【閑話】 うつけの娘

※今回は具盛視点です

いつもの説明回というよりも漫才に近いですが、読み飛ばしても問題ありません

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 神戸具盛は必死だった。

 必ず、かの極悪非道なる主君を除かなければならぬと決意した。具盛には政が分からぬ。具盛は城持ちの武将である。父と兄が死ななければ、寺で経を唱えるのが日常だった。けれども優れた人材に関しては、人一倍に敏感であった……。



 具盛は後に語る。

 兵に紛れていてもその御姿は一目で分かった、と。

 何かを探している様子で、キョロキョロと落ち着かない小姓――もとい、鎧に身を包んだ女童の元へ慌てて駆け寄った。艶やかな黒髪、赤い唇、透き通るような白い肌は多少汚したくらいでは誤魔化せない。何故誰も気づかないのかが不思議なくらいだ。

「冬姫様、どうしてこちらに!?」

「しーっ」

 唇に指を立てる仕草は「静かに」という意味か。

 激しく混乱しながらも頷けば、彼女は満足げに微笑んだ。

「ないすたいみんぐ。あなたは、だあれ?」

「か、神戸蔵人大夫と申します」

「うん、神戸さんちの蔵人ね! 伊勢国人衆なのに、どうして近江の大名に従っていたの? 北畠を裏切ったのに、説得しようとしたのはなぜ? 父上にいいところを見せたいから? 三七お兄ちゃんは頑張れそう? 体を動かしたいって逃げていないかなあ?」

「は、はあ」

 具盛は冷や汗が噴き出すのを感じた。

 答えにくい質問からそうでもない質問まで、矢継ぎ早に出されては答えられない。

 こうして話し込んでいるのを誰かに、それこそ信長に見つかろうものなら何を言われるか。身内に甘い信長は、敵対していた相手でも味方になった途端に優遇する。だが血縁者、それも妻子には特別過保護なのだ。

 織田家三男の三七を婿養子に迎えられたのは僥倖だった。

 信長の期待をひしひしと感じる。喜びと共に重荷もずっしりとのしかかり、信長の六角攻めにこれ幸いと出てきたのは否めない。冬姫は知らないようだが、かの三七は勉強ができなくはないどころではない。尾張国の教育水準はおかしい。

 幼い故しかるべき指導を頼むなどと、ひどい皮肉だとしか思えない。

 寺でも優秀だった具盛が三七に勝てるのは武芸くらいだ。乳兄弟で傳役の幸田彦右衛門が誇らしげにしていたのが印象に残る。

 目の前で瞳をキラキラさせているのは、その妹姫だ。

 扱いづらいと思った三七よりも、更に不可解な存在だと思う。それでいて、女でなければ主君として仰ぎたくなるくらいの器を感じた。いや、これは信長にも感じた底知れない引力だ。まるで自分が、あの黒目へ吸い込まれてしまうような恐ろしさに身が震える。

「蔵人?」

「あ、いえ、何でもありません」

「質問の答えは? だめなの?」

「それは、その」

 汗が、震えが止まらない。

 信長は腹芸が苦手と聞くが、嘘もあっさり見抜くという。親子ほども年の差がある娘に、ここまで怯えるのは信長の影が怖いからだ。かの御方は家族を大事にしているが、末姫を特に溺愛しているらしい。具盛の答えがそのまま信長に伝わり、信長の不興を買うのが怖いのだ。

 具盛は北畠を裏切り、六角も裏切り、織田についた。

 そこまでしたのに北畠現当主の具房の説得が間に合わず、信長の奇策によって城は落ちた。具房の父・具教は首を落とされるどころか、縄を解かれたという。どんな高度な取引があったのか分からないが、ともかく信長に許されたのである。具房の妹・雪姫と婚姻する形で、北畠家にも織田の血が入った。織田家次男である茶筅丸は、嫡男・奇妙丸に次ぐ利発な子だという。それに傳役についた小坂宗吉は、信長の信頼が厚い重臣。あわれ北畠家はこれから先、織田の色に染められていくのだろう。

 ところで信長には姫が二人いる。だが全くと言っていいほど情報がない。

 いや、信長自身が子供たちの守りを何よりも優先したからだ。子は宝。大事なものを隠そうとする心理くらいなら、愚かな具盛にも理解できる。それにしてもコテンと首を傾げたまま、大人しく待っている冬姫は一体何なのか。

 機嫌を損ねるでもなく、ただただ黒い瞳で見つめてくる。

「あのね」

「は、はい!」

「お城に行きたいの。蔵人、連れて行ってくれる?」

「……そ、れは」

「だめかな」

 しょんぼりと肩を落とす様子に、心がぎゅっと絞られた。

 拙い。この様子が誰かに見られ、信長に伝わったら神戸家が終わる。可哀想な娘の鈴与は三七との縁談が破棄され、傷物の誹りを受けるだろう。とても楽しい方なのですと、はにかみながら微笑んでいた笑顔が涙に暮れる。父上のせいだと呪う声まで聞こえてきた。

 神戸具盛はじつに想像力豊かな男であった。

「だめ?」

「ど、どの城へ? で、ござ、いまするか」

 緊張で喉が張りついて、上手く話せない。

 らしくないと己を叱咤しても、あちこちから監視されているような気がして落ち着かない。できるなら今すぐ逃げ出したい。そして一切を忘れ去りたい。彼女の記憶からも、跡形もなく抹消したい。何故名乗っただけで、国人衆と分かるのかが分からない。

 冬姫は男ではない、女なのに――。

「観音寺城」

「ファッ!?」

「あ、違った。蔵人なら、日野城の方がいいよね。兄弟の方が話しやすいし」

「お止めください、危険です」

 日野城主の蒲生賢秀は確かに、具盛の義兄にあたる。

 その縁組を以て六角家臣に鞍替えしたのだが、今の具盛は織田家臣だ。そこで彼女の言わんとするところを察した。信長が本格的に上洛による侵攻を始める前に、こうして少数で佐和山城まで来た理由も、直属部隊所属ではない具盛が無理を言ってついてきたのも同じ理由だ。

「姫様はこの城でお待ちください。私が行ってまいります」

「じゃあ、一緒に行く」

「いけません。私は元より、そのつもりで従軍を願い出ました。神戸の者は誰一人ついてきておりません。姫様をお守りするには手が足りないのです」

 何も知らない無知で無垢な姫、という考えは捨てた。

 冬姫は織田うつけの娘なのだ。

 具盛の常識で測ろうとしても無駄だ。さすがの信長とて、六角義治が和平に応じると信じきってはいまい。六角氏は三好三人衆に通じている。そして三人衆と交戦中の松永弾正は、将軍義昭を奉じる構えだ。表向きは和睦したように見えて、浅井と六角の小競り合いは続いている。

 ゆえに南近江を落とすなら、蒲生家なのである。

 観音寺騒動で六角義治が殺した重臣は、蒲生賢秀の舅だ。この騒動を迅速に収めた賢秀は大いに株を上げ、義治は分国法『六角氏式目』によって動きを制限された。つまり、今の南近江で最も発言権を持っているのは蒲生定秀・賢秀親子だ。

 武士なら、戦功を立てて恩義に報いるべきだと分かっている。

 だが具盛は誇れるほどの武芸を持ち合わせていない。戦わずに済むのなら、それに越したことはないのだ。織田軍には武勇に長けた者、知略に長けた者も多くいる。

 神戸家が生き残るには、今しかない。

 誰にもできないことをやってのけてこそ、信長の信頼を得られる。

「この命を賭けて、賢秀殿を降伏させてみせます。ですから姫様は」

「じゃあ、冬は従者の役ね」

「ひ、姫様!?」

「蔵人は魔法使いなの?」

「は? いいえ、違います」

 面食らいながら否定をすれば、彼女は楽しそうに笑った。

「魔法使いはね、どこでも好きなところに跳んでいけるの。お城の中もあっという間! だけど、蔵人は忍者じゃないでしょう? 本当に忍者だったとしたら、冬は嬉しいけど……。じゃなくてっ、忍者だったら曲者と間違えられて捕まっちゃうの」

「そうですね」

「お城の一番偉い人に会うなら、確実にそこまで行けないとだめなの。蔵人はそこまで考えているかもしれないけど。賢秀っていう人を降伏させても、蔵人が帰ってこなきゃだめなの」

「姫様」

「だから、冬が一緒に行くの。蔵人は三七お兄ちゃんの二人目の父上だから、守ってあげる」

 具盛は思わず膝を折っていた。

 本来なら、こんな子供の戯言を信じてはいけない。強く叱咤してでも、冬姫を思いとどまらせるべきだ。どうしても聞いてくれないなら、それこそ信長に訴える手段もあった。具盛が日野城から生還できる可能性は低い。

 山路辺りは絶対止めるだろうから、何も言わずに出てきた。

 新年の宴に参加するだけにしては長く滞在しすぎだ。そろそろ国へ戻れと催促が届いているかもしれない。鈴与はきちんと三七の妻として努めているだろうか。

 二人とも幼すぎて、心配は尽きない。

 それでも具盛は決めたのだ。死は怖くない。いかにして神戸の家を守るかが最も大事なのである。信長の不興を買わず、織田軍の将として恥じない功績を立て、神戸家を存続させる。

 そのために南近江を、蒲生を落とす。




「姫様も大概に頑固ですな」

「蔵人ほどじゃないもん」

 ぷくっと頬を膨らませる冬姫は、具盛の腕の中にいた。

 外套にすっぽり包まれて顔だけを出している。冷たい風に晒されて、赤くなった鼻や頬が痛々しいくらいだが、彼女は全く気に留めていない。冬の姫、とはよくいったものだ。

 あれから問答を繰り返し、二日かけて説き伏せられた。

 しかも切っ掛けは信長に「仲がいいな」と言われたせいである。冬姫が「仲良しなの」と腕を掴んできた時には、斬られると思った。家臣の助命嘆願をした時も激怒されたが、あんなものは序の口だ。

 信長は身内に甘い。特に妻子には蜂蜜より甘い。

 大河内城の戦いにて具房を陥落させた甘味はちみつは、たちまち織田領を駆け巡った。堺や津島には蜂蜜を買い求める客が押し寄せているという。将軍の上洛を助け、松永弾正の嘆願を請け負った背景には、大和国の蜂蜜が狙いだという噂もある。

 六角氏や三好三人衆には到底、理解できない話だろう。

 しかも驚くべきことに――。

「楽しそうだな。私も混ぜろ」

 白い息を吐く馬が寄ってくる。

 手綱を握るのは羽織の一枚も纏っていない平服姿の子供だ。折しも雪がちらついて、浅葱色の衣が輪郭をぼやけさせてしまう。見るからに寒そうな姿に冬姫は目を見開き、それからプイッと横を向いた。

「イヤ」

「なんだ、照れているのか? 可愛い奴め」

「お医者さんに診てもらった方がいいよ」

「おいしゃさん? なんだ、それは」

「お医者さんはお医者さん」

「ふむ」

 具盛は溜息を吐いた。

 説明しろという子供の視線に気付いているが、自分に答えられるわけもない。

 確かに一人では城内へ入るのも簡単なことではなかっただろう。城門から何度となく冬姫の機転に助けられた。弁舌には自信のある具盛も強行突破は致し方なしと覚悟したが、あっさりと奥へ通されてしまった。

 いや、蒲生賢秀は武士の誇りを重んじる人だ。

 単独で危険を冒してやってきた義弟を無下にすることはなかった。

 冬姫は従者になりきって前に出すぎることはなく、具盛を侮辱されたら自分のことのように怒った。それでいて子供という見た目を最大限に利用し、その日のうちに賢秀との面会を実現させてしまったのである。

 その手腕が、賢秀の息子の琴線に触れたらしい。

「蔵人」

「何でしょうか、鶴千代殿」

「織田尾張守殿は、どのような人かな。噂通りの大うつけか? それとも民が褒め称えるような慈悲深く、誰にでも分け隔てなく接する生き仏か?」

「ご自分の目で確かめてください。私の意見もまた、他人の評価にすぎません」

「うむ、一理あるな」

 鷹揚に頷いてみせた鶴千代は賢秀の三男で、蒲生家嫡男だ。

 どうしてこうなった、と具盛は頭を抱えた。

 六角氏に未来がないこと、織田軍は六角側の降伏を望んでいることなどを説いたが、賢秀は聞き入れなかった。それも当然だ。鉄砲の飛距離、威力を考えても城壁を破壊できない。誇張された伝聞と一笑に付す。実際に目の当たりにしなければ、具盛だって信じなかった。

 しかし信長は伊勢国を一息で平定した。これは事実である。

 それからどう話が転がったのか、鶴千代が人質になる話で決着していた。

 訳が分からない。とにかく冬姫が何かやらかしたのは間違いない。冬姫が織田の姫であることは知られてしまったから、身分を明かした上で交渉を持ち掛けたのだろう。問題は、鶴千代が冬姫をかなり気に入っているらしい点だ。

 何かと話しかけては無視、拒絶、反論と手厳しい。

 気位の高い女だと疎ましく思って会話を止めればいいものを。この鶴千代は、冬姫が冷たくすればするほど笑みを深くするのだ。どう考えても喜んでいるとしか思えない。

 そういう性癖なのだろうか。

「蔵人」

「何でしょうか、鶴千代殿」

「顔に出ている」

「そうですか。申し訳ありません」

「蔵人はなんにも悪くないよ?」

「姫は優しいな。その優しさを、私にも少し分けてくれぬか」

「絶対、嫌」

 終わりそうもない会話に、そっと息を吐く。

 佐和山城へ向かう道のりが、こんなに長いものだとは思わなかった。





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六角攻めに参加するはずが、何故か蒲生落としに参加していた件



蒲生氏郷がもううじさと...幼名は鶴千代。通称は忠三郎。

 日野城主・賢秀の三男として生まれたが、嫡男として育てられる。猛将と名高い父によく似た剛毅な性格で、誰にも物怖じしない態度が不遜とみられることも。女だてらに敵地へ乗り込み、賢秀を論破した冬姫を気に入って「自分が人質になる」と言い出した。

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