188. まあるく包んで

おいしくいただきます

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 河内古橋城が落ちた。海側の防衛ラインが崩れたということか。

 本拠地である阿波国にて、三好三人衆はじっと機会を伺っていたのだろう。西国には執念深い者が多いらしい。山中鹿之助率いる尼子再興軍は謀神の手の平で踊らされていたとはいえ、短期間で出雲国全土へ手を伸ばしていた。彼らと違って、三好三人衆は摂津国を支配下に置きたいわけじゃない。戦火で荒廃した土地など、誰も欲しがらない。

 だとすれば畿内か。失った栄華を取り戻せるとでも思っているのか。

「義継は無事か!?」

「ええ、何とか落ち延びて天満ヶ森にいらっしゃいます」

「そうか」

 安堵と落胆が同時にきた。

 とことん戦おうとする血気盛んなタイプじゃなくてよかったと思うべきか、ちょっと迷うところだな。松永弾正に育てられた割には凡庸なところは、なんだか親近感を抱いてしまうな。

「無自覚なところは相変わらずですねえ」

「どういう意味だよ、藤孝」

 細川様はにこりと微笑み、優雅な仕草で頭を垂れる。

「救援要請を受け信長様自らのご出陣、痛み入ります。さすがは神速を尊ぶ織田軍といったところでしょうか。信長様の到着を待てなかったあの方には困ったものですが」

「全くだ」

 松永弾正は既に信貴山城を出て、河内入りしている。

 織田軍は京から南下して、天王寺というところに本陣を置いた。摂津国の西が海に面しているので、東側をぐるりと囲むように防衛線を布く。摂津中嶋から見て北にある堀城には、和田惟政が入ったという報告が来た。義昭も一緒らしいが、惟政の胃が心配だ。

 奴と対面したら、光秀とやらかした口喧嘩以上の醜態を晒すに違いない。

 近江騒動から生まれた噂は、俺と義昭のことも含まれている。曰く、仲が悪いのは本当ではないかというものだ。

 例の『殿中御掟』に文言を追加したのもマズかった。

 義昭の馬鹿っぷりを披露させないための策が、織田政権の傀儡将軍みたいな印象を与えてしまっている。いちいち俺に問い合わせするなど、と憤ったのは光秀くらいなものだ。当の義昭はいい口実ができた、と喜んでいたらしい。

 おかげで仕事倍増、睡眠時間激減。

 三日に一度はクマが出て、謁見相手が勝手に震えあがる。

 なんかこう、将軍暗殺を企てる奴の気持ちがちょっと分かった。松永弾正や細川様は、将軍の有様にウンザリして織田家臣に鞍替えしたのかもな。次の足利将軍なんていないので、秀吉が関白位をいただくまでは耐えるしかない。

「俺もまだ死にたくないしなあ」

「総大将が弱音を吐いてどうする! ま、まあ、どうしてもと言うのなら兄が守ってやろう。存分に頼ってくれてかまわぬのだぞ」

「おーい、藤孝。敵方で懐柔策に乗りそうな奴を、何人か落としてきてくれ」

「承知しました」

「わ、私を無視するなあっ」

 久しぶりだな、その台詞。

 涙目で地団太を踏む馬鹿兄貴はハリセンで黙らせ、秀吉から譲ってもらった摂津中嶋の地図と睨めっこする。俺が天王寺に来たことはたちまち広まり、敵味方に動揺が走っているようだ。

 細川様以外にも、ご機嫌伺いに諸将が集まってくる。

 持ち場を離れるんじゃねえと怒鳴りたい気分だが、幸いにして三好三人衆の動きも止まった。空き巣泥棒みたいな戦しか能がないのかね、奴らは。

「今度は逃がすつもりなんか、ないけどな」

「よくぞ申した、尾張守」

 足利将軍頭痛を増やす種が、あらわれた。

 殴りますか? (はい/いいえ)

「喜べ、紀伊の畠山秋高はたやまあきたかにも協力を要請したぞ! これで九鬼水軍を呼び寄せやすくなったであろう。河内を越えて、和泉国へ侵入されるわけにはいかぬ。何としても、ここで食い止めねば」

 さっと周囲を確認する。細川様がハンズアップした。

 どこで見て覚えたんだというツッコミはしない。俺は「はい」を選んだ。

「何をするっ、痛いではないか!」

「ほいほい御内書出してんじゃねえよ!! この馬鹿公方っ」

「み、味方は多い方がよいと思って、だな……」

「だが三郎。畠山左衛門督は、公方様が『義』と名乗っていた頃から友好的だ。兄から家督を譲られた後、いっそう幕府寄りになったと聞いているぞ」

 信広の言葉に、義昭がコクコク頷いている。

 後ろで冷笑を浮かべている細川様に早く気付いてくれ。こいつらと対面しているせいで、俺はアルカイックスマイルが視界からなくなってくれないのだ。本当になんで止めてくれなかったんだよ光秀。とばっちりじゃねえか。

「あー……その畠山兄弟は、九鬼家と仲が悪いんだよ」

「嫉妬か、嫉妬だな!」

「うむ、ならば仕方ない」

 馬鹿二人は放っておこう。

 畠山家が何かと嫌がらせをしてくるせいで船の改良、特に燃費と推進力の向上が急務になったのだ。俺の弟と海賊大名、勘定方との議論バトルが白熱して、二隻目の鉄甲船建造が遅れに遅れまくっている。そこに小型船での戦いに重点を置く尼子衆が加わって、そりゃもう面倒くさいことになっている。

 そもそも三好長慶が存命だった頃から、幕府寄りの畠山家である。

 だからこそ紀伊国と伊勢国は微妙な関係が続いていた。いきなり攻めてこないだけマシだと思っておこう。熊野三山の件で、より警戒心を強めている感じがするんだよなあ。義昭との仲が悪いです、なんていう噂がこれ以上広まったら、伊勢国の情勢にも影響するかもしれない。

「殿! 畠山家から、大量の梅干しが届きました」

「なんだ、いい奴じゃねえか」

 物言いたげな義昭、信広は無視だ。

 いそいそと城内の厨へ立ち寄って、紀州の梅を堪能した。

 爽やかな香りが堪能できる梅茶漬けも捨てがたいが、ここは定番の握り飯一択。炊き立てご飯にパリッパリの海苔、すっぱい梅の組み合わせは至高。やっぱ尾張国の海苔は格別だぜ。前世の俺が梅干を苦手にしていた理由も思い出せないくらい、梅干しが愛しくて仕方ない。

「うんま~っ」

「三郎、戦時中だということを忘れてないか」

「大丈夫だ、攻城戦は時間がかかる。腹が減っては戦はできぬ。美味い飯は正義。飯屋を広めるついでに、おにぎり専門店を作るのもいいなあ。各地の米や味噌に、変わり種の具材で――」

「ええい、私にも寄越せ! 一人で堪能するんじゃないっ」

「毒見は尾張守が済ませているから、何も問題はない。うむ」

「…………楽しそうですな、とても」

 底冷えのする声に、思わず喉を詰まらせた。

 頬袋をぱんぱんにした馬鹿兄貴と、水瓶の柄杓を奪い合う。

「そ、霜台!? 其方も来ておったのか」

「ええ、もちろんです。摂津の問題は他人事ではありませんから。古橋城を守り切れなかった失態は、如何様にも処罰していただきますようお願い申し上げたく」

「城を守っていたのは義継だろ。爆弾正の責任じゃない」

 厨でこんな話をしたら、飯が不味くなるだけだ。

 恨みがましい目を向けてくる松永弾正を引っ張って、外へ出る。夏の日差しが眩しくて、思わず目を細めた。岐阜城を出たのは7月の終わりで、あっという間に暦が変わっていく。

 最近、やけに日が過ぎるのを早く感じる。

「大和国の情勢はどうだ?」

「おかげさまで、思ったよりも安定しております。あの島左近という男、確かに軍師の才を持っているようです。……なかなか育て甲斐がある」

「あまり苛めてやるなよ? 有望な若者は貴重だ」

「織田塾を各地に広めれば、より多くの才が集まることでしょう。私のような悪名高い者よりも、竹中殿のような者の方が師として相応しいようにも思えますが」

「珍しいな、自分を卑下するような発言なんて」

 義継の危機で、相当凹んだとみえる。

 古橋城が落ちて、河内国への侵入を許したことは痛恨のミスだ。俺はもっともっと広い視野で、より多くのことを把握できるようにしなければならない。奇妙丸が元服して、家督を継いだ途端に俺の尻拭いから始まるなんて可哀想すぎる。

「そういや、親興を知らないか? 惟政と一緒だと思ったんだが」

 松永弾正の顔色が変わった。

 二条城に向かったと聞いていたのに、義昭の伴衆にいなかったのだ。洛中もひどい混乱状態だったが、救援を求めるのに寄り道をする余裕があったとは思えない。

「すぐに探させましょう。荒木村重の処遇はいかがいたしますか? あの男が調略されなければ、摂津国へ上陸されることもなかったはずです。殿のお考えを理解できない愚か者は、早々に退散してもらうべきかと」

「摂津守護にしてやったら、大人しくなると思うか?」

「殿」

 諫めるような声音に、俺は肩を竦めた。

 ただの日和見武将だとは思えないんだよなあ、荒木村重。

 刀でぶっ刺した饅頭を食った逸話が本当かどうかは知らないが、曲者揃いの摂津衆の中でも気骨のある性格だと聞いている。村重自身は勝正と義兄弟だ。しかし奴は三好三人衆の誘いに乗って勝正を池田城から追い出し、勝正の弟・知正が池田家を継いだ。

 結局、ここでも身内同士の喧嘩を利用されたのだ。

 哀れだと思うが、同情はしない。

 村重を裏切り者として処罰することになったら、顕如にも何かしらの対応を求められる。伊勢長島の過激派は甲賀郡に誘いこんだとはいえ、加賀一向宗は未だ健在だ。義景は越前国内をまとめると同時に、加賀への対応も迫られる。

 顕如と俺が仲良しだと公表しても、信じない奴は信じない。 

「なあ、爆弾正。俺もお前も、やり方は違うが、今の地位に昇りつめるまでに何人もの敵を倒してきたよな。身分問わず、手段問わず」

「それは」

「守護職は飾りじゃない。権力が得られる分、責任も増える。村重がきちんと摂津国を治められるなら、それでもいいと思う」

「和田殿や伊丹殿は納得しないでしょうな。荒木村重の器を認めているなら、京へ上って公方様に救援を求めなかったはずです。ご無礼ながら私が信長様でしたら、迷うことなく荒木村重を裏切り者として処罰いたします。たとえ、それが一向宗を刺激することになっても」

 さすがは爆弾正。

 俺が懸念していることまで見事に言い当てられて、苦笑いしか浮かんでこない。守りたい奴は他にいるのに、あれもこれもと欲張っているように見えるのだろう。実際、その通りだから否定しようもなかった。

「今は三好三人衆だ。特に三好長逸、あいつだけは必ず討つ。阿波国にも帰さん。中州に封じ込めて、城ごと葬ってやる」

「水攻めですな」

「ああ」

 水攻めは秀吉の得意技だ。

 梅雨が終わってしまったので長雨を期待できない反面、河口付近の中州は海水が流れ込みやすくなっている。築城の際に堀や堤防を作ったらしいが、それらを壊してしまえば周囲を水浸しにできる。

 宇治川、木津川は全て淀川系水域だ。

 この淀川は琵琶湖と繋がっていて、水運路としても利用されている。小さな舟ならいくつも行き来しているので、さして珍しくもない。皮肉にも馬鹿野郎様のおかげで九鬼水軍の到着も早まりそうだ。

「策を成すには時間がかかる。藤孝に懐柔策を頼んでいるが、時間稼ぎにはちょっと弱いんだよなあ。カモフラージュできそうな何か、思いつかないか?」

「鴨振りの術は存じ上げませんが、対岸に二つほど砦を置いてみましょう。そこが最前線だと思わせることができれば、慎重な彼らのことです。警戒を強めることはあっても、城を飛び出してくることはありますまい」

「じゃあ、それで」

「承知いたしました」

 一睨みされたが、あっさり請け負ってくれた。

 近江騒動から大して時間も経っていないのに、自分の意見を即採用しちゃう安易さを諫めたい気分なのかもしれない。思った以上に各地へ影響を与えてしまったとはいえ、十分な結果を出した。松永弾正を高く評価するのに十分すぎると思う。

 もっと警戒しろ、と彼の目が語っているような気がした。





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池田勝正・伊丹親興・和田惟政で、レッツ3シュゴー。

じゃなくて、摂津三守護。

河内の西端にあった古橋城には、畠山秋高の兄・高政も詰めていました。義継ともども信貴山城まで落ちのびて、そこから天満ヶ森へ移動しています。義昭と仲良しな畠山兄弟、織田家(九鬼家)とはビミョーな関係。

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