197. 続々・父と子の生存戦略

 信純が荒木村重を伴って摂津国へ発った翌日のこと。

「……父上、お話があります」

「俺には無い」

「父上」

 人恋しさを紛らわすには仕事だ。仕事しかない。

 幸いにして、片付けるべき政務は山のようにあった。

 農地は開墾の終わったところから種付けが始まる。今の時期にどれだけ手を尽くせるかで、秋の収穫量が変わってくるのだ。土づくりの大切さは、織田流農法における基本中の基本として教えていた。そういうことは農民は経験と勘で知っているが、知識として学べば実感も変わる。

 種を撒いて、手を尽くすこと。

 それは農業だけに限らない大事なことだ。

 俺は今まで、ちゃんとできていただろうか。

 どこかで手を抜いていたから、信治を失うことになってしまったんじゃないか。

 摂津国について、織田領じゃないからどうでもいいと軽く考えていたんじゃないか。皆が天下人になれと、畿内を手中に収めろと進めてくるのは、そういう俺の甘さを戒めるためだったんじゃないか。

 楠十郎のこともそうだ。

 あいつは俺にとって命の恩人だが、あいつ自身は俺に敵意があった。思い返せば、最初から好意的な感じじゃなかったもんな。それに奈江のこともある。友達になりたかったのは本当だが、そのために俺は努力をしたか? 何も手を尽くさず、事態を悪化させた。

 だから信治は死んだ。平手の爺と同じように、俺の所為で――。

「あ、母上」

「お濃!?」

 ついに接触禁止令を解除する気になってくれたのか。

 ばばっと周囲を見回して、誰もいないことに深く落ち込んだ。ガッカリだ。政務を再開する気力も失って、畳に身を投げ出す。もう、なにもしたくない。

 奇妙丸は俺を見下ろし、わざとらしく溜息を吐いた。

「父上は、本当に母上が好きですよね」

「当たり前だ」

「それなのに、どうして側室を迎えられたのですか」

「同じことを三七やお五徳たちに言ってみろ。謹慎どころじゃ済まさねえぞ」

「言いませんよ。母様たちにも訊いたことはありません」

 なら何故と言いかけて、俺はのっそり起き上がった。

 岩村城に詰めているはずの奇妙丸が、岐阜城にいる理由は複数ありそうだが。武田信玄の末娘虎の置き土産に会いに来たのかもしれない。報告によれば、去年の収穫祭でかなりいい感じだったという。

 太郎に続いて松姫まで託していくとは、信玄は随分と奇妙丸が気に入ったようだ。

 四郎勝頼の将来を案じるなら、松姫はどこぞへ嫁がせるのが最適解だ。美濃国へ密入国させてしまったが最後、松姫は武田家の姫には戻れない。それでもいいと本人が願ったのか、信玄がお節介を焼いたのかは分からないが。

 奇妙丸の冒険は、大きな収穫が得られたことは間違いない。

 あれですっかり味を占めてしまって、あちこちでやらかしていることは一度ガッツリ怒らねばならないと思っていた。奇妙丸は自由気ままな旗本の三男坊じゃない。将軍家の後ろ盾として畿内にも名を轟かせる戦国大名・織田尾張守の嫡男なのだ。

「ちょうどいい機会だ。俺も色々聞きたいことがある」

「先に私の質問に答えてください」

「吉乃は戦死した夫から、俺を頼るようにと言われていた。奈江は伊勢長島から逃げてきて、俺に助けを求めてきた。あと、お濃からはいい加減体がもたないので、誰でもいいから早く側室を迎えてくれとお願いされていた」

「最後のは聞きたくなかったです……」

「質問に答えてやっただろうが」

 側室の話となれば、閨のことは切っても切り離せない。

 奇妙丸だって、帰蝶が強く願った結果の子供だ。そういえば、今年はまだ熱田神社に参拝していない。ついでに小木寺も顔を出していくか。信治のことを、爺に報告しなきゃな。

 微妙に重い空気を振り払うように、奇妙丸が咳払いをした。

「それで、父上の聞きたいことって何ですか」

「南近江の件だ。三公七民のアレ、黄巾党を真似しただろ」

「ウッ。だ、だって……黄地に黒字って、すごく目立つから」

「警戒色だからな」

 半眼で見やれば、奇妙丸は居心地悪そうに身を竦ませる。

 こいつが発案者で、悪ノリしたのが慶次。鶴千代以下、悪ガキどもが便乗した形だと思う。結果的に上手くいったものの、大混乱に陥った戦場をまとめるのは苦労した。

 暴走族の話はしていないはずなんだが、ノリと勢いって怖い。

「銅銭の普及も進めたいって、前に言ってたし」

「ド阿呆。貧困層に銅銭扱えるわけねえだろ」

「長政殿が怪我をしたら、叔母上が悲しむと思って」

「あれは織田うちが介入した時点で、余裕で勝てる戦だった。てめえらは状況を引っ掻き回した挙句、戦後の統治に支障をきたす原因をつくったんだぞ。分かってるのか」

「父上の計画通りだったって、慶次が言ってましたけど」

 結果オーライっていうだけだ。

 どちらにせよ、大幅な減税をしなきゃならないことは分かっていた。

 長政が独立するために動き出して以降、戦乱続きで農地はどこも荒れ放題。とてもじゃないが税収が期待できる状況になかった。それでもお市と娘たちに苦労させまいと、必死に努力したことは褒めてやってもいい。だが民を苦しめて贅を尽くせば、遠からずしっぺ返しがくる。

「それと……義景殿と長政殿に恩を売っておけば、裏切る可能性も減るかなって」

「そういえば、勝手に俺の名代として暗躍している奴がいたな。お冬を唆したのは貴様か」

「いえ、お冬の独断です。私は鶴千代から聞きました」

「どいつもこいつも……!」

 最近、お冬は鶴千代といい感じだ。

 織田家にとって利益の高い家と縁続きになる、というのがお冬の考えだった。まだ幼い娘にそんなことを言わせた罪悪感はまだ色濃く覚えている。それが武家の常識だとしても、俺は嫌だと何度も言ってきたのに。

 蒲生家は織田家臣として信頼度を上げつつあり、中でも鶴千代は俺のお気に入りとして知られてしまった。信盛の息子をさしおいて、奇妙丸の最側近として噂されている。

 鶴千代は蒲生氏郷として、将来的に獅子レオの名を残す戦国武将だ。

 抜きんでた才覚があって当然なのだが、よりによってお冬の婿候補になるとは。いや、まだ決まったわけではない。お冬から何も聞いていないしな!

「鶴千代は謹慎処分を受けていないのをいいことに、色々なところに顔を出しているそうです。先日も西国より父上を訪ねてきた謀聖と論戦を繰り広げたとか」

「初耳なんだが」

「中嶋での工作部隊にも紛れていたそうです。ゴリマッチョの法主って実在するんですか? あの戦いには、三七の代わりに宗吉が参戦していたんですよね。……修験者って修行を極めたら分身出来るのかな」

「鞍馬山へ籠るには遅すぎないか?」

「抱え筒の弁慶とやり合いたくないです。五条大橋が消し飛びますよ」

 ゴリマッチョの法主は顕如のことだな。

 野田福島の戦いには、奇妙丸たちもコッソリ参加していたと報告を受けている。

 あれだけ対武田戦線に注視しておけと言ったのに、ホイホイ外に出てくる監視の甘さよ。どうせ岩村城主夫妻が許可を出しているのだ。信純は、お艶に信直を近づけたくない。信直は分かりやすい戦績を積み上げたい。奇妙丸は信直と一緒にいたい。見事な利害の一致である。

「……分かった。暇なんだな?」

「えっ」

「いつくるか分からない敵を待ち続けるのはストレスが溜まるし、その年でお艶の方に子供可愛がりされるのも我慢ならない。それなら岩村城に留まりたくなる理由を与えようじゃないか」

「いえ、あの、私は私なりに生き延びようと考えて……」

「てめえの我儘に振り回される奴らのことも考えろ」

「考えてますよ! もう昔のとは違うんだ。僕は僕だけの味方が欲しい。父上みたいに上手くできないけど、失敗だって経験だと父上も言ってたじゃないですか。それにちゃんと報告もしてます」

「事後報告でも事前報告でも、やらかしたくなったらやることに変わりねえだろうが。俺も若い頃は色々やらかした。それで親父殿に何度も怒られた。ぶん殴られて空を飛んだし、顔が二倍に膨らんだし、骨を折って長期療養して初夜が年単位で延期した」

 パンパンに膨らんだ顔を見て、あの恒興が爆笑したのだ。

 あの頃から信純が傍仕えに選ばれていたら、瀕死の重体で早々に表舞台から消えていたかもしれない。死因は腹筋崩壊。記録に載せられないやつだ。

 奇妙丸がおそるおそる聞いてくる。

「それって冗談じゃなく、本当の話だったんですか?」

「ああ。親父殿は修羅の国の人だったからな」

 頬の銃創を撫で、俺は苦笑した。

 親父殿に硯、舅殿から茶碗、帰蝶から朱塗りの盃をそれぞれ額に受けても案外無事だったのに、先日の銃創は跡が残るらしい。俺も、もう若くないということか。現代に比べれば、平均寿命もかなり短い。人生五十年、この時代ではごく普通の寿命だ。

 だから還暦を祝うのだろう。

 俺はそれ以上、もっとずっと長生きしたい。できれば孫が成人して、ひ孫が生まれて、更に玄孫の顔も拝みたい。結婚・出産年齢が早い時代だから、十分期待できると思っている。

「父上はどうやったら死ぬんですか?」

「本能寺が炎上するまでは死なないと思うぞ」

 これは嘘だ。何度も死にそうになった。

 なんだかんだで運良く死ななかっただけで、今はもう歴史の強制力云々を気にしている余裕はなくなった。いや、信治は若く死ぬ運命だったんだろうか。信行のようにきっかけを覚えていれば、回避できたかもしれない。だが爺は死んだ。信治の死は覆らない。

 奇妙丸は、まだ生きている。本能寺の変さえ回避できれば、何とかなる。

「思い出しました。父上、明智を勧誘するなんてどういう了見ですか」

「してない。あれはブラックジョークだ」

「冗句? 明らかに父上を敵視している者を味方に引き入れるなんて、どう考えても正気の沙汰ではありませんよ。うっかり本気にしたらどうするつもりですか」

「一応、今も味方だぞ? 公方様の臣下だからな」

「松永弾正殿も、細川兵部殿も、公方様の臣下でしたが織田家臣に加わりましたよね」

「…………」

「…………父上は、ご自身の発言をもうちょっと気を付けた方がいいと思います」

 やれやれだぜ、っていう顔で奇妙丸が溜息を吐く。

 仕方のない人ね、と苦笑する帰蝶と重なった。母親似なので、ますます中性的な優男に成長しつつある。城女中にも人気が高いのに、どうやってコッソリ抜け出しているんだか。

「父上は迂闊な発言が多いんですよ」

「お前に言われたくないっ」

「廃嫡寸前の嫡男だからいいんですっ」

「だったら俺の仕事を半分くれてやる! そして机に齧りついてろっ」

「そういえば、さっきから気になっていたんですけど。何年分ですか、これ」

「春季の分だから、数か月くらいかな」

「え」

 予算については定例議会で話し合ったばかりだ。

 なので経理関係は含まず、各地の情報をまとめた報告書が大半を占める。他はちょっと判断に迷う陳情とか、織田塾の授業内容について。昔やっていた父兄参観は、講師が緊張しすぎてダメだというので報告書を出してもらっている。

 子らに直接聞いてもいいんだがな。

 於次丸が埋もれる勢いで皆が話しまくるので聞き取れない。お冬がいれば通訳してくれるんだが、奇妙丸以上にじっとしていないので探して捕まえなければならない。のんびり屋さんなのに、どうしてあんなにフットワークが軽いんだ。今の流行か。

「そういえば俺も嫡男なのに、色々仕事やらされていたな。よし、奇妙丸。元服していなくても嫡男は嫡男だ。当主になっていきなり激務も大変だろうから、今から学べ」

「あー、そろそろ岩村城に戻らないと!」

「大丈夫だ、安心しろ。残りはまとめて運ばせる。お艶の方にも言っておくから、……逃げられると思うなよ?」 

「あ、あはは…………はあ、がんばります」

 奇妙丸はそう言って、げんなりと肩を落とした。





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奇妙丸はデスクワークが苦手らしい!

信治のことは話題に出せなかったらしい!

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