21. 囮作戦
ノブナガ改め、おノブである。
素で「これがあたし!?」を呟くはめになるとは思わなかったが、舎弟たちの驚きようも実に面白かった。恒興は泡を吹いて倒れたので、家の隅に放置している。できたての青畳だ。心行くまで堪能していることだろう。
胸がでかいって? ほんの出来心で皮袋に水を詰めてみたらこうなった。
見事にたゆんたゆんである。……帰蝶姫には絶対知られたくない。
「すげえ美人っすよ! オレ、三郎様に惚れそうっす! いや、出会った瞬間に惚れました。一生ついていきますっ」
「……あ、うん。一生、友達でいような」
「っす!!」
色々ギリギリな利家はさておき、成政は赤入道のようになっている。
綺麗じゃ美人じゃすげえすげえと、ひたすら褒め称える猿も放置。それはもう村の奴らにひとしきりやってもらったから、腹一杯である。夕餉がまだだという舎弟たちのために、残っていた握り飯を振る舞った。美人の飯は三倍美味いと感想をいただいてしまった。全く嬉しくない。帰蝶姫の飯は絶対渡さないようにしよう。
「しかし、おノブ様。見た目だけでなく、立ち振る舞いもおなごらしくなさっては如何か。その方が色々と楽し……変装の甲斐があるというものでござる」
真顔で何をぬかすかこの
「できなくはないが、面倒だから温存している」
「左様でござったか」
「できるんすね! さすがっす!!」
犬が三割増しで喧しくなったので恒興の隣に転がした。
握り飯だけでは足りなかろうと、村の女に頼んで茶を用意してもらう。あくまでも咽喉をしめらせる程度だ。たくさん飲んで、作戦中に用を足したくなっても困る。これから一働きすると分かっている面子は半々といったところか。
いつもの円陣には、偵察から戻ってきた長秀と一益もいた。
この二人は俺の姿を見て絶句してから、一言も喋っていない。だが俺の視線を感じてか、長秀が観念した様子で空になった汁椀を置いた。
「五郎左。俺がわざわざ女装した理由、分かるな?」
「囮作戦ですね」
「本当に討伐に参加するおつもりか!?」
「やかましい。転がされたいか、半介。恒興が侍従役の予定だったが、あれだからなー。一益、奴らは今夜も動きそうか?」
「是」
「よし、勤労者には縄の褒美をやらなきゃな。夜に活動するなら、近くに巣があるはずだ。猿、供を許す。残りは万の指示に従え。一益、フォローを頼むぞ」
「御意」
「合点承知の助ってなあ! ……おい、松。ほろおって何だ」
「俺が知るかよ、この馬鹿犬っ。一益、おいテメ一益! ほろおってなんだ」
「知らぬ」
「は、ぶへ!?」
「やかましい」
叫ぼうとした成政に狙いを定め、ハリセンの一撃。
こいつらのノリは緊張をほぐしてくれるが、ちょっとした脱力感のオプションまでついてくる。そして制裁を受けた成政を指差して笑っている利家も、ついでにぶっ叩いた。ちゃっかり作戦会議に参加しやがって。一撃で大人しくなる恒興を見倣え。
「おノブ様」
「どうしたの、一益」
「ぶほぉっ」
裏声で返事をしたら、若干名が盛大に茶を噴いた。
素知らぬ顔で控えている一益を睨むが、どこ吹く風である。ちくしょう、コイツ試しやがったな。忍びといえば変装術だ。見た目だけかどうか確認したかったのかもしれない。ただの酔狂でこんな格好してるわけじゃないっつの。
(とはいえ、恒興に変装させる予定だったのは言わないでおくか)
内心でぺろりと舌を出しつつ、俺は立ち上がる。
慌てて猿がついてきて、一緒に村の裏手にある山林へと踏み込んだ。夜陰に紛れて襲撃するらしいが、拓けた場所よりは木々の多い方が隠れやすい。方向違いであれば一益が注意するだろうから、こっちで合っているようだ。
長秀たちは後方待機。恒興と信盛の文句は後から聞く。
俺たちが野盗に見つかった時の会話が、行動開始の合図になる。上手く餌に喰いついてくれればいいが、駄目なら駄目でアジトに直接乗り込もう。皆でかかれば何とかなるさ!
「信長様は」
「ノブ」
「あー、おノブ様は佐久間様をどうなさるおつもりで?」
「どうするんだろうな」
「へ?」
ぽかんとした猿が置いていかれそうになって、また早足でついてくる。
山歩きをする前提で裾をやや短くしたおかげで、歩くのには支障がない。ここは女らしく、しゃなりしゃなりと歩く必要はないだろう。足が丸見えになるのも側まず裾を摘まんで、大股でずんずん歩く。林道は気を付けないとすっ転ぶので危ない。
「半介次第だ」
「……おっかねえのう」
「さすがに毒殺未遂で関係ない奴が死ぬとな。俺も慎重になる。美濃との縁談が持ち上がった直後で、廃嫡寸前まで追い込まれた長男に味方する奴の気持ちは、俺には分からねえよ。少なくとも敵対するつもりはなさそうだ」
「若様の評判を聞いて手を貸したくなった、とは思わんのですか?」
「悪い評判を聞いてか。ないない、それこそ単なる物好きか気狂いの類だろ。一族を率いる者として、あんまり褒められた性分じゃねえな」
国人衆という存在がいる。
国人はその土地の有力な土豪、あるいは領主のことだ。そもそもは地頭職として守護職の下につく役人だったものが、次第に形を変えていったのだという。地頭のように明確な上下関係がないので、守護職に従わない国人も少なくない。国人衆として独自のグループを形成して、守護職に対抗してくるパターンもある。
ちなみに親父殿が挑んでいるのは隣国の勢力なので、守護職に喧嘩売っているわけではない。それでも少しずつ削り取って勢力を増やした。そして守護代に睨まれている。その程度で済んでいるのは京や寺社への寄進を欠かさないからだと平手の爺が言っていた。上納金は大事だが、それで民が飢えていたら意味ないだろと俺は思う。
ともあれ各地で小競り合いが乱発しているのは事実だ。
国人同士の喧嘩に負ければ、今川某のように城を追われる。田畑がある平地は戦火に巻き込まれ、領民が土地を追われる。食べるものがないから、あるところから盗む。
つくづく嫌な連鎖だ。
「おノブ様」
袖を引かれて、ハッとした。
こんな時でも思考に沈んでしまうのは悪い癖だ。
足を止めて見回すと、随分深くまで入り込んだらしい。闇が息を潜めているような森に、俺たちは立っている。夜鳴く鳥は知らないが、虫の鳴き声ひとつしない。
「きたか」
「分かりません。じゃが、何か妙な感じが」
その時だった。
がさっと音がする。どこだ、後ろか。
咄嗟に腰へ手をやろうとして、大小を帯びていないことに気付いた。
村へ向かう時は基本的に一本差しである。二本は重いからだ。せめて己の身は己で守らないと、村の民まで手が回らない。というか丸腰では城から出してもらえない。
くそっ、女装ついでに何か仕込んでおくんだった。
「猿? おい、返事を――」
「寝てな」
臭い。そしてしゃがれた低い声。
ぎゅうぎゅう締めた腹に、拳の衝撃はきつかった。吐きそう。気絶するほどではないが、ここは言われた通りに寝ておく。大丈夫だ、舎弟たちがいる。一益が近くに潜んでいる。
「へへっ、上玉だぜ。どこの家出娘か知らねえが、運が悪かったな」
運が悪いのはそっちだ、馬鹿め。
借り物の着物が土で汚れる心配は杞憂に終わり、俵担ぎに運ばれていくのを感じる。できれば猿の奴も一緒に運んでほしいが、さっきから声が聞こえない。まさか殺されたのか。いや、将来の豊臣秀吉がこんなところで死ぬはずない。
不安と恐怖と、期待。
ここから先が正念場だ。ぐらぐら揺れる頭の中で、これからのことを考えていた。
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時代劇では帯の辺りをドスッとやられて気絶するシーンがありますが、あれで本当に気絶できるのかなと思った次第です。
下手すりゃ刃物も通さない防刃機能付き腰帯。
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