196. 信純さん、キレる
明けて元亀2年(1571年)春――。
宇喜多直家から、毛利元就病没の報せを受けた。
嫡男・隆元の死後に輝元が家督を継いだものの、隠居したはずの元就が実権を握っていたのだ。これを吉とするか、凶とするかは今後の毛利家次第だろう。
「少なくとも外へ目を向ける余裕はなくなるんじゃないかな」
「今年は荒れますよー」
信純と半兵衛が口を揃える。
一向宗の過激派と一緒に比叡山の僧兵をかなり減らしたおかげで、西美濃はようやく安定しつつある。東美濃防衛線も完成したので、二人は岐阜城へ戻ってきたのだ。信純は事実上の岩村城主なので、何かあったらすぐ戻らなければならないが。
「あとねー、相模の獅子も亡くなったみたい」
「いつだ?」
「ちょっと前くらい」
把握していないはずないのに、こてんと首を傾げる半兵衛。
「甲相同盟が復活してるから、たぶん間違いないと思いますよ。上杉には北条三郎を養子に出しているし、敵対する意味はあんまりないはずなんですけどね。そこはよく分かんないや」
「現当主の氏政って男は、そんなに読めない男なのか?」
「それ、君が言うのかな」
「…………」
「…………」
「え、なんで怒ってんだ?」
自分で言うのもなんだが、俺は結構わかりやすい方だと思う。
何を考えているのか知りたいと言われたことはあっても、行動が読めないと言われたことはない、はずだ。うーん、不安になってきたぞ。
助けを求める視線を送れば、半兵衛がニコッと笑った。
「なんですか、魔王様」
「ゴメンナサイ」
俺は土下座した。
すっかり忘れていたが、信純は俺の悪評を嫌う。政治的理由があって悪評を見逃すことはあっても、心情的に認められないらしい。織田家の評価は、俺の叔母であるお艶にも影響するからだろうな。
「あのね、三郎殿。謝って済むものなら戦なんて起きないよ。信濃国に潜ませておいた者から聞いた時には、強制隠居を考えたね。ちなみに方法は十くらいある」
「い、一応聞くぞ。誰の隠居」
「三郎殿以外に誰がいるのかな?」
「うぐ」
「本当にねえ、奇妙丸様が岩村城で大人しくしていてくれたら何でもできたんだけど、残念で仕方ないよ。本当に、ね」
大事なことらしく、二度言われた。
第六天魔王の自称に関してはネタ程度にしか知らなかったのと、信玄との売り言葉に買い言葉でやらかした感がある。いつだったか軍神が「徳栄軒の戦上手は認めるが、人柄は断じて許しがたい(意訳)」と言っていたのを思い出した。
あっという間に広まったことからして、奴に乗せられたのだ。
冷静になって、他人の口から聞かされるとメチャクチャ恥ずかしい。
史実の織田信長は何とも思わなかったのだろうか。この時代の魔王は現代でよく知られている魔王と少し違うから、案外平気だったかもしれない。
そして俺は非常に恥ずかしい。
両手で顔を覆うと、信純が「話を戻すよ」と言った。
「北条氏政のことだけどね。野心がある、という点は確かだよ。どちらかといえば戦を忌避していた氏康と違って、一度手を組んだ相手でも戦うことを辞さない。まあ、私も詳しいところまでは把握していない。分かっているのは、武田信玄が後方の憂いを断ったということだ」
「軍神がいるだろ」
「それがですね。越中で一揆が起きちゃって、それどころじゃない感じ」
越中国にも真宗系の門徒が多い。
過激派の動きが活発化した一因は、本願寺や延暦寺にもあるだろう。摂津中嶋でも、南近江でも、一向宗は残らず殺された。行き先は天国か地獄か、そんなことはどうでもいい。
「三郎殿が気に病むことじゃないよ。今回はほぼ間違いなく、武田が煽ったんだ。上杉殿を越中国へ留めておくためにね」
「同盟を結んだとはいえ、北条家と徳川家が交戦していないのは幸いかも。今年に入ってすぐに遠江・三河国への侵攻が再開されましたし。東美濃もなんとなーく、小競り合いが増えたかも」
「三方面の同時展開か。虎のおっさん、本気だな……」
「総数は三万を超えると予測している。文字通りの総力戦だよ」
「対する徳川軍は一万ちょっと。まあ、数よりも経験の差がありますからねー。何回かは負けちゃうかも」
「ふむ」
近江・越前・若狭の三国はまだ不安定だ。
できれば家康一人で頑張ってほしいところだが、弟分が苦しんでいるのは見過ごせない。武田軍は東美濃国境にも出てきているのだ。同盟も破棄して、武田軍と開戦するのに憂いもない。
畿内はそれなりに平和だ(摂津国除く)。
西域はちょっと荒れ模様だが、直家は何も言ってこない。元就の病死だけ知らせてきたのは「こっちは気にするな」という意味として受け取っておこう。
「あ、そうだ!」
「どうした、半兵衛」
「少し前に信長様、植林計画について話してたでしょう? 山崩れ防止や水管理にも役立つっていうから、三河国から若木をもらってくる話もあったんですけどね。その一環で面白い噂を聞いたんですよ。井戸を掘ろうとしたら、黒い水が出てきて」
「どこだ!?」
「え、あ……っと、遠江のどこか」
「最優先で場所を特定しろ。又六郎、遠江へ侵攻している武田軍の内情を調べ尽せ。間違っても油田地域に踏み込むとか絶対阻止。地下資源万歳」
「はいはい、御意のままに」
言うべきことは言った、と俺は満足気な息を吐く。
巨大鰻といい、油田といい、家康には幸運の女神でも憑いているんじゃなかろうか。羨ましすぎる。石炭は採掘するのにトンネルをつくるが、油田は湧いてくるものを汲み上げればいい。精度は問わない。あれはいいものだ。
「揮発させない入れ物も考えないとな。せっかくだから、石炭も特徴を伝えて探させるのも…………いや、炭鉱は管理が大変だ」
管理面の難しさは油田も同じだ。
しかし湧いてしまったものは使うしかない。現代に伝わる地下資源が一つなくなる、という問題はこの際置いておく。何かの拍子に引火しようものなら、辺り一面が火の海だ。ただ燃えてしまうくらいなら、有効利用したい。
「貴重な地下資源である油田を守るために、徳川領遠江国へ援軍を出す。うむ、実に立派な口実だ。これなら誰も文句は言えまい。家康には助けてやった恩があるから、収益の半分以上は確実だ!」
「信純さん、交渉役は僕が行こうか」
「そうしてくれると助かるよ……」
二人が何やら言っているが、俺はとても気分がいい。
こうなってくると信玄様々だ。遠江国が徳川領になったのは今川勢力の衰退がきっかけとはいえ、武田軍が手を出してこなければ難しかったと思う。ただし北条氏政が勢力拡大を望むなら、遠江国は三国で奪い合いになる。軍勢を率いて戦をしなくても、民の扇動や家臣の内通など方法はいくらでもあるのだ。
となれば、油田開発どころじゃなくなる。
「それに石油が優秀な化石燃料だと分かれば、ますます遠江国の価値が上がってしまうな。産出量が安定するまでは、何とか誤魔化す手も考えないとダメか」
「はいはーい、手っ取り早いのがありますよ」
「家康をまるごと臣従させ、織田領にするっていうのは却下」
「えー」
全く半兵衛は油断も隙もない。
黒官のいる播磨国が安定したら、とっとと秀吉に押し付けちゃる。ひっそり心に定めて、不満げな顔を隠しもしない天才軍師を睨んだ。
「氏政は野心家だって言ったばっかりじゃねえか! そんなのと隣近所になるとか無理。絶対無理。いつ戦になるか、どうやって戦するか、どれくらいの戦になるかを日々考えるのなんて御免被る。通常の政務だけで精一杯なんだぞ。下手すりゃ、東に居城を移すハメになるわ!」
「そうそう。家康殿が遠江引馬城を改築して、新しい居城に定めたらしいよ」
「ほう」
「名前は浜松城。馬を引くなんて縁起が悪いから名を改めたのに、城壁付近を女の幽霊がうろつくって噂もあるんだよ。三郎殿、一度見てみたくない?」
「ない」
「魔王様のくせに、怖がり」
「ちゃうわ!」
三河国の岡崎城は嫡男・信康に譲られたらしい。
実父・広忠の血を引く者は市場姫――家康の家督相続後、荒川家へ嫁いだ――だけだが、再婚した於大の方が生んだ異父弟は三人いる。彼らに松平姓を名乗ることを認め、異父妹になる
一族で徳川姓を名乗っているのは家康と信康のみ。
織田一族でいえば、従兄弟の信成たちが津田姓を名乗っているのと同じだ。もはや弾正忠家は織田の庶流じゃない。元服した奇妙丸が織田宗家として継いでいく。
奇妙丸の従兄弟も、何人かは津田姓を名乗るのだろう。
当主の俺が気にしないのに周りが気にする。細かい奴らである。
「とりあえずの方針は決まったな。あとは情報次第で――」
「おや、外が騒がしいねえ」
「見てまいります」
右筆をしていた勘右衛門が立ち上がり、部屋を出ていく。
俺が呑気に構えていたら、傷だらけの髭オヤジ二人が現れた。引きずっているのは、しかめっ面の勝家だ。コワモテ髭トリオが揃い踏み、全然めでたくない。
「あ、柴田殿だ。ご無事で何より」
半兵衛のフランクな挨拶に、勝家は鼻を鳴らす。
「で、何があったんだ?」
「今しがた、森三左と荒木信濃守の喧嘩を仲裁いたした。殿の居城で言い争うなど、無礼千万にござる」
「此奴がぬけぬけと顔を出すのが悪い」
「わしはわしなりの覚悟があって、ここに来たのだ。大殿の信頼をいいことに、好き放題やらかした貴様に言われとうないわ!」
「なにおう!?」
「やらいでか?!」
「やめんか!!」
勝家の大音量と共に、髭同士が激突する。
うわあ痛そう、と顔をしかめる半兵衛に深く同意したい。
勝家は両腕で抱えきれない巨木を引っこ抜き、水の入った大甕をぶん投げ、怒りのあまりに橋板を踏み抜いた男である。最後のは続きがある。落下したと思ったら何事もなく這い上がってきて、そのまま橋を渡りきった。
ファンタジーな修羅の国・尾張出身だから仕方ない。
「勝家」
「はっ」
「さっき起きたことだけじゃなく、なんでお前らが三人揃っているのかをまず説明しろ。村重は摂津国、勝家と可成は近江国を守るという役目がある。忘れたとは言わせんぞ」
「そのことでございますが! 一言申し上げたき議がございますっ」
「ええい、控えよ。この不忠者が!」
がばりと平伏する村重を、げしげしと蹴る可成。
うん、かなり大人げないぞ。
こうなるのが目に見えていたから、なるべく二人を会わせないようにしていたはずなんだがなあ。どうしてこうなったんだか。有能な軍師たちも把握していないことはあるようで、顔に「関わりたくない」と書いてある。
「勝家」
「はっ」
「可成の怪我、まだ治ってないはずだ。手配させるから、大人しく治療を受けるように見張ってくれ。半兵衛、頼む」
「……はあい」
嫌々立ち上がる半兵衛に、可成と勝家が渋々ついていく。
「詳しく説明しろって言わなかったっけ」
「あのまま聞けると思うか?」
「あはは」
「というわけで村重、邪魔する奴はいないから存分に吐け。嘘偽りなく、個人的感情を含めず、間違っても取り乱すことなく、ありのままを釈明しろ。ちなみに俺への媚びが見えたら」
「…………」
「城から蹴り出す」
「誓って! 誓って、ありのまま申し上げます!!」
髭面の猪に威厳は欠片もない。
投げ飛ばすって言っていないんだから、そんなに怯えるなよ。
これでも戦国時代に生きる武将だ。摂津三守護の一人、池田勝正を城から追い出す気概があるとは思えない卑屈っぷりに眉が寄る。これをどう解釈した下、村重は慌てて語りだした。しきりに汗を拭く仕草が、やや鬱陶しくはある。
「どうぞお聞き入れください、わしは! 荒木信濃守村重は織田尾張守様を一生涯の主君として仰ぎたく、ここに参上仕りました次第でござる」
「だから最初から説明しろって言ってんだろ。なんで結論から入る」
「ははあっ、申し訳ございませぬう!」
面倒くさいので会話を端折ると、こうだ。
畿内から織田軍が撤退してからというもの、たちまち元の風潮に戻りつつあった。それは将軍家こそ至上とし、室町幕府に殉じる考えだ。織田家によって摂津三守護に封じられたのに、その恩義も忘れたような言動が目立ってきた。
これではまずい、と村重は一計を案じる。
今の畿内は国人衆と守護職が統治する体制だが、いっそのこと全て織田領下に入ってしまえばいい。そんなことを考えているうちに、三好長逸から内通の誘いが来た。これ幸いと、策に乗る。三好残党が上陸したなら、織田軍は必ず摂津国へ来るだろう。
一時的とはいえ敵対するのは心苦しいことだった、と村重は言う。
「勝正と惟政は、先の戦いで討ち死したと聞いた」
二人とも壮絶な死に様だったという。
行方が分からなかったのは、かなり早い段階で三好軍と交戦していたからだ。摂津守護としての使命を全うしようとした。義昭を呼びに行ったのは親興のみ。
ここは任せてお前は往け、とか完全にフラグである。
何で気付かないんだ、戦国時代だからか。
「惟政は三好軍と交戦したが、勝正は荒木軍と交戦したそうだな」
「相違ございません」
「何故だ」
「池田勝正こそ、大殿に媚びを売るだけの男にござる! 家臣の功績も己のものとして当然と考える傲慢さには、ほとほと愛想が尽き申した。あのような男が戦場で武士らしく死ぬるなぞ、勿体ない最期にございます」
「…………」
「わしは、謀反人にござる。理由はどうあれ、織田と足利将軍家にとって怨敵である三好家に通じた恥知らずにござる。森殿に言われるまでもなく、武士の風上にも置けぬ不忠者にて――っ」
村重は平伏したままで、表情までは伺えない。
今までの言葉を信じるなら、この男なりに摂津国のことを考えた末の行動だった。正しいか、間違っているかは問うだけ無駄だ。人間同士で殺し、殺される時代である。
「よくできた筋書きだな。
びくり、と村重が震えた。
噴き出した汗をしきりに拭いながら顔を上げ、俺を真っすぐ見つめる。
「そ、それは松永弾正殿の策に乗ったまでのことで、知正様は織田家に何ら含むところはございません。それだけは信じていただきたい」
「ふうん? まあいい、最後まで聞いてやる」
「は、ははっ。……その、松永弾正殿に諭されてござる。自分なら謀反人として処罰するが、信長様は『摂津国を治められるなら許す』と仰せであると」
「三郎殿」
「うっ。いや、確かに言った。ちゃんと覚えてるとも」
「わしは信長様の、大殿の大器に深く感銘を受けたのでござる! 池田姓を名乗ることを許された者として! 未だ収まらぬ摂津国を一つにまとめ、織田領として恥ずかしくない土地に育ててごらんにいれます。数々の厳しいご指南、素晴らしき技術を無駄にしないと誓いまするっ」
「三郎殿。どうするの、これ」
信純の視線が痛い。
帰蝶に負けず劣らずの絶対零度ビームが刺さる。自称魔王なんてかわいいものだ、と彼は思っているところだろう。確かに俺が軽率だったのは認めるが、確定事項にしてしまったのは松永弾正である。俺わるくない。
「あー……、つまりは何か? 決意表明しに、わざわざ摂津から美濃まで来たと」
「書状一つで済ませるなど、不義理の極み」
「お、おう。それで可成がすっ飛んできて、勝家が城放り出して仲裁に入ったわけか。ようやく合点がいった。あいつらのことだから、ちゃんと留守番できる奴に任せてきただろうし。知正を差し置いて
今度は村重がぴしっと固まった。
アアとか、ウウとか意味をなさない言葉を発する。
「喋りすぎて壊れたか? おい」
「…………三郎殿」
「はひいっ」
「ちょっと摂津まで行ってくるよ。たぶん心配いらないと思うけど。松永殿が一枚噛んでるなら、何もしないってことはないとは思うけど。摂津だから」
「お、おう」
「半年ほどお艶様に会えなくなるけど、我慢するよ。摂津は西の要所だし、仕方ないさ。これも織田を名乗る者としての責務だと思うし、最近は城にこもりっきりで仕事してないとか怒られたし。どうせ岩村に戻っても、お艶様に会わせてもらえないし。坊丸もなんか冷たいし」
「た、大変だな」
「だからね、三郎殿」
ここ一番の冷え込みが来た。
村重と俺は気が付いたら身を寄せ合って震えている。野郎同士でくっつくなんて気持ち悪くて仕方ないが、おそろしいものから逃げようとした必然的にこうなった。
信純の微笑が過去最高に輝いている。
「私がいない間、何も起きないことを祈っているよ」
ガクガクと頷くしか、できなかった。
数日後、村重は処刑台に連れていかれる死刑囚のような顔をして摂津国へ戻った。同行する信純には親衛隊と特殊部隊の一部を貸し与える。手数は多い方がいい。
それから半年後、尾張国海南郡から完成したばかりの鉄甲船が消えた。
巨額の資金をぶちこんだ虎の子の失踪に織田家中は荒れに荒れたが、俺はぽつんと一人空を仰いでいた。何もかもご存知の帰蝶に
「寒い。人恋しい」
ロンリークリスマス。
暇を持てあました俺は八つ当たり相手に松永弾正を選んで、クリスマスの重要性をロングメールで説いておいた。一年に一度の大切な日に、お一人様で暮らすなんて言語道断である。
********************
ちゃんと後始末しようね、っていうお話
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