183. 金ヶ崎追撃戦
東西から迫る軍勢が、雪を踏み固めていく。
三月はまだまだ雪の季節、と言わんばかりに辺り一面真っ白だ。後続は、その踏み固められた道を頼りになんとか進んでいる。
「道標が役に立ったな……」
ちょこんと突き立つ石塔、その名も一里塚。
道祖神と同じように頭の雪を払い、なむなむと拝んだ。
成政の独断で木製から石製に変えて、数字が刻まれただけの簡素な石塔。これのおかげで方向音痴の俺ですら、迷わず小谷城まで突撃できたのだから成政の貢献度は計り知れない。うむ、特別褒章やらんとな。
長政の親父どもはこの展開を予想もしていないはずだ。
冬季の戦はやらないのが通説となっているが、こちとら常識破りの織田信長様である。前例がないわけでもないしな。松永弾正が爆弾正らしく派手なことをやらかしてくれた。それでも敦賀への道のりは険しく、一色義道をはじめとする何人かの有力武将が討ち死にしている。これを「遊び」だと笑ってやる気分にはなれない。
犠牲の上に策は成り、金ヶ崎城に敵を追い詰めた。
この城に近い
城内を見回っていると、声をかけられた。
「信長殿!」
「えっ、誰?」
「お初にお目にかかります。孫次郎義景でございます」
「おお、朝倉の。無事で何よりだ」
「ありがとうございます!」
興奮して顔を赤くしているが、色白の優男だ。
戦国を生き抜くには不向きっぽいなあ、なんて自分のことは棚に上げる。一乗谷城にこもっていたと聞いていたが、長政同様に急展開の報せを聞いて駆け付けたのだろう。念には念を入れて、小谷城へ配備した根来衆を一乗谷城にも回すよう密かに指示しておく。
「……それと」
「はい?」
「息子、残念だったな。可愛い盛りだったろうに」
みるみる血の気が失せていく。
そんな義景から視線を外し、話題を間違えてしまったと後悔した。俺の元には数多の情報が集められる。有能な人材による取捨選択された情報の一つに、それはあった。朝倉義景の嫡男は2年前に亡くなっている。後を追うように生母も亡くなった。そりゃあ確かに、呼ばれたって上洛したくなくなる。
側室の生んだ
大方、権力争いに巻き込まれての毒殺。俺だけじゃなく、うちの奇妙丸も何度か死にかけているし、別段珍しい話でもない。だからといって我が子の死が、悲しくないわけがない。
ぽろ、と義景の目から涙が零れ落ちた。
「やっと生まれた、男の子だったんです」
「そうか」
「……守れなかっ、た」
崩れ落ちる背をただ、見つめる。
朝倉家を取り巻く事情の詳細までは知らない。義景は朝倉家に生まれなければ、嫡男でなければ、阿君丸は死なずに済んだのではと考えたのかもしれない。だから何もかも嫌になって、当主としての仕事をしなくなったのだろう。
同族同士で殺し合ってきた俺が、何か言えた義理じゃない。
四人の息子の誰が死んだとしても、俺は嘆き悲しむ。
「義景は魂の存在を信じるか?」
「え……」
「輪廻転生。死んだ魂は世界を巡って、もう一度生まれてくるんだ。宗滴殿みたいなデキる奴が生まれてくる朝倉家なら、阿君丸も情けない親父のケツ叩くために戻ってくるかもな」
「わた、しのために……?」
「ちなみに俺んとこは、去年生まれたばかりの息子がいる」
「羨ましいです。正室との御子ですか?」
「いや、側室だ。お濃はなあ……子ができにくい体質みたいなんだよな。それで悩んでいるが、俺も息子もなんとか死なずに今日まで生きてる」
「先日、末姫にお会いしました。よく似ていらっしゃる」
「そりゃあ、迷惑をかけたな。兄弟がいなくなった途端にお転婆になっちまって、もう縄でもつけて縛っておこうか迷っているところだ」
「い、いえいえ、そんな! さすがに可哀想ですよっ」
つらつらと話しているうちに、気が晴れたようだ。
ふと義景は視線を遠くへやった。
北西の方向には金ヶ崎城がある。久政率いる浅井軍が攻め落とし、朝倉景恒を討った同族の景鏡がともに籠城しているはずだ。もう一人の朝倉は北へ逃げたというが、金ヶ崎城を落とせば長政の悲願が果たせたと言えよう。
「小少将にも、言われました」
「コショウ?」
「美濃斎藤氏の出だと聞きましたが、信長様がご存じなくても不思議ではないですね。細川殿には内密に、と口止めされていましたし」
「今喋ってんじゃねえか」
「ええ、まあ。男児が欲しいなら、生んでやると。阿君丸みたいな子供を生んでやるから、今度こそ守ってやればいいじゃないかと……そう、言われたんです」
俺は思わず半眼になる。
並んで立っているせいで、あっちを向いた義景の顔は見えない。いくら名品とはいえ、茶釜一つで元気になるなんてチョロイ当主さまだと思っていたら、なんてことはない。細川様に紹介された女に慰められて、我を取り戻したのだ。
やっぱり戦国時代向きじゃねえな、コイツ。
「もっと私が強ければ、信長様とも早く知り合えたと思うと勿体ないですね」
「頬を染めんな、気色悪い」
「す、すみません」
並んでいても横顔は見えるのだ。
げんなりとした気持ちで前を向けば、背後から誰かが近づいてきた。小姓が報せでも持ってきたんだろうか。
「こちらにいらっしゃいましたか、義兄上!」
「…………」
「し、新九郎殿」
「あっ、義景殿もご無事で何よりです。朝倉軍の一部が一乗谷へ向かったと聞いて、心配しておりました」
「騒がしいのが来やがった」
額に手を当てて呻く。
一発殴ったくらいじゃ足りなかったか。
俺は一か月も寝込んだというのに、長政は数日かそこらで起き上がれるようになったようだ。ロールキャベツ男子、というやつか。ああ、野菜の肉包みが食べたい。白菜で代用して、出汁は鳥を丸ごと使って、ことこと煮込んだら完成。いかん、涎が。
「義兄上?」
「んだよ、なブッフォオオ!?」
名を呼ぼうとして盛大に噴き出す。
義弟の顔は腫れて、丸く膨らんでいた。
そういえば義景はと探せば、その辺で蹲って震えている。今度は泣いているわけじゃなさそうだから放っておこう。イケメン武将の顔を台無しにして、世の中のお嬢さんたちから石を投げられるかもしれない。
信純がいなくてよかった。笑死はさすがに情けない。
「痛く、ないのか」
「皆の痛みを思えば、何のこれひき」
「………………」
「…………」
「痛いんだな?」
「痛くありません」
声の震えが止まらない。
殴ったのは俺だ。ちゃんと覚えている。
気を抜けば再び吹き出しそうになるのを、必死に堪えた。今更だが、呑気に爆笑している場合じゃないのである。俺が天筒山で待っていたのは浅井・朝倉の正規軍だ。
織田軍は、見届け人である。
ちょっと数が多いのは祭り好きだからってことで! 可成・勝家辺りが暴れ足りないとかぼやいていそうだから、こっそり混ざる許可を出しておいた。手柄が欲しいわけじゃなく、殺すのが好きというわけでもなく、純粋に体を動かしたいだけらしい。
最近はろくな戦がなくて鈍る、とか言っていたし。
「信長様! 金ヶ崎城より和平の使者が来ておりますが」
「是非もなし。蹴り返せ」
「ははっ」
今更、和平もへったくれもあるか。
こんな茶番に騙される方が悪い。そもそも久政が膝を折る相手は長政であって、俺じゃない。庶流だろうと、同族同士でいがみ合って最終的に挙兵した景鏡も、まずは義景に筋を通すべきである。
「というか、義景。今頃、一乗谷は占拠されてんじゃねえか?」
「そうかもしれませんね」
「その男前な側室とかは大丈夫なのかよ」
「必ず取り戻しますから、大丈夫です。あ、その、今回と同じように手を貸していただければ大変助かります」
だんだん語尾が小さくなっていく。
「しゃっきりせんか!」
「は、はいいぃっ」
いきなり怒鳴られて驚いたらしい義景が、びょんっと背筋を伸ばす。
こういう面白い動きをする玩具、前世で見た気がするな。ちなみに怒鳴ったのは俺じゃない。長政よりも少し前にやってきて、俺の傍に控えていた鬼柴田である。
「勝家、これでも朝倉家の当主様だぞ」
「人の上に立つ者の心得を説いたまで」
「あ、はい」
義景が何やら感銘を受けているから別にいいか。
こちらの布陣も終わったようだ。側近たちも勢揃いし、あとは号令を待つのみ。
「…………え、俺が言うの?」
全員の視線にたじろけば、揃って頷かれる。
徳川からは忠勝が、伊勢衆からは久々登場の宗吉が、お冬と一緒に暗躍していた右門左門の姿も見える。あの二人は後で仕置きを与えるとして、松永弾正の姿が見えないことに眉を寄せた。岐阜城を出る時に従軍していた細川様もいない。
筒井軍を率いていた清興が肩をすくめる。
「爆弾正殿は、えー……兄弟喧嘩中です」
「何やってんだ、あいつら」
「内藤殿は此度の策について、仔細を知らなかったようで」
「よし、放置」
奴の仕事は終わっている。
敵を追い詰めた以上、大軍の役目は鼠一匹通さない包囲網だ。兵糧が心配なので、なるべく早く片付けてくれると助かる。但馬国に戻りたい山名祐豊から「これで勘弁してください」と大金をもらったし、収穫祭でもかなり稼がせてもらったとはいえ――。
「今回もさっさと終わらせるぞ」
早く帰らないと、於次丸に顔を忘れられてしまう。
「では」
「長政、義景。織田の精鋭を預ける。必ず成し遂げよ」
「はい!」
「ははっ」
「いや、家臣みたいな受け答えしなくていいから。普通に」
「義兄上がお嫌でなければ、浅井家一門! 織田家臣の一つに加えていただきたく存じます。もちろん、この国に巣食う悪を討ち果たしてからとなりますが」
「あ、私もお願いいたします。越前国を豊かにできるのは、信長様以外にいないと考えます。きっと叔父上もそう思っているはずです」
「…………しろ」
「え?」
「さっさと出陣しろ、ド阿呆どもがああぁ!」
転がるように出ていく奴らを見送り、溜息を吐く。
戦って、こんな緊張感のないものだったか? 違うだろ。いや、悲壮感を漂わせたままでいるよりはいいかもしれない。片や親父を、片や同族を手にかけなければならないのだ。
「南の六角軍はどうなった?」
「謎の軍勢が現れて、引っかき回しています」
「は?」
思わず耳を疑ったが、利之は大真面目だ。
「黄色の旗印に三枚の永楽通宝、それから南無阿弥陀仏と書いた紐がついておりまして一体どこの幟かと。また
「俺じゃねえよ! またってなんだよ!」
「六角軍には長島から出てきた者も多数加わっております。彼らに対する意思表示みたいなものかと愚考いたしますが」
なるほど、犯人が分かった。
各地の防衛に回っている弟たちは動けない。茶筅丸は元服していないため、傳役の宗吉を向かわせたのだろう。具盛率いる神戸軍もどこかにいるはずだ。利之が分からないのなら、彼らのどちらでもない。
可能性として思いつくのは一人しかいない。
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信長に対して不満があるのも、若狭を織田領とするのも、将軍義昭のお墨付きがあるのも、武田信玄が反織田勢力になったのも本当のことだけど、一色義道は二心があるので排除。
内藤宗勝は信長に許されたばかりなので、
そして将軍義昭を餌に反織田勢力を炙り出して一網打尽にする。
袋の小豆は誰のことか……お分かりですね?
というわけで悪評を利用しつつ、一粒で何度も美味しい爆弾正の策略でした。
生まれた時から色々ありすぎて、なんかもう嫌になっていた頃に側室と嫡男を同時に失って実質ニート化。宗滴繋がりで、ノブナガから九十九茄子を送り付けられて「とうとう目を付けられた!」と日々怯えていたら意外にイイヒトだったので安心したらしい。小少将にケツを叩かれつつ、国主を頑張る。
右門左門...お久しぶりです元気ですかの山内一豊&林勝吉(念願叶って城持ち武将)
小少将...朝倉家臣・斎藤兵部少輔の娘。美濃斎藤氏の血を引くということで、元々は近江国出身ではなかった説があるので「結果的に」朝倉家臣となったことにして、細川藤孝の仲人で側室入り。
ちなみに。
義景の正室は細川晴元の娘。継室は
細川家の姫とは天文21年に婚儀が成って、十年目にして初の男児が阿君丸(だが妾腹)。朝倉一門の権力争いに巻き込まれ、生母ともども毒殺される(本編では首謀者を朝倉景鏡としている)
近衛稙家の妹は、12代将軍足利義晴の室(義輝・義昭の生母)
なので義景は将軍家の縁戚(将軍義昭の従兄妹を嫁にもらったことになる)
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