163. 神の使いは河童頭
ふと思い立って俺は、二条城建築現場に来ていた。
臨時収入があったおかげで、完成予定はかなり早まったらしい。あと二か月もあれば落成式も行えそうだ。満足げな顔をして頷くのは俺、じゃなくて義昭。
「ちゃんとした御所ができるのは、素直に嬉しいと思う」
「よろしゅうございました」
「尾張守。その話し方、気持ち悪いから止めぬか」
同じ釜の飯を食い、一緒に風呂に入った仲だろうと悲しげに呟く。
はいはい、なりゆきで秘密共有しちゃったよね! 腹を割って(いないが)語り合って仲間意識が芽生えちゃったらしい。細川様の計画通りだな、ちくしょう。だがその捨てられた子犬のようなツラは
俺が沈黙していると、何故かもじもじし始めた。やめれ。
「殴っていいですか」
「い、痛くしないのなら……」
と言って目を瞑るので、肩を掴んで反転させた。
その背に向かって、頭を下げる。俺はこの方に言わねばならぬことがある。
「申し訳ありませんでした」
「尾張守?」
「こっち向くなよ。まだ話は終わってねえ」
「わ、分かった」
「可能性に気付いていたのに、馬廻衆を配備させる程度で済ませたのは俺の落ち度です。敵を徹底的に潰し尽くす覚悟が、俺には欠けている。そのせいで、義昭様を危険に晒しました。貴重な人材を失うことになりました」
死亡者はたった二人、されど二人。
細川様によれば、若狭国は反織田勢力に傾きつつあった。
俺も若狭衆の何某、としか知らない。彼らにとってはそうじゃなかった、ということだ。朝倉が動いているのか、長政の親父が暗躍しているのか、はたまた六角親子かは分からない。光秀に言われるまでもなく、俺の甘さが招いたことだ。否定も弁解もできない。
「二条城は、御身を守るための盾です」
「…………」
「ですが、忘れないでください。どんな堅城も、内側から崩されれば脆い。義昭様ご自身も、日々の鍛錬をお忘れなきように。そして臣下に媚びることなく、臣下を重んじ、時には厳しく接することも覚えてください。それらの全てが、御身を守る盾になりましょう」
「あいわかった」
返事は一言だけ。
その一言がどれほど重いかを、俺たちは知っている。
背負いたくて背負った重荷じゃないが、やすやすと下ろせる荷でもなかった。義昭の進む道は、茨だらけだ。せめて少しでも傷つかないようにしたいと思うのは、紛れもない本心。義昭が無傷だったのは、命がけで彼を守った者がいるからだ。
俺は関係ないなどと、もう言えない。
「ああ、完成が待ち遠しいな」
「なんなら手伝いますか」
「うむ。それがな……、丁重に断られた」
「冗談を真に受けるな、ド阿呆。総大将は偉そうにふんぞり返っているのが仕事です」
「うう、それは分かっているのだ。分かっているのだが」
誰も彼もが忙しそうに走り回っている。
将軍家が所有するに相応しい造りにするため、腕に覚えある職人たちを全国から呼び寄せた。細川様をはじめとする目利きの達人が厳選したから、相当素晴らしいものができるだろう。俺が作るなら実用性重視でいくところを、将軍家の威光を示すために華美な様式も取り入れる。
「殿、ちょうどいいところに」
「ん?」
足早に近づく信盛に、片眉を上げた。
そういえば長秀とツートップ体勢で、二条城建築の陣頭指揮を任せていたんだった。見覚えのある奴がちらほらと現場にいるのも、織田の者を使っているからか。佐久間一族の何でも屋業は、京でも健在である。
その信盛の後ろに、見覚えのある黒い服がいた。
「ドロステン!!」
「イエ、違イマス。わたしノ名前ハ、るいす・ふろいすデス」
顎がかこん、と落ちた。
外国人を見るのが初めてらしい義昭は石になった。
宣教師の一団が京に滞在していた頃は興福寺にいたから、存在くらいしか知らなかったのだろう。肌は白く、目や髪の色も全く違う。顔の造形に至っては、日本人が「平たい顔の民族」と呼ばれるくらいだ。
日本人から見れば、欧米人は彫りが深くて鼻が高い。
天狗とは似ても似つかない。どちらかといえば、河童である。
「ハジメマシテ」
「お、おう。初めまして、だな」
ドロステンといい、フロイスといい、日本語が上手すぎるだろ。
俺たちが呆然としている間に神への感謝を捧げ、にこにこと笑いかけてきた。
今生で二人目の外国人遭遇に否応なくテンションも上がる。黒い衣装だが洋服だ。足にはブーツ。そっと握りしめた十字架。本物だ。目の前の宣教師を見つめているうちに、じわじわと実感を帯びてきた。
「お、尾張守」
「裾を引っ張るな。のびるだろ」
「こ、怖くないのか? 大丈夫なのか」
「あー」
意地悪したくなったのは一瞬だけで。
邪気の欠片もないフロイスの前では、自分が途方もなく汚れた人間に思えてくる。煩悩まみれの欲望だらけである自覚はあるし、戦続きで数えきれない人間を殺してきた。清廉さとは程遠く、死んだら地獄行きは確定だろう。
勢いで背に両翼が飛び出しそうな、とは言いすぎか。
どうせリアル天使を拝むなら、お冬やお市にやってほしい。白いドレスでお目見えした日には、赤い噴水をお約束する。いや本当に煩悩だらけだな、俺。
「ドロステンは息災か?」
「ソクサイカ」
「元気ですか、と聞いたんだ。というか、宣教師の一団は九州にいるんだろ。他のお仲間はどうしたんだ? あんた一人か」
「ハイ。スミマセン、モウ一度」
一度に質問しすぎたらしい。
フロストが困った顔で
「ここには、あんた一人で来たのか」
「ハイ。先日、堺ヘ着キマシタ。わたしノ言葉、大丈夫デスカ」
「問題ない。オゥケィだ」
「ヨカッタデス」
さすがに流暢とは言い難いが、聞きづらいということもない。
単語ごとに丁寧な発音を心がけているようで、俺もつられてゆっくり喋った。俺の予想通り、漂流してきた日本人から日本語を教わったようだ。その日本人は通訳として九州のどこかにいるらしい。ヨーロッパから複数の船が日本列島に来ている、ということだ。
「コノ城ハ、信長様ノ城デスカ? 素晴ラシイ……」
西洋の城とは造りが違うだろうに、フロイスは感動も露わに訊いてくる。
フロイスはアレだ。日本文化好きすぎて知識だけはある外国人旅行客と同じだ。
堺に来たばかりだというが、九州の城はもう見てきただろう。京の都は当然、九州と趣が全く違うんだろうな。俺も九州に行きたい。飢饉の味方、ジャガイモくんとサツマイモさんの上陸はまだか。
黄金の島ジパング。最初にそう呼んだのはさて、誰だったか。
最近、無性に遠いところへ行きたくなる。だが現実は無常だ。意識を切り替えよう。
「二条城は将軍のおわす城だ。さ、義昭様」
「お、押すな。尾張守、押すでない」
「海の向こうから来られた客人に、ご挨拶を」
「う、うむ」
背を押して前に進ませる。
緊張しすぎて呂律が回っていない上に、公家流の挨拶はフロイスには難しかった。困った顔をする二人に見かねて、俺が双方の通訳をする。そこで分かったのは、フロイスの母国語が英語じゃなかったという衝撃の事実だった。
「まさかのポルトガル人」
「いえずす会ニハ、様々ナ国ノ人ガイマス。創始めんばーノ一人である、ざびえる司祭ハばすく人デシタ。日本人モ、タクサンイマス」
「それはまことか」
「嘘ハ言イマセン。ソレハ、罪深キコトデス」
十字架を手に、フロイスは強く言う。
彼は正真正銘の聖職者だ。
おそらくは政治的やり取りも、一般的な言葉の駆け引きも好まないか、全く知らないのだろう。そう装っているのなら相当な役者だ。建築現場に来たのは偶然かもしれないが、俺がいる日でよかったと思う。馬鹿正直に俺の所在を訪ねて回って、ろくでもない奴らに捕まったとする。下手をすれば外交問題に発展しかねない。
傍に控えていた信盛が耳打ちする。
「妙覚寺にて、お部屋の準備が整った由。後はそちらでご歓談を」
「ああ、分かった。邪魔をしたな。怪我にはくれぐれも注意しろよ。安全第一だ」
「心得てござる」
頼もしく応じる信盛と入れ替わりに、
フロイスがにこにこと挨拶してくるのを、珍しくオドオドしながら返していた。
移動中もどこか遠巻きにしていたのは仕方ない。その代わりに俺は、フロイスと存分に話をすることができた。ドロステンは博学で、異なる言語の聖書を何冊も持っていたらしい。日本語の聖書も作っていいかと問われ、是非にと言っておく。
「殿、よろしいのですか?」
「何事も勉強だ」
「はあ」
当たり前のようについてこようとした義昭は置いてきた。
フロイスには悪いが、キリスト教を積極的に広めたいとは考えていない。九州にいるイエズス会のことを聞く度に、微妙に言葉を濁すのも気になった。良くない噂が流れている可能性もある。組織が大きければ大きいほど、様々な思惑が交錯するものだ。
坊主にいい奴も悪い奴もいるように。
「おやっ、信長様。そちらは宣教師殿ではございませぬか」
坊主の噂もしていないのに、話好きの坊主頭が出てきた。
朝山日乗、日蓮宗の坊主だ。年齢不詳の痩躯に、狐とも狸ともつかない張り付けた笑顔。これがいいと大衆に人気なのだから、よく分からない。今は京にいるが、西から来たということで話を聞いてみたら何故か気に入られた。
なんか、あちこちで顔を見るんだよな。
出会い頭に説法ぶちかましてこないだけマシだが、日蓮宗に鞍替えしてほしいというわけでもないらしい。ニコニコ笑顔で挨拶してくるだけ。奴の狙いが分からん。
「日乗……、出待ちのファンみたいなことをするなと言ってるだろ」
「いえいえ、そんな! 出待ちではございませぬ。信長様のお帰りをお待ちしていた次第にございます。いや、全く偶然にも妙覚寺へおいでになるとは露知らず」
よく回る舌が日乗上人の取柄だ。
坊主の説法というよりは噺家に近い。
この時代にそういう職業があるのかはともかく、後奈良天皇より上人の号をいただき、朝廷にも顔が利くらしいということで出入りを容認していた。その日乗上人が立て板に水のごとく喋り倒すのを、フロイスはとても興味深げに眺めている。日乗上人は早口だから、ほとんど聞き取れていないかもしれない。
俺には分かる。日乗上人が妙覚寺に来たのは偶然じゃない。
その
「日乗」
「はいはい、なんなりとお申し付けください」
「フロイスと弁舌を戦わせる気はあるか? キリスト教と仏教の違いを明確にしてみたい」
「それはそれは願ってもないことにございます」
手を擦り合わせて日乗上人が言う。
その目は何故か敵意に満ちて、フロイスをじろっと睨んだ。会話がほとんど理解できていないフロイスは不思議そうに微笑んでいる。
「フロイス、日乗と宗教について話し合ってほしい。できるか?」
「モチロンデス。仏教ニハ、トテモ興味ガアリマス」
「……偉そうに」
「日乗」
小さなボヤキもしっかり聞こえている。
慌てて頭を下げた日乗上人だったが、次の瞬間にはすっかり宗教家の顔だ。フロイスもすっと表情を引き締めて、互いの間で見えないゴングが鳴り響いた。
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日蓮宗の僧侶で、弁舌家。時の権力者に取り入るのが得意
ルイス・フロイス...イエズス会のメンバー。宣教師。
若き日にザビエルと出会い、日本にキリスト教を布教するべく来日
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