19. 野盗の襲撃

 いよいよ冬の足音が近づいてきた。

 ああ、エアコンが懐かしい。何の略だったか忘れたが、空調設備を進歩させた技術者さんマジ感謝。薪ストーブすら存在しない時代で、暖をとれるものといったら火鉢だ。カイロ代わりの温石だって、持ち歩くにはちょっと重い。一個で我慢するには寒すぎる。

 舎弟どもは乾布摩擦がブームだ。

 何気なく言ってみたら利家がやり始めて、長秀がハマった。

 ふんどし姿の野郎どもが、鼻息荒く手拭いを扱っている様は見ているだけで暑苦しい。湯気が立つくらいの勢いでやっているが、参加したいとは思わない。一度だけ試したが、体が温まるどころか肌がボロボロになった。むけるのは尻の皮だけで十分だ。

 そのうち丈夫になって、気持ちよくなるというのは成政の主張。

 別の意味で顔を赤くしているのかと疑いたくなるが、本人の尊厳のためにも黙っておこう。仮にそういう趣味に目覚めていたとしても、俺は協力できない。拝まれてもしたくない。

「食べ物、あんまりなかった」

 しょんぼりと項垂れるのは村の子供、さちだ。

 うっかり子猿と呼んで定着しそうになったので名前をつけた。子供たちの中でも俺に懐いていて、物覚えもかなりいい。それに気付いた沢彦が色々教えているようだ。他の孤児も名付けをねだってくるかと思いきや、沢彦がそれぞれ名を与えていた。

 いや別に悔しくなんかないし。廃嫡寸前の若様よりも、徳を積んだ坊主のが偉いし。

「幸、今日も山行ってたのか?」

「うん」

 食べられるキノコや野草の見分け方は、幸が一番得意になった。

 そんなわけで日々の食料調達に、村から近い山林へ出かけている。いつもなら薪に使える枯れ枝集めたり、川で魚を釣ったりする担当がついていくのだが。

「単独行動……じゃなくて、村の外へ行くなら誰かを連れていけ」

「犬はつまみぐいするから、イヤ」

「あー、うん。幸のおかげで備蓄に余裕がある。冬を越すくらいはいけるだろ」

「うん……」

 ひもじい思いをした経験から、食べ物の話題はとてもデリケートな部分だ。

 今も状況は全く改善されていない。

 田んぼに水を引くだけだろ簡単じゃん! と思ってた時期もありました。

 雪が降り始めるまでにやれることはやっておきたい。猿に灌漑について聞いてみたところ、見当もつかないということだった。かくいう俺も田んぼの近くに小川が流れている理由までは知らなかった。下水道は分かる。上水道ってなんだっけ。必死こいて前世の記憶を捻り出してコレである。

 そこで「助けて、沢彦先生!」である。

「灌漑……ほう、三郎様も考えましたな」

「水耕栽培がこれだけ広まっているんだから、灌漑事業は昔からあったはずなんだよ。不作になるのは天候や自然の要因だけじゃなく、水田の整備がちゃんとできていないからだと思う」

「そこまで分かっているのに、灌漑が分からないと」

「ぐっ、その可哀想なものを見る目は止めろ。言葉の意味は分かんだよ! どうやって水を引くか、どこまで田んぼにしていいのかっていうのがさ」

「好きになさればよろしい」

「あのな、沢彦」

「村の再建は、三郎様の肩にかかっているのです。そして、ここにいる者たちの中で最も身分が高いのも三郎様。であれば、思いつくままに作り直していっても誰一人文句は言いますまい」

「それでまた、不作になったらどうするんだよ」

 小さくて恨めしい声が出てしまった。

 手を加えなければ来年の収穫も不可能だというのは分かりきっている。だが蔵から無理にコメを出させて、先行出資として色々借りたものを返せるだけの収穫は見込めない。それこそ現代日本のやり方をできるだけ取り入れない限り、絶対無理だ。

(くそっ、農家の子に生まれていれば……!)

 こうなってくると、無性に逃げ出したくなる。

 見なかったふりをして、時間が経過するのをじっと待つ。村は全滅するだろう。幸も皆も死んで、廃村が残る。舎弟たちも俺を見限って、俺は独りぼっちになる。いや、嫡男ですらなくなれば武士でもなくなるのか。美人の嫁も、可愛い妹ともオサラバ。

「っだー!! 五郎左……はいねえのか。半介!」

「はっ」

「俺を殴れ!!」

「承知!」

 直後、すごい衝撃が来た。

 俺の代わりに、歯が一本飛んでいった。たぶん親知らずだ。歯医者もない時代に歯を抜く方法なんて怖い想像しかできなくて放置していたアレが、空高く舞う。殴られてもぶっ倒れないだけ俺、成長したなあ。

 白い欠片をぼんやり見送った。

「……なんだっけな。下の歯は投げろとか、上の歯は埋めろとか」

「大御ち様の教えでござるか」

「いや、もっと古いやつ」

 前世のことを表すなら、その言い回しが合うと思った。

 俺たちが半介と呼んでいるのは佐久間信盛。何度も追い返しているのに平然と村に現れて、とうとう完全に舎弟の一人として居ついてしまった若武者だ。とうとう佐久間家当主の座も譲られたそうで、これで誰にも文句は言わせないとか威張っていた。

 ムカついたから、ハリセンで叩いておいた。

「若様!! お耳に入れておきたいことが……くっ、遅かったか」

「えっ、何? 何があったんだ、五郎左」

 見廻りに出向いていたはずの長秀がこちらへやってくるなり、がくーっと両膝をついた。

 単純に、そこで力尽きた感じではないな。

 俺の顔を見てから、おかしくなった。つまり俺に何かあった。うん、何があったのか全く心当たりがないな。親知らずが一本抜けたくらいだ。

「てめえ、半介。なに自然な感じに三郎様に寄り添ってやがんだ。ぶちのめされてえのか……って、三郎様!? 顔が腫れてるっすよ」

「うむ。力いっぱい殴れ、と命じられたゆえ」

「紛らわしいことをするんじゃねえ!!」

 おっ、長秀が復活した。

 信盛と全力でジャレ始めたので、呆然としている利家から聞くことにした。今日は長秀と一緒にいたみたいだし、記憶力だけなら舎弟一だ。

「犬、何があったか報告しろ」

「はい。野盗っす」

「……悪い、端的すぎて全く分からん」

「えーと、あー……いつだったか、野盗が出没して関所を抜けたばかりの商人たちが襲われたー。とかいう話があったじゃないっすか。アレっすよ。なんか一番厄介な方が、この近くで悪さしているそうっす」

「被害に遭った人間に話を聞くことはできるか」

「あ。その、全員死んでたそうで」

「そうか」

 見知らぬ彼らに、黙祷を捧げる。

 前世でも毎日人が死んでいた。だが、それはひどく現実味の薄い話であって自分に関わるようなことはなかった。いつか死ぬと分かっていても、それが明日か今日かという問題を突きつけられたのは病気になってからだ。

 病死と殺人は違う。

 そして俺は遠くない未来、この手で人を殺すのだろう。

 今は、そういう時代だ。親父殿の真似はしたくないが、これから動乱期を迎える日本でのんびり平穏な日々を送れるなんて思っていない。長秀たちは俺を前線に出そうとしないだろうが、大将だからって後ろで待機するくらいなら舎弟どもと暴れたい。

 鍛錬の結果を見せてやるぜ。

「犬」

「わんっ」

「松、猿、一益、それから恒興も呼んでこい。幸、そこで聞いていたな。ガキどもを共同住宅から出すんじゃねえぞ。大人もだ。俺がいいと言うまで、絶対に出てくるな」

「ごはんは?」

「作ったのを届けさせる。そう長くはかからない、安心しろ」

「ん」

 不安そうにしながらも小さく頷く、幸の髪をくしゃりと混ぜる。

 風呂に入ってから櫛を使うようになったと聞いた。垢を落とし、ややふっくらとしてきた顔は可愛らしい。お市ほどじゃないが将来美人になるかもしれない。 

「ノブナガ、しなないでね」

「おう」

 俺は笑って握り拳を出す。

 幸は不思議そうにしながらも真似をしてくれたので、小さな握り拳にコツンとぶつけた。鳩が豆鉄砲を食ったような顔に、また笑う。

「オレも! 三郎様、オレもやりたいっす!」

「はいはい」

 それから(村の子供たちも参加して)全員で拳をぶつけまくった。


「で、何の話だっけ」

「若様も討伐に向かわれるので?」

 話を戻そうとしたら信盛に軽く睨まれてしまった。

 当然行くに決まってるだろ。長秀と利家が緊急案件だと判断したなら、あらゆる手段を用いて対応しなければならない。

「俺には村を守る義務がある」

「ああ、成果が出なければ廃嫡でしたかな。そのようなこと、周辺の村から年貢を出させれば済むことだと愚考いたします」

「阿呆。根本的解決になってねえし、年貢を強制徴収したところが飢饉に陥って被害が拡大しちまう。民を救わずして何が城主だ」

「成程。国の窮状を憂いて、御父上に進言なさったのでござるな」

 違いますけど?

 と言いたいのはやまやまだったのだが。信盛が満足そうに、長秀も嬉しそうに頷くので否定できなくなった。いいよわかったよ、国全体を視野に入れてやんよ!

「とりあえず斥候を出したいが……犬が戻るまで、しばらく時間があるな」

「殿、妙案がござる」

「却下」

「な、なにゆえかっ」

「理由は2つある」

 大げさに動揺して見せる信盛を半眼で睨み、俺は指を二本立てた。

「そのいち、俺はまだ『殿』じゃねえ。そのに、お前みたいに『わしにいい考えがある』って顔する時には、たいてい周りの人間巻き込んでえらい目に遭うって相場が決まってんだよ。だから採用不可。万、行け」

 長秀は片眉を上げて、こちらを見た。

 自分がそういうのに向いているとは思っていないからだろう。

「半介は『次期当主おれ』を守るだろうが、この先は俺たちの領分だ」

「御意のままに」

 長秀はとにかく器用で、文武両道の男だ。

 舎弟たちの中で最も信頼を置いている、といってもいい。俺は有能なだけの人材は必要としていない。身分の隔てなく、俺の意図を汲んだ上で立ち回れる手駒を求めているのだ。

 頼もしい背を見送っていると、信盛が例の目力で睨んでいた。視線の向く先も、山林。

 面白くなりそうな予感がした。

「ところで若様」

「なんだよ、妙案なら聞かねえぞ」

「近頃、姫様がよく癇癪を起こして乳母たちを困らせていると。まあ、そのような噂を聞いたのでござる」

「お市が?」

 いや初耳だぞ。

 あんなに聞き分けが良くて手のかからない赤ん坊はいないって、城の女衆から専らの評判だというのは知っている。俺が会いに行くと、それはそれは可愛らしい笑顔で迎えてくれるのだ。小さな両手を伸ばして、だっこをせがんでくるのも可愛い。

「それほど懐いておられるのならば、若様がお慰めなさればよろしい」

「行きたいのは山々だが、野盗を何とかするのが先だろ」

「若様、急がば回れと申します。まだ日暮れには早うござる。盗みを働くのは夜遅く、と相場が決まっておりますれば」

「詳しいな、半介」

「は。野盗討伐なら何度か」

 経験があるなら先に言えよ!





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結局、お幸以外にも何人かにねだられて名付け親になったノブナガ

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