわ。おい、支度しろ」
「承知仕った」
「し、正気ですか!? いきなり、そのようなことを言われても」
「いつでもいいって言ってたんだろ。なら本日拝謁賜りたく存じ上げ候。ほれ、とっとと帰って伝えろ。挨拶がてら年号の件を確認するだけだ。そう時間はかからねえよ」
「っ、失礼します!」
ブレイモノーって暴れるかと思いきや、競歩で去っていった。
廊下は走らないを地で行く光秀は、相変わらず融通利かない優等生だ。顔を真っ赤にして山ほど文句を言いたかっただろうに、職務に忠実な辺りはどんな教育の賜物か。とりあえず喧しいのがいなくなって、一番頭が痛い案件も早く片付きそうで何よりだ。
「父上っ」
「お、奇妙丸か。どうした」
「信忠です! 公方様のところへ向かわれると聞きました。もちろん私もついていきます。父上の息子として、織田家の次代を担う者として立派に務めを果たしてみせますから!」
「お、おう。頑張れ」
務めと言っても、定番のやり取りだけなんだがなあ。
********************
頭を撫でようとしたら振り払われて、軽くショックを受けるノブナガ
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