149. 暴走する意思

 北畠家を攻めるにあたって、嘉隆に確認することがあった。

 ここから先は陸地での戦いだ。事前に話し合っていたように国へ戻ってもらう旨を伝えると、日に焼けた顔を心配そうに陰らせた。

「本当にいいのか? 俺たちだけ先に帰っても」

「ああ。それと、一言謝っておく」

「何だ? 改まって」

「兄貴の仇なのは分かっているが、具教・具房親子は殺さない」

「ああ、そんな顔すんなよ! 大将なら、そう言うと思っていた。俺たちが負けたのは、俺たちが弱かったからだ。それに志摩国を追われたから、大将に出会えたと思えば……よ」

「すまん」

「だァから謝んなっつの」

 何故か小突かれたので、殴り返す。

 しばし拳で語り合ってから嘉隆と別れ、俺は神戸城に戻った。

 既に出陣の準備が整い、号令を今か今かと待っている。その中に神戸具盛の姿を見つけた。旗印を見る限り、神戸氏の家臣も揃っているようだ。

「蔵人!」

「ああ、信長様。水軍の打ち合わせは終わったのですね」

「船がでかすぎるから、国へ帰ることになった。まだ試運転段階だからな。これから調整して、長い航海にも耐えられるようにしなきゃならん」

「え?」

「アレにどれだけ金がかかったと思ってるんだ。元を取らなきゃ大損だろ」

「あっ。そ、そうですね」

 どいつもこいつも戦のことばかり考えやがる。

 俺は戦いたくなんかないが、子供たちのためにやれることをやっておきたいのだ。歴史通りに進めたいからって、後継に秀吉を指名したところでモメるのは分かりきっている。奇妙丸が戻ってくるまでに、ある程度の足場を固めておきたい。

 にわかに周囲がざわついて、馬に乗った信包が近づいてくる。

「兄上!」

「嬉しそうだな、三十郎」

「当たり前じゃないですか。久しぶりの出陣ですよ」

「浮かれすぎて、兜を忘れる勢いでした」

「九郎、それは黙っていてくれと言ったのに」

「知りませんよ。私たちが急に嫁をとることになったのも、三十郎兄上のせいじゃないですか。命を助ける代わりに嫁として迎える、なんて普通にあくどいですよね」

 今回限り、信包の馬廻を信治がやるようだ。

 上と下で仲良く喧嘩している。うむ、微笑ましいなあ。

「お嫁さん欲しくなかったの?」

「私にはまだ早いと思っていたんです。……いらなかった、わけじゃ」

「ふふ、九郎はかわいいなあ」

「止めてください。三郎兄上の前で!」

 顔を真っ赤にして怒りだしたので、そろそろ助け舟を出すか。

 伊勢国人衆の一つだった長野家は、北畠具教によって直系男子が暗殺されている。具教の息子・具藤が養子となって家督を継ぎ、一人娘は自分も殺されるかもしれないと思って逃げ出したらしい。

 武家の姫だからって、女の一人旅は大変だ。

 道中で盗賊に襲われてあわや、というところで信包が助けに入る。感謝した姫は、白馬の王子様である信包の嫁になったのでした。めでたし、めでたし。

「どう考えても無理があるでしょう! どうして伊勢にいたんですかっ」

「ん? 開発用の素材集めに、ちょっと遠出を」

 何ということだ、ここにも研究肌がいた。

 そういえば、長康の凝り性に感心していたもんな。那古野城に残りたがるくせに城主は信広のままで不思議に思っていたが、趣味に没頭したかっただけとか。

 羨ましすぎるぞ、信包。

 だが俺に何かあった時、織田家を率いる役目を忘れないでほしい。とても大事なことなのだが、この話をきちんとできた試しがない。

「親世代がやらかしたこととはいえ、家督を継いだ具藤殿にも責はありますからね。姫を救った恩を売るついでに、織田方へ寝返るように説得していたんです。想定よりも早く神戸城を落としてくださったので、とても助かりました」

「お、おう」

「こちらに来る時、長野家にも出陣用意を促しています。北畠氏と組んで織田軍を攻めるつもりならば、具藤の首を刎ねるだけです。まあ、私はそのための処刑人ですね」

「さらっと怖いことを言うな、さらっと!」

「愛しい姫の仇でもあるんですから、遠慮はしませんよ」

 あ、これは駄目だ。俺はそう思った。

 信包はこうと決めたら、絶対に曲げない頑固者なのだ。信治も諦め顔で溜息を吐いているし、馬廻をかって出た理由もだいたい分かった。

「伊勢の国人衆が全て、こちらに降ったわけじゃない。決めちまったんなら止めはしないが、妙な波風が立たないようにしろよ? 一応、一個中隊の指揮権は預けておく」

「ありがとうございます」

 離れていく信包と入れ替わりに、信純がやってきた。

「いいの? あんなこと言っちゃって」

「三十郎はやると言ったら、必ずやり通す男だ。長野軍が離反する可能性は低いと考えているんだろう。それよりも投石衆の準備は整ったのか?」

「うん、おかげさまで。田畑の石拾いをしてくれた、って感謝されたのが心苦しいくらいだよ。三郎殿がゆっくり時間をとってくれたから、大筒隊も動かせるようになった。戦略に幅ができるのはありがたいね」

「よし。……出陣するぞ!!」

 俺たちは神戸城を出て、南へ進路をとった。

 途中の城や砦を攻略しつつ、北畠氏の居城である大河内城を目指す。

 粥パワーで元気モリモリになった織田軍の勢いは凄まじく、赤目の巨大甲殻虫の津波さながらの惨状を残しながら快進撃を続けた。恐怖に震えあがった伊勢国人衆が次々と従属を願い出て、そのまま軍勢との合流を受け入れる。岐阜を出た時には数万の軍勢だったのが、いつしか五万程度にまで膨れ上がった。大軍になればなるほど進軍速度は落ちていく。荷駄隊や大筒隊はどうしても遅れがちになるため、日数を多めに計算しておいて正解だったと信純は笑う。

「カラフルだな」

「旗が色々あるっていうこと?」

「うむ」

 かつてない規模に、隅々まで指示が行き渡るのか心配になる。

 織田軍の統率は言うまでもないが、昨日今日加わったばかりの国人衆に同じことをやれというのは酷だろう。具盛を呼び、国人衆の取りまとめを頼む。

「そのような大役、私でよろしいのでしょうか?」

「貴様以外に誰がいる」

「……分かりました。信長様の期待に応えてみせます」

 緊張した面持ちで駆けていく背を見やり、ほっと息を吐く。

 北畠氏に縁があって、六角家臣でもある具盛は非常に微妙な立場だ。そして北畠・六角両家に共通しているのは隠居した先代が権力を握っていること、現当主が「凡庸の評価」を受けていることの二つだ。親子で仲良くやれよと思わなくもないが、攻める側からは隙を見せているようなものである。

 少しずつ大河内城が近づいてきた。

 今日はどこに陣を張ろうかと考えていた矢先、伝令が走ってきた。

木造城こづくりじょうから、ご使者が来ております! 殿に面会を、と」

「子作り?」

「木造城主の左近衛中将様は、権中納言様の弟です」

 長秀の説明にゲンナリする。

 また公家かよ、とぼやいてもいいですか? 北畠氏がどんだけ偉いのか知らないが、いちいち官名に反応するなっていうことか。今のうちに慣れろってか。いや、無理。武家が適当に名乗っているナントカ守、ナントカ介とは比べ物にならない本物の官位だ。

 敬語、敬語と口の中で何度も呟く。

 実はやればできる子、ノブナガ様だよ!

源浄院主玄げんじょういんしゅげんでございます」

柘植三郎左衛門保重つげさぶろうざえもんやすしげにござる」

 坊主と武士のセットは今の流行か?

 お公家様が来ると思って身構えていたのに、一益に先導されてやってきたのは守護大名の血族でも何でもない二人組だった。木造左近衛中将に仕える者だという説明を受け、やっと納得する。家臣が主命を受けて、使者の役目を担うことは珍しくない。

「織田尾張守信長である」

「急な申し出を快く受けていただき、感謝申し上げます」

「申し出、とな?」

「我が主は織田方に降りたいと仰せです。どうぞ、そのご恩情を以て受け入れてくださいませ」

「どうか、どうか伏してお願い申し上げます」

 木造城の近くに陣を張り、そこで使者との対面を許した。

 地面に這いつくばって願う二人を冷ややかに見下す。確かに急なことではあったが、降伏勧告を出す前に、自分から来てくれるのは手間が省けていい。

 信純をはじめとする家臣団の視線を感じながら、俺は静かに息を吐いた。

「兄を裏切るのか」

「そ、それは」

「……妻子は人質」

「滝川殿!」

 ああ、本当に嫌になる。

 血は繋がっていても、人質を出さないと信じられないってか。氏姓が変われば他人も同然っていうことかよ。本当に嫌な話だ。反吐が出る。

 一益がここにいて、動く気配がない。

 既に救出されているか、あるいは手遅れなのか。堂洞城を攻める前にも、同じようなことがあった。あの時は間に合ったが、今回は――。

「一益」

「はっ」

「任せる」

「の、信長殿!?」

「お待ちください! どうか、どうかっ」

 必死に縋る声を背に、俺は天幕を出た。

 以前のように暴れられる深い森はなく、見渡す限りの軍勢がひしめいている。ふいに「四面楚歌」という単語が浮かんだ。あれは敵側の楚国の歌が聞こえてきて、自分は孤立無援になったのだと悟った故事だ。

 今の俺にとって「敵」は何だろう。

 歴史か、沢彦か、それとも北畠親子か。

 こんな時は、無性に帰蝶の顔が見たくなる。気持ちが沈んでいる時に彼女の涼やかな声を聞くと、たちまち心が軽くなるのだ。奇妙丸の出奔のことで責めるなんて、悪いことをしてしまった。帰蝶は過去の経験から、息子の行動を黙認しただけだ。

 一人で悩んだり、苦しんだりもしただろう。

 皆がいたから、無理をして平静に振舞っていたんじゃないか。

 後から後から悪い想像ばかり浮かんできて、俺は立ち上がれなくなった。文句を言えた義理じゃないが、どうして家族を大事にできない奴が多いんだ。どうして互いを信じられないんだ。どうして、どうして、この世はこんなにも残酷にできているんだ。

「……又六郎、いるか?」

「うん、ごめん」

「何故謝る」

「一人にしてあげるべきなんだろうけど、敵地だからね」

「織田領にすればいいんだろう? 大河内城はすぐそこだ。他の城に構うな。どうせ籠城して徹底抗戦する覚悟だろうが、その心をへし折ってやる」

 心の奥底にいる獣が、うっそり笑う。

 殺せ、壊せ、蹂躙せよと騒ぐ。

「殺さねえよ」

 嘉隆と約束したのだ。

 北畠親子を手にかけるとしたら、嘉隆にその権利がある。

 ギリギリのところで俺は踏み留まり、天幕へ戻るために足を動かした。命乞いをしにきた二人がいなくなっている代わりに、唇を引き結んだ具盛が立っている。机には地図が広げられ、いつもの道具が用意してあった。

「大河内城を包囲する。鼠一匹逃さない、密度の高いものを作れ」

「北畠は籠城すると?」

「十中八九、そうなる」

 だから弟が降伏してきたのだ。

 決死の覚悟をした者に、命の価値など説いても無駄。全ては無価値。生きて功を立てようなどと思っちゃいない。織田軍に少しでも大きな傷跡を残してやろうと考えている。

 くだらない、実にくだらない考えだ。

「戦わずして死んでいるような奴らに、まともな戦など不要」

「包囲したら、大筒隊を用意させよう。抱え筒も小坂隊が扱えるよ」

 信純の提案に頷く。

「弓隊に火矢を、投石衆に油玉を装備させろ。できるだけ近づいて、燃やせ」

「……ッ!! 具房殿なら、具房殿なら和平に応じるかもしれません。おそれながら信長様、私に使者の役目をお申し付けください。必ず、北畠を降伏させてみせます!」

「具盛殿」

「安心しろ、奴らを殺さない。人質は、死ぬだろうがな」

「兵もたくさん死ぬことになります」

「それが戦だ」

「兄上!!」

 悲鳴のような声に、ゆっくりと顔を上げた。

 別働隊を率いているはずの信包がそこにいる。肩で息をしているのは、ここまで走ってきたからだろうか。髪や服装が乱れているのは、何かあったからではないのか。

 無事なのは見れば分かる。怪我は、してなさそうだ。

「どうした、三十郎」

 安堵する俺の心とは別に、地を這うような声が出た。

「何故、ここにいる」

「兄上こそ、何を考えておられるのですか」

「決まっているだろう? 伊勢を平定するのだ。国司を倒せば、伊勢は織田領となる。今の将軍家は味方となる者が少ない。俺が少しでも増やしてやらねば」

「将軍のために、戦をするのですか!?」

「三十郎?」

「そうじゃないでしょう。傷ついた誰かのために戦うのは、権力や憎しみのためじゃない。兄上が戦うのは、他ならぬ兄上がそうしたいからでしょう!?」

 瞬きをした。

 二度、三度と瞼を開閉して、視界をクリアにする。何度瞬いても、見えているものは変わらなかった。かつてより老けた者、新しく加わった者、大人へ成長していった者、それらが織田軍として集っている。その中心に、俺は立っている。

 俺は誰だ? 俺は、ノブナガ。アイアム、信長。

「…………俺は、戦なんか嫌いだ」

「知っています」

「人が死ぬのは嫌いだ。一族同士で戦うのが嫌いだ。騙し騙され殺されるのはもっと嫌だ。殺すのも嫌だ。この世のあらゆる不条理と殺生のシステムを心底憎む」

「知っています。だから兄上は」

「だから俺は」

「戦う」

 何人かの声が揃って、思わず笑う。

 自分の頭を掻く代わりに、信包の頭を軽く叩いた。

 力なんか込めていないのに「痛いですよ」と頬を膨らませる弟が、今は遠い子供時代を思い出させる。生きるために殺し、生きるために育て、生きるために考えた。

 親父殿や平手の爺が生きていた頃は、それだけでよかった。

「具盛」

「……っ、はい!!」

「二日だ。それ以上は待たん」

「お任せくださいっ。具房殿を必ずや、御前に連れてまいります」

「又六郎、補佐を」

「仕方ないなあ。任されてあげるよ」

「内蔵助、五郎左は手筈通りに包囲を開始せよ。ゆるく、な」

「了解しました」

「包囲後は命令があるまで動かぬよう、徹底させます」

「うむ。各自、最善を尽くせ。以上」

 具盛を先頭に皆が出ていき、俺は崩れるように椅子へ座った。

 目を閉じると真っ暗なのが恐ろしくて、慌てて見開く。両手が小刻みに震えているのが可笑しくてたまらない。絶対に出さないと思っていた獣に一時でも自由を許すなど、あってはならないことだった。

「爺との約束を、破るところだった」

 どうにも人質や家族の話になると、理性が飛びやすくなる。

 一度も会ったことのない相手にまで反応するのだから、今後も同じようなことが起きるかもしれない。何らかの対策が必要だった。俺が俺であり続けるために。

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