189. 石山本願寺、動く

戦時中に限らず、兵の動員規模によって○○隊(大中小の区別有り)、○○軍、○○軍団と呼称が変わります。織田姓の場合は○○部分が名前(諱)になり、複数部隊で編成される場合は第一、第二という感じに分けます(例:信忠隊、信純軍、前田軍団第五小隊)

兵数の目安になればと思います(ざっくり感)

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 松永隊が野田城の北側に砦を作り始めた。

 淀川が増水すれば、あっという間に飲み込まれてしまう地域を選んだのは明らかに意図的だ。松永弾正が水攻めの話を忘れているとは思えない。奴がそうすべきと判断したなら、戦略として正しいのだ。

 結構、信頼しているんだがなあ。

 やっぱり例の『九十九茄子』のことを根に持っているんだろうか。茶道に興味がないどころか、定期的に茶会を催してもいいと思っている。名品逸品を愛でるコレクター精神が、俺にはないだけだ。宗易曰く「道具は使ってこそ価値がある」に激しく同意する。

 平蜘蛛茶釜は欲しがりません、死ぬまでは。

「藤八郎! 先行した可成からの連絡はまだか」

「そ、それが……その」

「何だ」

「森殿は寝返ったのではないか、という噂がございまして」

「もう一度言ってみろ」

 可成は親父殿の代から仕える譜代家臣だ。

 舅殿を失った長良川の戦いで、危険を顧みずに伊勢長島まで迎えに来てくれたのも可成だ。勝家と共に数々の戦果を挙げ、次男・勝三は奇妙丸の側近候補である。森じいこと可行よしゆきに幼い蘭丸も含め、森家三代揃って織田家へ忠誠を誓ってくれている。

「藤八郎」

「は、ははっ」

 俺の怒気を浴び、利之は青ざめていた。

「馬鹿犬によく似たその顔を殴りたくないから、ちゃんと報告しろ。寝返るにしたって、三好三人衆っていうことはないだろう? どこだ」

「い、石山本願寺……でございます」

「は」

 途端に力が抜けた。

 その場に座り込みそうになるのを、なんとか堪える。

 そういえば、利之は顕如に会ったことがないんだったな。

 ちょうど不在にしている時に奴が来襲したのだ。法主様が寺から走ってくるとは誰も思うまい。今や大名クラスの武将がほいほい出歩くような状況だから驚かなくなったが。またとない襲撃のチャンスなのに、意外すぎて誰も狙わないらしい。

「そ、うか」

 俺の勘が正しければ、可成は裏切っていない。

 その選択が意外すぎて、誰も思いつかなかっただけだ。俺もそうきたかと、かなり驚いている。だが有効な手だ。

「ふ、ふ、ははっ……あははは」

「殿?」

「呆れた奴だ。援軍を頼むにしたって、もっと別のやり方があるだろうに」

 顕如へ連絡をとるべきか悩んだのになあ。

 織田の家臣団うちのやつらが頼もしすぎて笑いが止まらない。怪訝そうな利之を放って存分に笑い倒してから、俺はようやく一息吐いた。

「本願寺は、近江国に檄文でも発布したか」

「ご、ご存じだったのですか!?」

「石山本願寺が摂津国にあって、加賀と結ぶラインに門徒衆がいても全然おかしくないだろ。どれだけ離れていると思っているんだ。尾張国にも把握していないだけで、順調にエリア拡大しているみたいだしな」

 臨済宗の僧・沢彦は、一向宗を追い出せと進言してきた。

 俺が聞く耳持たなかったので帰っていったが、尾張国にいる真宗教徒が必ずしも一向宗過激派とは限らない。そもそも田畑の世話、家族との生活だけで精一杯な民が戦を好むものか。徴兵に応じるのは参加費がもらえるのと、身分差から拒否権がないためだ。

 解釈が違うだけで同じ仏教徒だろうに。

「顕如め、近江騒動を真似るつもりだな」

「味方のフリをして近づき、三好三人衆を窮地に陥れるということですか?」

「いや、おそらく奴の狙いは荒木村重だ。勝家と引き分けた勝正のことを、可成はけっこう高く評価していた。村重は池田衆の中でも置いてけぼりをくっていたから、不満が溜まっていたんだろうなあ。家臣を上手く動かすのも主君の務めだ。好きにやらせるさ」

「それで、よろしいのですか」

「よろしい」

 そんな会話をした数日後、石山本願寺が動いた。


『門徒の皆、法主様をいじめるノブナガをやっつけて!』


 入手した檄文を要約すると、こんな感じか。

 本当に本願寺系の門徒なら命を賭けて戦ってくれるよな? な? と念押ししている辺りが必死すぎて、微妙な気分になる。法主様のために奮戦し、あわよくば極楽浄土行き希望ってか。

 どんな他力本願だ。

 顕如の名前が入っているものの、どう考えても事実無根の言い掛かりである。俺が一方的に顕如を呼びつけ、金をせびり、圧力をかけたと思われるじゃないか。いや、後世ではそうなっていたような気もする。それで織田信長と一向宗の戦いが始まった。

 三好三人衆の比じゃない。

 このままでは中部地方全域が戦火に巻き込まれてしまう。

「ゴーサイン出したの誰だよ! 俺か!?」

「落ち着いてください、信長様。この檄文は近江中部の門徒衆に出されたものです。あの辺りはまだ文字が読める者は少ないですし、応じる民もそんなには」

「ド阿呆、尾張国の識字率を言ってみろお!!」

「あ」

 松永弾正といい、顕如といい、やることが派手すぎる。

 やっぱり森一族はバーサーカーだった。ドヤ顔で任せるって言った俺の馬鹿! あるいは仕掛けた策が思わぬ効果を発揮しちゃった、というやつか。大迷惑を被っているのはこっちだ。真宗教団の舵取りできなくなったから助けて、って言ってきたのは顕如だぞ。

 火薬庫に油壺投げ込んで、火矢で狙っているようなものだ。

 まずい、早く何とかしないと、本気でマズイ。糞坊主沢彦がそら見たことかと上機嫌で再登場するところまで想像できてしまう。ムカつく。

「申し上げます! 畿内の東から、所属不明の軍が接近中っ」

「規模は!?」

「分かりません!」

「分からんで済むなら、戦なんかやっとらんわ。どこの誰が、どれだけの数で、いつ頃やってくるのか明確にしてから報告しに来い! やり直し!!」

「も、申し訳ありませんっ」

 ばたばたと伝令が出ていく。

 俺は出ていない汗を拭き、ゼエハアと肩で息をした。

 近江方面から来る軍勢が、可成の軍と言う可能性は低い。あの性格からして、顕如本人に直談判をするはずだ。つまり摂津国内にいるはずの森軍がまるごと転移しない限りは無理。

 嫌な予感は依然として消えない。

 可成の命を犠牲にして、石山本願寺が本当に敵へ回った可能性もある。そうなると三好三人衆の封じ込め作戦は困難だ。細川様の内応策がいくらか効いていることを祈るしかない。

 今の織田軍は、これ以上増やせない。

 夏が終われば秋が来る。収穫期イコール納税期間だ。顕如様のために一肌脱ごうって、収穫前の田畑を放り出されても困る。あるいは三好長逸はここまで見越して上陸してきたのか。

「信長様、大変です!」

「今度は何だああぁ!?」

「いざ心頭滅却! ふんぬっ」

 まァた、このオチかよ。

 知ってた。この男が裏切るわけないって、知ってた。立派な筋肉はだてじゃない。きっと脳味噌にも筋組織が発達しているんだ。そうに違いない。

 フッと笑って、俺は気絶した。


**********


 えー、右方向に見えますは修験者宗吉マッチョ

 そして左方向には本願寺流顕如マッチョ

 奴らがポージングを決める度にパキペキと鳴る。鍛えすぎた筋肉って、あんな音がするんだなあ。知らなかった。少年期から抱いていた肉体への憧れは、彼らが鳴らす音と共に目減りしていく。男の乳が揺れても全く嬉しくない。

 織田本陣である天王寺城にも見事な庭があった。

 枝に茂る緑も、肌を滑る汗も、夏の太陽に照らされてキラキラ輝く。混ぜるな危険。

「朝っぱらから何やってんだ、貴様ら」

「おお、殿」

「同志との邂逅を、肉体の歓喜にて示し」

「ストップ。待て。十分だ。おなかいっぱい」

「これはしたり。流石は我が盟友と定めし雄で」

「いいから」

 二度目でようやっと、顕如の暑苦しい台詞が止まった。

 相撲力士のどっしりむっちりした上半身とは違い、眼前の筋肉ダルマどもは過酷な修行の果てに今の体を手に入れている。けっして魅せるための肉体美じゃないはずなのだが、彼らのポージングは前世知識を疼かせる。

「殿」

「織田殿」

「やめろ、こっち見んな!」

 せめて爽やかな朝を堪能させてほしい。

 水行で身を清めてこいと二人を追い出し、パタパタと扇子で仰いだ。なんとなく汗の臭いが残っている気がする。空気洗浄機が欲しい。いや別にマッチョな奴らが嫌いだとか、体臭がどうとか言いたいわけじゃない。

 鍛えた分だけ育つ体は、純粋に羨ましい。

 俺だって日々の鍛錬は欠かしていないのに、もやしっこ信長のままである。細川様の「そのままでいい」が、無駄な努力を諫めるものだったら普通に悲しい。

 ぼりぼりと腹を掻きつつ、寝巻のまま歩く。

 順調といえば順調だ。

 ヤバイ、マズイと焦ったものの案外大丈夫だった。

「仕込みは流々、仕上げを御覧じろってなあ」

 途中から欠伸交じりになって、どうにも締まらない。

 俺ごときが軍師の真似事をしたところで、たかが知れているのだ。多くの小早を所有する尼子衆、九鬼水軍の黒船を使うと言っただけで「水攻め概要」は伝わっている。信広が上手く言葉を誘導してくれたおかげで、俺主導の戦という感じになってはいるが。

「馬鹿兄貴のことだから、意図したわけじゃないだろうし」

「呼んだか?」

「呼んでねえよ」

「照れるな照れるな。子分や信純たちがいなくても、私が傍にいてやるからな! 一足先に孫の顔を見られたから奮起しているわけではないぞ。ふはははっ」

「……のぶひろおじいちゃん」

「ぐはっ」

 何故か信広は胸を抑えてよろめく。

 そのまま倒れ込んだせいで通れなくなった。こいつもデカいんだよなあ。ムカつくので跨ぐのを止めて、一歩ずつ踏み越えてやった。腹違いの兄に対して劣等感をおぼえた記憶がなくても、見た目に関しては思うところがある。

 そういえば、弟たちは上手くやっているだろうか。

 特に東側の防衛線は警戒を強めるばかりだ。

 本当ならもっと戦力を割きたいのに、文武両道の側近はどいつも動けない。こうなってくると細川様や松永弾正が臣従してくれて、本当にありがたいと思える。なし崩し的に織田家臣宣言してきた時には、喚いて暴れて大変だったものだ。

 主に俺が。

「なっさけねえなあ」

 愚痴をこぼしつつ、笑みが浮かぶ。

 皆が必死にヨイショしてくれるのに、一人になった途端に弱くなる。ド阿呆どもがいてくれるから、俺は信長でいられる。戦うことから、逃げ出さずにいる。

 朝餉を用意させ、久しぶりに一人で着替えた。

 山盛りご飯と味噌汁に漬物だけの御膳が寂しく感じる程度には、贅沢な生活に慣れてきたらしい。肉が食べたくて野山を駆けた日々が懐かしい。

 飯をかきこむ俺の傍には嫁、ではなく森可成バーサーカーが控えている。

 というのも顕如がこんなことを言っていたからだ。


『身命を賭し、拙僧の説得に臨む心意気やよし』


 本山へ単身突撃して、顕如を説き落とした。

 肉体言語で。

 部屋に入ってくる時に動きがおかしかったから、どこか負傷しているのだろう。引きずっている右足と、だらりと下がったままの左手、それから顔にも傷が増えていた。予想通りすぎて苦笑が浮かぶ。

「無茶しやがって」

「殿に、友は必要でございますれば」

「洒落か」

 顕如はダチじゃない。

 憮然とする俺を、可成が笑った。

「ははっ、わしにそのような才はございませぬ。槍を持ち、暴れることくらいですな。森家の男児は誰よりも前に出て、御身に降りかかる火の粉を払うが信条にて」

「この信長、貴様の忠義は一時たりとも疑ったことはない」

 可成が目を見開き、笑みをひっこめた。

 そんなに驚くことかよ。ちょっと傷ついたぞ。

「そういえば、元服する前くらいだったか。そりゃもう、おっかない目で睨んできたことがあったよなあ。他の奴らみたいに何か言うでもなく、じーっと見つめてたのはなんでだ?」

「はて、そのようなことがございましたかな」

「ボケるにはまだ早いぞ。森じいも前線へ出てきたそうじゃねえか」

 森可行は御年77。

 織田家臣の中では最高齢で、現役武将としても記録更新中だ。敵を枕にして果てるが夢、と日頃から嘯いている。いや、それって相討ちだから。とってきた首級を枕にして、畳の上で大往生という意味じゃないのは分かりきっている。

「柴田権六がそのようにしていた、と聞きましたのでな。勘十郎様の傳役ならば気にならぬはずはなかろうとも思いましたが、どうやら違うようだと気付いてからは……わしも奴の真似をしておりました」

「ああ、勝家もよく睨んできた」

「目で追わずにはいられなかったのでしょう」

 昔を懐かしむように、可成は目を細める。

 あの頃はこんな風に可成と話せるなんて考えもしなかった。味方は平手の爺だけで、その爺も親父殿の命令で傳役についたのだ。子分たちは馬鹿ばっかりで、民が飢えに苦しんでいるのに戦を繰り返す。

 乱世は、いつまで続くのだろう。

 どこからどこまでが戦国時代と呼ばれるのだろう。

 俺は本能寺の変を生き延びても、大事な家族はどうなるのだろう。ちゃんと守れるのか、次の天下人に秀吉は昇りつめるのか。家康は徳川幕府を開くことができるのか。

 考え始めればキリがない。

「この地味顔が気になるなんて、お前らの目はおかしい」

「そういうことにしておきましょう」

「可成」

「はい」

「死ぬなよ、とは言わん。死んでもいいと、死に華を咲かせようなどと思うな。貴様の死は必ず時代の礎になる。だから死んでも諦めるな。絶対に」

「これはまた、無理難題を申される」

「あのな、俺は真面目に――」

 バタバタと騒がしい足音に意識が切り替わる。

 しみじみ語っている場合じゃなかった。ここは戦場、摂津天王寺城だ。睨み合い、小競り合いを繰り返し、双方の狙いを探っている。形勢不利とみたら淡路島へ逃げるつもりだろうが、その手は何度も食わない。いたちごっこはもう終わりだ、尾張だけに。

 おう、ぶるっとキた。

「殿、一大事です! 敵方に雑賀衆の姿あり、と報告が入りました」

 顔色を変えた可成が腰を浮かせる。

「根来衆と一緒に来たのではないのか!?」

「そ、そのはずなのですが」

「監物へ伝令を飛ばせ。もしも本当に敵側へ雑賀衆が混ざっているなら、ここで同士討ちをさせることになる。大鉄砲は種子島や国友とは威力が段違いだ。被害が出る前に、詳細を明らかにしろ!」

「はっ」

「……雑賀が裏切ったとは思われないのですか。彼奴らは所詮、傭兵。我が軍は前後から挟まれますぞ!」

「その時はその時だ」

「殿!!」

「そう怒鳴ってばっかだと血管きれるぜ、おっさん」

「け、けっかん?」

 ぬうっと現れた大きな影に、可成が面喰う。

 いや、耳慣れない言葉に困惑しているだけか。血管の存在は、武家に仕える侍医も知らないことがある。曲直瀬先生なら毛細血管の講義までしてくれそうだが。

「今度は慶次かよ。お前、どこにでも現れるな。傾奇者やめて忍に転職か?」

「おいおい、忍が目立ってどうするんだい」

「新しくていいだろ」

「ん? まあそうか。意外性あって面白いかもな」

「殿っ」

 おっと、可成の顔に青筋が。

 こりゃいかん、と慶次を連れて部屋を飛び出す。まだポージング練習をしていたマッチョメンを追加して、馬に飛び乗り、淀川の上流を目指した。

 心なしかデルタ地帯の面積が広がっていて、ニンマリとする。

 川沿いには作業中の男たちが忙しそうにしていた。重そうな荷物が小舟をぐらぐらと揺らし、彼らは桟橋とを跨いで運んでいる。一見して米俵にも見えるそれらは、後から後から届けられて積み上げられていくのだ。

 現地リーダーっぽい若者が、俺に気付いて手を振った。

 つられて男たちも頭を下げてくる。彼らもニンマリ、と笑っていた。





********************

周囲からの認識として顕如はマブダチ。ただし、本願寺と織田家の立場は別腹

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