18. 尾張国の状況

 なんやかんやあって一月後、共同住宅が完成した。

 といっても、個別に部屋が仕切られていない広いだけの建物だ。畳の間と土間で分けて貯蓄スペースも確保した。村の寄合としても使えるし、避難所という名の最後の砦として最も頑丈で堅牢な造りになっている。いよいよ寒さが身にしみるようになってきたので、風雨を凌げる場所に皆が喜んだ。

 早速子供たちが走り回っている。本当に元気だな……。


 さて、風呂事情について話しておこう。

 この時代の風呂は五右衛門風呂じゃなかった。確かに石川五右衛門は太閤な秀吉の頃なので、五右衛門風呂の発祥は江戸時代かもしれない。そんなことよりも湯を張る常識がないことに、俺は愕然とした。温泉があるのに湯船がない、だ……と?

 五右衛門風呂の作り方なんて知らないぞ。

 どうする、どうするんだ俺!

 目の前には垢まみれの村人たちが所在なさげに立っている。仕方ないので、城へ連れて行った。これでも俺は城主である。城主命令は絶対である。

 那古野城にもちゃんと風呂はあるんだ。

 かま風呂と呼ばれる蒸し風呂サウナで、めちゃくちゃ熱いっていうこともない。

 そこそこ広い風呂だと思っていたが、村人たちが全員入ると結構窮屈だった。いつもより熱くて空気も足りない気がするが仕方ない。垢すりを担当する下女たちに金を握らせ、俺たちも一緒になって汗だくで体を磨く。

 その光景は、まるで猿の家族みたいだった。

 ごっそりと垢が落ちて、身綺麗になった村人たちに新しい着物を纏わせる。頭がぼーっとしているせいか、拒絶する者はいなかった。ほこほこと立つ湯気も消え、すっかり寒くなった頃に新しい建物へ入る。

 すると、ありがたいことにお千代たちが甘酒を用意して待っていてくれた。

 あの時に見た彼らの顔を、俺は一生忘れないだろう。


 リフレッシュして復興作業再開。

 炊事は変わらず残った家で行い、個人宅を少しずつ増やしていく。一月も経てば慣れたもので、さくさくと建材を組み立てていた。長秀指導の下、山から木を切り倒して枝を落とした上で材木にして適度に乾かす。

 俺? 見てるだけだよ悪いか。

 若様だからって作業の類はノータッチ。なんでだよ、やらせろよ。廃嫡寸前だからいいだろって言ったら、めっちゃ怒られた。ちっ、冗談が通じないやつらめ。

(本当に廃嫡になったら爺が切腹しそうだし、全力回避の方針は変わってねーんだよ。分かれよ、舎弟ども)

 あ、林のジジイはどうでもいい。

 親父殿の命令じゃなかったら、とっくに俺付きの筆頭家老の座なんて返上しているって言っていたし。そもそも奴が名乗るまで嫡男に家老がつくなんて知らなかったんだ。

 林のジジイは本当に信行が気に入っている。俺と顔を合わせる度に信行を褒め称えるので、いい加減耳タコである。どうせ褒めるなら新しい情報≪ネタ≫持って来いよ。できれば他の弟妹たちの情報も欲しい。小さな子供はしばらく会わないと親の顔も忘れるというからおそろしい。お市に忘れられたら、にーに泣いちゃう!

「若様」

 すっと現れた一益に呼ばれ、きりっと顔を引き締めた。

「おう。城の様子はどうだ」

「変わりない」

「そうか。勝幡……いや、津島にも顔を出さなきゃなあ」

 尾張国にはたくさんの城がある。

 本当に城か? って首を傾げたくなるような小規模の城もあるが、城と呼んでいるので城なのだろう。ほぼ同じ規模で砦もあるんだが、こまけーことはいいんだよ。

 俺が城主を務める那古野城はかつて今川家所有の城だった。

 今川一族の氏豊という男を計略にて追放したという話だが、どうやら親父殿が氏豊と仲良くなったうえで仮病を使って分捕ったらしい。今孔明も仮病を使って城を分捕った話があるから、それなりに計略としては成立するんだろう。

 俺はやらないからな。やらないぞ絶対に。

 で、那古野城を俺に譲った親父殿は末森城で生活している。

 古渡城を廃し、今年できたばかりの新しい城だ。那古野城から見て、南東に一里半ほどの距離がある。西へ四里先の勝幡城に比べれば近い方だが、流行り病の見舞いはありえない。伝染る心配があるから流行り病という。替わりがいる嫡男よりも現当主のが大事に決まっている。となれば俺が数日留守にする――美濃の蝮と会っていた件――ことを誰かから聞いたんだろう。

 本家である織田大和守家とは微妙な関係にあることも、最近知った。

 去年の美濃攻めで親父殿が古渡城を不在にした隙を突いて、織田信友の家臣・坂井大膳が城下町を焼いていったらしい。どう考えても嫌がらせである。

 人んちに何してくれてんだよ!

 本来なら、嫡男である俺が防衛側として出陣していたはずだ。実際は何も知らないまま、のほほんと過ごしていたわけだが。戦の当事者同士とはいえ、美濃国との和睦に俺が出てきたのもおかしいと思っていたんだ。どうやら弾正忠家うちは、本家に負けないくらいの力をつけているらしい。

 本家と分家がひっくり返るのも時間の問題か。

「若様、斯波氏が信行様に近づいているという報告がありました」

「は?」

「斯波氏は、尾張守護職おわりしゅごしきを務めております。そして織田本家は守護代にして尾張四郡を治めております。現当主である大和守信友様は」

「親父殿と仲が悪いんだろ。知ってる」

 説明をぶった切られた恒興が不満そうに口を閉じる。

 守護職は室町幕府から認定を受けた土地監督官みたいなもので、現代でいう県知事に近いかもしれない。守護代は守護の代理人なので、守護職の方が偉い。もともとは地元の有力者が守護を任されていたが、尾張国の斯波氏は足利一族の名門である。

「本家すっ飛ばして、分家の次男に近づく真意や此れ如何に」

「若様、洒落ている場合ではありません」

「だってバレたら大騒ぎだろ、これ。本家が裏で糸引いているんだとしたら、もっと厄介なことになるぞ。尾張国内で戦が起きる」

「まさか、守護職がそんなことを……!」

 恒興が青ざめて震える。

 弾正忠家おやじどのが急速に力をつけ始めたことを織田本家が危機感を覚えたのは分かる。そこに斯波氏が便乗したのか、織田信友が誘いをかけたのか。家督争いの前に本家と分家が分裂し、他国の介入を招く事態になったら復興どころじゃないぞ。

 内部抗争だけで済めばいいが、俺は負けたくない。死にたくない。

「親父殿が、尾張統一してくれれば楽なんだがなあ」

「何を仰いますか!?」

「なるほど、尾張統一。さすがは弾正忠家嫡男、器が違いますなあ」

 誰だよ、この兄ちゃん。どこから湧いた。

 懐から出した手で顎をしごいているが、手首がとんでもなく太い。仕立てがしっかりした良い物を着ているくせに、ニヤニヤと下品に笑っている。武家らしい日に焼けたゴツい顔立ちをしているが、家臣団にこんなのいたっけか。

 利家を探してキョロキョロする俺の隣で、恒興が低い声を出す。

「佐久間殿、無礼であろう。ここをどことお思いか」

「尾張は弾正忠家が所有する一つ、那古野城の端の村でござるな。御屋形様が嫡男に城を譲られたものの、その御子は滅多によりつかぬ主不在の」

「佐久間殿!!」

 さっきまで号泣していたとは思えない一喝である。

 ぺらぺらと口上を垂れていた男も、ぴたりと口を閉じている。一見して殊勝な態度に見えるものの、目線はこちらに向いていた。面白がっているようで、見下しているようでもある。

 あ、なんか思い出してきたぞ。

「佐久間信晴の子か?」

「おや、父をご存じとは光栄でござる」

「意外そうだな」

「いやいやいや、滅相もない。けっして若様がぼんくらだの、たわけのうらなり小僧だのとは思っておりませぬゆえ、平にご容赦いただければ」

「こ、こ、こここの言わせておけばぁ……っ」

「どうどう、恒興。落ち着け、見えすいた挑発に乗るな」

 今にも抜きそうな乳兄弟の肩を叩き、風来坊風の男を見た。

 利家のような傾奇者に比べると上品なヤクザの印象だ。佐久間家といえば、尾張の地に根付いた豪族と記憶している。親父殿自身に従っている家臣の一派でも、かなりの発言力を維持しているはずだ。信行を絡めた苦情かと思ったが、粗野な振る舞いを見せる意味が分からない。

 いや、元々そういう性格とも考えられるな。

「小賢しく何やら巡らせておられるようで」

「ん? まあな。尾張に戻ってきて以来、一度も会ったことのない奴が今頃顔を出した理由は……ふつうに気になるだろ」

「ほう。して、如何に」

 見解を述べろってか。

 なんか面白がっている気配がある。こちらの出方を伺っているだけで、何ら含むところがないように思えた俺は首を傾げた。

 口を閉じた途端にむすりと不機嫌顔になって見えるわりに、目力がすごい。とにかく目で語ってくるタイプだ。髪も目も色素がちょっと薄いのか、茶色っぽいので純日本人とは少し違って見える。くわっと見開いたら、歌舞伎役者のキメポーズが似合いそうだ。

「単に顔を見に来ただけ、とかな」

「如何にも」

「まさかなー。そんなわけ、……はあぁ!?」

「佐久間右衛門尉信盛でござる」

 おもむろに片膝をついて俺を見上げて、男はそう名乗った。

 呆然としている舎弟どもを一瞥してから突然、にかっと笑う。大口を開いて白い歯が煌めき、急に若返った感がある。コイツは見た目よりも若いのかもしれない。

「本日より、三郎信長様の舎弟に加えていただきたく参上仕った!」

「え、ヤダ」

「若様っ」

 なんかよくわからんが、恒興が嬉しそうだ。

 この乳兄弟の考えていることも時々分からないが、突然舎弟になりたいとか言い出した佐久間家の御曹司も考えが読めない。父親は完全に信秀派――後継者問題では中立――で、一族あげて織田家に仕えている状況だ。

「親の許可は得たのか?」

「これは異なことを。信盛、とっくに元服を済ませてござる。今更、親の顔色を窺うようなことはいたしませぬ」

「じゃあ、やっぱりダメ。出直して来い」

 しっしっと追い払う。

 信盛がガッカリしたような顔をしているが、あえて気にしない。

 実年齢は気になるものの、嘘を言っていないとするなら現当主は信晴だ。それなりな年齢になっているので、佐久間家内で家督相続の話が出ていてもおかしくはない。親父殿は今も俺のことを嫡男として認めているから、信盛がこちらについても違和感はない。

 家督を継いでくれれば、これ以上なく心強い味方ではある。

 悩んだ末、やっぱり雇い入れるのは保留とした。大喜びの恒興が塩をまいて村から追い出してしまったし、当分は顔を見ることもないだろう。

 俺は、そう思っていた。

「殿! この木材はどこにお運びいたそう」

「肩に担いでぶん回すんじゃねえよ! あと三郎様に気安く声掛けんなっ」

「犬殿。これは我が策にて。殿はああ見えて優しく、情に厚い方だ。そしてお味方となる者は、身分問わずに重用すると聞いておる。ひたすら働くことで、いつか認めていただくのよ」

「ふうん。その『いつか』っていつだ?」

「知らぬ!」

「お前…………、面白ぇやつだなっ」

「半介にいちゃん、そっちじゃないよ。こっちだよ」

「おお、すまぬ。今向かおう」

 復興中の村にて、すごく馴染んでいた。

 つうか手のひら返しが早すぎるだろ、犬。懐いてんじゃねえよ犬。





********************

本作では一里=36町(約4km)として統一


林のジジイ:林秀貞。信長の筆頭家老であるが、信行派

佐久間氏:尾張を地元とする豪族の出身で、信秀の代から織田家に仕える


斯波氏:尾張守護職。噂によれば、信友の傀儡と化している

織田信友:尾張守護代にして織田本家の当主。織田庶流にあたる信秀とは仲が悪い

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