17. 馬廻り衆
俺の頭上よりも高いところで、きゃっきゃっとはしゃぐ幼子。
出会った当初に比べてすっかり元気になりやがって。
そんなに肩車楽しいかよ。高すぎてビビってたくせに慣れるのも早かった。毎日しっかり食べて、村じゅうを走り回っている。
「つぎね、つぎは……あっち!」
「…………」
「ええと、五郎左? 正直すまんとは思っている」
「いえ。若様が頭を下げられることは何もございませぬ」
怒ってるぢゃねえか。
原因はだいたい俺なので反論できなくて、なんとなく目を逸らす。
(こいつの家も、壊しちまったからな)
一応壊してもいいかは聞いた。いいよと返事をもらった。
俺は小さな子供でも一端の人間として扱ったつもりだったが、身分の高い人間から是非を問われて否定的な言葉を出せる者はほとんどいないと後で怒られた。死を覚悟するくらいの勇気がなければ無理だ、と。
結局、俺は何もわかっちゃいなかった。
現代でも様々な格差があったから、なんとなく知っているつもりになっていた。だが違った。俺が想像する以上に、この時代の身分差は厳然たるものだった。
空き地にぽつんと佇む幼子を見つけて、ようやく理解した。
「ノブナガ!」
空から声が降ってくる。
「なんだよ子猿」
「おなかすいた?」
「阿呆」
きゃらきゃらと声が降ってくる。
長秀の肩車が相当気に入ったらしい。父親が生きていた頃、一度だけしてもらったことがあるそうだ。本人ではなく、まだ小さかった弟が。
この痩せ細った子供の家族はもういない。
俺が村にやってきてから、何人かの死体を見た。子供が独りぼっちになったのは、それより前のことらしい。父親は少し前の戦に出て、帰ってこなかった。母親と弟はある日突然、ぴくりとも動かなくなった。
死んだ村人はどうしたのかと聞けば、村の外れを示した。
調べさせたところ、大量の骨が見つかった。
それらをまとめて穴を掘り、埋める。一人ずつ墓を作ってやることはできないが、寺へ持っていくよりはいいだろう。本来はそうするのがいいと分かっている。
だが子供の泣きそうな顔を見ていると、村から遠い寺まで運ぶのは躊躇われた。
運ぶ手間も省けたし、これはこれでいいんだと言い聞かせる。
脳裏に、毒で死んだ娘のことが浮かんだ。
彼女は火葬できたが、あれで本当によかったかどうか自信がない。林のジジイには、やりすぎだという意味の文句をチクチク言われた。
分かっている。
「俺は馬鹿で、どうしようもないダメ人間だ」
俺はノブナガだが、信長じゃない。本物にはなれない。
長政たちが驚いた顔で見ているが、気にしない。
「武芸も大して上達しないし、勉強もサボってばかりだ。沢彦の説法は面白いが、眠くなる。村を救う有効な手も思いつかないくせに、見捨てることができない。信行のことも」
素行の悪さだけでなく、考えの甘いところも家臣たちは見抜いたのかもしれない。
あれでも、おそろしい親父殿について時代を生きてきたのだ。
信行を担ぎ上げようという考えもまた、生き延びるための策なんだろう。だが、俺には乗っかってやる義理も筋合いもない。歴史が変わることだけは、ダメだ。
俺が織田家を継いで、周囲を蹴散らして、上洛して――。
「若様は、いつも遠くを見つめておられますな」
「悪いか? 次期当主たるもの、先見の明を持てと爺にはよく言われるぞ」
「間違っているとは申しませぬ。ですが、たまには下を見るのも肝要かと存じます」
言われるまま、足下を見る。
茶色の地面がある。
草の一本も生えていない痩せた土地だ。石みたいに固くて、人力で掘り起こすのは女子供の力で難しい。耕すついでに区画整理して、灌漑を取り入れる。灌漑事業の詳細はよく分からないから、詳しそうで理解が早そうな奴を探してくるのが先か。水がないと作物は育たない。俺たちが村に通えるうちに、できることは何でも試したい。
「明日から本格的に忙しくなるぞ」
「望むところです」
「おう、頼もしいな」
「おー、たのしーなー」
「楽しいか子猿」
「う? たのしー、たのもし?」
俺の口真似をする子猿は、城にいる小さな弟妹を思い出させる。
今日は端切れを合わせた着物を纏っていた。衛生面を考えると古着だけじゃ足りないと言ったら裁縫の得意な女たちが、あっという間に何着も仕上げてくれたのだ。これは内職の代価として、いくらか払っている。
噂を聞きつけてか、色々な仕事を請け負いたいという話が舞い込むようになった。
まだ一週間も経っていないんだがな。順調すぎて、ちょっと怖い。
「共同住宅、早くできるといいな」
「はい」
「みんなでいっしょにすむの? ノブナガもいっしょだよね」
「若様は城に戻られる」
「えーっ」
長秀の固い声に、子供が抗議の声を上げた。
途端にわらわらと小さな生き物が群がってくる。さっきまで仕事をしていた大きな子供も、親にくっついていた幼い子供も一緒くただ。ほとんど親のいない孤児だったから、動けるようになるまでは俺が面倒を見ていた顔が揃っている。
「お、お前らどうした!?」
「ノブナガ、帰っちゃうやだ」
「いっしょがいい」
「あそんで」
「おなかすいた」
「やだー!」
うん、要領を得ない。
思い思いのことを叫ぶので、どう答えればいいか分からない。見た目も中身も幼いから言いたいことを、ちゃんと伝えられないんだよな。
語彙力か。俺もあんまり自信ないが、どうにかしたいな。
識字率の低さは、知性の低さにも繋がると思う。
統治者には都合がいいだろう。
文字が書けるというだけで、ステータスになる。身分が高い、偉いんだと告げるだけで民はひれ伏す。どう偉いか、どれだけ偉いかは関係ない。理解もできない。働けと言われても、言われただけのことしかできない。腹が減っても、どうすれば食べ物にありつけるのか分からない。
そして飢えて、死んでいく。
病気になった時も、薬の存在や症状に対する処置を知らなければ悪化するだけだ。昔は平均寿命が極端に短かったというのも、医学が一般的に広まっていないから。沢彦のような博識人間がたくさんいれば違うんだろうが、坊さんの数も限られている。
辺境に行けば行くほど、寺は少ない。
「ん? 待てよ」
「いかがなさいましたか」
「なあ。こいつら全員、舎弟に」
「お止めください」
「最後まで言わせろよ」
「尾張の民のうち、子供がどれだけいるとお思いですか。孤児に限ったとしても、その子供をすべて舎弟になさるおつもりか」
ぐっと詰まった。
長秀の言いたいことが分かってしまう。同情や哀れみで、特別贔屓する対象を作るなというのだ。贔屓は嫉妬を生む。まして身分の低い農民を重んじれば、武家の反発は必至だ。
士農工商、という身分制度がある。
武士の次に農民、そして職人や商人たちといった感じに身分が下に進む。これが確立したのはいつの時代だったか覚えていないが、武家よりも農民が下なのは変わらない。
「しゃてー」
「なる!」
「そしたら、おなかいっぱいになる?」
「なるー!」
子供たちが騒いでいる。
やせ細った手の全てを、握ってやることはできない。
俺の体は一つきり、手足は二本ずつ、頭が一つで胴も一つだ。縋ってくる手を掴もうとすれば、触れることも叶わなかった手がある。
この村を救えば、別の村も救えと言われるかもしれない。
「五郎左」
「はい」
「俺はこいつらを舎弟にするぞ」
「若様!?」
「まあ、聞け。ずっと考えていることがある。俺にはやるべきことが山のようにあるが、この体が一つしかないために手が回らない。そして、ここにたくさんの手がある」
「農民ですぞ」
「ああ、農民だ。戦になれば、足軽として駆り出される」
一領具足を始めたのは長曾我部元親だった。
兵農分離――戦専門の常備兵と、農業専門の民に分けること――が進んできた頃に、自分の土地を持った足軽を育成し始めたんだったか。今の足軽は基本的に、土地を持たない。こうして耕している田畑はあくまでも間借りしているものだ。
先祖代々の土地とかいっても、開墾した民は豪農になっている。
ワンランク上の農民ってことだよな。実際に田畑で作業するのは小作人の仕事だ。雇われの身なので、その土地に根差しているわけじゃない。ヤバくなったら逃げるし、上の事情で
なんで、そういうのは知っているかって? 前世の知り合いに詳しいのがいんだよ。
織田信長も専用部隊みたいなのを創設したらしい。その名も――。
「馬廻り衆を作りたい」
俺はずっと考えていた。
圧倒的に手が足りない。手駒が欲しい。
一益の滝川氏は忍一族かもしれないが、伊賀甲賀ほどの力は持っていないだろう。戦国大名のほとんどがお抱えの忍集団を持っているのに、俺だけいないのはおかしい。情報不足で、それこそ歴史通りに49歳の人生を終えるなんて絶対に嫌だ。
「馬廻り……、今は藤吉郎がおりますが」
「そうだ。猿に管理させる。今もちょいちょい木下家の人間が来てくれているだろ。まとめて面倒を見ると言えば、猿が勝手に知恵を働かせるぞ」
「ふむ」
長秀が子供たちを見やった。
鋭い視線が合うと、たちまち逃げていく。
中には俺の陰に隠れようとするのもいて、くすぐったさを我慢するのが非常に難しい。ええい、どさくさに紛れて尻を触るな。足に巻きつくな。歩けなくなるだろうがっ。
「女もおりますが」
「内職をさせる。具足の手入れは女にもできる。裁縫の技術は大したもんだ、ってお前も褒めていたじゃねえか。できなきゃ諦める。この中の何人かが使い物になりゃあいい」
「それがし、がんばるよ」
「あたし」
「あたち!」
元気のいい声がきっかけとなり、子供たちが一斉に騒ぎ出す。
キラキラとした目を向けられるのは悪い気がしない。子供らしいと思う。最初にこの村を来た時、まさしく生き地獄だった。飢えて、死ぬだけの人間が走り回っている。
自分で意思を訴えてくる。
「がんばったら、ごはんをたべられるんでしょ。だからがんばる」
「ああ、そうだ。働かざる者食うべからずだ」
頭を撫でてやると、嬉しそうに笑った。
それは飢饉の村で、初めて見る曇りない笑顔だった。
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そろそろ子猿にお名前つけなきゃ…
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