206. 信忠の目付け役
数日後、慶次が岐阜城に現れた。
その神出鬼没っぷりはもう見慣れたもので、誰に咎められることなく奥の間までやってくる。ちょうど俺は政務をひと段落させ、縁側で煙草をふかしているところだった。
ぷかり、と自分のものじゃない煙の輪に目を瞬く。
「ん? なんだ、慶次か」
「なんだとはご挨拶だねえ。呼びつけたのは、そっちだろうに」
「ああ、呼んだ呼んだ。用があるから呼んだ」
「あんたの犬は叔父貴であって、俺じゃな――」
「越後に繋ぎを取ってもらいたくてな」
その瞬間、ふっと空気が変わった。
なんだかんだで慶次との付き合いも長い。開口一番の気軽なやり取りも、俺たちだからできることだ。舎弟でも家臣でもなく、友達というには距離がある。前田家先代の養子なのに、あちこちフラフラしているのも俺のお墨付きがあるからだ。
いつ頃からか、誰が呼んだか『うつけの御庭番』というのが囁かれ始めた。
時代劇が好きな奴なら、ピンとくるだろう。
将軍の密命を受け、秘密裏に諜報活動を行う公儀隠密のことだ。俺は将軍職にないし、その予定もない。
慶次も心得ているようで、にやりと笑う。
「もしや『御庭番』の仕事かい?」
「うちのお転婆娘や馬鹿息子のせいで、妙なのばっかり増えやがる」
「おやおや、心にもない文句を言いなさる。よくも親に似た御子ばかりで、自慢げにしていると専らの噂だぜ。うつけの殿様の子煩悩は随分と評判だからねえ」
「行きたくねえなら、そう言え。他の奴を考える」
「おっと! こんな面白い話、誰かに譲る気はないね。……そもそも越後は、織田と友好的じゃなかったかい。今更、同盟を結びたいというわけでもないだろうに」
「似たようなもんだ」
「へえ」
慶次の眉がピクリと動く。
それからしばらくの間、二人して無言で煙草をふかした。
慶次は面倒見が良くて、勘もいい。あれこれ細かく指示するよりは、慶次自身の目で見極めてもらう方がいいかもしれない。悲しいかな、どうやって前田慶次と直江兼続が出会ったかを思い出せないのだ。
恒興に聞いた感じだと、まだ兼続は上杉家中の地位を得ていない。
未だ上杉家の後継者が定まっていない状況で、
だが、今しかない。
根拠もなく、俺はそう感じていた。改元が発議され、戦国時代の魁となった男たちが世を去り、諸大名が互いの出方を見定めんとしている「今」しかないのだ。
「そういやさ」
「あん?」
「前田玄以っての、知ってるかい。もともと美濃の出で、比叡山の僧になってから尾張は小松寺にいるらしい。同族じゃあないが、同姓の誼としては放っておけなくてね」
「坊主は好かん」
「若君の知り合いでも?」
じろりと睨めば、慶次がニヤリと口を歪めた。
「厄介事か」
「ん~、俺が知っているのは延暦寺襲撃の内通者ってことくらいかな。事が終わった後に竹中殿が、こっそりと尾張国へ逃がしたみたいなんだ。僧兵から見りゃ、立派な裏切り者だろ」
「…………あンの馬鹿息子」
「あんたじゃないんだから、あの年頃で自分のケツ拭うのは無理だって。その様子だと報せもなかったみたいだし、死なすにゃ惜しい奴ってことだ」
俺は額を押さえ、ぐるぐると唸る。
最近は特に情報の伝達様式が複雑化して頭が痛いのだ。なまじ要領を掴んでしまった側近連中が、勝手に内容を選別してしまう。俺が織田塾のガキどもを密偵扱いしているのも一因らしくて、わざと知らせないように秘密裏に処理する傾向もあるくらいだ。
言い訳しておくと、子供を密偵に仕立てているわけじゃない。
世間話程度の噂話を集めてきてもらっているだけだ。この時代では、そういったことも「草」の仕事になるらしい。
「比叡山の坊主、か」
阿呆ならいい。腐った坊主なら、半兵衛も庇わない。
頭がキレるから、わざわざ尾張国に潜伏させておいたのだろう。坊主を隠すなら寺の中だ。今の今まで俺の耳に入らなかったのは、単純に言う機会がなかっただけだと思われる。
あるいは半兵衛の奴め、素で忘れているのかもしれない。
「近々、息子たち連れて上洛するんだろう? 玄以も連れて行けよ。なんだかんだで京の坊さんたちとも顔見知りだ」
「ド阿呆、そっちを先に言え!」
「だって信長様、坊主嫌いじゃねえか。今もすげー渋い顔してんぞ」
うるせ。嫌いなもんは嫌いなんだ。
「あとさー、もう一つあるんだが」
「なんだ!」
「神保ってのが、織田家の姻戚にいるだろ。もともと神保家は越中の豪族だ。何でも親上杉派と反上杉派で親子喧嘩して、息子の方が織田家臣の神保家を頼ってくるらしいぜ」
それは何故か。
俺が謙信と呑み友だからだ。いや、それ以前に神保何某が織田家の姻戚とか聞いていない。おそらくは親父殿か、その前の世代で婚姻を結んだのだろう。家臣なら評議の場で顔を合わせているはずだが、完全に範疇外だった。じゃなくて、越中の情勢がすっぽ抜けていた。
「越中には椎名家があったよな」
「その椎名家と神保家が仲悪くて、越後上杉と能登畠山が介入したってわけ」
「子供の喧嘩に親が出しゃばってくんなよ!」
「他人同士だからなあ」
「知っとるわ!」
上杉家が越中へ進出した理由が分かった。
信玄の置き土産だとばかり思っていたが、状況はもっと複雑だったのだ。戦乱の世を誘引したとされる応仁の乱は、北陸出身の何某が一枚噛んでいたと聞いたことがある。つまりは、その頃から喧嘩は続いているのだ。
畠山家、上杉家から見たら餌でしかない。
その畠山家もお家騒動で荒れているんじゃなかったか。このまま放っておくと第六天魔王がやらかした一向宗の大粛清を、毘沙門天の使いがやらかすことになる。
顕如と謙信は分かり合えそうだが、そこに至るまでに多くの血が流れる。
「おいおい、なんで頭を抱えるんだよ。予想しうる事態を避けたくて、上杉を何とかしろって言いたかったんじゃないのか? 他に何か狙いでもあったのかよ」
「慶次」
「おう」
「神保と二人で、春日山見物してこい」
「はあ!? 俺一人ならともかく、神保とかいう奴が捕まったら」
「捕まったら、こう言えばいい。神保は、織田家臣でござる……とな」
「いや、そうだけど。そうじゃねえだろ」
「嘘は言っていない」
「いやいやいや」
「天下御免の傾奇者がウダウダ言ってんじゃねえ! とっとと行け!!」
煙管片手に慶次を蹴り飛ばした。
何事かと走ってきた小姓には尾張国へ使いをやって、小松寺の僧を呼べと指示する。くれぐれも逃げられないよう首に縄つけてでも、と言い添えたら本当に縄かけられて岐阜城へ現れた。
ちょっと申し訳ないことをしたな。
**********
玄以の到着を待って、信忠と賦秀を呼ぶ。
話があるとしか言わなかったせいか。緊張した面持ちで現れた息子は、先に奥の間で待っていた仏僧の姿にぱっと顔を輝かせた。
「玄以殿! うわあ、懐かしい。お久しぶりですっ」
「はしゃぐな、奇妙丸」
「違いますよ、父上。信忠です」
弟たちを幼名のまま呼んでいるせいか、信忠は諱にこだわる。
同様に賦秀も「忠三郎」より諱がいいと言い張るので、慣れるのは早そうだなあなどと呑気なことを考えていた。織田家はノブノブ多すぎるんだよ、マジで。
ちなみに前田玄以は慶次の言った通り、荒子の前田家とは似ても似つかない。一言で表すと、犬っぽくない。
小柄で平凡顔なところが、とても親近感をおぼえる。
うちの息子が懐いているのは違う理由だと思いたいが、玄以の若干引きつった笑みに在りし日が偲ばれた。色々やらかしたんだろうなあ、色々と。詳細報告が俺に届かなかった時点で、なんとなく予想がつく。
「玄以」
「はっ」
「俺が言うべきは先に通達した通りだ。吉兵衛の娘を娶り、織田家臣を名乗ることを許す。ついでに、馬鹿息子の手綱を握ってくれ。そろそろ甚九郎の胃が心配だ」
「織田の父は、相変わらず身内に甘い」
ふふんと賦秀が鼻を鳴らすので、思わず肘置きを殴った。
「てめえが一緒になって暴れるからだろうが!」
「暴れておらぬ。が、少々やりすぎた感はある」
「自覚あんじゃねえか!!」
「……私には荷が重すぎるかと存じます」
玄以の顔色は青を通り越して白い。
だが俺も引けない理由がある。
「拒否は認めん」
「…………畏まりました」
尾張国にいても、織田本家の噂は聞こえてくるだろう。
まして奇妙丸時代に比叡山延暦寺の顛末を目の当たりにしているのだ。腐敗しきっていたとはいえ、一時期は厄介になっていた寺である。天台座主は皇族だということもあり、常識が通じない相手だと身に染みているはず。
とはいえ、京の坊主どもにも誼を通じている玄以を手放す気はない。
もちろん応対を丸投げする、という意味で。
ふと気が付けば、信忠がじっとりと睨んでくる。
「父上、あまり玄以殿を虐めないでください」
「うちは能力主義だ。使える奴はとことん使う」
「うむ、骨の髄まで搾り取るがいい」
「忠三郎! だ、大丈夫ですから。玄以殿、私はそんなに無茶ぶりとかしませんから。本当です。大丈夫です、お約束します」
「ええ、そう願いたいものですね……」
あまり信じてもらえていないぞ、息子よ。
軟弱者めと言いたげな賦秀はただ単に、自分には与えられぬのかと訴えたいだけだろう。お五徳は嫁に出してしまい、織田家の娘婿は賦秀一人だ。なまじ色々やらかして成果も出しているので、本家に次ぐ待遇を求めてもおかしくない。
後始末はみーんな家臣任せである。
とりあえず玄以に対する様子からして、少しは期待できそうだ。信栄が胃痛で倒れようものなら、越前にいる信盛から嫌味をてんこ盛りにして届けられるに違いない。俺が欲しいのは朗報であって、腹を壊すこと請け合いの毒台詞じゃないのだ。
「父上」
「ん?」
「玄以殿が、発言の許しを願っています」
「おう、何だ。どうした、玄以」
正式な評議の場でもないのだ。
後ろに控えているのは小姓で、側近は恒興ともう一人いるだけ。あまり畏まられても困るのだが、玄以は尾張国の田舎武将にすぎなかった頃を知らない。
無理もないか、と苦笑も浮かぶ。
「慶次郎殿はいずこにおられるのでしょうか」
「旅に出た」
「ああ、やはり」
予想していたとばかりに、玄以が軽く頷いた。
「表舞台へ引きずりだしていただいたことをお恨み……いえ、お礼申し上げようと思ったのですが逃げられ、もとい、機を逃してしまったようですね」
「貴様、そっちが素か」
思わず半眼になれば、にっこり微笑む玄以。
半兵衛が所在を隠し、慶次が推薦し、信忠が懐く相手だ。性根が普通じゃなくて当たり前だ。青ざめていたのは、これから先は安寧から程遠い人生を歩むと分かっていたから。京に知り合いがいるなら、村井貞勝の人柄も知っているに違いない。
えらいことに巻き込みやがって、と顔に書いてある。
大人しくしていたのは、罪を犯していないのに縄をかけられた所為。できるだけ俺の勘気に触れぬよう、気を配っていたのだと思われる。まあ、悪名だけなら数えきれない。これまでの会話で、どんな態度をとるべきか判断したというわけだ。
面白い奴。
ニヤニヤし始めた俺にも、玄以は怯むことなく目線を合わせてくる。ひょっとしたら慶次がどこへ向かったかを言うだけで、俺の狙いまで気付いてくれるかもしれない。
「父上、ダメですよ」
「分かっている」
獲るなと言いたげな息子に、ひらひらと手を振った。
「公方様の命で、近々上洛することになった。粗相があってはならんし、元服したばかりで側近もおらんでは格好がつかんからな。玄以、こいつらに貴族向けの作法などを仕込んでやれ」
「お任せください」
「え? 作法なら、母上に」
「いい機会だから基本からやり直せ。忠三郎、お前もだ」
「出立を遅らせるわけにもいかぬ。一日あれば十分であろう」
「私は半日で習得してみせる!」
「分かった分かった。張り合うのはいいが、ヘマしたら……お濃の仕置きだぞ」
途端に二人の顔が引き締まった。
こくこくと何度も頷いているのを不思議そうに玄以が眺めている。彼女の雪女伝説は尾張国まで広まっていないらしい。重畳である。
********************
実は去年に妻の実家である織田家を頼ってきたばかりなのだが、ノブナガが忙しすぎて面会すらできていない。岐阜城の小者に愚痴っていたのを慶次が聞きつけ、さも以前から家臣として仕えていたような口振りで仕事をもらってくる。織田家が神保家の後ろ盾にと喜んだのもつかの間、上杉家への使いとして振り回される日々。合掌。
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