194. 遠く、遠く離れていても

 厳かに、朗々と読経は続く。

 このために従軍してきたと言わんばかりの本願寺顕如は、下間頼廉以下の僧と共に死者の供養を担当した。摂津中嶋でも、こうして両軍の戦死者を弔ったそうだ。筋肉集団の眩しい頭皮に目を細めつつ、俺も彼らの冥福を祈った。化けて出られそうな気もすると言ったら、顕如にえらい剣幕で怒られた。

 どんな魂も、死ねば皆平等。

 一向宗の民は念願の極楽浄土へ旅立った。

 俺はそんな世界など知らないし、知りたくもない。二度目の生を歩んでいる者がここにいるぞ、と吹聴して回る気もない。

 楠十郎の骨は、伊勢長島へ持っていくことにした。

 とっくに伊勢国人衆楠家の系譜から消され、いないものとして扱われているからだ。十郎の弟が今の楠家を継いでいる。信包によれば、そこそこ従順らしい。

 六角承禎は蒲生家の願いにより、六角家の墓に入れられた。

 その息子・義治は出家宣言をしたところで信包たちに捕まり、どこかへ連れていかれたようだ。わざわざ生かして捕らえたからには、何らかの仕置きを考えているのかもしれない。ちょっと同情しなくもないが、敗戦の将に選択肢などないのである。

 河原で死体を焼く煙が天へ昇っていく。

 結局、殲滅戦になった。

 自分で命じておいて何だが、冷静になりきれなかったのが悔やまれる。戦で誰かが死ぬなんて、これが初めてじゃないってのに。本当、情けない。

「余は、第六天魔王ぞ……なんつって」

「我が宿敵たりうるか! うむ、それも良しっ」

「うわ!?」

 隣の仁王像。もとい、本願寺法主・顕如。

 10月に入って寒くなってきたというのに、ツヤッツヤの筋肉を露出させている。あれ、おかしいな? 法衣は肩が出る服だっけ。

「なんで、こっちに来た。読経中だったんじゃないのかよ」

「いつの話をしておる。供養塔も建て、万事恙なく勤め終えたのである。これより先は施政者の領分ゆえ、速やかに撤収。次なる戦場への支度をするところよ」

「戦はない。九郎の菩提を弔うとか、色々……あるしな」

「美濃は初めてなのである」

「ついてくる気満々かよ!」

「旅は道連れ世は情け。なに、野を往く旅もたまには良い。音に聞こえた『捌い原』を堪能する覚悟もできておる」

 さばいばら? 意味が分からん。なんだそれ。

 クリーン作戦も『栗院作戦』と置き換えられているから、何かの単語が元になっているんだろうが。期待に満ち満ちた顕如の視線が痛い。どうせ頼廉たちも同行するんだろうし、コレの世話は任せてしまおう。

 俺にそんな余裕も、気力もない。

 戦後処理もそこそこに側近たちは任地へ戻り、俺は信興を連れて懐かしい尾張の地を踏んだ。信包は北伊勢へ、長益は十郎の遺骨を持って長島へ帰る。俺の手で供養塔を建てることは、弟たちの猛反対を受けた。

 優しすぎると言われても、しっくりこない。

 今はもう、ほとんど義務感しか残っていなかった。思ったほど憎めないのは、十郎もまた利用されただけだと知っているからだろう。

 信興が城主をつとめる小木江城で一泊。

 重い足取りで向かった野府城は、何も変わらないように見えた。城主である信治が死んだのだから、普段通りである方がおかしい。城代を務める津田元嘉つだもとよしは弾正忠家の血を引く娘を娶り、織田一門の末席にある。

 その男が応対をしてくれた。

「子は、信元に預けた?」

「はい」

「なら、九郎の正室は……」

「信治様の菩提を弔うと仰り、城下の尼寺へ入られました」

 聞いていないと怒鳴りそうになるのを、何とか我慢する。

 信治は織田家の舵取り役だった。

 好き放題にやらかす兄弟を諫め、丸めこみ、良いように動かすのがえらく上手かった。目立たなくて地味な役回りだと自嘲していたが、信治がいてくれたから何とかなった。信治の適切なフォローがあってこそ、急速に勢力拡大していく織田家がきちんと機能していたのだ。

 最期まで、そつない男だった。

 出立する時にはもう、覚悟を決めていたのだろう。三歳の息子をわざわざ織田家じゃなく、家康の叔父である水野信元に預けたのは相続争いに巻き込ませないためだ。信治の死に責任を感じた俺が、養子に迎えると予測したから。

 全くその通りだったので、何も言えない。

 今の信元は三河国刈谷城にいる。

 冬を前にして幼子の長旅は無理だ。春を待つ間に、信治の子は刈谷の地に根付いてしまう。ろくに会ったこともない俺の顔を見て、亡き父を思い出してくれるだろうか。

「そうか」

 信治の嫁は柘植氏つげしだ。

 元服したら、母方の姓を名乗らせてやろう。それで信治の願いは叶えたことになる。奇妙丸が大人しくしていてくれれば、というのは俺の勝手な考えだ。織田家中における信治人気は高く、その息子への期待は否応なしに高まる。

 勝手な行動の多い直系より、傍系を選ぶ家臣も出てくるかもしれない。

 つくづく信治はできすぎた弟だった。

 尾張から遠く離れた地で、骨を埋めるべき人間じゃなかった。

「……ああ、戻ってきたのか」

 気が付けば、岐阜城が前方にある。

 いつの間に尾張から美濃国境を越えてきたのか。織田本隊は先に美濃入りを済ませている。供連れもほとんどなく、ついてくるのは久秀と親衛隊数名だ。途中で別れた長利は、信治の子の様子を見に行くと言っていた。

 久秀も岐阜城で休んでから、尾張国へ帰る。

「殿、あのような場所に尼僧が」

「ん?」

 城門に墨染の衣をまとった尼僧がいる。

 小牧山を居城としていた頃、よく嫁の待ち伏せをくらった。

 どうしてそれを思い出したのかは、すぐに分かった。尼さんの知り合いなんかいたっけな、なんていう軽い気持ちは吹き飛ぶ。馬から飛び降りて、俺は走った。

「奈江!!」

 なんで、どうして、お前が。

 言葉にならない叫びを汲んで、彼女は微笑む。

「もう決めたの。ごめんなさい」

「於次丸はどうする!?」

「お濃様が任せなさいって言ってくれたわ。お冬も、もう小さい子供じゃないし。それに、もっと早く決めていれば――」

「違う、奈江。そうじゃない、俺が! 俺のせいで、だからっ」

「優しいお殿様。最初からそうだったわね。どんな野蛮人かと思ったら、ちゃんと作法も弁えた立派な武人だったんだもの。無理矢理に妾奉公させられるのが嫌だったのもあるけど、やっぱり惚れた男のところへ行きたかったのよね、あたし」

「奈江」

「違うわよ。興雲院きょううんいんって呼んで」

 道悦様からいただいたの、と彼女は言う。

 真宗じゃなくて臨済宗を選んだのは、彼女なりにケジメをつけたつもりか。十郎を討つと決めた時点で、楠軍が六角親子と南近江を荒らし始めた時点で、何かしらの手を打つことはできた。奈江が出家するかもしれないことくらい、ちょっと考えれば分かったことだ。

 いや、一度決めたら止めても聞かない。

 奈江はそういう女だ。

「興雲院殿」

「なんだかくすぐったいわね。慣れるかしら」

「城から出て、どこへ?」

「長島に」

 聞かなくても分かっていたことだ。

 俺の顔が歪んだのを見て、彼女は片眉を跳ね上げる。

「言っておくけど! あんたのためなんかじゃないんだからねっ」

「ああ、分かってる。十郎のためだろ」

「違うっつーの!!」

 ばっちーん、と派手な音が頬で炸裂した。

 後ろで驚く奴ら以上に俺が驚く。唖然とする顔が気に入らない彼女がもういっちょ、と振り上げた手はさすがに止めた。両頬に紅葉マークをつけたら、信純じゃなくても爆笑するに違いない。必然的に叩かれた理由も知られて、居た堪れない気持ちになるのは嫌だ。

「長島の民のためよっ」

「奈江がそこまで責任を感じることじゃな」

「お黙り!」

「…………」

「いい? あたしは臨済宗、証意様は真宗なわけ。二つの宗派の僧が仲良くすれば、みんなも喧嘩どころじゃなくなるでしょ。織田家で色々な経験をしたから、厄介事や問題が持ち込まれても対応できるわ」

 自信たっぷりに張った胸が、たゆんと揺れる。

 けしからん尼さんもいたものだ。相談は相談でも性的な意味で迫られたら、さすがに対応できまい。長益にはお清がいるし、龍興のこともある。

「本願寺から坊官を派遣させる」

「え? 別にいいわよ。真宗派は証意様がいるし」

「長島の屋敷を廃墟にするわけにもいかんだろ。坊官はいずれなくしたいが、今すぐってわけにもいかないしな。畿内や織田領内の連絡員としてコキ使ってやれ」

「殿は、興雲院様のことが心配なんですよ」

「余計な口を挟むな、五郎」

「そうは申されましても。いい加減目立つので、城に入っていただきたいですね。興雲院様も、これから長島へ発たれるわけでもないのでしょう?」

「あら、旅は初めてじゃないから大丈夫よ」

 頭痛と眩暈に襲われ、俺は額を抑えた。

 二の句が継げない久秀に、奈江の相手は務まらない。

 色ボケ爺の妾が嫌で伊勢国を飛び出すほどの性格は、俺の側室になってからも変わらなかった。むしろ随分逞しくなって、と泣きたくなる。手塩にかけて育てたまでも、俺から巣立っていくのだ。

「もう昔のあたしじゃないわ。役に立つわよ?」

 役に立つから、と縋ってきた吉乃を思い出す。

 正室である帰蝶によく学び、よく支え、織田家に尽くしてきてくれた。武家の妻が出家したら、のんびり余生を暮らすのが普通だろうに。

「影響されすぎだろ」

「責任とらなくていいから、長島行きを認めなさい」

「はいはい、もういいですか? 先に入っていますから、気が済むまで話し合ってください。人払いもしておきますので」

「おい、五郎」

 俺が何か言う前に、親衛隊まで先に行く。

 物見高い民たちも次第に去っていき、久秀が言った通り城門前は静かになった。信治のことでえらく殊勝な態度をとっていたのに、久秀は久秀のままで大変複雑だ。いつか不敬罪で罰してやる、と心に決める。黒歴史にしたくなるような恥ずかしい目に遭わせてやるぞ。

「ねえ」

 白い頭巾をいじりつつ、奈江が上目遣いに見やる。

 可愛いからって口付けるのは、もう許されないんだろうか。そんな煩悩を叩き落す一言が、彼女の唇から飛びだした。

「十郎様、最期に何か言ってた……?」

「いや、何も」

「そう」

 壊れた人間の台詞を伝えてどうなる。

 ふっと視線を落とした奈江が何を考えているのか無性に知りたくて、知りたくなかった。ほとんど接点のなかった信治よりも、幼馴染だった十郎を気にかけるのは当然だ。ぐるりと腹でうごめくのは嫉妬だ。

 十郎に妻子はいたのだろうか。

 いたとしても、俺が世話をすることは嫌がりそうだ。十郎に化けて出てこられても困るので、そのままノータッチでいく。そんなことを考えながら、俺のものだった胸を眺めていた。





********************

現実逃避に煩悩一発


捌い原=サバイバル→さばいばる→(獣を)捌い(て)ばら(野外の意で「原」)

たまに「鯖茨」とも呼ばれる。鯖で大当たりした何某が広めた

みんなは真似しちゃダメだぞ☆

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