167. 山中にて、鹿を助ける(後)
さすがは剣豪将軍というべきか。
白頭巾を拾う俺の頭上で、鞘に納める音がした。
「おい、殺してねえだろうな?」
「其方こそ、腰のそれは無用の長物と言っておらなんだか」
「全然当たらんから間違ってない」
後で弾を回収できたらいいなあと思いつつ、俺は隆重に視線を戻した。
あくまでも脅しとして包囲させた兵士を、全て返り討ちにするとは思ってもみなかったらしい。青ざめて動けない毛利家五男を庇うので精一杯だ。
説明しよう、ざっくりと!
毛利の威嚇攻撃に対する義輝の
うん、弱い。
つくづく戦国時代の武力抗争は数頼みだと思う。あとは采配をとる者次第だろう。月山富田城においては隆重が指揮者だ。東の抑えとして信頼する者を置くのは当然である。ただし、播磨や因幡への関係にもよる。
俺が言えた義理じゃないが、出雲国の駐屯部隊が少なすぎないか?
元秋から聞き出したところによれば、城内に三百ほどしかいないらしい。わざと兵を少なめにして誘っているのか、東への敵対意識がないというパフォーマンスだったのか。尼子残党が攻めてきても、とりあえず籠城で時間稼ぎできる。
元就の考えが読めないな。
安芸・周防を守るために周辺の脅威を払うだけなら、武力制圧しなくてもいいはずなのだ。三本の矢の一つである嫡男・隆元は5年以上前に亡くなった。義輝によれば、病床についてから長いという。
信玄と同じで、死期を悟って焦ったか?
「どうする、三郎」
「別に、この城欲しいわけじゃないしなあ。銀山がないと困るほど貧乏でもない」
「そうなのですか?」
「うむ。三郎が新しい発明品を売り出せば、すぐだな」
「俺が考案したわけじゃねえっつの」
「分かった、分かった」
生温い笑みを浮かべる義輝は放っとこう。
さっきから短筒や鞄に熱い視線を感じて、とっても居心地が悪い。銀以上の価値ある品、なんて誤解されても困るのだ。短筒はともかく、鞄は一点物である。
「話を戻すぞ」
「え、ええ」
「鉱山ってのは限りある資源だ。永久的に銀がとれるわけじゃない。いつかは尽きる。しかも銀鉱を採掘して、精製する労力を考えるとなー。権利の一部譲歩くらいなら考えるが」
どうしたって、銀は金に劣る。
純度が高いからこそ価値が出るのであって、銀そのもので腹は膨れない。貿易の品としても数に限度がある以上、取引対象としては弱い。イラネと言われたら交渉終了だ。それよりも元値が安くて珍しく、大量に作れる上に日用品として使えるものがいい。
身分ある人間が金持ちになっても、平民の生活は変わらないのだ。
「とりあえず織田家は万年人員不足でな。尼子家もらって帰るわ。出雲国は毛利家の統治下でいいから、そこんとこヨロシク」
「それを信じろと?」
疑わし気な隆重に、俺は重々しく頷いた。
「よろしい。ならば戦争だ痛」
「天野中務、戯言に耳を貸すものではないぞ」
「柄で叩くことねえだろ!」
「赤松や浦上の動向も分からぬのに、大言を吐くなと言っておるのだ。其方は己を知らなさすぎる。軽い気持ちで吐いた言葉を実現してやろうと動く奴らの顔を、順番に思い出してみるがよい」
「……俺が悪うございました」
「うむ」
ガクガクブルブル、口は禍の元どすえ。
俺が毛利とやり合うゼと言ったら、
「天野中務よ」
「はっ」
「我々は今から山中何某と話をつけてくる。その後、何があろうとも尼子の者たちと刃を交えることは許さぬ。何度となく余の調停を逆手にとり、都合よく事を運んだことは忘れておらぬぞ」
「……承知いたしました」
渋々ながら頭を下げる隆重を見やり、義輝がフンと鼻を鳴らす。
実はしっかり根に持っていたんだな。喧嘩の仲裁した傍から、相手を殴り倒す所業を見せつけられたらムカッ腹も立つだろう。信玄もそういう傾向はあるし、謀将と呼ばれる奴らは厄介だ。
「三郎」
「おう、往くか」
ここまで来たら腹を据えるしかない。
俺たちは馬を取り戻し、堂々と月山富田城を出た。落ちたという報告が来た真山城は、ここから北だ。俺が進もうとするのを、義輝が強引に方向転換させた。
「逃げるな」
墓穴は掘りたくない。
北へ向かっているつもりが南だなんて言えない。またかよ! 地図で方角を確認したのに、出た途端にこれだよ!! 迷わないように、地図は北を上にする癖をつけた意味がない。
あやしい白頭巾に馬を引かせ、俺は馬上で欠伸をかみ殺す。
物見櫓で確認した足軽隊は案外、すぐに見つかった。堂々と隊列に割り込んでいけば不審者だ何だと騒がれて、赤備えの若武者が武装集団から出てきた。鹿の角兜、こいつが噂の山中鹿之助だろうか。
太い筆で描いたような眉を跳ね上げ、俺たちを睨みつけた。
「下手な芝居だな」
「ん?」
「主を歩かせるとは臣下の風上にもおけぬ。何者だ! 名前だけは聞いてやる」
「織田尾張守信長だ」
「織田の懐刀、雨墨である」
「嘘を申すな! 織田尾張守は大層変わった御仁と聞き及んでいるが、供連れ一人でこんなところまで来るはずがない」
正論である。
まともな人間なら絶対やらない。俺もまともな精神状態だったら、単独で京から飛び出すような真似はしなかった。戻ったら色々言われるだろう。考えるだけで頭が痛くなる。
「道に迷ったんだよ」
「情けないことに、真実である」
「ええい、そのような戯言が通じると……!」
「この紋所が目に入らぬか!!」
一度は言ってみたかった、この台詞。
あくまでも馬上から印籠を掲げてみせる。足軽も騎馬もつられて目を凝らしているが、なんだか胡乱な目になっているぞ。変だな、織田木瓜の効果はこんなもんじゃないはず。
「三郎、逆だ」
「無文字は俺の旗印なの! ほら、見やがれ。織田木瓜!!」
「お、織田信長公!?」
「ははあっ」
うん、豪族以下の身分には効いた。
なんでか鹿之助も平伏しているんだが、騎馬の皆さんがぽかーんとしているぞ。この中に勝久とやらがいるんだろうか。大事な御輿だから後方にいるかもしれん。
「尼子さんちの勝久さん、いませんかー?」
「我が殿に何をするつもりだ!?」
平伏姿勢から飛びかかってきた鹿之助の槍は、義輝が受けた。
「落ち着け、馬鹿者が」
「貴様らの目的を聞いてからだ! よくよく考えれば、この先にある月山富田城から来たのであろうが。毛利の回し者の言うことなど信じられるかっ」
「矛盾してるぞ、鹿頭」
「鹿頭ではない! 鹿之助だ!!」
いるよな、若いうちにこじらせちゃう熱血系。
うちの小姓たちを思い出す。今頃は半泣きで探し回っているかもしれなくて、ちょっと心が痛んだ。自責の念から切腹しちゃう馬鹿はいなくても、置いていかれた鬱憤を軍事訓練にぶつけそうな馬鹿はいる。
お前らは織田の精鋭だー、誇りに思うぞー。
「信長様」
これまた若い男が出てきて、丁寧に頭を下げた。
薄幸そうな美青年に見えなくもないが、へにょりと下げた眉がヘタレっぽい。鹿之助が慌てて後方へ戻そうとしている辺り、これが「お探しの勝久くん」で間違いなさそうだ。
「尼子勝久か」
「はい」
「よし、
「はい。……え?」
「騙されてはいけません、勝久様っ。義久のように敵の諫言に惑わされ、残りの半生をふいにするおつもりですか!」
「織田家臣として働くなら、尼子家復興を認める。ただし、出雲国は毛利のものだ」
「それでは意味がないっ」
「下がるのだ、幸盛。私は信長様と話がしたい」
鹿頭は山中幸盛というらしい。
へえそうなんだと思う俺の前に、勝久が膝を折る。相変わらず俺が馬上にいるので、徒歩でやってきた勝久は馬の鼻よりも下だ。ざわめく尼子残党にも構わず、勝久は言う。
「私はどう扱われようとかまいません。ですが、私に仕えたいと言ってくれた者たちの心を無下にしたくない。遠く尾張国におられるはずの方がこちらにいらっしゃった理由まで存じ上げませぬが、織田家臣に取り立てるという理由はお教え願えませんでしょうか」
「それは」
「聞いてもガッカリするだけだぞ。こいつは何も考えておらぬ」
「おい」
格好良くキメる前に義輝が暴露しやがった。
見ろ、鹿頭がスゴイ顔で睨んでいるじゃねえか。毛利の回し者かって叫んでいたの聞こえていただろ。この数で襲われたら、さすがに死ぬぞ。
「なんだ、不満か? こういう輩には小手先の嘘で誤魔化すよりも、事実を伝えた方が誠意を示せるのだぞ」
「いや、まあ」
「まだ畿内も落ち着いておらぬ。尼子をもらうことは先に毛利家へ通したゆえ、後から文句言いわれることもあるまい。……その時は、その時であろうよ」
にやりと笑う義輝に悪い予感がした。
九鬼嘉隆のケースと同じだ。理由ができたら「出雲とっちゃえよ」と言っているのである。元就に好意的だと思っていたが、意外に複雑な事情があるようだ。藪を突いて大蛇が出てくると怖いので、俺は気付かなかったことにした。
ふと見やれば、鹿頭が考え込んでいる。
暗に「出雲欲しけりゃ自分でとれ」と言われたのだ。その時は尼子残党ではない。織田軍がもれなくついている。それも勝久と鹿頭たちの働き次第、というのは馬鹿でも分かる理屈だ。
出雲と畿内の間には播磨他、いくつかの国がある。
流刑地だった隠岐国もある。
「ああ、それからな。織田軍の強さは毛利軍を凌ぐ。先程、手違いで月山富田城に詰める兵を二十ほど相手してきたが、赤子の手をひねるよりも容易であったぞ」
「俺が援護してやったからだろ!」
「一発たりとも当たらなかったではないか」
「あれはわざと外したの!」
「たった二人で、二十の兵を……?」
再びざわざわが広がっていく。
本当に二十人いたかどうかは別として、弱かったのは本当だ。織田軍に鉄砲の音で腰を抜かす軟弱者はいない。突撃合図だと思って飛び出していく馬鹿野郎どもだ。激戦の中を駆け回って無傷の母衣を持ち帰る馬鹿もいるらしい。
あ、ダメだ。馬鹿しか思いつかない。
伊勢でも南近江でも大きな戦にならなかったので、鬱憤が溜まっている。
畿内勢力もほとんどが降伏してきて、逆に鍛えるために軍団を貸し出している状況だ。あちこちで軍事訓練ばかりしているので、阿波から三好残党が戻ってくることもないだろう。
「うん?」
「戻ったか、三郎」
「いつも意識飛ばしてるみたいに言うんじゃねえ。鹿頭たちは、隠岐から来たんだよな? 船の扱いに長けた奴とかいるのか」
「関船や
どちらも安宅船よりも小型の船だ。
小回りが利く分、攻撃力は全く期待できない。波の状態に左右されやすく、長距離航行にも向かない。武装していない駆逐艦みたいなものだと考えていたが、数があるなら運用次第で戦況を変えられるかもしれない。
太平洋や日本海と違って、瀬戸内は比較的波が少ない。
いや、違うぞ? 淡路水軍との戦いを想定しているんであって、村上水軍とやり合おうなんて思っていない。毛利にも強い水軍がいるはずだ。村上水軍との関連性は把握していないが、それとなく調べておいた方がいいかもしれない。
あんまり各地へ飛ばすと、警戒されるんだよなあ。
なんでも秘密主義なのが悪いと思う。隠そうとするから、こっちで自主的に調べなきゃならなくなるのだ。絶対見つからずに情報を集めて帰還できるのは7割いれば多い方だった。
「織田尾張守、殿」
嫌そうに敬称をつけて、鹿頭が睨みつけてくる。
「織田に降れば、勝久様を尼子家当主として認めるのだな?」
「信長の名において、約束しよう」
「織田家の地位は働き次第である。励めよ」
「はっ、承知いたしました」
横から義輝が偉そうに言い添えて、勝久が首を垂れる。
鹿頭はまだ不服そうだったが、尼子残党として加わった者たちはとりあえず納得したようだ。毛利本隊が戻ってきた場合、勝てるかどうか不安に思っていたらしい。怨敵・毛利家に仕えるくらいなら、織田家の方がマシだというわけだ。
こうして俺は尼子勝久以下、六千の兵を手に入れた。
「……勝久」
「はっ」
「織田流組織形態を教えてやるから、小隊に分けろ。このまま進んだら、侵略行為だと思われて戦が始まっちまう」
「獲りますか?」
「獲らねえよ!」
結局、大半は北回りで海路をとることになった。
俺はもちろん帰りも陸路だが、勝久が同行すると言い出した。
部隊分けでモメている間に毛利からの使者が来て、瀬戸内海側に九鬼水軍の船を入れる許可が出た。どうやら嘉隆は淡路島海域を完全掌握したらしい。奴が酔い止め薬を持っていたおかげで、俺は吐き気に襲われることなく堺港へ着いたのだった。
********************
どうしてこうなった
船のサイズは安宅船>>関船>小早です。
小早は「関船よりも『小』さくて『早』い」という意味だと書いてありました。九鬼水軍では偵察要員として使っていたので、戦闘能力は期待していません。どこぞの漫画では小早と思われる船で敵水軍を大いにからかって、逃亡を図ったシーンがあったような…
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