148. キレやすい大人
永禄10年(1567年)11月、俺たちは岐阜城を出発した。
義秋様の還俗が認められて、15代征夷大将軍・足利義昭として全国へ号令をかけたからだ。松永弾正の後押しには驚いたが、上洛命令に応じない諸大名のリストは予想通りだった。俺はもちろん上洛するために城を出たのだ。
少し寄り道しても構わんのだろう?
目指すは北伊勢・神戸城。
陸路を回り込む織田本隊と、海路を進む九鬼水軍の二面作戦で早期決戦を狙う構えだ。神戸氏には山路弾正忠という重臣がいる。伊勢高岡城にこもってくれるなら、その前を素通りしていく手も考えた。
余計な戦を重ねたくないスタンスは変えない。変わらない。
「殿……、具盛は和平に応じるでしょうか」
「応じなかったら、攻め落とすしかないだろ。まあ、その後のことを考えると降ってくれた方が楽なんだがな」
六角攻めについて長政に通達したら、何故か感極まった返事が届いた。
近江統一は自分でやれと言っておきながら俺が手を貸す形になったため、長政のおかしな勘違いがこじれまくっている。お市に申し訳ないと思わないのか、奴は。新婚早々出撃させるのが俺の流儀になりつつあるのも納得いかない。
側近たちは逆だと言い張るが、俺は新妻とイチャイチャしたい。
ムキムキマンな俺だったら親父殿の一撃にも耐え、あまーい初夜を過ごせ……ない。そういえば婚儀に大遅刻した挙句、帰蝶から怒りの盃2連発もらったんだった。
俺が黙り込んだので、恒盛が馬を寄せてくる。
「いかがなされましたか」
「面倒くさい」
「は?」
伊勢茶の価値を説いて、渋る貞勝に金を出してもらったのだ。
短期決戦を狙っても長期間に渡ることもあり、花嫁行列にかかった費用がとんでもない数値を出してしまったせいで貞勝の機嫌がすこぶる悪い。今年の収穫がそこそこだったので、多少は無理もしてもいい許可を得た。
貞勝の「多少」は許可に含まれない。
つまり勝手にしてください、ということだ。
ダメだと言っても俺は聞かないし、勘定方が許可を与えたとなったら金が欲しい家臣どもが騒ぐ。織田家臣団が堅固な団結力を発揮するのは戦に限る。俺が勢いに乗っているから、皆が従っているだけだ。
今の織田家はそう意味で、非常にあやうい。
戦の勝利は最低条件であり、それ以上の結果を出さなければならなかった。そのために悠長なことはしていられない。
「アレを使うぞ」
「またですか!?」
「やかましい。さっさと伝令を出せ。上陸する前に何発か食らわせてやれ」
「もう海に出ていますよ」
「泳げ。得意だろ?」
「……二の丸で、何かあったのかのう」
「シッ、黙っとけ」
猿と犬が何やら騒いでいるが、俺は放っておいた。
我ら織田軍にとって最前線へ蹴り出されるのはご褒美である。死ぬかもしれないなんていう可能性は端から思慮の外だ。鉄砲玉だろうが矢だろうが関係ない。敵の首を刈り、それを持ち帰るだけの簡単なお仕事である。
刈られる方はたまったもんじゃないが、戦はそういうものだ。
俺は首実検用の捕虜を横に置いて、次から次へと持ち込まれるソレらとご対面するのが嫌で前線に飛び出していく。ソレだけをひたすら眺めるよりは、胴体にくっついている方がマシだ。俺を守るために皆が奮戦してくれるので、戦が早く終わる。
いいことづくめだろ、なあ?
「砲撃よーい!! ……放て!」
海からも陸からもズゴーンズゴーンと音がする。
新型大砲の試し打ちに落としたのは楠城というらしい。投降してきたおっさんは十郎の親父とかいうオチじゃないよな。十郎は長島屋敷にいると聞いているし、参戦していないなら何でもいい。将来有望な若者を怪我させたくない。
「報告っ。高岡城は門を閉じたままです!」
「よし、
「ははっ」
後ろから襲われたら怖いので、長秀隊を置いていく。
三方が原では城から出てきた徳川軍を、反転した武田軍が待ち構えていた。敵の背後をつくやり方は武士の風上にもおけぬ、とか言いそうなのに戦術としては合っているらしい。軍勢を分けるリスクは折り込み済みだ。神戸氏は所詮、伊勢国人衆の一つにすぎない。
こっちは二国を治める守護大名だ、ひかえおろー!!
「ははあっ」
土に手をつき、平伏する若武者が一人。
こっち側には呆れ顔の織田家臣団がずらりと並ぶ。
「声に出ていたか?」
「それなりに」
「あー、ごほんっ…………貴様が神戸具盛か」
「いかにも、私が
「若いな」
「兄が急逝しまして、仏門に入っていた私が7代目となりました」
お前も還俗組かよ。
三十手前の男をマジマジと見つめる。
家督争いを避けるため、次男以降の男児を寺へ預けるケースは珍しくない。坊主を殺すのは外聞が悪いので、生存率を上げる目的もある。更には寺で学問を学んだり、体を鍛えたりして十分な教育も受けられる、と一石二鳥どころじゃないメリットがあるのだ。
「そりゃあ近隣諸国とやり合っても負けないわけだ」
「いいえ、上総介様には負けましたよ。完敗です」
「せめて一戦交えようとは思わなかったのか?」
「いいえ。迫る織田軍に無一文字の旗印を見つけた時、敗北を悟りました」
え、それだけ? と首を傾げる俺を見て、具盛は儚げに微笑む。
「城に大穴を空けられるか、城内を火の海にされることを考えれば降伏を選びます。その代わり、この首一つで収めてくださいますようお願い申し上げます」
「…………」
「…………」
「と、殿?」
お前もかよ。そうかそうか、お前もなのか。
俺は口の端が上がっていって、笑顔になるのを自覚した。反比例して周囲の様子が、だんだん切羽詰まったものになっていくのも分かった。こういう時に定番の効果音が聞こえてこないんだが、どうしたんだろうなあ。おかしいなあ。
「ふっざけんなコラアアアァ!! 死んだ方がマシって顔にしてやんぞオラアアァ!」
「落ち着いてください、兄上っ」
「おい、この馬鹿殿を止めろ! 腰のものを抜かせるなっ。ばっか、ちげえよ。刀じゃない方だ。早くしろおっ」
「は、はいっ」
「だらあああぁ!」
獣じみた怒号が鳴り響く。
俺は成政以下織田家臣団総出で羽交い絞めにされ、ハリセンや二丁拳銃も全て奪い取られ、鈍器として使おうとした兜や旗印まで遠ざけられ、ついでに具足諸共むしられるという誰にも聞かせられない醜態をさらすことになった。
**********
城主の降伏によって、神戸城は織田軍のものになった。
一日遅れで伊勢高岡城も落城し、神戸家臣・山路弾正忠が投降してきた。てっきり殺されるものだと思っていた具盛自ら説得しにきたので、あっさり折れてくれたようだ。今後は織田家に忠誠を捧げる、という誓いも受けた。
まともな戦をしていないので負傷者も少ない。
俺個人としては非常に歓迎すべきことなのだが、戦えなかった織田の将兵たちは不満たらたらだ。フラストレーションを発散させる目的で、炊き出しを行うことにした。廃寺の鐘を溶かして大鍋をいくつか作り、粥と味噌田楽を振舞ったのだ。
匂いにつられて集まってきた者にも、身分問わず分け与えた。
こういうのは大勢で楽しむのが一番美味い。
「あー、あったまる。寒い日にはこれだよなあ」
日本酒もいいが、ビールが欲しい。
中世ヨーロッパでは麦酒が造られていたはずだ。宣教師がそれを知らないはずはなく、俺は三好家に逆恨みにも似た怨念を抱く。知識チートできる転生者なら、とっくに国産ガラスでビールジョッキを作ってキンキンに冷えたビールで乾杯しているだろうに。
おのれ、三好三人衆……っ。許すまじ!
「成程。そのように睨みつけ、田楽を食すのが作法なのですな」
「え、あ、いや」
「左様。つける味噌は多すぎず、少なすぎず、が極意でござる」
違うんだよと俺が言う前に、あちこちで鍋を睨む輩が増殖した。
ちなみに野菜を煮込む料理はもともとあったのだが、おでんの誕生はもっと後の時代だったらしい。味噌田楽すら知らないと言われ、思わず卒倒しそうになった。
おでんは、冬の風物詩だろう!?
とはいっても大根だけでは、ふろふき大根しかできない。時間があれば魚の練り物や獣肉を足すこともできるが、鷹狩に興じるほど呑気でもない。伊勢の味噌にも興味があったので、味の食べ比べを兼ねた味噌田楽祭が始まった。
そこに何故か、那古野にいるはずの弟が混ざっている。
「さすがです、兄上。これなら痩せた野菜でも、美味しく食べられますね」
「三十郎。普通に参加しているが、研究はどうした」
「完成しました」
はふはふ、と熱くて厚い大根をほおばりながら信包が言う。
尾張にいるはずの弟が到着した時、俺たちは総出で畑を漁っていた。
食べ物が土の中にあるのなら、それを求めて掘り返すしかないのである。余った葉の部分は細かく刻んで、粥に混ぜた。運良く卵を抱えている鳥を発見したので、これも投下。味付けは味噌だけだが、米と味噌の相性は完璧だ。干飯がほろほろ崩れて粥になっていく頃には、鍋を取り囲むあやしい集団があちこちに生まれていた。
食中毒? ゆで卵にして食べたら、普通に卵だったから大丈夫だろ。
腹を壊すなら一蓮托生。粗食で鍛えた我らの腹はちっとやそっとでは負けないのだ。ケチくさい仏の教えが秘匿するなら、自分たちで開発するまでよ。
「短筒と長煙管です」
幸せそうな人々を背景に、物騒なものを出してくる弟。
短筒とは文字通り、筒の短い鉄砲のことだ。
飛距離を犠牲にして、命中精度を上げる。片手で操作できるのも利点の一つだが、暴発しやすい欠点がある。この時代の鉄砲は大体、暴発してナンボのものが多い。鋼と木材の相性が問題なのだろうか。鍛冶師たちの頑張りに期待するしかない。
「この煙管はどうした?」
「兄上が健康に気を遣っているようなので、専用のものを拵えてみました」
種子島鉄砲の半分しかない短筒、従来品の倍は長い煙管。
金細工を飾った黒髪の美女を思わせる仕上がりだ。重厚な見た目に反して、手にかかる負担はそれほどでもない。必要な時に取り出す程度なら、問題なく扱えるだろう。
信包は更に革製の鞄を出してきた。
「こ、これは……っ」
なめした革を箱型に成形し、上から被せるタイプの鞄だ。
那古野城下で知り合った皮職人に、雑談のついでとして話したことがある。それも随分前のことだ。皮で作れてもナップザックくらいだろうと思っていたから、完全に意表を突かれた。鞄は皮一枚で繋がっているて、継ぎ目が最小限になっているのも素晴らしい。外に複数のベルト、中は取り外し可能の仕切り板が仕込まれている。
俺の驚く様子を見て、信包が誇らしそうに笑う。
「短筒の弾はこちらに。特注品になりますので、在庫の確認は怠らないでくださいね。火縄も一緒に入れられるようにしておきました。兄上の仰っていた『べると』の仕組みを使っています。煙管用の粉末はこちらに」
「おおっ、織田家紋の印籠!」
「後ろには無一文字も彫られていますよ。紐はそれぞれ、義姉上たちが編んだものです。大事にしてくださいね」
「もちろんだ!!」
これまた漆黒の印籠だが、金色の織田木瓜が誇らしく輝いている。
無一文字が真っ白なのもいい。
早速、腰に括りつけてみた。太さの違う紐たちが嫁の面影を連想させ、どうしても顔がにやけてくる。短筒は鞄とセットになるようなので、それも帯に回した。
その場で立ち上がって具合を見る。
「……重い、さすがに!」
「何もなかったところに三つも足したんですから当然です。鍛錬だと思って慣れてください。ああ、戦支度の時に忘れていかないでくださいね? そのための品なのですから」
「三十郎」
「はい」
「怒っているのか?」
「怒っていますと答えたら、兄上は本陣で大人しくていてくれるのですか」
「無理だな」
「どれか一つでも達人級の腕前だとしても、やっぱり心配すると思いますよ。それに兄上なら、短筒を暴発させることなんかしないと信じられますし」
弟の信頼が重い。
かろうじて笑みを浮かべれば、信包も似たような顔をしていた。
信治たちは戦に連れていくのに、信包だけ連れて行かない理由を本人に告げたことはない。それでも薄々察しているのだろう。
「あ、それと」
「何だ?」
「北畠具房殿の弟が長野工藤氏に養子として入っていたのですが、今後は織田に臣従する決意を固めたそうです。良かったですね、兄上」
「は」
長野工藤氏といえば、伊勢国人衆の一つだ。
神戸城が落ちた報告が届いた頃を見計らって接触を図るつもりだったので、出鼻をくじかれた形になる。そして北畠具房の父・
息子に家督を譲っただけで、伊勢国の実権は具教にあるという。
「ちょっと待て。具房の弟なら、具教の息子ってことになるよな?」
「そうですね」
「北畠氏は国人衆を取り込むくらいの力は、まだあるっていうことか」
こめかみを揉みながら、必死に頭を働かせる。
国司とは名ばかりの腑抜けだと思い込んでいた。尾張の常識が、世間の常識だと無意識に考えていた己が恥ずかしくなる。幕府の権威が衰えて国人衆の勢いが強くなっても、彼らと渡り合える能力があればいい。俺の知っているお公家様は細川様だけだが、あれは煮ても焼いても食えない狸だ。
「狸には狐」
「具教殿には、義輝様が師事したという塚原卜伝の奥義を伝授されたという噂もあります。現当主の具房殿は馬にも乗れない有様だというから、不思議ですよね」
「三十郎、今すぐ京へ向かって雨墨を連れ戻せ」
「無理です」
にっこり笑って明るく拒否。
「また剣豪かよ!! 公家なら公家らしく、和歌や雅曲の達人になってろ!」
「相手に不足なし、ですよ。今の織田軍なら、きっと勝てます」
まともな戦、したかったんでしょう?
なんて言われて「無理」だの「嫌」だの言えるわけもなく、俺は逃げ出したい気持ちを必死に抑え込んで家臣団を招集した。軍議において北畠を攻める決断を告げれば、戦闘狂どもが爛々と目を輝かせる。
もうやだ、この人たち。泣きたい。
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