191. もしかして:モテ期?

 三好三人衆との戦いは終わった。

 次々と投降してくる三好残党の相手をしている最中、三好政勝の病死を聞く。長逸は討ち死、友通は行方不明、三好氏勢力は急激に衰退していくことになるだろう。まだ現当主の義継が生存しているが、松永兄弟が責任もって監視すると言ってきた。

 義継が野心を抱く心配よりも、周囲に唆される可能性はある。

 筒井順慶に倣って出家しようかな、とぼやいていると聞いた。曰くつきの家名を背負っていたくないのが本音だろうが、妻子がいる以上は耐えるべきだ。俺のアドバイスは脅しにしか聞こえなかったらしく、それから城にこもって出てこなくなった。

 二十代でニート武将とか、いいご身分だな?

「俺も早く隠居したい」

「ええ、全く。本当に、今すぐにでも」

「吉兵衛が隠居したらダメだろ。京奉行なんだから」

 村井家の家督は譲ったものの、貞勝は家老職のままだ。

 京の屋敷へ移り住んだ時には、もう尾張国に戻らないと決めていたらしい。動く金の規模は段違いに大きくなり、未処理の書類は増える一方で、熟練者の貞勝でも毎日カンヅメ状態だ。

 すっかり馴染んだ眼鏡を上げつつ、物言いたげな視線をこっちへ投げてくる。

 相変わらず処理速度が早いとかいう世辞は聞かないからな。

 前世がアナログ世代でよかったと思う。何でもデジタル化する風潮の中で、なんでか通常書類は全て手書きで提出しろという頭のおかしい会社だったのだ。とにかく書いて覚えるスタイルが魂にまで刻み込まれている。お互いに墨をゴリゴリとすり、筆をサラサラと動かし、余剰分を吸わせ、また新しい紙を引っ張り出し――。

「殿、岐阜へはいつ?」

「明後日。今夜は宴だとよ」

「それはそれは」

「能楽見られるから、それ目当てだな。洛中の屋敷に滞在しているのに断るわけにもいかんだろ近江騒動と三好三人衆の件で、公方様との不仲を疑う奴が増えてきたから対外的パフォーマンスも兼ねている」

「そうですね。畿内に織田軍がいるだけで、征西計画の噂も出てまいりますゆえ。殿の本音はさておき、長居は無用かと存じます。とはいえ、宣教師の方々がよく訪ねてこられるので…………さすがに気を遣いますな。ふろいす殿、でしたか。あの方が建築中の二条城に来られた際、織田家は公方様に仕える者であると告げたそうで」

「何かおかしかったか?」

「いえ、ご英断でございました。公方様を日ノ本の主とするのも、殿こそが国の王であると南蛮に伝わるのも、非常によろしくないことですから」

 日ノ本の王キングオブジパング

 どこかで聞いたような響きに、顔をしかめる。

 九州や東北勢を怒らせたくない。たとえ毛利顔見知り上杉呑み友でも、織田家に臣従していると思われたくない奴らだっているだろう。あっさり降ってくる奴もいれば、とことんやり合おうという奴もいる。どっちが信用できるかといったら、断然後者だから全く嫌になる。

「だいたい、二条城までの護衛は俺じゃなくても」

「あの場で最も公方様に近いのは、殿以外におりませぬ」

「藤孝とか、爆弾正とか!」

「彼らに任せたが最後、明智殿が岐阜まで駆けるでしょうな」

「うぐぐ」

 光秀とは仲良くするどころか、会えば嫌味の応酬だ。

 見えないゲージが着実に溜まっていっている気がしてならない。宿所の一つである本能寺も怖くて立ち寄れず、京に来たら真っすぐ織田屋敷へ。今回みたいに人数が多い場合は本能寺も使うことになるが、俺は絶対近づかない。

 特に蘭丸とは行きたくない。

 森軍には森じいと嫡男だけだったし、大丈夫だと思うが。

「吉兵衛、俺だ。聞いてくれ」

「何ですか?」

「なんかこう、皆の信頼が重い。最近やけに過保護だし、ヨイショしてくるし、姿見せただけで臣従したいと言ってくるし、よく分からん褒め言葉もらうし、何なんだ一体」

「喜んでおけばよろしい」

「重いっつーの」

「背負え、と頼まれたわけでもありますまい。殿が、自らの意志で背負っておられるのですよ。それらを重いと思うのも当然でございます。命の重みでしょうから」

「吉兵衛。見ろ、ちからこぶ」

「…………」

「ごめんなさい」

 袖を戻し、深々と頭を下げた。

 可哀想な子を見るような目が一番つらい。刺さる。と同時に、元服前から傍にいてくれた貞勝に甘えたかったのだと気付いた。かっと頬が熱くなる。

 無駄なことと知りながら、袖で顔を隠す。

 そこへ清興がひょっこりと顔を出した。

「失礼します。信長様、この書状なんですが」

「…………」

「それ、新しい遊びですかね?」

「か、かくれんぼ」

 俺の黒歴史に新しい一ページが加えられた瞬間だった。




 光秀の小言と義昭のおべっかを聞き流して翌朝。

 マッチョメンの襲撃もなく、清々しい朝に思わずラジオ体操(うろ覚え)をやってみようと縁側に出てきた時だった。空の彼方から黒い影が急接近する。

「むっ」

 俺は反射的に小さく縮こまった。

 情けないとか笑うことなかれ。頭を確実に守るためだ。腕一本も犠牲にできない大層な身分になってしまったので、とっさに無防備な背中を晒す。

 次の瞬間、どかっと頭に衝撃。

「いだだだ!?」

 もげるっ、髷がもげる。

 あまりの痛さに暴れる俺から離れ、ひらりと黒い鷹が降り立った。庭じゃなくて縁側の板を選んだのは何故だろう。激痛で涙目になりながら見下せば、鷹がガリガリと板を掻いた。

「おい、止めろ。傷がつく」

 よくよく見れば、見覚えのある鷹だ。

「……お前、まさか法空(二代目)か?」

 おそるおそる問いかける俺に、鼻を鳴らす黒い鷹。

 愛馬といい、鷹といい、俺が世話している動物はなんでこんなに人間臭くなるんだろうか。人間の言葉が話せないくせに、ものすごく小馬鹿にされているのが分かる。またガリガリと板を掻き始めたので、足を掴んで止めさせようとした。

 おや、細い筒が結んであるぞ。

「突くな。噛みつくな。今取ってやるから、な!?」

 激しい攻撃を避けながら、足から筒を外す。

 全く、鷹にこんなものを付けやがって動物虐待もいいとこだ。などと犯人に怒りながら筒を覗けば案の定、小さなメモが見つかった。伝書鳩ならぬ伝書鷹である。

 小さな紙切れに『SOS』の三文字だけ。


  くあーっ


 法空の鳴き声に、はっとする。

 こいつは本当に人見知りが激しくて、専門家の鷹匠ですら気に入らないと蹴りを食らわせる偏屈鷹だ。伝令用のメモが入った筒を結んで、俺の所まで届けさせる。それだけのことができるのは我が息子、奇妙丸しかいない。

 ぐしゃり、とメモを握りつぶした。

 可能性があるとしたら近江国に潜伏する六角義治だが、武田軍もそろそろ動き出す時期だ。中嶋の戦いが終わってすぐ、忠勝は徳川軍と共に三河国へ帰った。松永兄弟や細川様も手勢を所領に戻している。長政は連れてきた一向宗の件で、顕如たちと打ち合わせ中。

 摂津国内の警備のため、森軍は現場で待機。

「マズい、人手が足りん」

 宴の余韻はすっかり消えた。

 奇妙丸には『SOS』の意味を、緊急を要する場合に使う暗号として教えてある。織田屋敷にいれば急使か伝令が駆け込んでくるかもしれない。

「そんなの待ってられるか」

 急がなければ。

 わずかな子分を連れて、甲斐国へ渡って生きて帰ってきた。その奇妙丸が、俺に助けを求めなければならない状況に陥っていることは確かだ。二条城へ出向いて暇乞いやら何やらしている手間も惜しい。朝餉を持ってきた小姓に出立を告げると、一気に屋敷内が慌ただしくなった。

 どちらにせよ、明日には出る予定だったのだ。

 一日早まったくらい、どうということはない。

「よし、法空。先導しろ」

 賢い鷹は頷いて、大きな翼を広げた。

 青空へ飛び立つ背を見上げ、俺も馬に飛び乗る。準備がまだだとか、あれやこれやと周りが騒ぐのを無視して鞭を振るう。中山道はもうすぐ京へ届くが、今は鷹を追いかければいい。

 洛外で、ようやく十数騎が馬足を揃えてきた。

 その中に顕如と坊官たちの姿があり、俺は軽く目を瞠る。京を飛び出した俺についてきた勘の良さに驚いたのだ。馬が小さく見える肉体は袈裟が包み、ばさばさと裾がはためく。

 長政も懸命に馬を駆けさせている。

 一度、二度と休憩するごとに人が増えていった。京を行き来する時は、大体こんな感じだ。のんびり行程の方が少ないかもしれない。

「顕如!」

「応」

「摂津国に入った門徒たちは、檄文の嘘に気付いていた奴らか?」

「然り。本願寺に仇なす輩とは即ち、三好長逸以下の軍を示す。そのように説けと命じておるゆえ、檄文通りに理解した者は文字が読める」

「あるいは反織田勢力」

「何か起きるとしたら、伊賀東でしょう」

 確信めいた頼廉の言葉に、俺は思わず睨んだ。

「何をやった?」

「言い訳になりますが、意図したわけではありません。長島から反勢力を甲賀郡に導いたので、彼らはまだあの地に残っているはずです。しかし浅井殿が連れてこられたのは、顕如様の真意に沿う者たちです」

「つまりは何か? 今の南近江に残ってんのは過激派か!」

 あそこには秀吉や勝家を残してきた。

 岐阜へ帰る奇妙丸へつけた護衛の分だけ、劣勢を強いられているかもしれない。そうでなくても大粛清で近江国内は圧倒的人手不足だ。民の識字率は低く、戦続きで飢えて思考が鈍っている。何もかも悪いのは織田信長、と囁いたら信じるだろう。

 民に優しい俺は、坊主に厳しい。

 実際、比叡山延暦寺は織田家の者とやり合って事実上の機能停止状態。顕如に礼をもって接するどころか、対等の扱いをしている点も坊官には業腹ものだろう。本願寺へ寄付するどころか、二回くらい慰謝料をもらっている。

 先の戦いにおいては、織田側の戦力として参加した。

 いや、厳密にはちょっと違うかもしれない。顕如が当たり前みたいな顔をして俺の近くにいるせいで、何がブラフで何が既成事実なのか分からなくなってきた。あれ? どっちも意味は同じだっけ。混乱してきた。

 とにかく今は駆ける。

 鷹が導くのは甲賀郡か、東美濃か。

 どちらにしたって厄介なことには変わりない。頼もしい仲間たちを信じて、ひたすら間に合うことを祈る。俺は大事な奴らを誰一人、失いたくない。

 だから、頼む――!





********************

敵味方にモテモテな俺、ノブナガ(泣きそう)


Q.きよおきって誰? A.島左近さんです(今はまだ筒井家家臣)

半兵衛と同じく左近呼びするのは、この次くらいから(信長様→大殿に変化)


※細かすぎてどうでもよくなる補足説明...

「御屋形様」は譜代家臣がよく使う(先代信秀からの通例 ←屋形号は無関係)

「大殿」は織田家臣に仕える者が、ノブナガを呼ぶ際に使う敬称

「殿」は側近や小姓衆、または一般的な呼称として使われる

「信長様」は織田姓が多いため、ノブナガ自身がそう呼ばれたいと知る者に多い

「尾張守」は将軍家や親信長派の勢力(身分によって敬称がつく)

(他に官位などの呼び方もありますが、紛らわしいのでなるべく使いません)

(余談:嫁限定で「あなた(帰蝶)」「上総介様(吉乃)」「殿様(奈江)」

年上枠「三郎」「三郎殿」、弟枠「兄上」「三郎兄上」、子供「父上」「父様」

例外「吉法師様(おちよ)」「ノブナガ(幸)」など)

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