154. 再上洛へ(1)

 出陣は雪解けを待たないことにした。

 子離れできていない俺を叱咤するかのように、子供たちが巣立っていったからだ。一人ぼっちになってしまったお冬は最近、よく空を見上げている。相変わらずぼうっとしている横顔が、兄姉よりも劣っているとは思えなかった。

 出立を早める旨は浅井・徳川両陣営にも通達している。

 将軍・足利義昭を奉じて進軍する俺たちに大義があって、幕府に従わない六角親子に非がある。この図式は年明け早々に、各地へ広まっていったようだ。もちろん誰の仕業かは明白。

 毎日のように飲み明かしている山科卿と慶次はともかく。

 重然と馬が合ったらしく、茶室にこもりきりの細川様も置いておいて。

 なんかもう当たり前みたいに岐阜城での生活を満喫している足利兄弟とか、研究が始まった美濃焼にご執心の松永弾正とか、早速側近たちと火花を散らしている光秀とか。

「過去最高の作戦が始まる前とは思えん……っ」

「父上、大変ね? 冬が、なでなでしてあげる」

 可愛い末娘がそう言うので、素直に座った。

 この時代には存在しない膝を抱える拗ねモード・体育座りである。本来の名称はどうだか知らないが、頭を垂れるだけで拗ねているように見えるのだから面白い。

 橙の着物が似合うお冬を見やった。

 思えば茶筅以下、奇妙丸の後に生まれた子供たちにどれだけのことをしてやれただろう。兄弟の中で第一子の写真が一番多いという、現代日本の俗説をふいに思い出した。一人っ子は当然として、子が増えていくうちに親の愛情も分散されていくのではないか。

 まとめて面倒を見る、とは個別の成長を妨げるのではないか。

 何故なら、お冬の良さを山科卿に指摘されるまで気付かなかった。奈江が涙を浮かべるほどに、俺も無意識の行動として出ていたかもしれない。子供たち全員へ平等に接するのは難しい。求めるものは一人ずつ違うからだ。

「あのね、父上」

「ん?」

「ごめんなさい」

 ぺこちゃんと頭を下げる娘に、俺は面食らう。

 すぐに顔を上げたお冬は何やら真剣な顔をしている。

 とてつもなく嫌な予感がした。過去に、こんな表情を見たことがある。そう、尾張国へ来たばかりの奈江だ。俺に会うため、危険を冒して身一つでやってきた。蜂須賀に会えなければ、どうなっていたか分からない。

「ずっと父上の傍にいたいけど、だめなの」

「お冬! いいんだ、お前までそんなことを考える必要はない。織田の娘だからって、他国へ嫁がなきゃいけないことなんかないんだ。どうしても結婚したいのなら、織田の家臣にしろ。な? 父が相応しい相手を探してやるから」

「だめなの」

 ゆっくりと首を振って、彼女は「ごめんなさい」と言った。

「冬にもできることがあるのよ。五徳ちゃんは三河に行く前、冬に言ったの。男ができることを女ができないっていう考え自体が納得いかない。わたしにはわたしのできることがあるはずなの、って」

「お五徳が、そんなことを」

「五徳ちゃんは、織田と徳川を仲良しにするの。市姉さまは、織田と浅井を仲良くするの。帰蝶母さまは、美濃を奇妙お兄ちゃんにあげたの。でもね……奈江母さまは、伊勢の生まれなのに何もできなかったって泣くの。じゃあ、冬は? 冬も何かしたい。何かできるはずなの! 父上に守られるだけじゃ、嫌なのっ」

 着物を掴んで涙を堪え、必死に訴える娘を前にして何も言えなかった。

 お五徳の名前は、初めて「意味」を考えて名付けた。前世では一人暮らしをしていたから、家事も自分でやらなければならない。掃除の方法をネットで調べていて、コンロについている冠型のアイテムが五徳だと知った。

 鉄輪かなわとも呼ばれるらしいが、五徳の方がいい。

 同じく支えるものとしてかなえを候補に入れたのは、俺だけの秘密だ。五つの徳が長女を支えるように、織田の娘として皆を支えられるように願いを込めた。まぎれもない本音であったが、子供たちには一人だけ贔屓にしているように思えるだろう。

 だから言わなかったし、言えなかった。

「お冬」

 冬に生まれた娘は、冬に巣立っていくというのだろうか。

「だから連れて行って!」

「……は?」

 抱きしめようと伸ばしかけた手が止まる。

 興奮してきたらしい彼女は、頬紅よりも赤い顔をして俺を睨みつけている。いや、本当に奈江にそっくりだなあなんて見惚れている場合じゃない。

「今、何っつった」

「ろっかくっていう人のところへ行く!」

「ダメだ!!」

「行くのっ」

「だーめーだ!!」

「いーくーのー!」

「ダメダメダメ、ダメに決まってんだろ。何考えてんだ。誰に吹き込まれたんだ。これから戦に行くんだぞ。人殺しに行くの。縁談をまとめるとか、和平交渉とかは一通り終わってからだって相場が決まってんだよ。そもそも六角氏は近江国の守護大名であって、近江は浅井にやるつもりだから、お市と長政に任せとけばいいんだよ!」

「じゃあ、あさくら」

「じゃあって何だ!?」

「越前国でしょう? まつとねねみたいに、市姉さまとお隣さんになるの」

 規模が全然違うっつの。

 俺は頭を抱えた。急に大人びたかと思えば、理論は完全に幼い子供のそれだ。武家屋敷が隣り合っているのと、国が隣り合っているのは言葉の表現しか合っていない。

 しかも厄介なことに、お冬は奈江の娘だ。

 言い出したら聞かないのは帰蝶や吉乃にも言えることだが、突発的な行動力は「猪女」と影口を叩かれるくらいに凄まじい。猪肉は美味いから、悪口にはならないな!

「ちちうえっ」

 だんだん舌足らずになってきた娘が、ぴょこぴょこ跳ねている。

 うん、可愛い。誰にもやれん。

 お市の前例があるから、成長とともに考えが変わる保証もない。不安になった俺は、とりあえずお冬を縛ることにした。そう、物理的に。


**********


 危機感をおぼえた俺は直属部隊を率いて、岐阜城を出発した。

 目指すは開戦前の和睦である。六角側の全面降伏である。そうしないと、お冬がついてくる。俺よりも年上の男に嫁ぐなんて問題外だし、現当主の義治は信包に近い年齢だ。側近たちをしてロリ婚と笑っていたが、年の差夫婦は恋愛結婚に限る。どうあっても政略結婚を避けられないのなら、せめて年が釣り合う方がいい。

 何故かついてきた義輝の提案で、佐和山城へ入る。

 五層の天守はさすがに見晴らしがいい。近江国が俺のモノになった気がする。

「三成に過ぎたるものが二つあり。……島左近と、佐和山の城」

「予言か? 筒井家に三成を名乗る者はおらぬぞ」

「そんなもんだ」

 後の家康が「過ぎたるもの」と称するだけはある。

 長政の居城である小谷城から琵琶湖沿いに南へ下っていくと、件の佐和山城がある。山を切り崩して段階的に広くした小牧山城と違って、山の形をそのまま利用しているようだ。琵琶湖からは険しい山肌が進路を阻み、平野部には深い堀が張り巡らされている。

 防御特化の城、といえるだろう。

 近江国を南北に分断する中間の位置だが、六角氏の支配域じゃなくてよかった。この城は攻めたくない。無駄に兵を消耗するだけだ。

 もう一つの「過ぎたるもの」島左近は大和国の武将・筒井順慶に仕えている。

 そう、大和国。松永弾正と絶賛交戦中。

 筒井家は「大和四家」と呼ばれる家柄で、大和国の守護を担う興福寺と並ぶくらいの権力があったようだ。そこへ松永弾正が攻め込んできて、長い時間をかけて主権を奪われていった。別にいいんだけどな。いくら昔の朝廷があった場所だからって、坊主が権力握ったままでいいとは思わない。

 松永弾正はまともな統治者だという評価を、俺は信じたい。

 岐阜城滞在中は、ただの趣味人だった。陶器にあれほど興味を示すとは思わなかったんだ。ものすごい真顔で、ものすごく長い講釈を延々聞かされた。今年は正月早々、疲れる話ばかりで嫌になる。

「蜂蜜のためだ。蜂蜜のため……」

 九州や琉球との貿易を急ぐ理由は、野菜苗だ。

 大名クラスと交渉しようものなら大金ふっかけられるか、種芋や苗以外ならと言われるに違いない。塩と同じだ。当たり前に存在しているものの価値を知ったら、まず高値を付ける。ただ同然のものを大枚はたいて買うものか。

 その辺のクズ芋でいいのだ。うちで品種改良するから。

 ファンタジーな国・尾張では、ときどき奇跡が起きる。戦や婚姻続きでも経済破綻を起こさずに済んでいるのは、頼もしい家臣たちのおかげだ。とても感謝している。だから俺を誘拐するのだけは止めてくれ。嫁と子作りしたいんだー!!

「そういえば、慶次」

「ん~?」

 デカい煙管をふかしながら、派手な青年が振り返る。

「それ、利家のだろ。また盗ってきたのか」

「人聞き悪ぃな。これは正真正銘、俺の。朱槍と同じ装丁にしてみたんだ」

「俺のと色違いじゃねえか」

「細かいことは気にすんなって」

 天守最上階には松千代と雨墨、そして慶次だけだ。

 元将軍にも物怖じしない度胸は感心するが、俺にも敬意を払わなくなったのは何故だろうな。理由を聞いたら暴れたくなるかもしれないから、聞かない方がいいか。

 個人的には漫画で知る慶次像に似てきて、チョット嬉しい。

 前田姓を名乗りながら前田の血を引いていない慶次は、本来の血筋である滝川一族とも特徴が異なる。おそらく父親似なのだろうが、利久の妻や、その妹も固く口を閉ざしたままだ。背が高くて肩幅広く、体格の良さから派手物がとても似合う。この時代はごつい丸顔が多い中で、面長の髭が薄い性質っぽい。

 要するに美青年なので、女に良くモテる。

 さすがに織田一族で見慣れた城女中たちは相手にしないが、城下町ではなかなかの人気者らしい。気さくな人柄が老若男女問わず好かれる。ってヤバい。俺の人徳が霞んできていないか!? うつけの殿様よりも傾奇者が人気になってどうするんだ。

「信長様よ。考え事もいいけど、いつ動くんだ?」

「既に使者は出している」

 返事待ちだと言えば、慶次が肩を竦めた。

「応じるかねえ」

「難しいところであろう」

「引っかかる言い方だな? 雨墨、何を知ってる」

「知っているも何も、六角承禎はあの三好長慶とやりあった男だぞ。そもそも承禎の正室は畠山氏だが、妹たちが細川(吉兆家)・若狭武田・北畠・土岐に嫁いでおる。右京――元管領・晴元のことだ――の正室は三条家の長女でな。その妹が承禎の義妹として本願寺顕如のところへ嫁いだのだ」

「どんだけ権力好きなんだよ」

「公家がー、と叫ばねえの?」

「慣れた」

 血筋だけは豪華だが、かつての権威はどれほどあるのか。

 土岐氏は既に本来の地位を追われ、北畠氏は織田家に臣従した。若狭国は大して噂を聞かないが、朝倉家の越前へ向かうには不可避の土地だ。そっちの武田氏のことも、少し情報を集めておくか。

 聞き捨てならないのは、本願寺顕如だ。

 近いうちに会いたいデースと言われている。恨み言か、恨み言なのか!? やっぱり一向宗とやり合わなきゃならないのか。ざっくり調べただけでも、尾張国に結構な人数が入り込んでいる。宗派にこだわらない俺の方針で、複数の宗派が混在している状況だ。

 喉元に刃を突きつけられているも同然。

 信広と信興たちが尾張国に留まっているのは、彼らを見張る意味もあった。尾張が獲られて、美濃が残っても仕方ない。海と川の利点を除いても、俺たちの故郷を奪われたくなかった。

「だからノンビリ上洛してる暇はねえ」

「……分かったか、慶次」

「理解しない方が吉ですよ、元公方様」

「余は公方ではない。雨墨だ」

「はいはい、くぼうぼく様」

「むむう」

 怒っていいんだぞ、義輝。

 今こそ、ブレイモノーって刀を出してもいいのよ? 襲撃を受けた時、御所に納められていた刀を片っ端から抜いては応戦していた義輝だ。俺に渡したのが敵方から奪ったものでよかった。たらふく血を吸った源氏の重宝なんか呪われていそうで嫌だ。

「城下町は大したことないな。観音寺城のお膝元はかなり凄かったが」

「相変わらず大胆なことをする」

「いや、新婚旅行の一環で。本当は京見物したかったんだが、今よりも損壊が酷かったかもしれないんだよなあ。観光向きじゃねえわ」

 奈良の都、大和国も同じことが言えた。

 うっかり戦火に巻き込まれようものなら、どうなっていたか分からない。奇妙丸以下、可愛い子供たちがいない世界なんて考えたくないぞ。

「とにかく! 町を活性化する政策がとれる奴は外聞がどうあれ、領民にとっていい統治者なんだよ。北畠だって何とかなって…………あ、思い出した」

「え? なんで俺を睨むの」

 きょとん顔をする慶次の胸ぐらをつかむ。

 ギャップ萌えとか認めんからな。なんでこんなのがモテるんだ。

「てめえがいらんことしやがるから、北畠の親父さんにめっちゃ睨まれたじゃねえか! 茶筅が苛められたら貴様のせいだぞ。灰被り王子になっていたら、その煙管を真っ二つにしてやるっ」

「一番手柄立てたら、好きなだけ食わせてやるって言われたからさあ」

「よし、分かった。今後は慶次以外って足しておく」

「なんてこった!?」

「二人は仲が良いのだな。三郎、余と仲良くしてみる気はないか?」

 元公方がうずうずしている。

 俺はすぐさま、あやしい動きをする手の射程外に逃げた。残念そうな顔をされても知るものか。奴に絞め落とされた恨みはまだ忘れていない。この恨み晴らさでオキマサヤー。

「殿! こちらでしたかっ」

「お? どうした、藤八郎」

 精悍さを増した利之の顔に、ちょっと驚く。

 母衣衆に入ってからは特に槍の鍛錬を欠かさないらしい。利家仕込みの槍術は騎馬以外で本領を発揮する。直属部隊こそ織田の精鋭という誇りがそうさせるのか、ノブナガ親衛隊と呼ばれるようになった彼らの鍛錬は地獄そのものだ。指導を担当するのは母衣衆の面子だというから、内容は推して知るべしである。

 口出しすると悪化しそうで、俺は見なかったことにした。

 赤と黒があまりにも仲悪すぎて、黄色か白を足そうと思っている。利之の小姓時代ビフォー馬廻衆アフターの今が(主に体格的な意味で)違いすぎて、なんだか涙が出てくる。

「何だと!?」

「どうした、雨墨」

「其方、聞いて……おらなんだな? 何を考えていた」

「いや別に」

 義輝のジト目から、そっと顔を逸らす。

 うむ、この癖はどうにかして直さねばならんか。いつでもどこでも思考の大海へ旅立って、その一端が声に出るせいで側近たちにはイチイチ細かく説明する手間が省けてラクなんだが。

「悪い、藤八郎。もう一度」

「あ、はい。南近江が降伏した、という報せが」

「はああぁ!?」

 素っ頓狂な叫びは木霊エコーとなって、佐和山に広がっていった。





**********

近江に進軍したら、相手がごめんなさいしてきた


慶次→初恋やぶれて見事に傾いた

雨墨→剣豪将軍第二の人生満喫中

利之→前田家の五男。利家(犬)の弟で、馬廻衆を経て赤母衣衆に所属

お冬→なんかよくわかんないけど、けっこんすればいいらしい!

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