【閑話】 三日月の誓い
今回は山中鹿之助視点です
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山中鹿之助幸盛は尼子家譜代の家臣である。
父はよく尼子家に仕えたし、母はそんな父をよく助けた。
甚太郎という兄がいたので、幸盛が家督を継ぐことはない。だから、ひたすら己を鍛えることに専念した。誰よりも強く、誰よりも誇らしく、神の使いとされる鹿のように気高くありたい。
尼子家のため、粉骨砕身戦える日が待ち遠しくてたまらなかった。
13歳で元服してすぐに武功を立てた。尼子家当主から直々に褒め言葉をいただくのは嬉しかったが、若年であることは関係ない。幸盛は当然のことをしたまでだ。
これからも尼子家に尽くすことを誓った。
そのはずだった。
あろうことか、山陰の一大勢力であった尼子家が敗北した。
安芸国の豪族にすぎなかった毛利家に負けたのである。共同戦線を張っていた大内家も、かつての勢いを失った。その悪辣なる謀略は一つずつ挙げるに腹立たしい。もっと幸盛が強ければ、毛利軍などに負けなかった。
悔いても悔いても悔やみきれない。
尼子家を内側から切り崩し、とうとう月山富田城まで追い詰められた。
包囲してからの兵糧攻めは戦の常道である。しかし毛利元就は恥知らずにも、飢えた兵士に温かな粥で誘うことによって最後の矜持まで奪い去った。義久はそんな元就に懐柔され、とうとう降伏の道を選んでしまったのである。
それでも幸盛は諦めない。
悪逆極まりない毛利軍に膝を折ってなるものか。諦めない、絶対にだ。義久の父・晴久は尼子家内紛の際、幼い勝久を山城国の寺に放り込んでいた。かの御方こそ、尼子家の中でも武力派「新宮党」正当後継者である。
幸盛は勝久を寺から救い出し、再起を図ることにした。
隠岐国に逃れた同志たちを辛抱強く説得し、尼子家再興の希望を繋いだのだ。幸盛の厚い決意は、出雲国に散った元尼子家臣たちにも届いた。
『月よ、我が願い聞き届けたまえ。我に七難八苦を与えたまえ!』
あらゆる苦難を乗り越えた先には、きっと素晴らしい未来が待っている。
叔父である
三好や細川は、どこの馬の骨とも知れぬ田舎者に負けたというのか。
しかし織田尾張守は、とんでもない財力の持ち主だ。
新たな将軍を擁立しただけでは留まらない。
将軍の御所である二条城の建築、皇居の改修に始まり、建築物の修復・整備の手は洛外にまで及んでいる。更には畿内の残存勢力をそのまま取り入れ、遠慮なくコキ使っているらしい。休む間もなく働かされ、戦ばかりの日々が懐かしいとぼやく者もいた。
畿内がそんな感じだったので、勝久の救出は難なく行えた。
北から船を使って、隠岐国へ戻る。
出雲国の同志たちは、勝久と幸盛たちの上陸を今か今かと待ちわびている。毛利元就は瀬戸内海を完全に手中へ収める気だ。元々は村上家の救援に応じた伊予出兵だったが、肝心の
尼子再興軍にとっては好機だ。
畿内に新たな覇者が生まれた以上、畿内に接する領主たちは迂闊に動けまい。出雲国を取り戻すのは今しかない。幸盛たちの上陸と共に、尼子再興軍は産声を上げた。
次々に支城を奪還し、残すは月山富田城だけとなった。
雪辱を果たすために籠城戦を強いても意味がない。神の采配か、月山富田城には憎き元就の五男坊が城主に収まっているようだ。まだ若いであろう元秋を殺しはしない。勝久の人徳に触れて、尼子家に自ら降るのなら許そう。
らしくもない愉悦に浸っていたせいか、移動中に騒ぎがあった。
不審な騎馬が隊列を乱していったという。二人の男という以外に情報はなく、たちまち足軽隊に不安が広がっていった。勝利に向かって突き進んでいたはずの軍勢に、揺らぎが生じる。
行軍が遅れ、このままでは敵に見つかってしまう。
幸盛は己の傲慢を恥じた。
慢心があったことを勝久に詫びた。
そして苦難の道を自ら求め、それを乗り越える誓いを思い出したのだ。
「俺は折れぬ。挫けぬ。決して退かぬ! 宿願を果たすまでは!!」
幸盛の願いは一つだけ。
尼子家の再興、勝久が出雲国の主として返り咲くことだけである。
海岸に黒い塊が迫ってきた時、負けたと思った。
これほどまでに深く、深く絶望感に苛まれたことはない。そっと周囲を窺えば、勝久を含めた尼子衆の全てが「黒船」に釘付けだった。事前に言われていなければ、あれを船と認識できたかどうかもあやしい。
錨を下ろし、船首に人影が現れた。
「よう、大将! 知らねェうちに新しい取り巻きが増えたなァ!」
「なっ」
思わず叫ぼうとした幸盛を、だるそうな動きで止めた者がいた。
織田尾張守信長、畿内を手に入れた男である。
「取り巻きじゃねえよ。行き場がなさそうだから拾ったんだ」
「くっくっく、大将も好きだねェ」
「ぬかせ」
荒くれ者と親しげに語らっているが、一体何者なのか。
片袖を抜いて、海の男らしく褐色の肌を惜しげもなく見せつける。武具らしい装備はなく、鉈のようなものを腰に差しているだけだ。そういえば織田尾張守も二本差しに、鉄砲もどきや妙な小箱を装備していた。隣で佇む頭巾男は、さっきから一言も話さない。
新たに現れた男など一瞥もしていない。
じっと睨んでいる相手は反対側で所在なさげにしている元秋、そして天野という毛利家臣だ。織田尾張守は完全に背を向けていても、頭巾男が睨んでいるので彼らは動けない。毛利水軍が黒船をここまで入り込ませたのは明白だった。織田尾張守が、それを望んだからだ。
しかし頭巾男は厳しい視線を向けている。
彼らを見て主従が逆などと思った幸盛は、やはり慢心で目が曇っていたのだ。今、こうしている間でも主従の立ち位置は明らかではないか。織田尾張守は頭巾男を深く信頼し、頭巾男はその武をもって織田尾張守を守る。
忠臣とはかくあるべき、と幸盛は思った。
「んで? 行き先は堺でいいのか」
「とりあえずはな」
「暇だったから推進力を弄ったンだ。尾張まで、アッという間だぜ?」
「止めろ。誘惑するな!」
「くっくっく」
楽しげに笑った男は、ようやく幸盛たちを見た。
「
「尼子勝久と申します。どうぞよろしくお願いします」
「……山中鹿之助」
「鹿頭でいいぞ」
「違うって言っているだろう!」
「鹿の角に三日月の前立て兜なんだから、鹿頭じゃねえか」
「おう、こりゃァ立派な角だ。木の枝じゃァ、こんな形にはならねェな」
ちっとも褒められた気がしない。大いに貶された気分だ。
文句を我慢しているのは勝久が視線で諫めてくるせいだが、憎き毛利家の前で無様な姿は見せたくなかった。あのまま月山富田城を落とすことができても、伊予国から戻った毛利本隊に奪い返されると織田尾張守は言う。
そして尼子再興軍の動向は、毛利家に筒抜けだった。
織田尾張守は月山富田城の物見櫓から足軽隊を発見し、幸盛たちに接近したのだ。わざと出雲国を手薄にした可能性を指摘され、幸盛は全く反論できなかった。今が好機と攻め込んだが最後、尼子再興軍は殲滅されていた。謀略に長けた元就なら、十分にありうる話だ。
しかし怪しい二人組は毛利側から来た。
奴らは憎き元就の手先かもしれない。京に留まっていたはずの男が供連れ一人で出雲国くんだりまで来て、ただの偶然だとぬかす。毛利の妨害を受けたので反撃し、尼子をもらうと宣言してきたなどと信じられるわけがない。そんな旨い話があってたまるか。奴は頭がおかしい。狂っている。
そう訴えたのに、勝久は首を振るのだ。
「私はあの方を信じてみたい。どうしてかな。あの方の目を見ていると、そう思わずにはいられないのだ。幸盛、お前も同じなのだろう?」
「うっ」
確かに幸盛は、一目見て確信したのだ。
この男ならやりかねない、と。
夢を現実に変える。幸盛が命を賭して祈願したことも、織田尾張守にとっては物見遊山の延長線で叶えてしまえることなのだ。何故か、そう信じてしまいたくなる。
「それに、私は主君としても未熟だ。あの方を知ることで、幸盛たちの忠義に相応しくなれるような気がする」
「いえ、勝久様はどうかそのままで」
幸盛には分かる。あれは見倣ってはいけない存在だ。
だが毛利家と対等にやり合えるのは織田家しかいない。それも疑いようのない事実。
巨大な黒船――安宅船を黒い鉄で覆ったため、黒く見えるらしい――に、同志たちが乗り込んでいく。残りは出雲国の北岸から、琵琶湖を目指すことになっていた。ここにいない同志たちもきっと、黒船に驚くだろう。
いつの間にか、織田尾張守は黒一色の衣装に着替えていた。
九鬼右馬允が運んできたようだ。足の先まで漆黒で統一されており、金糸で飾られた羽織が風にはためいている。異様な姿に、圧倒された。
その手には白木の箱。
どうするのかと見守っていれば、あろうことか毛利家の手に渡った。
迷惑料代わりの餞別だ、という声が聞こえる。奴らにそんな気遣いなど無用だが、織田尾張守は義に厚い人物なのかもしれない。厚かましくも中身を確認した天野が、大げさなくらいに慌てていた。その焦った顔に、なんだか溜飲が下がる。
「さあ、行くぞ。お前らもとっとと乗れ。出航だ」
「承知しました、信長様」
ごく自然に礼をとる勝久に、幸盛も倣う。
視界の端で、頭巾男が笑ったように見えた。
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