22. 貞操を守れ
どさっと転がされて、思わず呻く。
腹が、きつい。出てはいけない何かが出そう。モザイク画像なアレで借り物の着物を汚すわけにはいかない。胸の詰め物は無事だろうか。割れると、ふつうに大惨事だ。
落ち着け。落ち着くんだ、俺。
俺はノブ……もとい、わたくしはおノブ。織田氏の庶流、弾正忠家に仕える武家の娘。淑やかに、それでいて誇りをもって意志は強く。
お市の乳母に何度も言われたことを、頭の中で繰り返す。
身じろぎして偽胸を撫でる。あっよかった、詰め物無事みたい。
「なんだあ、コイツは?」
「へい。森の中をウロウロしてたんで、攫ってきました!」
子分らしき男の声は浮かれている。
まるで美味しそうな食べ物を見つけて喜んでいる犬だ。そういえば利家たち、今頃どうしているだろうか。ちゃんと尾行できていることを祈るしかない。
体に触れている感じからして、土が露出している場所だ。
ひんやりとして冷たく、ごつごつしていて均した形跡がない。こっそりと視界の端で周囲を見たが、家らしき壁がない。目の前に盗賊の足が見えるし、地下牢じゃないと思う。もしかして洞窟か? 野盗のアジトといったら、廃棄された砦か洞窟と相場が決まっている。
セオリー通りで大変よろしい。
ちょっと冒険心がくすぐられるが、探検している暇はないだろう。幸いにして縄で縛られているわけじゃない。動こうと思えば、いくらでも動ける。
「う、ううっ」
わざとらしい声を出して、目覚めをアピール。
まずは目を開けて、近くに何人いるかを把握しておきたい。武装しているなら相手をするのは避けたいし、不意打ちで倒せるのはせいぜい一人だ。声の野太さからして、相手はいい年をした大人である。帰蝶姫のように閨でも短刀を忍ばせる心得を見習っておくべきだった。まだ知り合ってすらないないんだけどね!
「こ、ここは……っ、お前たちは何者です!?」
どうよ、この演技力。
最初は寝ぼけた感じに呟いて、近くにいた不審人物に驚く武家の娘だ。ついでに距離をとるために後退ったら、裾が思いっきりはだけてしまった。やばい、さすがに足を見られたら男だとバレる。慌てて戻して、足首から引き寄せる。
すぐ立ち上がれなくなってしまったが、女だと思われている方が都合はいい。
焦りから表情が硬くなっていたのだろうか。
「おーおー、怯えちゃってかわいいねえ」
ニヤニヤと笑う男たちは、そこから動かない。
可愛いとか初めて言われたぞ。全然嬉しくねえ! 女装しているから仕方ないとはいえ、皆で揃って「美しい」と褒め称えられたのに、これだから野盗どもは粗野でいけない。
よし、観察を続けよう。
男は二人。同僚ということはなく、どっちかが偉い。毛皮の上着を羽織っているが、その下は木綿か何かの古着に見えた。なにしろ体臭がすごい。鼻が曲がる。
ふいに男の一人が動いた。
「さ、触るな。無礼者! 不埒者っ」
やめろ、それ以上近づくと女装がバレる。
反射的にズリズリと後方へ下がりつつ、恒興のヒステリックな声を思い出して叫んでみた。怯えた様子が楽しいのか、野盗どもがゲラゲラ笑う。
「わめいても無駄だぜ。こんな辺鄙な場所に、助けなんぞ来るもんか」
「おい」
「なんスか? あ、気が利きませんで。どうぞどうぞ、あっしは後で」
後も先もあるかー!!
道理で、作戦を聞いた信盛が微妙な顔をしていたわけだ。
着物を脱がしたら男なのはバレてしまう以前に、そういう行為があるかもしれないと気付くべきだった。死ぬのも嫌だが、尻を狙われるのも嫌だ。
「見たトコ、それなりの家柄の娘だ。そんな人間が一人で、夜の森をウロウロするなんておかしいと思わねえのか」
「いや、一人じゃねえんで。小者がおりました、へえ」
「そいつはどうした」
「殴って、転がしときました。金になりそうなもんは何も持ってなかったんで、殺そうと思ったんですが女が騒ぎやがるんで」
「置いてきたのか!?」
「ぶへえっ」
殴られた子分が、こっちに転がってくる。
ああ、だから近づくなって! またズリズリ移動する俺に野卑な笑い声が立つ。くそう、今に見てろよ…。リーダー格は容赦ないだけでなく、力が強いのも分かった。頭もキレるようだし、コイツが他所から流れてきた野盗どもに違いない。
うーん、それにしても子分の武器は使えそうにないな。
使い古した鉈を腰に差している。とりついて、一気に引き抜くには向かない武器だ。大人しく助けを待っているのが上策と分かっている。だが尻は守りたい。
「フン、この程度で声も出ねえか。さっきの勢いはどうした?」
「……臭い」
「あン?」
「近づかないで。臭いがうつる」
洗ったくらいで落ちるかな。
ニオイ菌は洗剤を使わないと落ちない、とか聞いたことがある。汚さないでくださいねーと言われたが、泥汚れくらいな何とかなるだろうって思っていた。甘かった。お市を抱っこした乳母の冷めた目(幻覚)がやわなハートに突き刺さる。
「テメェ……、こちとら好きで獣みたいな生活してるわけじゃねンだよ!」
「ハチスカ!!」
血相を変えた誰かが駆け込んでくる。
それで掴みかかろうとしていた男が動きを止め、俺は反撃の機会を失ってしまう。ちっ、沢彦仕込みの体術をお見舞いしてやろうと思ったのに。
「ん? 蜂須賀、だって?」
「俺様のことを知ってンのかよ」
「ええと孫六だか、助六だかっていう」
「小六だ」
ムスッとして名乗る髭面の男。
獣のような眼光は林のジジイや、マムシのおっさんを思い出させた。え、嘘だろ……? 俺の背にぬるい汗が滑り落ちる。正真正銘、こいつは強い。蜂須賀小六といえば、秀吉に仕えていた盗賊上がりの男だ。
なんで覚えているかって、墨俣の一夜城で有名だからだ。
あのイベントを成功させるためにどれだけ苦労したか、ってのはどうでもいい。まず失敗しないはずの策すらこなせないヘッポコ軍師ぶりを見せつけた因縁あるゲームの名前が――。
「お、おい、なんで泣くンだよ。今更泣くのかよ!」
「違うし。これは汗、心の汗だし」
「痴話喧嘩かあ、ハチスカ? 嫁にするにゃあ、もったいねえ器量だな! どこで拾ってきたんだ、こんな別嬪さん」
「うるせえよ、そこの阿呆が森で拾ってきた」
「はあん? さしずめ家出娘か。いいんじゃねえの、嫁にすれば」
嫁嫁うるさい。
後から来たのは蜂須賀と同じくらいの身分らしいが、随分と気安い仲のようだ。それに今すぐ始めようとした子分と違って、ガツガツした空気がない。見るからに臭くて、野盗っぽい恰好をしている男たちも、身綺麗にすれば違った印象になるのではなかろうか。
俺はピン、ときた。
大変だ。今宵の俺は冴えまくっている。女装を思いついた時には自覚しなかったが、眠っていた才能が目覚めた気分だ。
「お前たち、美濃の人間だろう」
その瞬間、顔色を変えた男たちがサッと身構える。
俺はザッと青ざめる。おいおい、マムシのおっさん話が違うじゃねえか。表向きは和睦したと見せかけて、配下を野盗に仕立てるなんてあくどいことをする。
こうなったら作戦変更、B案でいく!
「目的は偵察か? 女に嫌がられるような変装をしてまで、ご苦労なことだ。命令とはいえ、さっさと終わらせて帰りたいって思っていたんじゃないのか」
「テメェ、ただの女じゃねえな?」
「ますます面白いじゃねえか。おい、蜂須賀。お前がいらねえっていうんなら、俺がもらう」
何故かさっきより盛り上がっている野盗ども改め美濃武士(仮)たち。なんでだよ。裏声やめたのに、なんで女だと勘違いしたままなんだよ。
「はあ? 何を言っ――」
「でぇりゃあああっ」
気合い一発、扉が吹き飛んだ。
木製の扉があったことも驚いたが、ちょうど扉を背にしていた男が海老反りになって倒れる。その向こうでは、カンフー映画よろしく片足を上げたポーズをきめる成政。不覚にも見惚れてしまった。うわ、俺の舎弟カッコよすぎ……?
間髪入れずに雪崩れこんだ舎弟たちに、蜂須賀も捕らえられる。
気絶した子分もろとも縄にかけられた。
「て、テメェ……最初から狙ってやがったのか!」
「悪いな、男を相手にする趣味はない」
「ご無事ですか、三郎様」
「ああ」
長秀に助けられ、俺はゆっくりと立ち上がった。
手足首に違和感はないし、殴られた腹も幸いにして痛くない。狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めなのが息苦しいだけで、心はむしろ安定している。
仲間がいるって素晴らしい。
「さ、さぶろう……だって? お、男?!」
「だからそう言って」
「こちらにおわすは弾正忠家がご嫡男、織田三郎信長様にあらせられる。大事な若君に狼藉を働いたこと、きつく罰を申し与えるゆえ」
「あー、待て待て。ストップ、五郎左」
しぶしぶ中断した長秀は不満げである。
気持ちはわかるが、恥ずかしいから止めてほしい。恒興がやりかけた口上の続きを、こんなところで聞かされるとは思わなかった。俺は先の副将軍でも、大店のご隠居でもない。
「この野盗どもはな、利政殿の家来衆だ。下手を打つと、面倒くさいことになる」
「まことですか!?」
「マジよ。自分で名乗ってたからな」
ニヤニヤと笑いながら目配せすれば、蜂須賀は顔を真っ赤にしている。
憤怒の形相である。うわー、こわいなー(棒読み)。
「姫様のお相手が、このような変態だとはな! そら、さっさと縄を解け。殿に、縁談の破棄を進言申し上げる大役ができたわ」
「三郎様を変態呼ばわりすんじゃねえ!」
「やめろ、馬鹿犬。成政、縄を解いてやれ。長秀、他にも捕まえた奴がいたら集めとけ。俺は利政殿に書状をしたためる」
「はっ」
こうして、野盗騒ぎは終了。
マムシのおっさんからは、詫びの品と言い訳を並べた書状が届けられた。
曰く『和睦の前から仕込んでいたが、状況が変わったことを蜂須賀たちに知らせていなかった。メンゴ☆』以下略。
(蜂須賀のやつら、俺が帰蝶姫の縁談相手だって知ってたぞ)
思わず遠い目をしてしまった俺は悪くない。
よりによって末森城へ書状が届けられたものだから、親父殿は大激怒。復興作業の中間報告も兼ねて、野党討伐(未遂)の一部始終を説明するハメになった。
「あー、酷い目にあった。なんとか
「姫様の乳母殿も口の堅い方で助かりましたね」
「全くだ」
穏やかに微笑む恒興を見ていると、なんだか不思議な気分になる。
最近はぎゃんぎゃん騒ぐか、気絶するかの二択だったのに悟りでも開いたのだろうか。それとも美濃国から賠償金をもらう約定ができたからか。蜂須賀たちが近くの村を襲っていたのは事実だったので、正式に抗議を申し入れたのだ。平手の爺が。
「あれ?」
「若様、どうなさいましたか」
「なんか忘れている気がする」
首を捻って思い出そうとするのだが、あと一歩というところで出てこない。
なんとなく物足りないような、モヤモヤした感覚を抱きながら村へやってきて気付いた。共同住宅の片隅で、泥と葉っぱまみれの少年がいじけている。
子供たちが面白がって、つんつん突いて遊んでいた。
その名は木下藤吉郎。ちょっと前に元服したのに、誰も祝ってくれなかった猿である。
********************
蜂須賀小六(正勝):美濃出身、斎藤利政(道三)の家臣
後の秀吉の家臣であり、墨俣一夜城で有名な武将です。講談で元野盗一味であったことや、少年時代の秀吉とやり合った話を聞いたので、少しいじってみました
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