162. 根来衆と坊官
二条城が完成するまでは細川邸が仮御所だ。
とにかく急ピッチで建築が進められているため、資金繰りや職人たちの手配に必要資材の調達などなど仕事が山のようにある。有楽茶効果で堺商人が積極的に動いてくれるので、現場との軋轢も少なくて助かる。長利には甘味蔵があるし、長益にも専用茶室をプレゼントしてやろう。身内に甘いと言われてもいい。いくつになっても弟は可愛いものだ。
「尾張守。暇なのだが、何をすればいいと思う?」
「そこの白頭巾と鍛錬したらどうですか」
「分かった」
お手紙将軍として忙しいはずなのだが、仮御所での待機が退屈らしい。適当に答えたら、なんかソワソワしながら部屋を出ていった。
俺は現場監督として、細川邸に逗留している。
さすがに将軍と同格ではないにしろ、貴賓扱いされて微妙に居心地が悪い。これからも幕府関係で滞在するかもしれないし、織田家の京屋敷を用意した方がいいかもしれない。でかい風呂があるから何とかなっているが、なんか寛げないんだよなあ。
「御所建築が終わったら話してみるか」
勘定奉行貞勝がウンと言わなければ
敵が海の向こうにいるせいで、さしあたって打つ手がない。畿内に潜伏している残党を片付けたところで、三好三人衆が戻ってきたら同じだ。俺は畿内の情報を把握し、西国方面の情報を調べることから始めた。
毛利家はともかく、黒田家はまだ勢力が小さい。
光秀が寄越してくれた斎藤利三という男によれば、長曾我部元親も土佐統一すら果たせずにいるようだ。それでは三好三人衆を何とかしてくれ、なんて頼めない。嫁同士が親戚だから仲良くしようぜと言ったところで、裏を疑われるのがオチだ。
「尾張守。暇なのだが」
「掃き掃除でもしてろ」
「分かった」
やっぱり海側の防衛線強化しかない。
既に到着している佐久間隊に畿内の巡回を、丹羽隊には摂津三守護の兵力底上げを頼んだ。戦はまだ先だと聞いてガッカリしていた柴田・森隊は、大和国へ向かっている。松永弾正が不在になっては戻ってくる筒井軍を何とかしなければ、大和国の平穏は訪れないのだ。
甲斐国で足止めをくらっている半兵衛が蜂蜜飴を所望してきた。
奇妙丸と松姫の婚儀が今日にも行われそうな勢いだと訴えているわりに、不平不満でぶーたれているのが目に浮かぶ超大作は今、また増えてきた貢物の山と一緒くただ。頑張ったのは俺じゃないのに、京へ戻ってきただけで浮かれムード再びである。
何なんだ、一体。
岐阜に戻って三好三人衆が再来すると困る奴らが、必死に俺を引き留めにかかる。いっそ京屋敷を作ればいいとか、出資は某がとか、いい候補地があるとか、実に姦しい。余計な金があるなら洛外の復興に使えよ。中心地だけ綺麗になっても仕方ないだろ。
「尾張守」
「やかましい! そんなに暇なら、風呂でも磨いてろっ」
「本願寺の宗主が来ているぞ」
「へ?」
風呂だな、と呟いた義昭の背が煤けて見える。
ほんのちょっぴり罪悪感が沸いてしまったが、俺だって指示書と計算書類と陳情がどんどん届られてくるから手が離せない。せっかく将軍家がバックについたんだからと、貨幣の流通増加と関税撤廃なんか思いついた俺の馬鹿。
商人たちには感謝され、役人どもには睨まれる。
袖の下で個人的にぬくぬくできても、市場価格が下がらないうちは国が豊かにならない。そもそも贅沢品では腹が膨れない。蜂蜜や砂糖は別だよ、当然だろ。
「織田殿」
のそっと部屋に入ってきた巨躯に目を細めた。
「おう、顕如。久しいな」
「久しい、という程でもないのである」
「相変わらず堅苦しいなあ。っと、今度はお供と一緒なんだな」
「
「
「織田信長だ。坊官と僧兵か」
あまり嬉しくない組み合わせだ。
それぞれ仕様の異なる僧衣を纏っているが、頭は見事にツルッツルである。三人の中では頼廉が一番若く見えた。丁寧で品のある物腰のわりに、鋭く見定めるような目を向けてくる。同じように好意的とは思えない表情の根来衆の男は、雰囲気が傭兵に似ている。
「紀伊国の根来衆って、本願寺と仲いいのか?」
「特には」
「拙僧が助力を頼んだのである」
「へえ」
「私も今後は、織田様の手足となって働きます。よろしくお願いいたします」
「え、あ? どうも、ご丁寧に…………じゃねえだろ!! おい、顕如! てめえ、何考えてやがるっ」
「拙僧の願うことは唯一つ」
知っているだろうと言わんばかりの顔に、俺は浮かせた腰を下ろした。
じーっと見つめてくる津田監物の目が怖い。見定めるとか、観察しているとか、そういうんじゃなくて純粋に見ているだけなのだ。傭兵人形って売れそうにないな。雑賀衆と並んで鉄砲の名手として知られる根来衆を出してくるところに、顕如の本気度が窺える。
前回の会話を信じるなら、皆殺し要員というわけでもなさそうだが。
俺はがしがしと頭を掻く。
「押してばかりだと嫌われるぞ」
「心配無用である」
家内安全、夫婦円満なのはいいことだ。
顕如が笑い、俺も笑った。
池田城で別れてから数日後、顕如の使いを名乗る男が六条御所の門を叩いた。ちょうど二条城建設で大わらわだったため、深く考えずに受け取ったそうだ。顕如と俺が二人で話し込んでいたことは知られているので、持ち込まれた矢銭は「うつけがやらかした」と認識されている。噂を聞いた門徒が激怒しないことを祈るばかりだ。
「来ちまったもんはしょうがねえか。とりあえず頼廉は加賀の一向宗が大人しくなるまでの契約。根来衆は信長個人と契約し、仕事に見合った報酬を払う」
「……臣従は求めないのか」
「面倒なのは嫌いなんだよ」
「分かった。それでいい」
あっさり契約成立した根来衆と違って、頼廉は困惑気味だ。
「傭兵扱いは、ちょっと……」
「何を細けえこと言ってんだ。本願寺だって地方に坊官を派遣するだろ? 織田領にも一向宗の民がいるんだ。そいつらの担当官だと思えばいい」
「契約を結びたいわけではありません。顕如様の願いだから、叶えたいと思うのです」
「そんなに好きなら、傍を離れない方が幸せだと思うがねえ」
「
「あ、そう」
本人たちが納得しているなら、それ以上は野暮だ。
顕如がこちらに友好的である限り、本願寺勢力と戦わずに済む。だが伊勢長島に不穏な動きあり、と長益が伝えてきた。頭を失った服部党が、楠十郎を新しい旗印に決めたというのだ。織田信長と一向宗の戦いは、どうあっても避けられないのかもしれない。
「顕如は、証意っていう坊主のことを知っているか?」
「無論」
「そうか。なら、いい」
「長島であるか」
「加賀の前に、そっちを何とかしなきゃならねえんだ。悪いな、俺がしくじったせいで一向宗と戦うことになるかもしれん」
「証意殿は、織田様のことを高く評価しています。側室のこともご存知ですし、一揆が起きるほどにはならないのではありませんか? それとも、他に何かあるのでしょうか」
「あるといえば、ある」
六条御所が燃えた原因は、俺かもしれない。
義昭に余計なことを話さなければ、死人が出ることもなかったかもしれない。だが全てを話した奇妙丸が生きているので、平手の爺のことを重ねるには少々無理がある。証意が沢彦のように、奈江を利用しようとしている可能性も否定できない。
坊主は信用できない。頭がいい奴ほど、ロクなことを考えない。
直接話してみて、顕如が悪い奴じゃないと分かった。だが真宗教団はでかくなりすぎた。肥大化した組織は内側から腐る。加賀の情報が届くのが先か、軍神からの招待が先か。
「とりあえず、俺が京を離れても大丈夫なようにしたい。何か案はあるか?」
「城を造る」
事も無げに津田監物が言った。
「水運、琵琶湖の近くがいい」
「あのな、近江国は浅井領で――」
「南近江は織田領。甲賀除く」
「近江一国任せると言った手前、やっぱ半分寄越せは横暴だろう」
「……分かった。任せる」
「お、おう」
大丈夫かな、コイツ。
津田堅物の態度に一抹の不安をおぼえつつも顕如たちの手前、俺は深く追求しなかった。そのことを後で激しく悔いることになる。
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下間頼廉...剃髪して刑部卿と号す。石山本願寺の坊官。同族に下間頼龍、下間仲孝。
本願寺勢力の中で、顕如本人に従う数少ない人間ということで推挙された。真面目で実直だが、臨機応変に対応できる柔軟な思考の持ち主なので顕如の信頼も厚い。
生きるために鉄砲術を学び、津田氏を守るために顕如の誘いに乗った。織田軍としては、必要な時だけ出動する傭兵集団という形で参加する。
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