153. 茶室漫才
城へ戻ってくるなり、俺は側近たちを集めた。
信純は当分帰ってこられないという。奴の意見を聞けないのは残念だが、今回ばかりはほぼ決まったことを確認するだけだ。とはいえ、岐阜城下の古寺を探すのもつまらない。
小牧山城まで往復していると、何事かと痛くない腹を探られる。
「だからといって、茶室を選ぶとは……つくづく、変わったことがお好きですな」
「茶の湯は武家の嗜みだ。何もおかしくはないだろ」
「確かに」
くすりと笑って道具に手を伸ばす男は、
流れるような手つきは不自然さを感じさせない。茶道なんか大嫌いだと公言している割に、作法がきっちりしていて面白い。亭主を頼んだ時には、それはもう苦虫を口一杯噛み潰したような顔をしていた。
後世には利休の弟子として伝わっている、はずだ。
これまでの経験上、俺が覚えている内容は大体合っていただけに不思議でならなかった。それもあって、固辞しようとする重然を茶室へ引っ張ってみる。当主命令だと一通りやってみせたら、見事なお手前だった。
「嫌がる人間に無理矢理させるとは、殿もお人が悪い」
「作法がどうのと横から口煩くされたくねえんだ。嫌いだと言いながら、あれこれ指図する奴もいるからな。お前はそういうタイプじゃないから合格だ」
「恐れ入ります」
飲みかけの抹茶を、片手でぐいと干す。
ふちを拭き取って戻せば、重然の苦笑いと目が合った。
作法がきっちりできているのに、作法を気にするなんてと言いたげだ。俺の仕草は公家仕込みである。というのは、最近知った新事実だ。
外で見張りをしていた小姓が、招待客の訪れを知らせた。
音もなく開けられた引き戸から窮屈そうに身を屈め、髭面の男が入ってくる。
「失礼。楽しそうな声が外まで聞こえておりましたぞ」
「おっ、半介が一番乗りか」
「久しぶりの密談と聞いて、馬を飛ばして参りました」
「密談じゃねえよ」
そして長秀、恒興に犬松猿も顔を見せる。
一列に並ぶのではなく、円を描くように座らせた。亭主役の重然だけが輪から外れているが、側近を集めた茶席という体を取り繕うだけなので何も問題はない。外で控えている小姓、松千代たちも聞かないふりだ。
「お前ら、老けたなあ」
「じろじろと眺めた挙句、何を言うかと思えば」
「信長様は相変わらないっすね!」
「殿は童顔じゃねえっ」
犬松の軽口に長秀が吠えるのも、こういう席でしか見られなくなった。
勝介が隠居したので、年齢的にも長秀が次の家老職と目されている。叔父たちの子も織田軍としてすっかり慣れたものの、序列を明確にする意図で津田姓を名乗るようになった。信広に待望の嫡男が生まれ、尾張国内でめでたい話がまた続くことになるだろう。
新しい命が生まれ、立派に育った子供が巣立っていく。
織田塾と呼ばれるようになった那古野城下の寺子屋で何人も見送っていたのに、血縁者になると判断を鈍らせるのはよくない。側近たちの顔を見て、親父と呼ばれる年頃になったのを実感してしまった。
奇妙丸はいつまで俺のことを「父上」と呼んでくれるだろうか。
「殿、そろそろ話を」
「おっと悪い。話っていうのは、俺の子供たちのことだ」
「若様のことですか?」
すぐに反応した成政に続いて、利家が難色を示す。
「まだ出てったばかりですし、連れ戻されるのは可哀想では……」
「テメエんとこは、慶次郎とかいう暴れん坊が好きなことしてるらしいな」
「あいつは! アイツにも何か考えがあるんだ、たぶん」
「内蔵助、それは言ってやるな。殿や又左の影響を受けただけでなく、自分らしさを追求するのは良いことであろう」
「半介は上手くやったよなあ。うちのも7歳だし、連れていってもらえばよかったぜ」
利家だけでなく、恒興や成政にも嫡男が生まれている。
それで秀吉の妻・ねねが酷く落ち込んでいるというのも聞いた。子が生まれていないのは木下家だけなのだ。秀吉の姉も結婚してから子が生まれるまで長かったし、帰蝶も第一子から間が空いている。そういうこともある、と慰めてられても世継ぎ問題は結構シビアだ。
信盛のように一族の長であるとか、長秀のように親の代から土地を持たないパターンもある。成政はなりゆきで家を継ぐことになり、恒興はそのまま織田家に仕える一族として池田家を統率していく考えらしい。
厄介なのは前田家で、利昌がようやく家督を譲ったまではいい。
だが、息子の利久がちょっと面倒くさい。出世街道まっしぐらの弟・利家に嫉妬しているようなのだ。このままでは前田家が二つに割れる、という危惧をおまつから聞いた。前田の末弟・利之からも同じ訴えを受けている。
全く考えることが山積みで困った、困った。
家臣任せに出来る案件も、報告書の類は全て目を通さなければならない。美濃や伊勢から新たな家臣が加わってくれたのに、仕事が減るどころか増える一方ってどういうことだ?!
「そんなわけで、息子たちを伊勢へやることにした」
「へ?」
「殿、また途中の説明がすっぽ抜けておりますぞ」
「伊勢の統治を任せられる奴がいねえんだよ! 美濃平定も完全に終わってねえのに新五と半兵衛が奇妙丸と旅に出ちまって、将軍が上洛上洛やかましいし、六角はそっぽ向きやがるし、三好が家臣同士で揉めてんのをこっちへ持ってくるし、朝倉はなしのつぶてだし、武田は上杉が大人しくなったのをいいことにアチコチちょっかいかけ始めたせいで、北条からも睨まれそうで怖いんだよ。手一杯だから、今川が何言ってきても家康に任す!!」
「は、はあ」
「家康殿といえば、嫡男が元服されたそうですな」
「ああ、お五徳様のお相手の」
びしっと茶碗に罅が入った。
同盟相手としての政略結婚である。お市の真似をして文通を始めたお五徳は、将来の夫となる相手のことを知ろうとしている。じつに健気なことだ。家康の息子でなければ、絶対に許さなかったんだが。
「……近いうちに、花嫁行列を出す」
「この時期にですか?」
「茶筅を北畠具教の娘と縁組し、北畠に婿入りさせる。んで、三七は具盛の娘と縁組して神戸姓を名乗らせる。国人衆の長野家に三十郎が婿入りした。伊勢は、この三人で治める」
「まあ、信包様なら何とかしてくださるでしょう。あれで殿にはない腹黒さもおありですからな。九鬼殿はこのことをご存じで?」
「大河内城を攻める前に話をした」
平気そうにしていたが、腹の内はどうだかな。
仇を討つも討たぬも、奴の自由だ。俺は負の連鎖の恐ろしさを知っているが、恨みを晴らすことが悪いことだと言わない。どこかで連鎖を止めるなら、誰かが恨みを飲み込まなければならないのだから。
茶筅丸は学問に強く、三七は武に長けている。
義兄になる具政と上手くやれるなら、北畠氏は存続していくだろう。ただなあ、信長の息子たちって長男以外は馬鹿だったと伝わっているんだよな。三七が宗吉譲りの脳筋馬鹿に育つとしても、茶筅丸が馬鹿になるとは思えない。伊勢国のことを考えると避けられない決断だ。信包の負担は大きくなるし、激やせ指導に長利も派遣するべきか。
家康は婚姻を催促してこないが、嫡男を元服させたのがいい証拠だ。
織田家との繋がりを強くしたい気持ちは、ちゃんと分かっている。お五徳の性格上、三河の皆さんを困らせやしないかという心配はあった。手綱を掴める侍女でもつけるか?
「あと、それからなー」
「殿、嫌そうに言わないでください。嫌な予感しかしません」
「うるせえよ、恒興。将軍様のご上洛応援隊として、織田軍出陣することにしたー。なんか六角氏が反抗的なんで、ついでに潰すことにしたー。でも織田軍主導だと後が面倒なんでー、長政が動くのを待ってからにするー」
「ああ、それでお五徳様の婚姻を行うと」
ギリギリギリ歯が軋む。
奥歯が砕けようとも、この怒りは収まらない。
「お市様が嫁いで間もないのに、寂しゅうなるのう」
「ン長政アアァ!!」
「うわああ、狭い部屋で暴れないでくださいよ!」
「ううっ、お労しい」
ホントに、マジで、裏切りなんかさせねえ。
恩を売って売って売りまくって、伊賀者使い倒して逐一情報探らせて、朝倉を何とかしてこっちの味方へつけてやる。そうすれば裏切りの芽を摘める、はずだ。遠藤以外に長政信奉者がどんだけいるのか知らないが、人の心だけはままならない。
不安の種は尽きない。
「ハイ、信長様」
「なんだ、犬」
「上洛するついでに六角攻めるっていうことは、岐阜から出陣する軍勢に将軍様もついてくるってことっすか?」
「将軍様が岐阜にいるわけねえだろ、この馬鹿犬が」
「俺を犬って呼んでいいのは、信長様だけだっつの!」
「いや、年明けから美濃におられますぞ。噂によると、南にある立政寺とやらに滞在しておられるとか」
「はああぁ!?」
声を揃えて叫んだ犬松は、長秀の拳骨で沈んだ。
しれっと極秘情報をもらした信盛は、一人優雅に茶を愉しんでいる。ちびちびと貧乏くさく椀を啜る秀吉とは違い、豪快に一飲みした。その後に小さな柑橘ピールを大事そうに摘まんで、幸せそうに咀嚼している。
隠れ甘党とは知らなかった。
「将軍がご同行されるのであれば、御輿が必要ですね」
「ああ、恒興に任せる。資金に関しては吉兵衛と相談してくれ。それから今まで以上の長期戦を覚悟してくれ。大和国の戦に介入することになった」
「三好とやり合うんすね!」
嬉しそうな利家はハリセンで凹ませておく。
「蜂蜜のためだ」
「しかし現在、大和国を統治しているのは松永弾正でござる。三好の内紛に首を突っ込むのなら、摂津辺りも関わることになりそうですな」
「畿内を何とかしろ、っていうお達しである。やけっぱちで返事したら信じてくれなくて、義昭様から御内書出されてた……」
「うわあ」
蜂蜜のためだ。
古式ゆかしき酒造りを知る機会でもあるし、大和茶とやらも興味がある。長益ほど茶の良さは分からんが、あの松永弾正が勧めるくらいだ。味は保証されている。特産品を問われて、すぐに三つ言える松永弾正は案外いい統治者なんだと思う。
「美味い酒があれば、越後の軍神も笑うかもしれん!」
「どんだけ怖いんですか、軍神」
「怖いだろ、軍神」
「軍神怖いっす」
上杉謙信の死因はアル中ともいわれる。
酒と味噌さえあれば十分とか、どんだけやねんとツッコミたい。実は女だった説なら果実酒なんか喜んでくれそうだが、集めてきた情報によれば髭のオッサン説が濃厚だ。同じ髭でも信玄には分けてやらん。エロ爺は塩を舐めてろ。
去年辺りから信玄からの文が届いていないのも、ちょっと気になる。
あの爺が病死したのはいつ頃だったか。
まさか、急にあちこちへ勢力を伸ばし始めたのは病気が原因じゃないだろうな。もしもそうなら、奇妙丸は大丈夫だと安心していられないかもしれない。
「伴!」
「いつも後ろに伴太郎」
反射的に棚ごと圧し切ってしまった。
はらりと落ちた黒い何かは見なかったことにしよう。
伊賀の下忍というわりには動きが全く読めない伴太郎は、腰をくねりと動かしてセクシーポーズ。斬りたいが、斬ると見たくないものを見るだろう。
「いい刀ですね。人呼んで圧し切長谷部」
「勝手に命名すんな! 虎のおっさんの最新情報探り当てるまで戻ってくんなっ」
「合点承知の助」
奴が消えた場所を睨み、ふうふうと肩で息をする。
いつでもどこでも気に入りの刀を持ち歩くようになったのは最近のことだ。うちの長男坊は何を考えたか、桶狭間記念の左文字を持ち出してしまったのである。国次でもいいだろうに、よりによって左文字を持っていくとか。
「そうだ。お五徳にも藤四郎を与えよう」
「相応しくない夫だったら、ブッスリやるんですか。それで」
「お五徳様ならやりかねんのう」
「外交問題になるわ! 笑えぬ冗談は止めいっ」
成政に秀吉が便乗して、また長秀の拳骨をくらっていた。
「畿内統一……殿なら、もしや」
「やめろ、半介。変なフラグを立てようとするな」
思えば将軍家と関わるきっかけも、信盛の一言から始まった。
家臣同士で揉めている今なら、三好氏を潰すことも不可能じゃないかもしれない。だが松永弾正は「義継様」を守ろうとするだろう。知らないうちに将軍も三好氏も代替わりしていて、覚えるのが面倒になってくる。
知らないと田舎者呼ばわりされるから、意地でも覚えるがな!
お五徳の婚儀は、一月のうちに行われた。
雪解けを待つという俺の言葉に、お市と同じようにしたいと訴えられたからだ。資金的にも時間的にも全く同じようにできなかったが、お五徳は懐刀の藤四郎を抱きしめて三河へ旅立った。花嫁行列に腰を抜かす家臣を前に、家康だけが財政事情を慮ってくださったのだと感激していたとか。
続いて二月、茶筅丸と三七の婚儀もそれぞれ盛大に執り行った。
妹に先を越されたのが不満だったらしく、俺に直接直談判してきたのだから仕方ない。ついていくことができない俺の代わりに吉乃と奈江に選択肢を与えたが、二人とも岐阜城に残ると言った。北畠の雪姫、神戸の鈴与姫はどちらもまだまだ幼い。婿だから、織田の子だからではなく、お互いを尊重し合って少しずつ絆を育んでいけと諭した。
ちなみに二人の息子には、親父殿の刀を与えている。
いずれ元服しても織田姓を名乗ることはないが、初陣する時は織田軍の将として加わるのだ。これからは自分の評価だけじゃなく、臣下や民の評価も大きく絡んでくる。俺が直接出向いて、具房と具盛に面倒をかけることを詫びておいた。
二人にはかなり恐縮されたが、親として当然のことだ。
史実のような馬鹿息子になるかどうかは今後にかかっている。詳しく知らないのが痛いとはいえ、知らないからこそ余計な先入観が混ざらなくていい。そう考えることにした。
********************
『五徳姫と岡崎三郎の祝言には特大鰻の蒲焼が供された。
子宝を願う徳川家康の心遣いに感動した姫は、すぐさま岐阜城の信長公へ文をしたためたという。信長公は涙を流して喜び、家康には約定通りに褒美を取らせると言い添えた。その褒美が一体何であったかは定かでないが、同盟関係がより堅固なものになったのは言うまでもない。』
(太田牛一)
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