190. さらば三好三人衆
※洪水、土石流に関する残酷な描写があります
苦手な方は無理せず飛ばしてください
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9月に入り、戦況は一変する。
かあぁん、かあぁん、かあぁん……
夏の夜半に鐘の音が響き渡った。
淀川上流にて突如として火の手が上がったのだ。
たまたま通りかかった本願寺法主・顕如が、手勢に消火活動を指示。迅速な対応のおかげで付近の村への被害は最小限に抑えられた。
しかし安堵するにはまだ早い。淀川の堤防が決壊したのだ。
溢れた大量の土砂が濁流となって、下流の摂津中嶋へと襲い掛かる。
野田城および福島城の周囲は文字通りの泥沼と化した。大雨どころか晴天続きで、川の水位は下がっている。これを好機と見て、対岸の砦を狙って渡河しようとしていた三好三人衆の軍は全滅。しかも追い打ちをかけるように海からも潮が逆流し、出来たばかりの砦もろとも飲み込んでしまったのだ。
水に押し流されるだけなら、まだいい。
泥濘に埋まれば動くこと叶わず、もがけばもがくほど嵌っていく。馬も人も、等しく泥にまみれた。デルタ地帯は生き地獄と化し、二つの城は完全に孤立したのである。
「鉄砲隊、用意」
望遠鏡を構えた俺は、汚泥の中にある絶望を見つけた。
視力が良すぎたか、あるいは偶然目が合っただけかもしれない。望遠レンズ越しだと距離感が分からなくなって、声も届きそうな錯覚に陥る。
噛みしめた奥歯がキシリと鳴った。
「……謝らないし、すぐに忘れる」
名も知らぬ兵は死に、俺は生き残る。
それが戦場における常識であり、厳然たる事実だ。
俺がこうして敵方の状況を観察しているのは、望遠鏡が一つしかないというのもある。たまたま南蛮船の乗組員から、古くなった望遠鏡を譲り受けた。印籠と交換したので、譲渡とは言わないかもしれない。持ち運べる小型薬箱として、装飾品としても素晴らしいとか褒めちぎられたら悪い気はしないものだ。
印籠はまた作れるが、望遠鏡の作り方は伝わっていない。
ちょうど現物を手に入れたので、あとは透明度の高いガラスがあれば作れる。レンズの調整は実際に組み立ててみてからの話だ。今はどうにかして国産ガラスの生産にこぎつけたい。正倉院の宝物庫は、天皇の許可がなければ入れないという。今上帝に目通り叶うなんて思わないが、山科卿に頼んでも断られる。
うーん、どうしたもんかな。
頭の片隅でそんなことを考えつつ、閉じた扇子を前方へ。
「撃て」
種子島、国友、大鉄砲、大砲がそれぞれ火を噴く。
宗吉が気に入っている抱え筒に顕如が興味を示したせいで、小坂衆と本願寺の
泥の上を駆けるのは織田軍だ。
「田下駄を履かせるとは、うまいことを考えましたな」
「生き埋めになるより、トドメを刺してやった方がいいだろ」
「信長様はお優しい」
「下がれ、藤孝。三好三人衆の一人を内応させた褒美は、ちゃんとくれてやる。それよりも可成がうっかり村重の首を刎ねないよう、見張っておいてくれ」
「承知いたしました」
幸か不幸か、荒木軍は中州の外だ。
水攻めに巻き込まれなかった代わりに、土砂災害の凄まじさを目の当たりにしていることだろう。何を言われて裏切ったか知らないが、三好三人衆の形勢不利とみて降伏してくる可能性がある。俺が浅井久政の降伏を認めなかったように、可成も村重の降伏を認めない。
だが、一度追放された勝正を摂津守護へ戻すのも難しい。
摂津国は西の要地だ。生半可な者では務まらない。
「報告! 海から砲撃が始まりましたっ」
「尼子衆に通達。砲撃が終わり次第、九鬼水軍と合流せよ。淡路島に残っている船を全て焼いてしまえ。ああ、島民への連絡も忘れるなよ」
「御意。すぐに伝令を出します」
「根来衆には、雑賀宛に『やりすぎ厳禁』と再度釘を差しておけ。俺へのパフォーマンスで死人を量産されても面倒だ。作戦終了後に、雑賀の頭目は顔を見せろと伝えよ」
「ははっ」
晴天続きなのに、川の氾濫が起きた理由はこうだ。
水流をせき止めるには土嚢で堤防を作る。完全に流れを押し留めず、ちょっとずつ幅を減らして水量を減らしていく。すると下流へいくほど川は浅くなる。この土嚢は、砂袋を藁で包んだ米俵モドキにした。持ち運びやすくするのと、敵方に兵糧と勘違いさせるためだ。淀川は水運が盛んなところなので、小舟が多く行き来している。水夫も珍しくないし、川を使って兵糧を運んでいると考えただろう。
三好三人衆の軍一万五千に対して、織田軍は二倍以上。
大軍であればあるほど維持は難しい。特に兵糧を燃やされたら、撤退せざるを得なくなる。という兵法の基本くらい、俺も知っている。
藁にはたっぷりと油を染みこませた。
顕如以下、本願寺の僧兵も手伝ってくれたので作業は大いに捗った。やけに川沿い近くにあったとしても、見た目は米俵である。小舟で小分けにして大量の兵糧を運び込んだ、という偽情報も流している。
ついでに中嶋周辺の入江や堀も埋めさせた。
兵糧――中身は砂――が全て中州側に設置されている時点で、何かおかしいなと気付くべきだったな。気付かないで燃やしてくれたおかげで、こっちは手間が省けた。
「水害は、身をもって体験しているからな……」
川の氾濫で何が恐ろしいかって、泥水の流出だ。
雨の日に討ち死にする者は少なからず、泥濘に足を取られて不覚をとる。
高潮の原因は満潮にタイミングを合わせて、推進力アップした鉄甲船を河口付近へ突っ込ませたからだ。何故か船首に凶悪な牙が生えていたが、南極か北極へ進出するつもりだろうか。俺が行きたいのはヨーロッパであって、極寒地じゃない。
三好三人衆――一人欠けた――は、あっさり白旗を上げた。
想定通りの展開だ。馬が使えないので鉄砲合戦になり、二つの城は煙で覆われている。数か月に及ぶ睨み合いで、城内の備蓄も心許なかろう。堆積した泥のせいで、いつまでも水が引かなくて出るに出られない。
これ以上、戦を長引かせたくないのは俺たちも同じだ。
「三好長逸は和睦を望むか」
「どうぞ、ご英断を」
使者のふてぶてしい顔を見やった。
畿内勢力で、俺が直接対応した奴らはみんな許しているからなあ。あるいはこの期に及んで、大義は我にありと踏んでいるのだろうか。顕如率いる本願寺勢力、近江国から出張ってきた真宗教団はどれだけ待っても、中州へ入ってくることはないのに。
ああ、そうそう。
謎の武力集団改め近江真宗教団を率いているのは、アザイー・ナガマサという奴らしい。知らない人ですね。構ってちゃんな犬も、殴られて喜ぶマゾも間に合っています。
俺が口角を上げれば、使者も愛想笑いを浮かべる。
「身の程知らずが」
「な!?」
「
使者の顔色が真っ白になった。
「お、お待ちください! 何を仰っているか分かっておいでですかっ」
「丁重に送り返せ」
「はっ」
俺は最初に言った。
三好長逸は討つ、と決めていた。
三人衆の一人、三好政勝はどうやら病を得ているようだ。もう長くないということで残される者のために降伏。岩成友通は石山本願寺に度々協力を要請し、大和国における真宗道場建築にも資金を出すなどの接点がある。じゃあ助命嘆願でもしてくるかと思いきや、アレが腐敗の一因を担っていたとかで顕如が片付ける。
頼廉がどこか遠い目をしながら、そう言っていた。
喜々として抱え筒をぶっ放すマッチョメンに、もう一人の下間が泣いていた。いや、きっとストレスが溜まっていたんだよ。な? 命中率そんなに高くないし、威嚇射撃のようなものだから大目に見てやってくれ。
「土産にしたいのである」
「欲しけりゃ自分で作れよ、生臭坊主!」
「余計なこと言わないでください!」
「け、喧嘩しないで」
確か、こんな感じだった。
頼廉が出向してきた際、同族がいるから大丈夫って言ってたのに。
あんなんで大丈夫か、本願寺。
仕方ないので花火の土産話を渡してお帰りいただいた。花火は人や城に向けて撃つもんじゃないから大丈夫だろ。赤一色でも、大輪の華は夜空に映える。
「そういや、孫九郎はどこいった?」
茶筅丸の様子も聞きたい、と思ったのに姿が見えない。
「先程の使者を送り返す、と出ていかれました」
「ん?」
報告してくれた利之が妙な動きをした、ような気がする。
まるで砲丸投げの選手みたいな、世界新記録出しそうな思いきったフォームに見えたのは幻だ。利之だって、働きづめで疲れているに違いない。もう小姓から卒業しているはずなのに、秘書官みたいに傍仕えのままでいてくれるからなあ。
「義兄上! 大変です、何者かが空を飛んで野田城へ消えていきました。敵方に、あのような体術の使い手がいるとは……三好三人衆、油断ならない相手ですね」
「貴様、近江(とお市)はどうした」
「義兄上に倣って、臣下に丸投げしてきました!」
「言い方ァ!!」
これも俺のせいか、そうなのか。
会うたびにお馬鹿さんになっていくのは、やっぱり俺の影響なんだろうか。褒めてほしそうな長政を衝動のままに殴ったら、ますます俺が窮地に立たされる気がする。こ、これが本当のノブナガ包囲網、おそるべし……。
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本願寺の坊官・下間一族...頼廉・頼龍・仲孝(少進)は年頃も近く、互いの信頼関係もある。作者イメージは真面目な長男・頼廉、要領のいい次男・頼龍、巻き込まれ系三男・仲孝。三人は実の兄弟ではないが、同族と思われる。史実に基づいた考察というよりも、色々調べていくうちに訳が分からなくなった末の悟りの境地
鉄甲船(またの名を黒船)...魔改造の果てに、巨大氷も粉砕できる高火力・高馬力を手に入れた。防御力を犠牲にして南蛮風の砲台も追加配備、ノブナガ渾身の海賊旗(手書き)が目印
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