186. エージェント・ユー

 眠い。今、猛烈に眠い。

 義昭からの嫌がらせメールが届かなければ、まだ執務の最中にあったと思う。叫んで飛び出してきたせいで、回り続けていた思考が止まってしまったのだ。

 要するに、眠い。

 どこかの太閤殿じゃあるまいし、田舎侍が公家になるわけがない。寝不足で頭がどうにかしちまっているようだ。思考を止めてくれた相手は、じっと俺を見ている。なんだよ、照れるじゃねえか。

 そういえば、誰かが俺に会いたがっていた。

「ああ、お前が宇喜多とやらか。若作りだな」

 宇喜多(仮)は一瞬、表情を消した。

 すぐに元通りの微笑を貼りつける辺り、俺の知っている天才様たちを連想させた。なんとなく雰囲気は細川様に似ているか。俺のような凡人の台詞にも裏を探ろうとして、超高速で思考を走らせる。宇喜多(仮)が見せた変化は、図星を突かれた動揺だろう。

 立ったままの相手に座るよう、ジェスチャーをする。

 大人しく宇喜多(仮)が従おうとした直前、小さな影が円座と朱塗りの盆を置いていった。二人分の湯呑に茶菓子もついている。俺の所在はともかく、宇喜多(仮)も招かれた客ではあるらしい。

 温かい茶を啜って、やっと一息つく。

 挨拶の口上は面倒なので省いた。美辞麗句で腹は膨れない。

「遠路はるばるご苦労。俺が信長だ。さて用件を聞こうか」

「備前の浦上宗景の名に聞き覚えはございますか?」

「猿のやらかしたことだ。俺は知らん」

 あ、でかい鼻クソがとれたぞ。

 それをぼけーっと見ていると、横から伸びてきた小さな手が丁寧に拭き取っていった。ちょっと勿体ないが、見せびらかす相手もいない。宇喜多(仮)へ出会いの記念にプレゼントしようものなら外交問題になりそうだ。眠気で働かない頭でも、それくらいは分かる。

 宇喜多直家の二つ名は謀聖。

 松永弾正や舅殿に並ぶ悪党の一人に数えられるらしいが、先に挙げた二人も根っからの悪党じゃない。目の前の宇喜多(仮)がその謀聖だとして、秀吉がやらかしたことの文句を言うためだけに美濃岐阜くんだりまで来るだろうか? 身分の高い奴ほどフットワークが軽い傾向にあるので、よく分からんな。眠いし。

「欲しいのは備前国か?」

「おや、いただけるのですか? 今の織田は西に目を向けている場合ではないと思っておりましたが、東のことも家臣他人任せにしておられるようだ」

「貴様こそ何を言ってる。俺は秀吉に但馬国へ向かうよう命令したが、それ以外のことは奴の独断だ。西国の問題は西国の者たちで何とかしろ」

「秩序を乱した責任はとらぬ、と仰いますか」

「ふん。赤松、別所、浦上の喧嘩に首を突っ込み、利用しようとしただけだろ。座布団の奪い合いに介入した覚えはないぞ」

 備州はあちこちで戦乱が起きていた。

 小規模な戦乱であれば、今も日本各地で発生している。それも権力争いであって、結果的に圧政で民が苦しんでいる。俺に言わせれば自業自得なのだ。よく知らないから、誰も彼も同じに見える。ここに赤松がいても、別所がいても、危険を冒して旅をしてきたから何だというのだ。

 綿密に練った計画を、外からやってきた慮外者が台無しにした。

 書面で文句を言ったところで無視されるから、詫び交渉ついでに直接顔を拝んでやろうと思った。そんなところだろう。天才様は凡人の考えが分からぬので、だいたい自分で何でもやろうとなさる。俺に言わせれば、他人任せの何が悪い。

 そこに住む民にとって、権力者も統治者も似たようなもの。

 戦乱続きで荒れた農地を開拓する援助もしないくせに、年貢だ何だと搾り取る。宇喜多(仮)の旅費だってそうだ。いや、そこを突くと俺にまで飛び火するか。上洛する度に少なくない額が算出される。街道沿いの宿や店に金を落としていると考えれば、無駄遣いだとは思わない。

 それにひきかえ戦は、戦乱は最悪の無駄遣いだ。

「殺し合っている時点で、正義も悪もあるか」

「では、尾張守殿は何のために戦をするのですか?」

「守るためだ」

「私も同じです」

「本当にそうか? 頭を潰したところで、別の頭が生えてくるだろ。体制を変えるにはまるごと取り替えた方が早くないか? それでも環境そのものが変化についていくまでにはそれなりの時間が必要になるがな」

 暗殺がなくならないのは、手っ取り早いからだ。

 実行犯が捕まっても、指示を与えた人間が無事でいられる確率も高い。最も少ない人数で目的を果たせる。軍を動かせば、誤魔化しが利かない。

 ああ、マジで眠い。

 残った茶を全て干しても、あまり効果がなかった。

 わずかに頭が冴えた気がしても、すぐに靄がかかってくる。宇喜多(仮)が刺客だったら、これほど楽な暗殺はないだろう。まあ、俺を殺したところで織田家は潰れない。無駄なことだ。

「んで?」

「何か」

「用件だよ、用件! 宇喜多の……あ? 下の名前はなんだっけ」

「三郎右衛門直家です」

「ご本人様でしたか。どーも三郎信長です、コンニチハ」

「あ、はい」

 頭を下げると同時に、視界が暗転する。

 がちゃんと何かが割れたり、誰かが叫んだりするのを遠くに聞きながら、俺は何日かぶりの熟睡タイムへ突入した。


**********


 いやあ、よく寝たわ。

 スッキリ爽快、自己嫌悪全壊。

 久々にやらかしたわ、しかも初対面の相手に。

 相手が相手だし、ゴメンネって謝れば済む話でもない。やっちまったもんは仕方ないと開き直るしかないな! 今後は無理のないスケジュール管理を目指すしたいんだが、これがなかなか難しい。仕事は泉の如く、こんこんと湧き出るものなのだ。とにかく対策は必要、と脳内メモに書きつけておく。

 ちょうど細川様もいるので、宇喜多直家との謁見リベンジ!

「よく、ご無事で」

「開口一番それかよ、藤孝」

「ふふ、さすがに直接手を下すようなことはしませんよ。事を成した後、帰る城がないなんて笑い話にもならない」

「確かに」

 悪びれない直家、微笑んでいる細川様。

 策士ジョークなの? そうなの? こいつら、似た者同士の匂いがするな。

 年齢的にも近そうだし、見た目が若作りで温和そうなイメージを与えるところも共通している。半兵衛や信純も、ニコニコ笑顔がデフォルトだ。軍師になるタイプは、内心を悟らせないために笑顔の仮面を被るのだろう。

「最高に眠かったとはいえ、色々と……その、悪かったな。遠くから来てくれた客人への対応じゃなかった。ええと、三郎右衛門殿? それとも和泉守?」

「お気になさらず。数日待てと言われたものを無視した私にも非がありますから。そうですね、尾張守殿の好きなように呼んでいただければ」

「じゃあ、丁寧語な言葉遣いも止めてくれ。宇喜多は織田家と無関係なんだから」

「信長様」

 眇められた目が、簡単に気を許すなと言っている。

 手のかかる足利兄弟の目付け役だった彼は、意外に世話焼きタイプだというのを最近知った。過保護とまでいかないが、何かあればすぐ領地から飛んでくる。来られない時には文書で問い合わせをする有様である。俺は赤子か何かか。

 ともあれ、今は宇喜多だ。

「宇喜多どん、遠路はるばるやってきた目的は何だね?」

「信長様……」

「ただの物見遊山だよ、織田どん」

「ほう、意外にノリがいいな」

「褒め言葉として受け取っておこうか」

 細川様が額に手を当てている。

 もしも神経性胃炎を発症したら、恒興がよく効く薬を分けてくれるぞ。長年愛用しているというから、効き目は折り紙付きだ。

「寝落ちする前の会話はよく覚えてないんだよなあ。不毛なやり取りをしたような気もするが……ああ、そうだ。宇喜多どん、ちょっとスパイやらないか?」

「はい?」

「今なー、サトウキビや薩摩芋……じゃなくて琉球や九州との橋渡しができる奴を探しているんだよ。もちろん、宇喜多どんにそれをやってほしいとは言わない。備州のことで忙しいだろうしな。気が向いた時に、大友家や毛利家と仲良くしてくれるだけでいい」

「そして密かに情報を流せ、と」

 俺の真意を探りたい直家が、じっと見つめてくる。

 秀吉が迷惑をかけた詫びに備州のことは直家に任せ、大友や毛利家のことは織田家に押し付けていいと言ったのだ。そもそも但馬国のいざこざに首を突っ込むことになったのは、毛利元就からの依頼を受けたからである。奴の思惑通りに引っ掻き回して、謀聖を引っ張り出せたんだから結果は上々だろう。

「宇喜多どんの好きにしていいぞ」

「分からないな。この私に、織田の密偵になれと言っているように聞こえるのだけれど?」

「密偵じゃない。エージェントだ」

「えーぢぇんと」

 突然ですが笑ってはいけない岐阜城。

 警策を持った顕如がいないか探してしまった。宗派が違っても、やってくれと頼んだら二言返事で頷く。あんなのがボスで大丈夫か、本願寺。それはそうと、耳慣れない言葉をなるべく忠実に再現しようとすると、必然的に平仮名発音になるもんだ。可愛い女の子なら萌える。

 あ、いかん。細川様が睨んでいらっしゃる。

「宇喜多どん、播磨国に姫路城ってあったよな」

「その呼び方はいつまで続ける気ですか」

「なんだ? 羨ましいのか、藤孝どん」

「ふぐっ」

 今、噴き出すのを失敗した奴がいる。

 武士の情けだ。あえて顔を確認しない俺って優しい。もう理想の主君じゃね? 裏切りとか謀反とか無縁の聖人君子の鑑じゃね? 輝かしい未来が待ってるんじゃね?

「小寺官兵衛が城代を務めているけど、何か気になることでもあるのかな」

「小寺? 黒田じゃなくて?」

「代々黒田家は小寺家に仕えているのだけれど、父親の職隆もとたかが娘婿でね。小寺姓を名乗ることが許されているのさ。本人は黒田孝高と名乗っているよ」

「紛らわしい! あんなのクロカンでいいだろ、クロカンで」

「まるで彼を知っているような口ぶりだ」

「いや、知らん。会ったこともない」

 半兵衛とセットで「両兵衛」と呼ばれたことくらいか。

 備州やら播州やらの情報は可能な限り集めさせているのに、秀吉が会ったという「官兵衛」の素性がよく分からなかったが納得した。姓が二つあったんだな、紛らわしい。

 播磨国の赤松家は没落寸前で、別所家はこちら側らしい。

 備前国の浦上家はおそらく、遠くない未来に直家が潰すだろう。あっちもこっちも身内同士で喧嘩して、弱ったところを外から喰われる寸法だ。今思えば近江国に伊勢国、畿内も似たような感じだった。そこに織田家俺たちがやってきて、一気に平らげたわけだ。

 おかげで仕事量が爆発的に増えた。早く畿内から撤退したい。

 西国にはきっと、まだ見ぬ美味いものがたくさんあるに違いない。秀吉を向かわせただけで怒られたのだ。俺が向かうと尼子どころの話じゃなくなる。

「というわけで毛利家よろしく」

「…………」

「こういう方なのですよ。いつも肝心なところは思考の内。しかしながら宇喜多殿にとっても、そう悪くないお話だと思いますがね。羽柴殿から信長様のことを聞かされた小寺何某の依頼は、これで達成できたのでしょう?」

「え、知り合い? マジで?」

「……ああ、成程。こういう人物なのか。確かに、一筋縄ではいかなさそうだ」

「お分かりいただけて何よりです」

 細川様と直家が以心伝心している。

 俺はなんとなく疎外感を味わいつつ、用意された茶を啜った。

 ついこの間田植えが終わったと思っていたのに、冷たい茶が美味しく感じる季節になっている。虎のおっさんが大人しくしているのも今年いっぱいだろう。おっかない人たちを刺激しないためにも、表向きは何もしない方がいい。

 たぶん。





********************

食べ物目当てですと正直に言っても、誰も信じてくれない不思議

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