159. お山のボスがやってきた

 城主の勝正が伊丹親興いたみちかおきと共に投降してきた。

 勝正と勝家の激戦はちょっとした見物だったらしい。

 もう本当に面倒なので、和田・池田・伊丹の三名を摂津守護に据える。一人だけ出自は異なるが、山城国に接する摂津国だからこそパイプ役は必要だ。青を通り越して真っ白になっていた惟政に同情してか、それなりに上手くやっているという。

 三好三人衆が阿波国まで退き、大和国内も落ち着きを取り戻した。

 だが、問題はそこじゃない。

「ふざけんなよ! 細川様も爆弾正も何考えてんだ。織田傘下に入れた覚えはねえし、お願いされた記憶もねえ。図々しいと厚顔無恥を百回書いて、出直して来いっ」

 そう叫んだら、本当に百回書いて送ってきた。

 二人とも掛け軸にしたくなる達筆で、文字の残念さに家臣のうきんどもが嘆いていた。せめて他のにしてくれたら皆で分け合ったのにと言われても、俺だって本気にすると思わなかったのだ。しかも言質を取ったとばかりに織田家臣を名乗りやがって、織田信長は名実ともに戦国大名の仲間入りですよ。

 どんだけハイスピードなんだ!?

「雑念」

「うぐっ」

 ビシィッと警策が振り下ろされて、体が揺れる。

 そこ、青痣があるところだからヤメテ。

 暴れた時にはそこを打たれて気絶したらしい。どんだけやねん。

 滲んだ涙を拭くことも許されない座禅は自分から言い出したことなので、文句も言えない。とはいっても体に馴染んだ習慣は恐ろしい。半日ほどの瞑想を終え、俺はすっかり落ち着きを取り戻していた。

 池田城の縁側に野郎二人で日向ぼっこ、今此処。

「茶が飲みたい。にっがいやつ」

「草の湯であるな」

「あー、それそれ。って何で知ってるんだよ、顕如」

「尾張国にて同胞がおるゆえ」

 宗吉みたいな口調で、宗吉を彷彿とさせる巨躯の男が本願寺顕如。

 ここから南にある大坂本願寺(石山本願寺のこと)の住職にして、一向宗こと真宗教団のボスだ。どう鍛えたら、巨大なマッチョボディを手に入れられるのだろう。もはやムキムキマンとは呼べない。僧衣でも十分に分かる筋肉量。

 容積が俺の二倍、といえばいいか。

 長政の姉ちゃんも巨人らしいが、戦国時代にも巨人がいたんだなあと思う。うちの側近たちもそこそこデカいが、全員が胴長短足という悲しい現実だけは伝えないでおこう。

 この時代の常識でも、現代の常識じゃないからな。

「それと草の湯じゃなくて、ハーブティーって言うんだぞ」

「はあぶちい」

 突然ですが、笑ってはいけない池田城。

 つるりと見事な剃髪頭の巨人(仁王風フェイス)が、神妙な様子で一言一句間違えないよう慎重に舌へ乗せる。笑うなという方が無茶だが、もう警策はいい。

 それはそうと、日本にもハーブは結構ある。

 紫蘇や山椒に三つ葉辺りが有名か。韮と茗荷は中国原産らしいが、すっかり日本で自生している。俺が言っているのはハーブティーというよりは、ドクダミ茶のことだ。煎じ方が悪いのか、非常に苦い。どれも薬として伝えられ、民間では食用として珍しくない。

 さて、どうして本願寺住職が池田城にいるかっていうと――。

「歩いてきたのである」

「いや、そうだろうよ」

 この時代に車や飛行機がないんだから当然だ。

 供の者はどうしたと聞いたら、置いてきたらしい。お前もか。

 正しくは、街道を爆走する住職の速さについていけずに脱落していった。行き先は分かっているので、そのうち追いつくであろうと真顔で言われて何を返せばいいんだ。

「脳筋か、脳筋なのか本願寺!?」

「のうきん、とは」

「脳味噌まで筋肉……いや、御坊(の鍛えぬいた筋肉)に失礼だったな。俺が言えた義理じゃないが、あんまり皆に心配かけるもんじゃないぞ」

「心配、心配か。拙僧の身を真に案じる者は、ごく少数よ」

 思わず意味を訊ねそうになり、咄嗟に飲み込んだ。

 そもそも俺たちが二人きりで話していること自体、稀有なことであると思い出した。うっかり畿内統一してしまったが、義輝なんぞを助けてしまった因果でここまで来ただけだ。織田信長が天下統一の一歩手前まで行っていたのだから、当然と言えば当然の流れだとは思う。

 さすがは存在がチートな織田信長。本気出すと言った途端、これである。

 畿内勢力の大半が織田へ従う意向を見せた今、もう後に引けない。

 細川様の思惑通り、義昭様と一蓮托生である。こうなったら将軍家を利用するだけ利用して、できるだけ穏便に幕府潰そう。九州、四国や中国地方の情勢も気になる。挨拶の文くらいはいける、はずだ。阿波に逃げた奴らの妄言を信じて攻めてこないでね?

 本願寺の顕如様が直接挨拶しに来るとは思わなかったがな!

 冷静になって考えてみれば、一向宗のボスとしては登場が遅いくらいかもしれない。一向宗のことを初めて知ったのは、戦に負けて長島に流れ着いた時だ。もうずいぶん昔のように思える。十郎、元気にしているかな。お前の幼馴染、奈江は元気だぞ。

 そういえば彼女が「もうすぐ挨拶に来るかも」って教えてくれたんだった。

 他にも色々言っていた気がする。やべえ、完全に忘れていた。

「なあ、顕如。もしかして一向宗は一枚岩じゃないのか?」

「左様。情けないことに、管理しきれておらぬ」

「浄土真宗の教えが分かりやすい、ってのもあるんだろうな。庶民層で爆発的に広まって、門徒を統括するのに真宗の寺と坊主が必要で……、ん?」

 俺は顔をしかめた。ものすごく嫌な予感がするぞ。

 隣の仁王像(吽形)をちらりと見た。

「おい、顕如」

「己の不徳の致すところよ。宗祖様に顔向けできぬ」

「ド阿呆、反省するのは猿でもできる。いや、ウチの猿ができるのは反省どころじゃねえが。それは横に置いといて、だ。勝手に広まっていったのは仕方ないだろ。信仰は自由だ。本山からまとめ役として、信頼できる奴を派遣できなかったのか?」

「派遣したとも」

 あ、察し。木乃伊取りが木乃伊になったんだな。

 苦々しい声に様々な感情を詰め込んで、ひどく重い。俺が今まさに悩んでいる問題でもあるから共感できるし、同情もする。首の後ろをがりがりと掻いた。

 金と権力は抗いがたい魅力があるって、昔からの常識だからなあ。

「坊主は経だけ読んでろよ。って言ったら、怒るか?」

「真宗教団は大きくなりすぎた、と言いたいのであろう。救いを求める手を無視することはできぬ。そして民が苦しむ一端は、其方らにある」

「耳が痛えな。だが組織の管理問題は別の話だぞ」

 一向宗のヤベエ噂の最たるものは加賀一向一揆だ。

 守護職不在のまま約100年、尾山御坊を中心として今や北陸地方全域に広がった。もはや農兵と侮るレベルを超えている。越後の軍神、上杉輝虎の親父も一向一揆に殺されたらしい。輝虎も近いうちに越中へ侵攻するだろうという話だ。

 一向一揆とは、一向宗による武力蜂起である。

 そして一向宗とは、浄土真宗(真宗教団)の中でも過激派と呼ばれる集団と考えていい。彼らが守護職を憎むのは、吉崎御坊に入った本願寺蓮如を越前から追い出したからだ。蓮如の熱烈な門徒ファンが急増しすぎて、このまま放っておくとヤベエと判断したらしい。

 京から宣教師たちが追い出されたのも同じ理由だ。

 参謀役に坊主をお招きするくせに、宗教が政治に影響してくるのを嫌う権力者は多い。俺は現代日本の感覚が残っているせいか、個人の信仰についてとやかく言うつもりはない。宗教問題はできるだけ触りたくない。神でも仏でも信じたいものを信じればいいのだ。

「俺は臨済宗の坊主に、学問を習った。貴様は真宗の坊主だ。宗派が違うからと態度を変えるつもりはねえが、坊主に関わるのは貴様で最後にしたい」

「忝し」

 顕如が深々と頭を下げる。

 同情はしない。こいつもある意味、大国の主だ。治めきれなかった尻拭いを他人にやらせようという他力本願な考え方は、全く以て受け入れがたい。それでも本願寺を味方に引き入れることができれば、多くの民が大人しくなる。

 というか、顕如と敵対した時点で織田領のあちこちで一揆発生だ。

 さて、本題に入ろうか。

「本願寺の顕如よ。信長に何を求める」

「平穏を」

「……ざっくりしてんな、オイ!」

「なに、織田殿が常々語っている夢と同じである」

 それを言われると弱い。

 皆が笑って暮らせる日々を守るのが、俺の夢だ。いつかそういう時代を作ってみせる、と爺に誓った。尾張美濃にいくつか増えたくらいで動揺するなと、爺に叱られそうだ。

「加賀に平穏を」

「な、なあ、浄土真宗って全国区だぞ? 坊官も各地に派遣したんだろ。腐ったのがどれくらいいるのか知らないが、全員が全員ダメだったわけじゃないだろ。石山の寺内町はすごいらしいな。人の出入りも多く、賑わっていると聞いたぞ」

 石山御坊、石山本願寺と名を変えた寺領は、今や堀と土塁に囲まれた城郭だ。

 顕如の説教を聞くために、全国から多くの門徒ファンが毎日押しかけているらしい。熱狂的過ぎて死者が出るレベルだというが、どこまで本当かは分からない。南無阿弥陀仏を唱えるだけで極楽浄土が約束されるというのに、わざわざ長話を聞きたいかねえ。

 人が集まれば金も集まる。物の流通が盛んになる。

 坊主はお経を唱えるだけが仕事じゃなくなる。人の輪が広がれば様々な思惑が絡み、俗な話も山のように降ってくる。

「顕如、公家の嫁さんもらったらしいな。武田や北条とも仲がいい」

 法敵であった細川晴元、六角承禎とも縁続きになった。

 本願寺の何代目だったかが妻帯解禁したので全く問題なかったが、俺が目指す政教分離とは真逆の動きだ。民から絶大な人気を集める顕如とは敵対すれば、たちまち悪評が広がるに違いない。織田信長は十年以上も本願寺と喧嘩したのだ。門徒からは相当憎まれていたと思う。

 そして俺、ノブナガ。尾張国内にめっちゃ本願寺門徒いる。

 一向宗支配が進んでいた長島出身の奈江が言うのだから信じていいと思う。家臣たちもかなりざわついていたが、一揆をおこす原因がそこかしこに潜んでいるのだ。一斉蜂起されたら尾張国がおわる。

 だから顕如と喧嘩したくない。平穏、大事。すごくだいじ。

「織田殿」

「俺以外にも頼れる奴いっぱいいるからさ。そいつらに話してみろよ。俺はほら、三好三人衆とやり合ってて忙し」

「織田殿、伏してお頼み申す」

 古式ゆかしきお願いスタイル。土下座。

 やめて! 門徒ファンが見たら発狂する!!

 俺は青くなって黒い小山きんにくぼうずを揺り動かそうとしたが、ビクともしない。梃子でも動きゃしねえ。是の一言を貰うまで反応する気ゼロだ。

 あ、そうだ! いいことを思いついた。

「金くれよ、顕如」

 その時、黒山が動いた。ちょっとだけ。

「畿内まるごと手に入れるつもりはないんだが、長きにわたる戦乱で荒れ放題だと聞いた。畿内の民は織田の民ではないから放っておく、というのも居心地が悪い。諸々の介入ついでに色々やろうと思ってるんだが。どうだ?」

「……民のためならば」

「んじゃ、矢銭で5000貫」

「…………」

「出せないとは言わせねえぞ。主要な街道を直して、川の流れを整えるだけでも相当な金が要るからな。人手もいるが、それはこっちで何とかする」

「すぐには、返事できぬ」

 黒山が仁王像に変形し、低く唸った。

 俺はそうだろうなと頷いておく。

 民に直接施せば、その日の空腹は満たせるだろう。だが流出した農民たちは戻ってこない。戦乱で荒れた土地は改めて耕さないと何も育たない。作物がなければ皆、飢える。開墾のためには道具と人間が必要で、それらを運んでくれるのが街道だ。

 水は人々の生活に直結する。物を運び、土地や人を潤し、時に猛威を振るう。

「安心しろ。金は吹っかけてみただけだ。というわけで、加賀は他の奴に」

「織田殿、お頼み申す」

「俺に軍神とやり合えってのか!?」

 上杉が越中平定すれば、次は加賀だ。

 一向宗と因縁ある上杉ならば、ごく自然な流れだと思う。甲斐の武田が大人しくしている今だからこそ、思いきったことをやりかねない。

 そもそも美濃国と加賀国は隣接していない。

 加賀の北は能登、西は越前がある。越前といえば朝倉家、我が義弟・浅井長政と縁が深い。長政が信長に逆らったのも、織田vs朝倉の構図にどっちの味方するんだっていう流れになったせいだ。朝倉義景は特にスゴイ話を聞かないので、あんまり警戒していなかった。

 しかし加賀と一向宗が絡んでくるなら、話は別だ。

 流れ次第では織田vs朝倉からの浅井参戦が現実となる。くそっ、だからお市を嫁がせたくなかったんだよ! 蒲生家そそのかして近江国を乗っ取らせるか? 当たり前のように鶴千代がお冬を要求してくる予感しかしない。却下だ。

「織田殿は戦わずして伊勢国、更には摂津国を落としたと聞いたのである」

「ああ、そっちかー!!」

「加賀の民は疲弊している。どうか彼らに、平穏を」

 死なば極楽、生くるは地獄。

 長島で散々聞いた言葉だ。顕如は加賀の民に死ねと、言うのだろうか。俺に彼らを殺せと言うのだろうか。いや、こいつが望んでいるのは違うことだ。

 伊勢国の話を引き合い出すということは、噂を聞いて突撃してきたわけか。

 事実と少々異なる内容について話すべきかどうか悩み、俺は――。

「織田殿」

「あー!! わかった、わかったよ! すぐには無理だが、上総介信長の名において約束するっ。加賀の民が飢えぬように尽力しよう」

「忝し」

 仁王像が、笑った。






********************

本願寺流圧迫面接



本願寺顕如...本願寺第十一世。諱は光佐。妻は三条公頼さんじょうきみより・三女の如春尼。

 一向一揆の掌握は先代から続く難題で、畿内の真宗本願寺派の浸透も積極的に行っている。ノブナガのことは早い段階から情報を得ており、どちらかといえば好意的な評価を持っていた。

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