187. 帰ってきた三好三人衆

 元亀元年(1570年)7月、細川様から急使が届いた。

「至急、援軍を請う……?」

 尋常じゃない様子に俺は困惑した。

 たまたま揃っていた家臣たちも顔を見合わせる。

 国へ帰る直家に同行した細川様は今、自領に戻っているはずだ。もちろん備前国までついていくわけにはいかないから、畿内のどこかで別れたと思う。姻戚同士で争っている彼らには、頼まれても軍を向けるつもりはなかった。そんなことをしたら、喜々として毛利軍が押し寄せてくるに違いない。

 今の謀神の狙いは、領土拡大じゃない。

 織田家との有利な取引関係を結ぶことだ。

 但馬国の山名祐豊が堺から戻ったからいいものを、うっかり討ち取っていたらどうなっていたことか。早く帰りたくて焦った秀吉が間違った判断をしなかったのは、本当に良かったと思う。勝家のファインプレーだ。ストッパー役にされた利家は何も分かっちゃいないだろうが。

「嫌な予感がする」

 ざわざわしているのは広間も、俺の脳内もだ。

「五郎左、畿内の織田勢力はどうなっている」

「ほぼ撤退したかと思われます。農業だけでなく、兵站や築城技術なども一通り教えました。もう我らの手を借りる必要もなくなりましたので」

 そう答える長秀は先日、若狭国から戻ったばかりだ。

 伊予の生んだ嫡男は岐阜城下の武家屋敷にいるため、あまり長く離れていたくないらしい。若狭武田氏の家臣がそこそこ使えるので、彼らに任せてみたいというのが長秀の弁だ。松永弾正の大嘘で、あの地域が一番混乱している。

 越前や近江は家中粛清が行われただけだ。

 それでも周囲への影響は無視できない状況にあり、少なくとも年内は緊迫した空気が漂うことになる。南近江を担当する勝家、秀吉はここにいない。捕縛した承禎の身柄をどうするかで、六角旧臣の賢秀たちと現地で議論中だ。

 雑賀衆のこともあるし、今まで通り放置はできない。

「爆弾正も大和へ帰ったはずだよな? って、おい。五郎左、聞けよ」

「たった今、三好義継殿より救援依頼が届きました」

「は?」

「これをご覧ください」

 後ろを向いて何をやっているかと思えば、慌ただしいことだ。

 なんて呑気な考えは書状を見た瞬間、一気に吹き飛んだ。細川様のことだから何らかの策略かと疑った俺が馬鹿だった。奴らは将軍暗殺を計画し、更には御所を焼いたのだ。

 二度あることは三度ある。

出陣るぞ」

「と、殿!?」

「三好から何の報せが届いたというのですか」

「三好三人衆を潰す」

「お考え直しください。近江騒動で同調した上杉や毛利めを刺激することになりますぞ! 御屋形様は以前、畿内は織田領ではないと仰っていたではありませぬか」

「放っておけるか、こんなの」

 書状を投げ捨て、俺は広間を飛び出した。

 三好長慶の甥であり、養子として三好本家を継いだ義継は松永弾正が殊更大事にしている。幼少時から面倒を見てきた相手は、やはり特別なのだろうと思う。だが松永弾正の悪名のせいか、近江騒動に限っては俺の企みではなく松永弾正の独断専行とされてしまった。とばっちりで義継まで一枚噛んでいたことになっている。

 あろうことか、義昭まで「そういうこと」で認識していた。

 奴は俺のアイディアを汲んでくれただけだ。

 織田信長を何度も裏切ったのに許され、最終的に大事な茶釜ごと爆散したネタしか知らない。それすらも今や、本当かどうかも分からない。俺の知る松永弾正は、前世知識にある爆弾正とは違うのだ。

「信長様、ご出立ですか!」

「うむ。支度をせよ」

「分かりました、すぐに整えてまいりますっ」

 頼もしく請け負った子供が駆けていく。

 ん? あれ、誰だっけ。どこかで見たような顔だが、まだ元服には早い年頃だろう。近頃、ちょくちょく岐阜城で見かけるようになったから気にしていなかった。側近たちの子供もあれくらいだし、本丸でも自由に子供が走り回る。

 すると顔を真っ赤にした可成オヤジが走ってきた。

「殿! こちらに子供が来ませんでしたか」

「今の岐阜城、子供だらけだろ」

「わしの子供です! ええい、蘭丸め。正式に小姓として召し上げられたわけでもないのに、図々しくも真似事をしおって」

「らんまる」

「ええ。森蘭丸、と申します。幼いながらに利発な子で、兄の勝三とは真逆の性格です。親馬鹿と笑ってくださってもかまいませんが、本当に頭が良くて――」

「あれが……蘭丸、か」

 年頃は織田塾に通い始めた子供と同じくらいだ。

 髭とシワだらけで、鬼か修羅のような戦い方をするバーサーカーの息子とは思えない綺麗な子供だった。きっと母親に似たのだ。森家嫡男の可隆とは面影が似ているかもしれない。

 蘭丸といえば本能寺。

 もーいーくつねーるーとー、なんて歌いたくなる自重。

 笑えない、全く笑えない。そんなことよりも畿内の変事だ。

「可成。貴様もついてこい」

「ご出陣でございますか」

 ぎらり、と可成の目が光る。

 こぞって止めに入った連中と違い、ヤる気スイッチがついた可成は非常に頼もしい。片割れの勝家は望んでも連れていくわけにはいかない。可成を供連れに歩きながら、動かせる奴らをリストアップした。

「……水軍も撤退させるんじゃなかったな」

「二隻目はまだ完成しておりませぬ。今から出港しても間に合うかどうか」

「安土山に城を造る予定がある。今後はこうも遅れをとらん。あそこは琵琶湖も臨めるしな。念のため、尼子衆にも召集をかけろ。開発に遅れが出るようなら、今回は見送っても構わん」

「ご心配なく。尻を叩いてやりまする」

「いや、無理強いするなって」

「殿!! 本願寺から火急の報せですっ」

「今度は松千代かよ!?」

「はい、松千代です。申し訳ありませんっ」

「謝らなくていいから、書状を寄越せ!」

「いえ、顕如様がそう言えば分かると仰って」

「だああぁっ!! そっちもかよ!」

 頭を掻きむしって吠えた。

 あの顕如が「申し訳ない」と言う。おそらく加賀のことじゃない。

 ついに畿内の真宗教団も暴走を始めたか。戦ばかりしている統治者を民が歓迎するはずもないが、カネと権力に馴染んだ腐れ坊主どもは違う。元サヤに収まろうなんざ図々しい奴らだ。形状記憶合金かよ。

 くそっ、こんなところで地団太を踏んでいても仕方ない。

 各地に火種を残してきたのは、誰に言われるまでもなく俺の甘さだ。今までは、それでも何とかなった。潜在敵がいると分かっていれば、油断しない。万が一にも対応できる。

 それは、かつての織田家だ。

「いつまで田舎侍でいるつもりだ、俺はっ」

「と、殿!?」

 殴ってくれそうな奴がいなかったので、自分で殴った。

 頬がじんじんする。

「よし、目が覚めた」

「わしが先行して、状況を見極めてまいりましょう。殿は本隊を率いて、ゆるりと参られませ。細川殿や松永殿と合流し、何とか持ちこたえてみせまする」

「だっ……いや、頼む。可成」

「御意」

 ダメだ、と言いかけて飲み込んだ。

 会心の笑みを浮かべた可成が、すうっと溶けて消えていくような気がした。俺が手を伸ばす前に、堂々と身を翻して去っていく。確かに、そうだ。誰かが先に行かねば間に合わないかもしれない。

 なんだかんだ言って京に近づかなかったせいで、こうなった。

 自己嫌悪に陥るだけなら、いくらでもできる。

 もう少し直家と話をするべきだった。情報マニアの疑いもある直家なら、もしかしたら阿波国の動きも掴んでいた可能性もある。あるいは、何が何でも備州へ介入させるべく、今回のことを引き出させたか。

「疑い始めればきりがないな」

「信長様、準備がととのいまし……あっ」

「こら、蘭丸!!」

 松千代に叱られ、ぴゃっと駆けだす子供。

 うーむ、利発って何だろう。


**********


 事態は刻一刻と変化していく。

 岐阜城を出発したノブナガ親衛隊三千はまず、秀吉のいる近江横山城を目指した。伊勢衆や徳川軍の援護は期待できない。横山城に立ち寄ったのは補給と情報整理のためだった。ついでに義景や長政が勘違いして無理矢理出陣しないよう、言い含めておく必要もあるな。

「摂津三守護が崩れたか」

 池田勝正は追放されて生死不明。

 代わりに池田家臣・荒木村重あらきむらしげが名乗りを上げた。三好三人衆といえども、追われて阿波国へ逃げ込んだ残党にすぎない。それでも味方しようと考えるくらいだから、向こうに何かしらの勝算がある。

 秀吉はみっしりと書き込まれた地図を広げた。

「中嶋はここじゃ。伊勢長島のように、川の中に大きな島がありましてのう。野田城、福島城の二つを築城しとります。あと二月、いや一月も早かったら水攻めでイチコロなんじゃがのう」

「そう簡単にはいくまい」

 勝家が苦りきった顔で否定した。

 先行した可成が報せを受け、横山城で待ち構えていたのだ。俺に続いて出陣する気満々だったが、六角氏への抑えを減らすわけにはいかない。そうでなくても江南地域は貧しいのだ。街道付近だけ賑わっていても意味がない。

 やりすぎない程度の土地開発は肝要だった。

「殿、勝里かつさとをお連れくだされ。役に立たねば捨てても構いませぬ」

「勝家の息子だろ? そんな言い方」

 むすりと黙り込んだ勝家に、ただならぬものを感じる。

 説明役を求めて視線を巡らせれば、秀吉がひょいと肩を竦めた。

「信長様。勝里っちゅうんは、酒の勢いで押し倒されてできた子で」

「余計なことは言わんでいい!!」

「ひえっ」

「大丈夫だ、勝家。俺もお濃に押し倒されたことはある」

「……堂々と言うことではござらぬ」

 場が和んだところで、俺たちは地図へと意識を戻す。

 摂津中嶋は、淀川の中州につけられた地名だ。洪水や氾濫で土砂が蓄積して生まれる中州は、たまに巨大化して人々が住める広さにもなる。かといって恒久的に存在が保証されているわけでもない。

 それこそ秀吉の言うように、水攻めに弱い。

 だが水攻めは準備に時間がかかる。三好三人衆によって戦の口火が切られた時点で、俺たちは大きく出遅れているのだ。細川様や松永弾正の奮戦に期待するしかない。

「残りの摂津守護はどうした? 和田と伊丹は」

「はっ。荒木の裏切りを知らせた後、二条城へ向かったと聞いております」

「…………理由は、聞くまでもないな」

 秀吉の心配そうな眼差し、勝家の無言の圧力。

 なまじ交流を重ねてきただけに、義昭が何を考えているか分かってしまう。助けを求められて無視できるような図太い性格じゃない。越後の軍神や俺が戦をする時には何を考え、どうしていたかを義昭はよく聞きたがった。まるで英雄譚のように。

 摂津国は商人の町・堺があり、特に俺が手を入れてきた土地だ。そして池田城は畿内における要所である。そこを奪われたのだ。真似事でどうにかできる相手じゃないと、何故気付かない。

「猿、勝正の安否を探ってくれるか」

「お任せください。信長様ならそう仰ると思って、とっくに……痛! なんでわしが殴られるんじゃあ!?」

「なんとなくだ」

 にやけた顔が気に入らなかっただけである。

 勝家は極力視界に入れないようにして、俺は声を張り上げた。

馬鹿野郎公方様がご出陣なさる前に摂津へ入るぞ! 強行軍になるから覚悟しておけ」

「いかん、本音が駄々洩れじゃあ!」

「猿めが喚くでないわ」

「ひでぶっ」

 織田軍はどこよりも「見ないふり」が上手い。

 長光寺城にて勝家と別れ、くれぐれも無茶をしないよう言い含めておく。今度こそ将軍親征を招きそうな戦に参加できない腹いせに、六角親子で遊ぶ危険は否定できないと思う。付き合わされる民の身にもなってほしいものだが、勝家率いる柴田隊は血気盛んな奴が多い。

 いや、織田軍の大半がそうか。

 親玉おれが「戦なんか嫌いだ」と言っているのに不思議だな?

「くそっ、嫌な予感がする」

「急ぎましょう」

「ああ!」

 ろくに休みもとらず、ひたすら駆ける。駆ける。

 近江国を出る頃には後続のことは考えなくなっていた。京に着いて、まず織田屋敷へ立ち寄る。強行軍で人間も馬も疲れきっていた。じりじりしながら待つ間に、少しずつ将兵が集まってくる。数万もあればと思っていたところに、二条城へ向かわせた伝令が戻ってきた。

 俺は二条城まで駆け、出迎えた光秀の襟首を掴む。

「何故あの方を行かせた?! 貴様の頭ン中は種すら詰まってねえのか、金柑頭!?」

「おかしな渾名で呼ばないでいただきたい!」

「やかましい!! 守るべき人間を外に出して、何のための城だ。因縁ある相手だからこそ、ここでじっとしてなきゃいけねえのに事情通の貴様が止めずに誰が止めるんだよド阿呆が」

「ええ、さんざん諫言申し上げました。何度お止めしても聞いていただけなかったのですよ。それこそ、上様に悪影響を与えた責任は貴殿にあることをお忘れですか? 誰も彼もが、貴殿に影響されて……まるで」

 光秀の台詞は、白刃によって遮られた。

 すらりと鋭利な輝きは、あの名刀・三日月宗近だ。一目で魅入られそうな美しい波紋が、言葉を失った男の表情を映していた。薄皮一枚切れてはいない。が、唾を飲み込む動作だけで血が滲む位置に添えられている。

「その先は告げぬがよかろう」

「雨墨」

「遅かったな、三郎」

「……ああ」

 深呼吸する。今は動揺している場合じゃない。

 まかり間違えば、その切っ先は俺に向いていたかもしれない。

 軍を率いる総大将は、常に平静を保たなければ。俺の感情は、俺に従う奴らを動かしてしまう。金ヶ崎の戦い、近江騒動もそうだ。俺の知っている歴史とは全く違うものになったが、俺の想定以上の大舞台になってしまった。

「あっ、信長様。こちらでしたか」

「伝令だな? かまわん、報告せよ」

「はっ。根来衆より通達! 雑賀衆との交渉に成功し、摂津国境東にて二万の兵と共に待機中。うち鉄砲隊、三千! 大鉄砲もあるとのことですっ」

「上等だ」

 無意識に、頬傷を撫でていた。

 あの視界の悪さで俺を狙う精度は惜しい、と思っていたところだ。雑賀衆は織田信長と因縁ある相手だったような気もするが、仲間になってくれるなら心強い。ついでに顕如へ連絡を取ろうと考えて、止めた。おそらく奴も今、かなり危険な状況に違いない。

 三好三人衆を招いたのは、反信長派だろう。

 前回同様、堺にも手引きした奴がいるはずだ。

 南蛮人フロイスと仲良くしているのを快く思っていない堺商人がいる、と今井宗久が案じていた。奴隷売買について知らせてくれたのも、そういうことを示唆していたのだと今は分かる。

 つくづく俺は、凡人だ。

 皆は次期天下人だともてはやすが、乱世を終わらせるどころか新たな戦乱を呼び込んで何が英雄か。何が三英傑か。それならいっそ、魔王を自称してしまった方がお似合いじゃないか。

「往くぞ、三郎」

「応。まずは摂津入りし、軍を再編する」

「皆様に知らせてまいります!」

 駆けていく小姓を見送り、俺たちも歩き出す。

 留守番を頼まれた光秀は二条城から動けまい。前回は訳も分からず出陣し、今回はついていくことすら許されない。もどかしい思いが視線となって、俺の背に刺さる。

「光秀」

「……気安く呼ばないでください」

「ついてくるか、俺に」

「は?」

「冗談だ。貴様は将軍家そこにいろ」

 織田家臣になったら、守らなければならなくなる。

 織田家臣じゃないから、敵対しても情に惑わされない。それでいい。それがいい。明智光秀はこの先もずっと、義昭のための忠犬でいればいい。




********************

光秀の謀反ゲージが上がった(通算三度目)

いつか得意の「水攻め」をやらせたい秀吉と、何かのフラグを立ててしまった勝家、ちゃっかり登場して父のフラグを立てていく蘭丸くんが今回の見どころです(たぶん)



柴田勝里...勝家の庶子。認知はしたが、嫡男ではない。

 秀吉がチクったように、ワケ有り物件なので公表はしていなかった。身分の低い武士の家に生まれ、嫁いでいく前に処女をもらってほしいと襲ったらデキちゃったのが真相。信行から信長に主君を変えたばかりで微妙な時期だったため、側室へ迎えることもなかった。現代風にいえば内縁の妻、柴田家では城仕えの侍女として働いている。

※勝家には実子がいない(ことにされていた)ため、甥の勝豊・勝政も養子として迎えている。この二人は仲が悪く、まだ元服前であったために庶子の勝里が長光寺城に呼ばれていた

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