14. 腹が減ってはナントヤラ

 色々あったが、夕暮れ前には炊き出しが始まった。

 いくつかの家から白い煙が立っている。そしてふんわりと飯の匂いが漂ってきて、俺の腹がぐうと鳴った。この時代の一日二食は、育ち盛りの年頃に少々厳しい。

 ちなみに俺は、総合監督として村が一望できる広場に立っている。

 身分の高い奴は後方でどっしり構えているものだ。

 けっして猿が連れてきた女衆と乳母おちよに追い出されたからじゃない。男児たるもの、やすやすと厨房に踏み込まぬものなのだ。あそこは女の聖域である。ちなみにおちよは恒興が連れてきたというか、案内させられてきたというか。

 正直言って助かった。

 俺だけでは、飢えて死にかけた村人たちを助けることはできなかった。猿も含めて舎弟たちがあちこち駆け回ってくれたおかげだ。人材と物資の両方が集まって、ようやく村を救うための第一歩になった。

「予想以上に、手間取りましたな」

「言うな、五郎左。それだけヤバかった、ってことなんだろ」

「そうですね」

 長秀は特に言い返すことなく、苦笑いしている。

 どことなく表情に疲れが滲んでいるのはお互い様だろうか。いい経験だったって笑い合えるにはまだ早すぎるか。でも、ちょっとした達成感を噛みしめたい。

「それで若様、内蔵助らが集めてきた物資についてですが」

「うむ」

「交渉できた商人への支払いは如何いたしましょう?」

「俺のポケットマネーで払う。つまり出世払いだ」

「威張って言うことではありませんぞ。商人たちも生きねばならぬのです」

「心配すんな。稼ぐアテはあるさ」

 成政たちがそう言って、商人たちを納得させたはずだ。

 この時代はまだ物々交換が大半を占めていて、貨幣は一部の取引に限られている。大判小判は金山銀山を多く抱えている国でもそんなに流通していないらしい。前世の記憶を絞り出して『甲州金』が実在するところまでは確かめた。

 ちなみに、件の堺商人とは物々交換だ。

 漢語の写本一冊で水飴の壺ひとつ。俺が文字の練習用に書いたやつだったが、本が欲しかったら書いて写せという時代だ。一冊の価格を知らなくても、めちゃくちゃ高価なのは分かる。

(貨幣の普及も計画に入れとかねえとな)

 楽市楽座も織田信長の功績だったような気がする。

 せっかく堺商人と顔見知りになったことだし、尾張との流通ラインを作れば南蛮貿易にも介入できるかもしれない。欲しいものがたくさんあるんだ。




 力仕事要員に長秀が呼ばれて、代わりに沢彦がやってきた。

 こいつもどこから聞きつけてきたんだか、ひょっこり現れて村人たちにありがたーい説法を語ってくれたのだ。運んできた食べ物に襲いかかりそうだった者たちは、それで大人しくなった。訳も分からず猿に誘導されてきた木下一族も、なんか素直に従ってくれて無事に炊き出しができるようになったのだ。

 今は長秀たちが中心となって、家作りも始まっている。

「ご機嫌如何ですかな、若様」

「ああ、暇で死にそうだ」

「おやおや。金策でお困りかと思っていたのですが」

「アテはある」

 長秀にもそう言ったし、なるべくなら沢彦に借りを作りたくない。

 コイツはとんでもなく頼りになる和尚であり、タチの悪い腹黒なんだ。俺は天才軍師を切望しているが、沢彦を軍師枠に入れようとは思わない。

「お父君に相談されないので?」

「しない。金策も含めて試練のうちだと思ってる。俺自身の能力はたかが知れてるし、五郎左たちの手を借りないと何もできないさ」

「謙遜も過ぎると嫌味ですぞ。顔を上げて、村の様子をご覧なさいませ。三郎様がたった半日で成し遂げたことです」

「成し遂げてねえよ。これからだ」

「ええ、勿論」

 その何でも分かってますよーな顔がムカつくんだが。

「それで金策のアテというのは?」

「結局聞くのかよ」

「興味がありますので」

「農機具」

「と、言いますと?」

「年貢を納められなきゃ、こっちも困るからな。期限は来年の秋まで。ということは年貢を納められるレベルまで復興させろっていうことだ。それ以前に、いつまでも炊き出しを続けられねえから田畑の復活が最優先。そのための農機具をつくる」

「三郎様は作り方をご存じなのですね」

「ご存じではない」

 俺は憮然とした顔で返す。

 知ったかぶりしたって沢彦を騙せるわけもないし、ここは正直に答えるのが吉だ。農機具と言ったが、分類としては農具かな。できるだけ広い面積を、一気に耕す道具が要る。主食であるコメはもちろん、痩せた土地でも育つ大麦や豆のエリアを早めに確保したい。

 農業の知識なんてないが、農家の息子サルがいるから何とかなるだろ。

 そうそう、猿の名前は木下日吉というらしい。

 藤吉郎を名乗るのはもう少し先か? 何かと使い勝手がいいので、将来の秀吉じゃなくてもいいかと思っている。なお、意中の彼女とはまだ交際に至っていないらしい。

「あー……、はらへったなー」

「三郎様」

「んあ?」

 沢彦に呼ばれて思考から戻ると目の前に、何かを抱えた子供が一人。

 ブカブカの古着に垢だらけの肌、髪はボサボサで男か女か判別できない。しばらく見つめ合って、水飴を分け与えた子猿だと気付いた。大事そうに両手で包んでいるのはオニギリか。この子は比較的元気なので、粥よりも握り飯をもらえたようだ。

「ノブナガ」

 隣の沢彦を気にしながら、おずおずと名を呼んでくる。

「どうした、ちびっこ。なんかあったか」

「あげる」

「へ?」

 ぐいっと突き出された握り飯に、ぽかんとする。

 先に動いたのは沢彦だった。胡散臭い笑顔で子猿に話しかける。

「優しい子ですね。清らかな心は御仏も、若様も大変喜んでおられます。ですが、それはそなたが食べるようにと若様はおっしゃっていますよ」

「うそ」

「それはお前がもらったもんだろ? お前が食べろ」

「ノブナガはらへった、って言ってた」

「へってないから食べていいぞ」

「うそ!」

 子猿は歯を剥き出して叫び、走り去ってしまった。

 俺はその背を呆然と見送るしかない。水飴を指ごと貪り食うほど飢えていたくせに、うっかり洩らした呟きに反応したというのか。ほんのちょっぴりの水飴を分けただけなのに、あの握り飯は俺に渡そうと思ったのか。

「若様、お分かりですか」

「…………」

「軽々しくも『はらへった』などと仰ったがために、あの子供は行動を起こしたのです。城の者が傍にいたならば処罰は免れなかったでしょう」

「犬松のどっちかなら、今頃は俺の腹の中だな……」

「若様」

「分かっている。上に立つ者として、発言する内容も気を付けろって言いたいんだろ」

 炊事の煙はまだ消えない。

 とにかく炊き出しが必要だと思っただけで、俺は何が必要なのかをよく分かっていなかった。米と大鍋だけじゃダメだった。噂を聞いて、野菜を分けてくれた物がいる。足りない木材を用意して、家作りに参加している者がいる。

 冬が来る前に死を待つばかりだった村が、今はとっても賑やかだ。

 それも一時的なことだと、心に戒めなければならない。

「おやおや、若様。情けないお顔をして、だらしのない!」

「ほ、ほっとけ。…………いや、おちよもご苦労だった。その、助かった」

 彼女に応援を頼んだのは俺じゃない。

 だから礼を言うのも筋違いのような気がして、妙な後ろめたさを感じてしまう。そんな俺に目を丸くしていた彼女は、あっけらかんと笑ってみせた。

「大したことじゃありませんよ。もう、炊事なんて何年ぶりでしょうねえ。殿様に雇われて、お城に住まわせていただいてから、ずーっと何でも人任せにして」

「大御ち様」

 長くなりそうな口上を、うんざり顔の長秀が遮った。

 家作りがひと段落したようで、たすき掛けの紐をほどきながら歩いてくる。

「あら! まあまあ、万千代殿もいらっしゃったのね。いやだわ、恥ずかしい」

「わざとらしいぞ、おちよ」

「何を仰るのですか、三郎様。飢えた民を掬おうと言うお慈悲は素晴らしいと思いますけどねえ。こんなお祭り騒ぎにしてしまって、お叱りだけじゃ済みませんよ?」

 思わず顎をさする。

 親父殿のアッパーカットで空を飛んだのは記憶に新しい。

 俺を煙たく思っている者、かなり本気で廃嫡を狙っている者、あるいは存在の消滅を願っている者の顔が次々と浮かんだ。俺が命を狙われることに関してはもう、なんだか慣れてきた。たびたび痛い目に遭っているわりに、命の危険をはっきりと感じたことがないからだ。

 死ぬかもと焦りつつ、ゲーム感覚が抜けない。

 人生にリセットボタンは存在しない、って誰の言葉だったっけ。

「しっかりなさいまし!」

「ごふっ」

 すごい勢いで背中を叩かれた。ジンジンする。

「この村を救いたいのでしょう? 若様の名で商人たちを動かした以上、中途半端に投げ出せば信用そのものが地に落ちてしまいます。さあ! 胸を張るのです、三郎様。次期当主として尾張国を統治する練習だとお考えなさいませ」

「お、おう」

 そういえばそうだった。

 内政は完全に人任せにする気だったが、将来的に織田信長の統治下に入る国は尾張一国に留まらない。俺たちが毎日食べている米も野菜も、領民が作っているものだ。魚や肉、着物や建築物だって金を払って得たものにすぎない。

 人の上に立つ者として、俺は――。


  ぐきゅるるるるる……


 腹が減った。

 二人分の呆れた眼差しにも、何か言い返す気力さえない。

 へなへなとその場に座り込んだ俺に、さっきの握り飯が現れた。逃げていったはずの子猿が戻ってきて、今度は無言で口に押し付けようとしてくる。ちょ、ちょっと待て。大きさともかく、まだ口を開けていないから入らない。

「うぶ、うぶぶ」

「あらあら、早くも人心を掴んでしまわれて」

「我が主ならば当然のことです」

 おい、助けろ。

 さっきは偉そうに道理を説いていたくせに、今度は放置か。

 文句を言おうとした開いた口に、握り飯が突っ込まれる。入ったことを確認した子猿が、何かを期待するような目でじーっと見つめてきた。

 まさか感想を求められているのか?

 今口を開けば、米粒マシンガンになるぞ。七人の神様が大挙して夢枕に立つかもしれないから、それは遠慮させてもらっていいかなっ。

 結局、俺が握り飯を飲み込むまで子猿は無言で凝視し続けた。

 プレッシャーに弱い俺は、味も分からないまま「ウマイ」とだけ呟いたのだった。





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信長の乳母「大御ち様」の名前は「ちよ(千代)」

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