161. 六条燃ゆ
二か月ぶりの岐阜だ。
大量に貰った貢物の半分は売ったが、どうしても持ち帰らなければならないものもあった。その中に「九十九茄子」が含まれており、送り主が松永弾正だったのは言うまでもない。
呪われそうなので、箱のままだ。
堺商人の彦右衛門から届いた茶壷で魔除け代わりにしている。
「戻ってきた、っていう感じがする」
「そうですか。大変よろしゅうございますが、殿。手が止まっています」
「俺の仕事じゃねえよな、これ!!」
「残念ながら、殿以上に素早く確実に計上できるものが育っておりませぬ。できれば、織田塾への顔出しも願いたいと陳情が来ております」
「ああ、ああ、分かったよ! 行けばいいんだろっ」
サイボーグ吉兵衛は通常運転だ。
ううっ、嫁たちとのイチャイチャタイムが遠のいていく。
お冬と鶴千代が勘定方で算盤弾いているんだが、ツッコミした方がいいのか迷う。二人並ぶと精巧な雛人形が飾られているみたいで、何人かの手が止まりがちだ。顔が気になるなら隠そう、とお面をつけているから余計に目立つ。
般若と翁のセレクトはさすがに酷いと思う。
「殿! やはりこちらでしたか」
「一言余計だ。さっさと用件を言え」
「はっ、申し訳ありません」
びしっと居住まいを正すのは松千代。
しばらく見ない間に逞しくなったが、馬廻衆の鍛錬でも受けているんだろうか。親衛隊を増やす予定はないから、普通の鍛錬でいいのにな。
珠をはじく音が響く中、少年特有の高い声が読み上げる。
義昭からの感状だった。
早くもお手紙公方の本領発揮とばかりに仕事しているのは喜ばしいが、直接言われた褒め言葉をそれっぽく言い直されても困るだけだ。ついでに足利紋の使用許可も出た。いや、使わんって。権力嫌いだと知って、わざと許可を出してきたのがバレバレだ。
それとも管領と副将軍の誘いを蹴ったのを怒っているのか?
なんて考えていたら最後に妙な単語が入った。
「ぼるしち?」
「いいえ、御父です。御父、織田弾正忠殿とあります。これは最上級の尊称ですよ。公方様に慕われるとは流石です」
誰が父か。冗談か洒落か分からない枕詞を足すんじゃない。
織田の庶流と侮られないように、などと細川様が入れ知恵したと思われる。斯波氏は守護職を失ったものの、義銀はまだ生きている。その斯波氏と同じ待遇なんて嬉しくもなんともない。そもそも畿内統一だって、成り行きだというのに。
ふと思考に落ちる。
三好三人衆があんなにも引き際が良くなければ、もっと悲惨なことになっていた。両陣営にそれほど被害がなかったのは幸いだが、池田城攻めで織田側の勇将が討ち取られている。逃げずに前面衝突していたら――。
タラレバに囚われるのは悪い癖だ。
「た、大変です!!」
「静かに」
貞勝に窘められて頭を下げた利之は、俺に耳打ちした。
その内容に思わず立ち上がる。
「六条が燃えた!?」
「どういうことだ」
「お冬。そいつを捕まえておけ」
「うん」
「な……っ、こういう時だけくっついてくるのは」
子供のじゃれ合いだ。まだまだ子供だ。
若干嬉しそうな鶴千代の声は聞かなかったことにして、俺はすぐさま側近たちを招集した。他の家臣も動ける者は動くように通達をする。ついでに伊勢と近江にも早馬を出した。
俺は二の丸へ走る。
「お濃! 奈江、吉乃!!」
「何かあったのね」
「すまん、また出る。……後を頼む」
「帰って来たばかりなのに」
「私たちのことを忘れないでくださいませ」
切なそうな吉乃や、不満げな奈江を一人ずつ抱きしめて、最後に帰蝶と簡単に打ち合わせをした。側近たちが出るなら、奥様戦隊も忙しくなる。
託児所は恒興のおかげで、早くも試験運行が始まった。
ねねが涙を流して喜んだという託児所を視察するのは春以降だな。貞勝に頼まれた織田塾のこともあるし、今年もあっという間に過ぎていく予感がした。
**********
永禄11年(1568年)5月、三好三人衆による六条御所襲撃事件が発生した。
六条御所――義昭の仮御所とした
甲斐国の久遠寺を「東の祖山」と呼び、京の本圀寺を「西の祖山」と呼ぶ。
どっちがどうだという由来はともかく、歴史ある仏閣に手を出すまいという考えは甘かった。奴らは東大寺大仏殿が炎上するきっかけを作ったのだ。敵対していた方はしれっと織田軍に加わっているが、奈良の大仏様は現在首なし状態である。
「奴らは雪解けを待っていたのか?!」
蹄の音に負けぬ大声を張り上げる。
「それは、何とも……」
「織田本隊が美濃へ戻りきるのを待っていたのでしょう!」
「全く、嫌なことを思い出させてくれるっ」
六条の本圀寺を村木砦に置き換え、今川軍を織田軍と置き換えればいい。
それは戦の常道だ。あの時と違うのは、俺が畿内から完全に兵を引き上げなかったことである。どうしても嫌な予感がするので、義輝と馬廻衆の半分を置いてきた。細川様たちにも警戒を呼び掛けていたが、駆け付けた時には御所が燃えていたらしい。
馬廻衆の被害が気になる。
義昭は難を逃れたというが、それは当然のことだ。ここで死んでもらっては困るし、守備を固めていた甲斐がない。それでも甘かった。もっと穿って考えるべきだった。
奴らは三好長慶の側近だ。
「爆弾正!」
「はっ」
「別行動を許す。大和国で準備してこい!」
「すぐ馳せ参じます」
河内衆の何人かに松永弾正を追わせた。
岐阜からの進軍はどうしても時間がかかる。伊勢と近江も同様だ。細川様が同じことを考えているのを祈りつつ、俺たちは騎馬の速度を上げた。
京までの道のりが遠い。
盛大に舌打ちしそうになるのを必死に堪え、寝る間も惜しんで駆け続ける。少なくとも襲撃が失敗した以上、再び襲ってくる確率は低い。だが俺が美濃へ帰る時を待っていたのなら、とるべき道は一つしかない。
「織田信長だ! 誰ぞある!!」
本圀寺と呼ばれていた場所は、見るも無残な廃墟となり果てていた。
また貴重な文化遺産を失ってしまったのだ。それも俺のせいで。
襲撃の危険性を予測できていただけに、選択ミスがあまりにも痛い。信純が何も言わなかったのは、この時代に寺を陣地に使うのが当たり前だからだ。岐阜からついてきたのは10騎ほど。残りは順次追いついてくるだろう。
炭化した柱の向こうから、見覚えのある優男が出てくる。
俺の顔を見て安堵したせいか、体勢を崩しかけたので慌てて支えた。
「おい、大丈夫か」
「信長様……っ、よくぞ戻られました」
「細川様、状況を教えてくれ。公方様はどこにいる?」
「私の屋敷にて休んでいただいております。近江と若狭衆が来てくれましたので、彼らに警備を任せました。明智殿の他、荒木殿など摂津の方々も揃っております」
「そうか」
死者はその若狭衆から出た。
朝倉・浅井のことばかり気にしていたが、若狭国は一色氏の系統が治めているという。本家は丹後国守護で、若狭武田氏とは安芸武田氏から分かれている。安芸といえば、智将・毛利元就が思い浮かんだ。義昭の情報が正しければ、中国地方の覇者はまだ生きている。
毛利の三男坊は、黒田官兵衛と引き分けるほどの軍略家だったはずだ。
晩年の子供だとしても、元服は済んでいるだろう。
「三好はどうやって洛中へ入ってきたんだ?」
「淡路水軍を使ったようです。阿波国から瀬戸内海に出て、堺港から川伝いに――」
堺商人たちと顕如の顔が浮かぶ。
俺の顔見知りが手引きしたとは思いたくない。顕如も寺を燃やすような輩は嫌いだろう。だが本願寺内部も腐敗が進んでいるとしたら、摂津国に大穴が空いているようなものだ。
「それにしても淡路か……」
大阪湾の向こうにある島のことを忘れていた。
淡路島から北は中国地方、西へ向かえば四国だ。畿内で勢力を伸ばしていた三好氏の本拠地は、四国の阿波国だというのも今頃知った。細川吉兆家に仕えていた三好長慶が細川晴元を管領の座から引きずり降ろし、長慶の死後に三好三人衆と松永弾正の内輪揉めが始まったのだ。
なんかもう遠い話なんだか、近い話なんだか分からなくなってきた。
奴らが水軍の扱いに慣れているということが目下の問題だ。
堺方面の防衛線の強化と、将軍を守れる御所の建設が急務である。岐阜から追いついてきた奴らは摂津国の巡回をさせて、三守護には海に近い城の増築を命じよう。九鬼水軍が堺港に着くまで、やれる限りのことをやっておきたい。
「あれ?」
「何か気になることでも」
「二条城があるじゃないか」
「二条に城はありませんよ」
「へ!?」
ないなら作ろう二条城。
使えそうな土地が斯波氏の旧屋敷というのも皮肉すぎた。
しかも義輝が襲撃を受けた場所だし、縁起が悪いような気もしたが他に候補地もない。時間の余裕もない。そっち方面は細川様に丸投げし、できるだけ完成を急ぐようにとだけ告げた。
焼け崩れた跡を見ていると、池田勝正が走ってくる。
数日経って着替えているものの、焦げたらしい頭髪が哀れなことになっている。炎の中を奮戦したという立派な証拠だ。俺に気付いて、ぱっと顔を明るくした。
「殿! 驚かせないでくだされ」
「おう、勝正。怪我はないか」
「勿体なきお言葉です。三好どもを桂川まで追い詰めましたが、惜しくも逃がしてしまいました。申し訳ありません」
「いや、良く抑えてくれた。褒美を取らす」
「それは正秀も喜びましょう」
池田衆の紀伊守正秀という男が小笠原某を討ち取り、一番手柄を挙げたようだ。
褒美は金か刀かと思いながら勝正についていくと、手当てを受けている怪我人の中に光秀の姿があった。細川様や摂津の者たちが駆けつけるまで、馬廻衆と共に戦っていたのだ。呆けた顔で宙を眺めていた光秀は、俺に気付いて表情を引き締めた。
「織田殿、何故ここに」
「桂川を使って、賊が侵入したと聞いてな」
「……義輝様はこちらにいらっしゃいませんよ」
「ド阿呆、もういない人間を探してどうすんだ。義昭様の居場所はもう聞いた」
光秀は失言を恥じて、唇を噛む。
痛々しい傷跡は包帯で隠れているが、上半身をさらしているせいで細マッチョだということが知れた。貴様もかと恨めしく思っても顔には出さない。ノブナガはやればできる子!
そんなことよりも、と光秀が呟いた。
「織田殿は、楠十郎という名前に聞き覚えがありますか?」
「……十郎がどうしたんだ」
「てっきり斎藤家の遺恨を晴らすため、龍興と斎藤家旧臣が三人衆に加担したと思っていたのですが、淡路水軍の中に服部党と楠の旗があったというのです」
俺は知らず、手を握りしめていた。
十郎よお、お前が俺の敵に回るのか。桶狭間の戦いで、熱田にいたという噂は本当だったというのか。何がお前を、そこまで追い詰めたんだ。
十郎の父、楠正具は楠城が落ちて織田軍へ降った。
今は伊勢国人衆の一つとして、北畠具房と茶筅丸に従っている。十郎の姿が見えなかったのは長島にいたせいで、蚊帳の外状態だったのだろう。龍興が六条襲撃に参加していないのは、長益が上手く引き留めているせいだ。
おそらく服部党は頭を失い、迷走している。
新しい頭に十郎を選んだのかもしれない。何がそこまで、と疑問は戻ってくる。
「嬉しいでしょう? 貴方の狙い通り、敵対勢力が一つに固まったのです。義昭様を囮にして、彼らをおびき寄せる策だったのは分かっています。このような所で油を売っていないで、さっさと寄せ集めた残党を片付けに行きなさい」
辛辣な言葉に、俺はそういう見方もできるかと感心した。
「行きたいのは山々だが、船がないと無理だな」
「九鬼水軍があるでしょう」
「とっくに伝令を飛ばした。貴様は、長曾我部家を知っているか?」
「土佐の豪族ですね。元親殿については、貴方の方が詳しいのではありませんか。元親殿の生母は、帰蝶姫と同じ美濃斎藤家の生まれです」
初耳だぞ、オイ。
すぐに岐阜へ急使を飛ばした。帰蝶への愛を綴ったら本題を忘れそうになったので、何度も書き直すハメになったが仕方ない。ロングなメールはいつものことだ。
********************
光秀の謀反ゲージが(以下略)
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