12. 飢饉の村(前)

※タイトル通り、残酷な表現があります。

 苦手な方はご注意ください

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「どういう、ことだ」

 俺の声は少し震えていた。

 テレビでしか見たことのなかった光景が、そこにある。

 いや、もっと酷い。カメラに視線をやるくらいの余裕があった彼らとは違い、ぼんやりと座り込んだ人々の目に光はない。フラフラと夢遊病者みたいに歩いている者はまだいい方で、壊れた家に凭れている者や横倒しになっている者もいる。

 遠目からでは生きているのか、死んでいるのかも分からない。

 村のあちこちに、死体が転がっているようなものだ。

「どういうことなんだ、これは!」

「飢饉です、若様」

 ひどく沈痛な面持ちで長秀が言う。

 知っている、そんなことは。

 だって親父がそう言ったんだから。俺はちゃんと、聞いていたはずなんだ。お前がどうにかしろと無理難題を押し付けられて、できなかったら廃嫡だと脅されたのだ。それともあれは、脅しでも何でもなかったのか。親父殿は本気で、俺を殺しにかかっている。

 とりあえず殴り殺されなくてよかった。

 顔の腫れがひくのに数日かかったとはいえ、まだ俺は生きている。さんざん痛い目に遭ってきたが、目の前の光景には比べようもない。きちんと服を着て、しっかり食べてから、舎弟どもをぞろぞろと引き連れて城を出てきた。馬に乗ってきたので尻は痛いが、ほとんど疲れていない。

 どうしてもついていくと言い張った恒興が、後ろから無言の訴えを続けている。


 ――…帰りましょう、若様。こんな所にいても仕方ないです


 弱弱しく怯えの含んだ、そんな声が聞こえてくる。

 俺は両手の拳をひたすら固くして、奥歯を噛みしめる。そうしないと、叫び出しそうだった。そんなことをしたって無駄だと分かっているのに、どうしようもなく。

「三郎さまー!」

「遅い」

「すんませんっ。あの、水……ダメでした」

 殴ろうとした手が止まる。

 利家のことは、今も「犬」と呼んでいた。

 生まれつきなのか、この男は嗅覚・視覚がとても敏感なのだ。刺激の強すぎるものでは感覚が狂うという犬の特徴が通じるのか試したくもあるが、本当にダメになったら困るので実行には移していない。

「又左、どうダメなのかを報告するのだ」

 俺の代わりに長秀が聞いてくれる。

「あっ、そうっすね! もう何日も前に枯れたっぽいです」

「村の者はどうやって、水を」

「飲んでないそうっす」

 ぐらりと視界が傾ぐ。

「若様!!」

 誰かが支えてくれた。

 こんなに大声で騒いでいるのに、村人たちは見向きもしない。

 地面に転がった者、壁によりかかった者、そして呆然と立ち尽くして空を見つめている者――。老いも若きも男女の区別すらなく、着物と呼べない端切れを巻きつけた体は骨と皮のみ。髪の長いものはほとんどおらず、一様にぼさぼさで不揃いだ。

 ここから見えない影の部分にも、似たような姿が見つけられるのだろう。

 前世の記憶おれが呟く。

 人間の八割は水だから脱水症状は本当にやばい。食べ物がなくても水さえ飲めれば数日生き延びられるっていうくらいに、水分補給は大事だ。その水が、井戸が枯れている。この近くに川はあるのか、ないのか。

 ああ、本当に……どうすれば。

「帰りましょう」

 俺の腕を掴んで揺さぶりながら、涙声の恒興が訴えた。

「廃嫡されたって、いいじゃないですか。私はどこまでも、ついていきます。母上も分かってくれます。だから、城に帰りましょう。村は手遅れで、全員死にましたと報告すれば……」

「死んでねえっ」

 それは、咽喉を引きちぎるような叫びだった。

 ひび割れた声からして老人のように思えたが、ここにいる老人はほとんど死にかけている。生きる気力も、その糧も失ってしまっている。

 だが俺は探した。

 のろのろと首を動かして、声の主を求めた。舎弟どもも、怪訝そうに辺りを見回している。そうして突然、利家がどこかへ走っていった。

「ぎゃああああっ」

 身の毛のよだつ悲鳴に、全員がびくっとする。

 利家が入っていったであろう家屋の方を見たが、今は不気味なくらいに静まり返っている。とうとう恒興が頭を抱えて座り込んだ。

「も、もう嫌だ。こんなの…………はは、嫌だ。ははうえ、ははうえぇ……」

「黙れ、勝三郎! それでも武士の子かっ」

「そっとしといてやれ、五郎左。我慢する方が危険だ」

 誰かが騒いでいると冷静になれるもんだな。

 恒興のおかげで、俺は俺でいられる。物言いたげな長秀には悪いが、この状況では面子がどうのと言っていられない。ここは、地獄だ。

(くそおやじ)

 腹の中で悪態を吐く。

 何度か繰り返して、少しばかり元気が出た。

 肉親の情は無くても、織田信秀がデキる戦国武将なのは知っている。この村の惨状を知っていて、俺になんとかしろと言った。できなければ廃嫡、この意味をもっと深堀りして考えるべきだったのだ。

「糞親父」

「若様?」

「なんでもねえ。犬、遅いな?」

「そうですね。さっきのは化生の声でしょうか」

「さらっと言うなよ、五郎左。そういうネタ好きなのか?」

 すると長秀は不思議そうに首を傾げた。

 やめろよ。なんでそう、当たり前のことを聞かれたような顔をするんだ。

「好きも何も、いるものはいるとしか」

「あああああいい。別にいい。それ以上は言わなくていい。ああ、犬も大事な仲間だしなー! 様子を見に行ってやるかっ」

 錯乱状態の恒興を長秀に任せ、声が聞こえてきた小屋に近づく。

 これでも一応、民家なんだろうな。マムシの草庵も外壁は蔓草だらけだったが、この今にも崩れそうな廃屋は中もひどい状態になっていそうだ。そもそも全体的に傾いているし、隙間だらけで、風雨を凌ぐ目的すら果たせていない。

 引き戸は触ると外れそうなので、隙間に頭を突っ込んでみた。

「おーい、犬。サボるとはいい度胸だ、な」

「あ」

「ひ、い」

 犬が発情していた。

 何を言っているのか分からないかもしれないが、そうとしか見えない。

 男か女か分からない骨皮人間の上に、奴がのしかかって両手を掴んでいるのだ。枯れ木のような足は犬の尻に敷かれている。そのまま動かしたらポキリと折れそうだから、動かないでいてほしい。

 許せ、非常事態だ。

 めきめきと引き戸を破壊しつつ、中へ踏み込む。

「てめえ……何してやがる。十文字以内で答えろ。さもなくば絶縁する」

「ぜ、ぜつえん?」

「縁を切るってことだよ。二度と顔を見せるなってこ――」

「うわああああ、だってコイツ暴れるから仕方なく」

「うん、犯罪者によくある言い訳だな。有罪」

「引っかいたりして危ないから、とりあえず大人しくさせとこうと」

「ほほう? 大人しくさせて一体、何する気だったんだ。この発情犬」

「三郎様、こういうのが欲しかったんすよね」

 スパアァンと小気味良い音が響き渡った。

 うむ、小型でも十分な働きをする。いい仕事だ、さすが俺。どうやっても綺麗に折り目が揃わないんだが、ハリセンとして使う時には具合がいい。

 叩かれた犬が仰向けに引っ繰り返り、組み敷かれていた人間が逃げ出した。

「あっ」

 それは俺の横をすり抜けて、長秀にしがみつく。

 まるで巨木にしがみつく子猿だ。まあ、人間の子供には違いない。いつから着たきりになっていたのか分からないボロ布が、かろうじて体の大事な部分を隠している。

「恒興を見ていろと言っただろう」

「気絶させ、このように背負っておりますので問題ありません」

 あ、ホントだ。

 視線を上に移動させていくと、ぐったりしている少年が担がれていた。涙と鼻水でぐちょぐちょなのが憐れを誘う。さすがに汚いから、俺は背負いたくないな。

 とりあえず拭くものを、と体のあちこちを探る。

「ん~、ん。ん~? おっ、飴があった」

 以前に小姓へプレゼントした水飴の壺と同じものだ。

 堺から来たらしい商人は俺を上得意客と見定めたようで、先日また水飴を売りに来たのだ。べっこう飴くらいあるかと思ったが、この時代に固形飴はまだ存在しないらしい。麦芽飴は麦もやしから作れると聞いたから、この村で大麦作ろうと考えていたのにアテが外れてしまった。堺商人には砂糖と蜂蜜の調達を依頼してある。

 もちろん後でバレて平手の爺にめっちゃ怒られた。

 無駄遣いじゃない。必要経費だ。

(急に甘いものが欲しくなる時ってあるだろ!?)

 果実をいくつか食べてみたが、現代感覚の残る俺には物足りない。

 品種改良って、マジですごい技術。農家の皆さんありがとう。でも、この村にいる農家の皆さんは品種改良どころじゃないみたい。泣きそう。

「若様?」

「ん、ああ。おい、水飴やるから手を出せ。うーん、無理か?」

 子猿は長秀にしがみついて離れない。

 どうやら俺は警戒されているらしいので、これ見よがしに飴壺へ指を突っ込んでみせた。子猿が鼻をヒクヒクさせて、俺の動きをガン見している。よしよし、いいぞ。

「はい、あーん」

「若様!?」

「あだだだだだっ」

 差し出した指が喰われた。

 がりがりがりがりと猛烈に齧っている。すぐさま長秀たちに引き剥がしてもらったが、子猿の目がらんらんと光っている。やべ、気付け薬にしては刺激が強すぎた。

「いてて……。三郎様、そいつがさっき叫んでたガキっすよ」

「ふうん」

 また指を齧られては困るので、懐紙で飴を掬って渡した。

 子猿は夢中になってしゃぶっている。犬が羨ましそうにしているが無視。物言いたげな長秀にひと匙あげようとしたが固辞された。遠慮しなくていいのに。

「おい、子供」

 びくっと体が跳ねる。

 俺たちに囲まれていることに、今更気付いたようだ。

 利家から逃げる時にしがみついた長秀からも、俺からも距離を取ろうと後ずさる。今の今までしゃぶっていた懐紙にびっくりしたり、おどおどと忙しく視線を彷徨わせたりしながら、更に後退する。

 捕獲しようと動いた利家には、目で制止をかけた。

「返事をしろ」

「……っ」

「ちゃんと聞こえているな?」

 子猿がこくこく頷く。

 よかった、あれだけの量でも元気になってくれたようだ。水飴は思ったよりも栄養があるのかもしれない。堺商人も砂糖は薬だと言っていたし、この時代ではそういう認識らしい。

 だが、子猿一人で満足してはいけない。

 俺は、ここへ来た目的を忘れてはいけない。

「聞け。俺たちは、この村を救いに来た」





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べっこう飴を水飴(の壺)に変更

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